ドリームケーキと恋のフィーカ(4)
ビギナーズラック、ビギナーズラックだと明日香は自分に言い聞かせていた。通常、初心者がこんな早く売れる事はないらしい。無料とはいえ。
約束の時間、夜の二十二時、明日香は一人、「スキルマ!」で購入してくれた客からの電話を待つ。
お互い匿名でやり取りが出来るらしい。客のプロフィールもわからず、アイさんという名前しか確認できない。
初めて売れた嬉しさ。どうしても調子に乗ってしまいそうで、明日香が自分にビギナーズラックだと言い聞かせる。
店長は自分の事のように喜び、さっそく次のシフトの日にお祝いのドリームケーキを焼いてくれるという。その事も思い出すと、さらに調子に乗ってしまいそうだったが、とにかく今は全力で客の話を聞こう。失敗もあるはず。百パーセントうまくできない事はわかっているが、転職活動の面接の時のような変な緊張はない。スマートフォンを持つ左手も震えるが、不思議と心がどっしりと落ち着く。たぶん、聴く側が不安になったり、変に心が揺れている事は客にとって良くないと直感的に分かっていたのだろう。
「もしもし、アイです」
そうこうしているうちに時間になり、電話がかかってきた。
細めの女の声だ。明らかに若い。十代後半かもしれないが、明日香は深呼吸して声を出す。
「こんばんは。お電話ありがとうございます」
軽く自己紹介もした。本名は言えないが、カフェでバイト中だったり、カウンセラーの夢がある事など。転職もなかなかうまくいかない経験も話すと相手も警戒心を解いたらしい。
「私もです。なんか病院で境界性知能とか呼ばれて、別に障害者じゃないけど、仕事ができない感じで」
アイさんの境遇は想像以上に重い。親からのネグレクトや暴言、受験の失敗、いじめや性的被害も聞かされ、単に聞いている明日香も泣きそうになるぐらい。
仕事も上手くいかず、ついには夜の仕事までいきついた経験は、明日香も他人事ではない。もしカフェで拾ってくれなかったら、似たような事をしていたかもしれない。
「そっか。アイさん、辛かったね。私も一歩踏み外してたら同じだったよ」
「そ、そうか……」
アイさんの愚痴は止まらず、親や社会への恨みも語る。
「私なんて社会の底辺。もう失うものもないから」
強がっているのだろうか。アイさんの声は震えていた。
こうしてニ時間弱、アイさんの愚痴、弱音を聞き続けた。
終わると肩が明らかに凝っていた。想像以上に大変だったらしく、鏡を見ると、目の下にクマもできていた。
これでアイさんが満足したかどうかは不明。確かに心にある悪いものを吐き出せたかもしれないが、とても問題解決になったとは言えない。むしろ悪化させた可能性も考えられ、もう調子を乗る気分ではない。自分の実力不足、知識不足などを思い知らされた。
夢は見ているだけではダメだ。祈って待っているだけではダメ。店長の言葉の意味がようやく腑に落ちた明日香は、翌日、市の図書館へ向かっていた。
平日の図書館は定年後の老人が多く、少し入りずらかったが、心理学や精神世界のコーナーへ。傾聴やカウンセリングの勉強になる書籍も山とある。
気になった本は片っ端から読み、コピーをとったり、ノートにまとめた。学生の頃はあれほど勉強も嫌いだったにに、今は全く苦ではない。
こういった本を読むと、世の中には見えない貧困や依存症、精神疾患なども多いらしい。一見、元気そう、裕福そうに見える人でも心に闇を抱えてる人が少なくない。日本の自殺率も低くはない。フィンランドでも似たような傾向があるらしい。
今まではカフェで北欧の良い部分しか見えていなかったった。明日香は自分の知識不足が嫌というほど分かってしまい、勉強を続けた。
気づくともう夕方だ。「スキルマ!」のアプリを開くが、再び売れた形跡はない。アイさんからのレビューもなかったが、知識や実力不足を思い知った後では、これで良いのかもしれなと納得するぐらだ。
こうして図書館から借りた本を抱えながら図書館からシェアハウスに帰る事にした。夕暮れの住宅街の道を歩きながら、顔を上げると、反対方向から君枝が歩いいた。
「君枝さん!」
声をかけると、君枝は笑顔だった。黒髪のアジアン風美人の君枝だったが、今日は目元も柔らかく、笑顔も爽やかなぐらい。
「どうしたんですか? なんか嬉しそう」
「実はね」
君枝はとある新人賞に作品を書き上げ、今、郵便局に送って来た帰りだという。
「まあ、もう後はどうでもいいかなって感じ。全力でチャレンジできたから、そこは後悔はない」
真っ直ぐに前を見ながら語る君枝はキラキラしていた。
「それに落ちてもまた新作のネタあるの。北欧のファンタジーなんかが良いんじゃないかと思ってる。あのカフェで思いついた」
「良いですね!」
「ええ。あと店長から聞いたフィーカの話も面白かったわ。フィーカって北欧のコーヒーブレイクタイムなんだって。コーヒーと一緒にお菓子食べたり」
それは明日香もよく知っていたが。
「だから気になる異性を誘う時にも、フィーカしようって言うらしいよ。フィーカだったら気楽に誘えるって」
今聞いた事は、明日香は初耳だった。
「あ、もうこんな時間。またカフェ行くわ!」
君枝は笑顔で去っていくが、明日香の表情は強張っていた。
「え、フィーカだったら気楽に誘える? って何?」
なぜかその言葉が心に残ってしまった。




