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北欧おやつ時間〜夢のケーキと午後三時のフィーカ〜  作者: 地野千塩


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サルヴィのツノ(3)

 明日香が入社して二日がたった。初日から今日にかけては仕事を覚えるのに精一杯だった。袋の強度の測定方法の数字や、データ入力の仕方など。食品の袋といっても単にビニールに印刷しているだけではなく、ラミネートや樹脂で加工し、強度を強めてるとか。


 特に冷凍食品やお米の袋は、よく見ると二重になっており、その強度を測定し、ひたすらデータ入力する仕事を明日香の担当となった。他にも印刷の色、線、匂いなどの検査する仕事がありこの部署の四人で割り当てられているという。特に匂いは特殊な機械ガスクロを使う為、工場の離れた所の個室があるそう。その担当は内田らしく、おかげで明日香は彼女とほとんど顔を合わさない。元々第一印象は薄かったが、データ入力に追われていると、すっかり忘れそうになった。


 こうして午前中もひたすらデータ入力を行った。直属の上司の羽山の指導の元だったが、パートの倉井や渡邊はずっと仕事をしながら噂話に熱中し、その声がうるさく、集中力を維持するのが大変だった。ちなみに工場内は色が濃いドリンクやカフェイン入りのドリンクも持ち込み禁止で、コーヒーにも頼れない。


「ちょっと岡辺さん! さっさとこちっちもデータ入れてよ」


 なぜか渡邊は当たりが強く、強度測定結果が書かれて紙を投げるように渡された。


「は、はい」


 すぐに仕事に取り掛かると、また渡邊は倉井とおしゃべり。六十前の倉井と渡邊に共通点はなさそうだったが、ずっと工場内の外国人や事務員の噂に興じていた。羽山は全くその輪に入らなかったが、印刷機の方にトラブルがあったと、確認に行ってしまった。


 羽山がいなくなると、さらに渡邊と倉井は噂話をしていた。


「遠山さんって鬱で適応障害になってっていう噂」

「えー、マジで。キャハハ、でもあの無能っぷりでは鬱も甘えじゃん? 精神科医に仮病使ったんじゃ?」

「何それ、ダメジャーン。あはは!」


 渡邊と倉井の声が響き、パソコンに向かう明日香の集中力が途切れそうのはなったが、どうにか午前中のデータ入力を終わらせ、社員休憩室へ向かった。


 休憩室は事務所の側にあり、昼といえども混んではいない。昼休みは午前の仕事が終わった時点で取る方針らしく、社員はまちまちだった。


 カップヌードルやコーヒーの自動販売機もあり、珍しい惣菜の自販機もあった。予約制の弁当も届いているようだが、明日香は窓際の一人席に座り、ランチバックとマグボトル を取り出した。


「いただきます」


 誰も聞いてはいないが、一人手を合わせて食べ始めた。


 窓の外からは隣の工場やアパレル倉庫、田んぼや畑も見える。空は青く、実にのどかな気候。そろそろゴールデンウィークも始まる。日差しも爽やか。


 そんな風景も楽しみつつ、明日香はランチバックに入れ、自宅から持ってきたパンを食べていた。


 真緒がカフェから持ってきたお土産のパンでもあった。北欧のサルヴィというパンで、形は三日月型。見た目は少しクロワッサンぽっくもあるが、ソフトで優しい口当たり。中にはチーズ入りで北欧風の惣菜パンなのだとう。


「このパンは三日月っぽいけど、動物のツノの形をイメージしているんだ。サルヴィも動物のツノという意味。ツノは動物にとって大事だ。敵からの脅威を守るから。人間にはツノはないが、そんな守ってくれる存在が必要かもね」


 食べながら店長の言葉も思い出す。今は会社にいる。会社にいる時は極力思い出さないようにしていたが、なぜか店長を思い出すと目頭が痛く、泣きたくなってきた。


 まだ入ったばかりの会社だ。実際、上司の羽山などの人柄はわからないが、今まではカフェで甘やかされていたのかもしれない。常連客は多少ミスをしても怒らないし、店長は小さな仕事でもいちいち褒めてくれた。


