サルヴィのツノ(1)
「ええ。ようやく内定が出たから。うん、だからお母さん、もう子供部屋おばさんとか言わないでね」
その夜、明日香は自室で実家に電話をかけていた。もちろん、内定の件だ。
「へえ。でも契約社員なんでしょ。工場で品質検査なんて、スキルにも何もならないでしょ?」
母は相変わらずだったが、ようやく内定賀出た明日香は浮かれていた。口元は綻び、目はきらりと輝く。
「契約社員でも去年、正社員になった人がいるって。来年、正社員試験も受けられるらしい」
「そうは言ってもね。面接の翌日に内定連絡なんてある? 何か胡散臭いわ。そんなすぐ内定出す会社なんて怪しい」
「そう? でもお母さんはずっと公務員だったから」
「そうは言ってもね」
なぜか母の声が渋いが、もう入社も決めた。その明日香の意思は固い。
「じゃあね、お母さん」
「まあ、とりあえず行ってみたら良いと思うけどね」
最後まで母の声は渋かったが、明日はカフェで内定祝いパーティーもしてくれる。店長が今日の帰り際、約束してくれた。
とにかく明日香はそれが楽しみだった。睡眠もぐっすりととり、翌日のカフェのバイトもバリバリとこなし、店長が苦笑するほどだが。
「店長、今日の分の仕事、終わりました!」
閉店間際、洗い物の報告をした。今日はこさめが降り、客は好きな目だったので、物足りないぐらいだ。
「おお、綺麗にカップも全部洗えてるね。うん、じゃあ、岡辺さんの内定お祝いしよう!」
「やった!」
無邪気に笑う明日香を見て、店長は苦笑するが、カフェのテーブルにポテトチップス、サーモンスープ、桃のケーキが並ぶ。ポテトチップスは以前と同じようにケチャップやサワークリームをディップして食べる形だ。それに桃のケーキは想像以上に派手だ。黄色い桃のケーキは、春を告げるケーキともいう。
「本当はドリームケーキか悩んだけど、内定お祝いだったら、桃のケーキが一番かなって」
「わー、嬉しいです! 桃の色が本当に鮮やかですね。甘い匂いもする!」
「そう? コーヒー淹れてくるよ」
いつになく喜ぶ明日香に店長は苦笑していたが、ようやく人生の迷子が終わった気分だ。内定取れた事が、想像以上に明日香のメンタルをホッとさせたらしく、酒も飲んでいないのにずっと笑顔だった。
「この桃のケーキは、フィンランドではイースター菓子でもある。イースターとは、イエス・キリストが磔刑され、三日目に復活された事を祝う祭りで、特にヨーロッパでは盛んに行われる。北欧もそうで、他にもパシャという菓子もあり……」
店長の蘊蓄も、ウンウンとご機嫌に聞けるぐらいだ。桃のケーキは想像以上に甘く、食べるだけでも明日香の心がパッと明るくなるぐらい。最高の内定祝いかと思ったが、ハッとした。思わず握っていたフォークを置き、足元でゴロゴロする猫のムンキの背を撫でる。
こんな喜んでいたが、もうカフェのバイト店員ではいられない。接客も慣れてきたところだった。北欧の菓子や食べ物にももっと興味が出てきた。それに猫のムンキや店長に会えなくなる………。
急に心がチクチクしてきた。細い針で突かれているみたいな。
「あ、あの。私がいなくてもカフェは大丈夫です?」
明日香の声は少し震えていた。
「まあ、名村さんに手伝って貰おうかな」
店長はそう呟いた時だった。真緒がカフェにやってきた。
「だったら店長、私がカフェ店員やっていい?」
真緒はそんな事まで言う。大学が早く終わり、暇になったので来たという。もうあの時のような体調不良は治ったらしく、真面目に学業にも戻ったという。今日はお礼の為、カフェに来たらしい。
「そうだ。だったら真緒さんが手伝ってくれない?」
店長が提案し、明日香の後任は真緒となった。
こうして笑顔で内定パーティーは進むが、明日香はなぜか心がチクチクしていた。カフェのバイトも決まり、安心して入社できるはずだが、急に水をされた気分だった。
もっとも、そんな感情は表には出さず、明日香も笑いつつ、ポテトチップスにケチャップをディップし、しゃくしゃくと咀嚼していたが。
「っていうか明日香さんの新しい会社ってどんなの?」
そんな明日香に真緒が無邪気に尋ねる。
「食品の袋を印刷、製造している会社で、私はその検査員」
「へえ」
真緒は全く興味がなさそう。
「インフラを支える大事な業界だ。特に日本の袋はすごいから。フィンランドの冷凍食品とかちょっと開けにくいし」
店長はつかさずフフォローしてくれたが、真緒はスマートフォンで会社名を検索し、眉間に皺まで刻む。
「わ、この会社、ずーっと求人出てる。しかもハローワーク求人。えー、転職サイトでも口コミ最悪じゃん。人事部の『若い人が多く人間関係が良い会社』っていうのは大嘘だってさ。パワハラやいじめ疑惑もあるよ!」
真緒のいう噂は知っていた。ただ、明日香が前にいたブラック企業はネットでは評判が良く、ホワイト企業とまで言われていた。人事部がネット工作員を雇っているという噂もあり、ネットの口コミなど全く気にしていなかった。
「真緒さん、これから入社する人に言う事ではないよ」
店長はまたフォローしてくれる。
「大丈夫だって」
そうも言われたが。
「大丈夫かな?」
真緒は疑問系だった。
「だ、大丈夫でしょう。そんな今時ブラック企業とか、無いはず……」
明日香の声は萎む。気にしていないネットの口コミだが、いざ目の前に突き出されると確かに気になる。
「だ、大丈夫……」
から元気のような、変な声も出てしまった。




