日々のパン・サンピュラ(5)
和美はパン・サンピュラの味が気に入ってしまったらしい。
カフェが開店時は毎回やってきて、パン・サンピュラをいくつもテイクアウトして帰っていく。おかげで今日もパン・サンピュラは午前中に売り切れてしまった。
夕方、閉店間際、厨房で皿を洗っている時、店長に提案する事に。
「店長、パン・サンピュラはもう少し多く焼きません?」
「そうだね」
店長は顎をなでつつ考えていた。
「でも、意外。今はテイクアウトではパン・サンピュラが一番人気ですよ。シナモンロールやムンキでもなく」
明日香は洗い物をしながらも首を傾げる。
「ま、結局は毎日飽きが来ないパンが一番って事だろうね」
「そっか」
「FIREもそうかも。たまに休むから楽しいんであって、一日中投資しかやらないで休んでいる生活は……」
やはり店長はFIRE=ニートという認識らしい。
「お、岡辺さん、今日も綺麗にカップやお皿を洗ってくれた。丁寧で本当に助かる」
笑顔でお礼まで言われてしまう。明日香としては当たり前の仕事しかしていないので、こそばゆい。
そんな夕方の閉店間際だった。また和美が来店していた。
もうベーカリーもケーキもスープもない。ベリーのジュースも売り切れでコーヒーしか出せないが、和美はそれで良いという。
それにあの日と違い和美は変なテンションはなかった。もう鬱病の薬は少しずつ減らし、飲んでいないという。
「今日は雨じゃないですが」
店長は少々戸惑いつつも、カウンター席に座る和美にコーヒーを出す。
今日の猫のムンキは気まぐれ。ソファの上であくびをしていたが、和美の膝の上にピョコンと乗り、目を細めていた。
和美は猫のムンキのふわふわな白い毛を撫でつつ、頷く。
「ええ。最近、工場のバイトを始めたんですが、なんか毎日楽しくて」
和美は笑顔だ。この急速な変化に明日香も戸惑い、彼女の隣に座る。
「和美さん、本当に鬱とか大丈夫?」
「ええ。バイトし始めたら治ってきた。お金以外のために働くのっていいね。やっぱり通帳の数字増やすより、パンを作れる人のがすごいとのかなって思う」
明日香の心配をよそに、和美は笑顔だ。
「ここのパンを食べていたら、うん、そう思うようになった。ありがとう」
和美はそう呟くと、コーヒーを飲み干し、帰っていく。
「ムンちゃん、また」
猫のムンキにも挨拶するのも忘れていなかったが。
そろそろ閉店準備だ。窓の外は薄らオレンジ色に染まっている。
明日香はモップを取り出し、カフェの床を掃除する。
店長の指示も受け、観葉植物の下なども忘れずに掃除。床はチリは一つ落ちてない。明日香の額に汗も滲んでくるが、綺麗なカフェをにいると気分がいい。
「そうですよね。和美さんが言う通り、通帳の数字よりも毎日食べるパンを作る人が一番偉いかも……」
そんなカフェを眺めていたら、自然と明日香の口から言葉が溢れる。
「ミャー!」
独り言なのに、猫のムンキは明日香に返事をするかのように呟く。
いつの間にか明日香の足元に猫のムンキが擦り寄ってきた。
「もうFIRE目指すのやめよっかな。思ったより大変そうだし」
「そうだね」
店長はカフェのテーブルを拭きつつ、深く頷く。
「でもお金がなぁ。親からは家に十万入れろって言うし」
そうは言っても現実的な問題はどうしよう。不安になりかけた時、店長がぽんと手を叩いた。もうカフェのテーブルもピカピカになっていたが、スッキリとした音が響く。
「だったら岡辺さん、シェアハウスに住めば?」
「シェアハウス?」
「うん、うらの教会の牧師さんが大家さんで、元々が訳アリの女性の為のシェルター代わりに使ってただが」
「え、でも」
そんな甘えるわけにいかないと言ったが、カフェから徒歩三分の距離で、家賃も光熱費込みで月四万円。狭いながらも個室もあるという。しかもベッドなどの家具つき。女性限定で今は大学生の女の子しか住んでいない。
そんな好条件に思わず住みたいと返事してしまう。
「でも、そんないいんですか?」
「大丈夫、大丈夫。むしろ今、入居者がいなくてこまっているらしい」
「でも」
「大丈夫! なんとかなる!」
店長は目尻を下げて笑う。そこに出来た皺は、何とも優しげで、この笑顔には逆らえない。
「ミャー!」
また猫のムンキが鳴く。店長の言葉にも同意するかのような声だった。