 それを思い出すと、なぜか目の奥も痛み、泣きそうになって来たが。そこはグッと我慢し、サルヴィの味を楽しんだ。


「あれ?」


 食べ終わった明日香は、右の手の甲や手首の異変に気づく。そこにボツボツができていた。小さなニキビが出来、触ると少しヒリヒリもする。


 心当たりがない。こんな所にボツボツはできて事はない。元々肌は強い方で、思春期にもあまりニキビはできなかった。


 おそらく工場の入る前、手を二回洗っているからだろう。確か業務用の洗浄力が強いソープを使っていた。いくら肌が強い明日香でも業務用のソープには勝てなかったらしい。


 あのソープのソーダのような匂いを思い出すと、さほどいい気分はしないが、また午後からも業務がある。


 再び工場に入る前に、制服の埃やゴミを落とし、手を洗った。肌荒れの原因になったソープに顔を顰めそうになったが、仕方ない。衛生もルールを守らないとクレームになる。カフェでもこの当たりは徹底されていた。


「はあ? ちゃんと爪の奥まで洗ってよ」


 そうしていると、同じく手を洗っている渡邊に注意された。


「っていうか、新人だからって調子乗ってない?」

「え?」


 突然の事で明日香がポカンと口を開けていると、なぜ間そんな事を言われた。


 渡邊はすぐに工場の方へ向かったが、分からない。


 その後、なぜか渡邊の当たりが強かった。突然、不機嫌になり、明日香にコピー用紙を投げたり、不必要に大声でミスした所を指摘されたりした。


 特に午後からはそんな感じだった。倉井は家庭の事情で早退し、羽山は忙しいらしく、印刷機の方にいる事が多い。内山は臭気判定の仕事のため、全く姿を見せない。渡邊と二人きりになると、さらに彼女は不機嫌になるようだった。


 元々第一印象は気の強そうなギャルだ。おそらく髪も派手に染め、仕事が終わったら濃いメイクもしてそうなイメージだったが、なぜか当たりが強い。


 もっとも明日香は色んな職場ではにいたし、ブラック企業経験もある。変なお局やパワハラ上司は珍しくない。とくに倉井のような噂好きお局タイプは慣れていたが。


 こんな若い二十歳そこそこのお局の対応はどうしたものか。シェアハウスの真緒はしっかりと真面目なタイプだ。真緒のおかげで若い人の印象は良かったが、ここの来て渡邊を見ていると、年齢と人柄は関係ないという結論に至った。


 そうこうしているうちに午後の仕事も終了。なぜか渡邊はたまにやって来た課長とペチャクチャとおしゃべりに夢中。課長は四十歳ぐらいだが、若い渡邊と話すのが満更でもない雰囲気だった。


「あぁ、疲れたー」


 そうは言っても仕事が終わってホッとしながら、女子ロッカー室へ。今は夕方のラッシュらしく、かなり混み合っていた。


 女性も多い会社だ。事務は九割以上女性らしく、化粧品や整髪料の匂いもロッカールームに漂い、噂話の声もした。


「えー、あの遠山さんって鬱で辞めたの?」

「らしいよー。人事の人から聞いた」

「マジでー。まあ、あそこの部署じゃね」

「ヤンキー女子の渡邊さんと高齢お局の組み合わせなんて極悪すぎるっしょ」

「でも、あれだ。一応正社員の子いるでしょ」

「羽山さんは若いしねー」

「そうなん?」

「なあ、遠山さんかわいそう」

「ねー」


 そんな噂話は明日香の耳にも勝手に入ってきた。そういえば「遠山」とは、渡邊や倉井も噂していたような。


 そんな事を思い出しつつ、明日香はロッカーを開けた。


「え?」


 目が点になった。ロッカーには菊の花が入っていた。葬式を連想させる菊の花。


「え?」


 何かの間違いだ。驚いがすぐに菊の花をゴミ箱へ持って行き、制服から私服へ着替えたが。


 頭の中は菊の花がグルグル回る。背中がゾクゾクとし、心臓も痛んできた。「いじめ」という言葉も思い出すが、考えたくない。


 こうして着替え終えてロッカーを閉じた。ろかの中央部には「岡辺明日香」というラベルも貼ってあったが、端の方が少し剥がれている。


 明日香はゆっくりそのラベルを剥がすと……。


 遠山君枝というラベルが出てきた。明日香の心臓はさらに痛む。噂話を総合する。点と点を無理矢理むすびつけているのかもしれない。妄想かも知れないが、遠山君枝は渡邊や倉井にパワハラかいじめを受けて退職したと仮説を立てる。


 その後釜は「岡辺明日香」?


 明日香の右の手は、昼間よりさらに腫れ上っていた。

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