ムンキと午後三時のフィーカ(5)
再びカフェ・午後三時のフィーカからスキマバイトアプリに求人が出ていた。しかも一度働いたワーカー専用求人で、明日香はすぐに申し込んだ。
そして当日。花粉症の為、鼻を軽くハンカチで抑えながらも、迷わずにカフェについた。不思議なものだ。初めて来た時はあんなに迷い、猫に導かれたと勘違いしそうになるぐらいだったのに。
改めてカフェの外観を見上げた。白い壁の三角屋根のカフェだ。規模は大きくなく、住宅街の路地裏に埋もれるようにあったが、屋根に設置された十字架が目立ち、太陽の光にキラキラと照らされていた。元々は教会だった場所だとわかる。それに裏手の建物からは讃美歌も響いてくる。こちらは二階建ての小さな公民館のような建物だったが、教会らしい。
落ち着いて見ると、今日は前と違う事にも気づく。漏れ聞こえてきる讃美歌は、落ち着いた音色で、小鳥の鳴き声と混ざり、何とも平和な春の日だった。
すっかり明日香の落ちいていた。あの日以来、一人でフィーカの時間を取るようになり、焦り、母の言葉、動画サイトのインプットもすっかり手放していからか。
「岡辺さん!」
カフェの従業員入り口から入ると、店長は笑顔で対応してくれた。前回と同じようにエプロンをつけ、手を洗うと、厨房はクリーミーな良い香りがした。北欧風の鮭のスープを作っているらしい。午後三時から裏手の教会の信徒達が貸し切り予約しているという事で、店長はその準備に追われていた。
明日香も店長の指示を受けながら、焼き上がったパンを並べたり、イチゴのケーキを切り分けたり、カップや皿、カラトリーを用意したり大忙しだ。
貸し切りという事でカフェにまだ客はいないが、看板猫のムンキは、日当たりの良い窓辺でゴロンとしていた。もふもふとした白い毛がた太陽の光に照らされ、余計に気持ちよさそう。
「岡辺さん、ありがとう。後はお客様を待つだけだね」
思った以上に仕事は手際良く終わってしまい、手が空いた。厨房で店長と二人きりになってしまい、明日香は微妙な表情。沈黙が続き、落ち着かない。
休憩用の折りたたみ椅子に座っていたが、時給で働いていると、てすき時間は罪悪感もある。
一方、店長は厨房の作業台をふきながら、口笛まで吹いていた。沈黙は怖くないらしい。そういえばネットで調べたらフィンランド人の国民性では、会話は率直で、日本人のように沈黙は恐れないとは言っていたが。
店長はハーフらしい。顔つきも体格も日本人離れしている。そんな店長と明日香に共通点はあるか不明だ。
「あれ? でも、岡辺さんは、前来た時よりも、少し顔つきが落ち着いてる?」
「え、そうですか?」
突然、率直に指摘され、明日香の心臓が跳ねた。
「うん。何かいい事あった?」
人懐っこく無邪気に話しかけられ、明日香は軽く咳払い。
「い、いえ。あの前に店長が言ってたフィーカをやってみたんです」
「いいね!」
「それで何か気が抜けたっていうか。焦らなくてもいいのかなって思って……」
ハーフで日本人離れしている店長だったが、笑顔は素朴だ。目尻にやわらかな皺が出来、そこに隙ができる。
だからだろうか。明日香はついつい転職を繰り返してしまった事や、転職活動が全く上手くいっていない現状を話してしまう。
はっきり言って愚痴だ。ネガティブな話題なのに店長は口を挟まず、ただ聞いてくれた。
「聖書では仕事も神様が与えるものだからね。もしかしたら岡辺さんにもっと良い仕事があるから神様がショボい仕事は落としているのかもよ?」
「そうですかー?」
明日香は苦笑。まさかここで「神様」なんていう言葉が出るとは予想外だ。
「それにムンキ食べた? あのドーナツはフィンランドの労働者のお祭りの日に食べるもの。五月一日のヴァップの日と呼ばれてる」
「え?」
「この日は一日中森の中で焚き火してコーヒー飲んだり」
「労働者の日なのに、遊んでいいんですか?」
「岡辺さん、休むのも仕事だよ。休んだ方が効率いいでしょう?」
フィンランドの豆知識を披露し、笑っていた店長だったが、この時だけは真面目だった。
「だからこうしてちょっと休んでるんだよ」
「へぇ……」
「焦らない。不安にならない。大丈夫」
その店長の声は優しく、明日香の目の奥が痛くなってきたが、実際、貸し切り客がやって来て仕事を再開したが、スムーズだった。十人も客が来たが、余裕も生まれ、一人一人と軽く雑談できるほど。スキマバイトアプリで手伝いに来ていると話すと、なぜか客達が盛り上がり、ずっとここでバイトすればいいじゃないと言われるほど。
「それだよ。岡辺さん、ここでバイトしたら?」
「へ?」
今日の分の仕事が終わり、帰りがけ店長にそう提案された時は、変な声が出た。その上、少しむせ、咳も出てしまうぐらい驚く。
「たまにこういう貸し切りで忙しい日もあるからさ。いちいちスキマバイトでレビュー書いたりするのも面倒でしょ?」
「いえ、でも」
ありがたい提案だったが、ふと、母の言葉や不安を煽るような動画が脳裏によぎる。
とはいえ、全く別の思いも生まれていた。日本人離れし、ちょっと遠くに感じる店長だったが、知りたい、話してみたい、何か教えて欲しいという思いも浮かぶ。綿あめのようにふわりと軽い思いだったが、悪くない。
二人の別の思いが天秤にかけられていたが、目をあげると店長と視線が合う。相変わらず人懐っこい笑顔。目尻の優しげな皺。
「わ、私でいいんですか?」
「いいんだよ。よろしくお願いします」
気づくと店長と握手を交わす。お互い手仕事で手が荒れていたが、そんなのどうでも良くなってきた。
「スキマバイトアプリで直接雇用があるとは、私、都市伝説だと思っていました」
「はは、調べると結構あるらしいよ。いいんじゃない? なるようになるよ。焦らず、ゆっくり、休みながらでもいいんじゃない? それこそフィーカの時間を楽しむように」
軽やかな店長の声を聞いていると、気が抜けてきた。
「ありがとうございます、店長。これからもよろしくお願いします」
明日香は笑顔で頷いていた。こんな風に笑うのは、久しぶりだった。




