日々のパン・サンピュラ(4)
猫のムンキは気まぐれらしい。和美の膝に乗り鳴いていたが、飽きてしまったらしく、また床の上でゴロゴロしたら、カンター席の裏にある段ボール箱へ入ってしまう。
外の雨音は少しおさまってきた。和美はあまり濡れずに済んだと笑っていたが。
「えー、北欧のチーズコーヒーって何? ベリーのジュース? わあ、ケーキとか美味しそう!」
隣に座る和美はニコニコ笑っている。明日香は和美と友達だと店長に言うと、同席を勧められた。どうせ他の客も来ないから良いだろう、と。
和美はあの投資セミナー日より明らかにテンションが高い。まさに羽を伸ばしているという感じで、チーズコーヒーや桃のケーキを注文していた。
チーズコーヒーは、日本では珍しいものだろう。コーヒーの中にチーズが入っているが、コーヒーの苦味とチーズの塩気がよく合い、明日香もまかないで出されると嬉しい一品だった。
「へえ。こんなチーズとコーヒーも合うんだ。あー、この桃のケーキも食べよう。美味しい! あ、あとあそこに飾ってある絵は何? フィンランドの?」
和美は異様にテンションが高く、明日香が戸惑う程だ。困惑してしまう。見た目は優等生風の和美だったが、セミナーの時とキャラが違う。初めて来る北欧風のカフェに興奮しているのかとも思うが、基本的にここは落ち着いた場所だ。いくら珍しいものがあっても、テンションが変な風に上がるような場所では無いはず。
「あの絵は、地元の名村さんっていう画家さんに描いて貰ったものです」
いつの間にか店長も席につき、和美の質問にいちいち答えていた。
「そうなの? へえ。やっぱり北欧といえばサウナなんだ」
そう笑う和美にただ困惑。明日香は何も口を挟めなかったが、店長はコミュニケーションはストレートだ。
「店長さん、イケメンですね!」
そう笑う和美に店長ははっきりと否定。
「いえ。イケメンでは無いですよ。というか和美さん、お仕事は?」
その疑問は明日香の持っていた。自分も訳アリの明日香はこんな風にストレートに聞けないが、確かに疑問はあった。
セミナーの時も和美の職業は聞けなかった。専業主婦ではなさそうだったが、平日の午後三時過ぎにカフェに行ける仕事は、在宅ワークだろうか。
和美は一瞬口籠った。それでもペーパーナフキンで口元を拭うと、話し始めた。
「私、仕事辞めたの。投資で成功してね、いわゆるFIREってやつ。元々は工場で弁当の検査とかやってたんだけど」
それは意外だった。和美がFIREしていても違和感はないが、工場で仕事していたのは明日香の予想外だった。
「へえ。どんなお弁当?」
店長は和美の言葉を掘り下げ、話しを広げ、どんどん話をさせていた。
一見とっつきにくい店長だったが、話を聞いている時の店長は穏やかだ。これには和美の口も滑った模様。どんどん語り続けた。
和美が働いていた弁当工場は人間関係が最悪だったらしい。いわゆるお局さんが偉そうにし、若い人は順々にいじめられていた。
「でもイケメンと若い男性だけはいじめられないんですよー。すごい理不尽だと思いません?」
和美の愚痴っぽい話も、店長は全く否定せず聞いていた。
明日香も何も口を挟めない。これは和美が好きなようにさせるのが一番だと判断した。
「それでもう仕事行くの嫌になったんです。弁当はコンビニやスーパーで見るのも吐き気しちゃって」
ここで和美はモリモリと桃のケーキを咀嚼していた。ここでは和美がストレスになるような料理は無いらしい。
「投資を頑張ったわ。色々勉強もして。言われている程簡単ではなくて、失敗も多かった。努力もしたと思うけど」
「すごいじゃないですか」
店長は褒め言葉を送ったが、和美はゆっくりと首を振る。
「でも、毎日すごい暇。投資以外やる事なくてすっかり病んじゃったわー。仕事辞めてから、適応障害とか鬱病とか診断された。今も鬱の薬飲んでいて変なテンションなのよ」
そう語る和美の目は白けていた。
「昼間出かけるのも罪悪感あってできない。旅行に行っても誰も何も言わないんでしょうけど、他人目が気になってね。結局、投資の勉強ばっかしてる。雨の日しか外出できない身体になったわ。ね、私今、億万長者なのに、ちっとも楽しくない……」
沈黙が落ちた。猫のムンキもカウンター裏で遊んでいるらしく、静かだ。雨音もだんだんと弱くなっている。もう霧のような雨に変わっているよう。
店長もこんな和美の話に、何も言えないようだった。明日香もどう言葉をかけて良いかわからない。
「はは。通帳の数字が増えても、パンもケーキもコーヒーも増えないのね。私はこんな美味しいものを作れる人が一番金持ちだと思うわ。色んな意味で……」
和美の声を聞きながら、明日香は下を向いてしまう。
精神安定剤代わりに投資しようと思っていた。これが人生迷子中の抜け道だと考えていたが、間違いだったのかも知れない。今は和美の立場も想像できてしまい、全く羨ましくない。
「だったら和美さん。パン・サンピュラっていうパン食べる? 私の一番の自信作です。地味だけど、雑穀入りで健康に良く、毎日食べても飽きがこないパンで」
一方店長は、パン・サンピュラを勧めていた。
「何、そのパンは?」
和美の白けた目は相変わらずだったが、パン・サンピュラに食いついていた。




