希望の光とクリスタルコーヒーブレッド(2)
ゴスペル教室はカフェで行われた。元々教会だった所とはいえ、改装し、すっかりカフェになった所。宗教感は全く消え去っていた。
いくつかのテーブルや椅子は一旦端に寄せ、準備は完了だ。高い天井、大きな窓からは開放感もある。
ちなみに店長によると、防音も大丈夫らしい。教会時代に二重窓にしていた為、そのままゴスペルなどをしても近所迷惑にならないという。確かにカフェの窓が二重だった事は明日香も疑問だったが、そういう事かと納得する。
ゴスペル教室のメンバーは、明日香、常連客の名村、それにシェアハウスのオーナーでもある牧師の田中。もう一人来るらしいが、交通機関の乱れがあるそうで遅刻してくるらしい。
明日香もよく知った面子ばかりだ。遅刻してくる人とは逆に気になる。ギター、歌詞カードの準備をしている店長に明日香は聞いてみた。
「うん、裏の教会の信徒さんの娘さんの親戚の友達とか」
「店長、それは遠い知り合いって感じですね」
「年齢はアラフォーで、工場勤務とか言ってたかな。名前は遠山君枝さん」
「え!?」
その名前を聞き、店長から受け取った歌詞カードを落としそうになる。
あの会社での前任者だ。ロッカーに貼ってあった名前。確かあの会社でのいじめで精神疾患になってしまったという噂を耳にしたが、あの遠山君枝?
「知り合い?」
「いえ、ちょっと」
店長も戸惑っている明日香に首を傾げているが、時間になった。
まずは軽くストレッチしつつ発声練習。
「わー、こんな大声出すのは久しぶり!」
常連客で芸術家でもある名村は普段、大声を出す機会などほとんど無いのだろう。声は震えて少し出しにくそうだったが、スッキリとした表情だ。
「私は説教で大袈裟出すの慣れてますがね」
一方牧師の田中は初老でありつつも、意外と大きな声が出て驚く。
「さーて、岡辺さんも声出していこう!」
店長の指導の元、明日香も声を出していくが、やはり素人。音を外し、変な声しか出ない。
「大丈夫、大丈夫。焦らずいこ!」
しかし店長は、笑顔で手を叩く。他のメンバーも微笑ましい視線。ここでは失敗して大丈夫だという安心感も滲む。発生練習をしながら、明日香もすっかりリラックスしてきた。同時に声も出てきた。
そんな時、遠山君枝がやってきた。あの遠山君枝かは不明だが、背が高めのアラフォー女性だった。
黒髪ロングヘアでエキゾチックな雰囲気。欧米人が好きそうな日本人女性という印象だ。声も低めで落ち着いている。
あの遠山君枝かは不明だが、この雰囲気ならあの会社と合わなそう。勝手な印象だが、工場よりヨガスタジオのインストラクターとかキャンドルデザイナーなどの職業が合いそうだ。
そんな君枝だったが、腰も低く、遅れてきたことに恐縮していたが、店長が笑顔で励まし、ゴスペル教室は再開した。
ゴスペルの歌詞は全て英語だ。時々「ハレルヤ!」や「ジーザス!」という単語があるのでゴスペルだと分かるが、曲調は明るく、自然と手を叩き、大声で歌いたくなるものばかりだ。
店長もノリノリでギターを弾き、マスカラやタンバリンまで叩いている。ここは北欧風のカフェだったはずだが、どこか温かな国にいるような気分。
「人は全員、神様に似せて創造されました。だから、神様を褒め称える讃美歌を歌うと、自分を肯定する事にも繋がります。自己啓発でいう自己肯定感や自分を愛する為には、本当は神様を賛美するのが一番近道です」
店長の本職はキリスト教の宣教師だった。合間に宗教的な言葉も忘れなかったが、この明るい雰囲気に明日香もどうでも良くなってきた。
気づくと汗を流しつつ、大声でみんなで歌っていると、心も明るくなってくるものだ。
技術的には最低レベルだったかもしれないが、不思議なものだ。
その事を考えつつ、ゴスペル教室の前半はあっという間に終了。メンバーは汗を拭きつつ、休憩へ。普段はカフェのカウンター席にみんなで座り、店長はせっせとコーヒーを作る。明日香は昨日多めに焼いておいたクリスタルコーヒーブレッドやシナモンロールなどの北欧風のパンをみんなに配った。ちなみに猫のムンキは今日はお休みだ。店長の自宅でゴロゴロしているという。
「わあ、このクリスタルコーヒーブレッドっていうの? 何だか本当に表面の砂糖がキラキラしてるー!」
見た目は落ち着いている君枝だったが、このパンが特に気に入ったらしい。目をキラキラさせながら食べていた。
「北欧は夜が長いから。生活を明るくするような工夫がいっぱいある。照明に凝ったり、サウナ行ったり。イベントを楽しんだり。手芸もそう」
つかさず店長は北欧の豆知識を披露し、この場を盛り上げていた。
「このカップのデザインもそうだな。お花模様がハイセンスで明るい」
名村もコップを持ち上げ、楽しそうに言う。
「だとしたら、夜が長く寒い場所も一概に悪いとは言えないですねぇ。逆に日本は自然に恵まれてしまったから、いっぱい働く必要が出てしまったというか」
田中もしみじみと呟き、明日香は何かハッと気づく。
「もしかしたら、一見不幸で嫌な事も、視点を変えたら良い事?」
目の前にあるキラキラしたクリスタルコーヒーブレッド。表面のキラキラとした砂糖を見ながら、悟りの境地のような思考になる。明日香の目元は憑き物が落ちたようにスッキリとしていた。
このパンを一口齧る。外はザクっとしているのに、中はふわふわ。コーヒーともよく合う。
「そうね。そうかもしれない。私も前の会社でお局とヤンキー女子からいじめられてねー」
「君枝さん、本当ですか? まさかあの会社では……」
こんな会話をしながら君枝ともすっかり打ち解けてしまう。あの会社の名前を出すと、君枝も数ヶ月前まで働いていたという。
「やだ、明日香さん。偶然! もはや運命!?」
「そうかもー!」
君枝ともすっかり打ち解けてしまった。
確かにあの会社での出来事はマイナスだった。短期離職し、経歴も汚れてしまったが、こうして新しい友達も出来た。君枝とは少し歳も離れていたが、あの会社での被害を共有するだけで、長年の親友のような雰囲気いなるから不思議なもの。
「ねえ、本当にあの会社辞めてよかったですね!」
「明日香さんの言う通りです! 本当に辞めて正解でした!」
女子二人で盛り上がってしまった為、他のメンバーは少し引いていた。
店長は苦笑しながらコーヒーを啜ってこい言う。
「実は人生にはマイナスな事は無いかもしれないな。あ、もうこんな時間だ。ゴスペル教室の後半戦へ行きましょう!」
窓からは明るい日差しが降り注ぎ、カフェの柔らかな照明と混じり合う。
こんな明るい場所にいたら、店長の言うことは間違いない気がしていた。




