001 記憶
わたしは森の中をひた走る。
背後に迫るのはゴブリン。
わたしは冒険者になったばかりで、常設依頼の薬草摘みをしていたところをゴブリンに見つかったのだ。
簡単な魔法や剣術はお屋敷に居た頃に習ったのに。お嬢様を守れるようにと。
しかしわたしには実戦経験がなかった。ゴブリンの筋肉があんなに発達していて、大きいなんて知らなかった。小さい魔物だと聞いていたのに、わたしとそんなに変わらない。
足が竦んだ。剣を抜くという発想も湧く前に私は走り出していた。
足がもつれる。息が上がる。
背後を見るのも怖いけど、多分まだ追って来ている。音がする、と思う。
わたしが地を蹴る音。草が当たる音。心臓の音。血の廻る音。いろいろうるさくて、後ろの音がわからない。
もう無理だ。走れない。怖い。逃げ切れない。
そう心で弱音を吐く自分に気が付いたとき、往々にしてそうなってしまうものだ。木の根に躓いてしまう。
初めて振り向く。
もしかしたら、ゴブリンも疲れて追うのをやめてくれてるかも。そんな希望的観測が頭から消える前にゴブリンが視界に映る。
もう立ち上がる猶予もない。
捕まったらどうなるんだろう。
わたしなんかきっと二、三度殴られれば死んでしまうだろう。そう想像させるには十分な腕だった。
跳びかかるゴブリンに、わたしは咄嗟に足を振り上げる。
タイミングが早かったのか、蹴るというよりはゴブリンの鳩尾辺りに添える形になってしまう。殴られるのが怖くて手を前に出すと、ゴブリンの腕がこちらへ向けられるのを阻害する。ゴブリンはその勢いのまま後方へと投げ出された。
「ともえ……なげ……」
ともえなげって、なんだろう?
いや、違う。知っている。
混乱する頭で整理する。
後ろに倒れ込み足を軸に相手を後方に投げる技。わたしはともえ投げを知っている。
でも今まで生きてきて聞いたことはなかった。そう実感すると、すぅっと懐かしい記憶が浮かんでくる。
――そう、ともえ投げ。
わたしの大好きだったゲームでよく使っていた技。
序盤でも覚えることができて、防御力を無視してダメージを与えられるコスパのいい技。
正直バランスを壊していたんじゃないかなと思う技だ。あまりに使い勝手がいいからともえ投げチャートも組んだことあったっけ……。
そこまで考えて、だが違う、と。
そうじゃないだろう、と。
今わたしがしないといけないのは追想にふけることじゃない。
ゴブリンの状態を確かめ、またすぐに逃げ出すこと。
上体を起こして後方を確認する。
木に衝突して気絶しているらしい。
「し、死んだのかな……」
わからないけれど、どうでもよかった。逃げなければ。
わたしはすぐさま立ち上がって、逃げてきた道を戻る。
「できれば投げ出しちゃったリュック、拾いたいな」
なりふり構わず逃げていたのでリュックを置いてきた場所が定かではないのだが、お金がないから冒険者になって薬草を摘みに来たのだ。リュックすら惜しい。
できる限り左右に目をやり、なんとかリュックを見つけ、そのまま駆け足で森を抜けた。絶対追って来ないとは限らないけれど、ひとまず距離は取れたと思う。
街へ向かう道をゆらゆらとふら付きながら歩いていると、少し逸れたところにある岩に腰を掛け、ようやく落ち着いたところでさっきの記憶を手繰ってみる。
ゲーム、懐かしいな。もう十何年もやってないんだ。あんなに毎日やっていたのに。
思い出したところから芋づるで繋がっているみたいにするすると断片的な記憶が思い起こされる。
これは今のわたしじゃない、わたしの記憶だ。
わたしの姿かたちも違うけど、世界も違う。
そちらの世界では剣も魔法も普通ではなかった。
違う世界で生まれ変わったんだ、わたし。
前の世界にいた頃のわたしは、毎日ゲームに明け暮れていた。
主にRTAや縛りプレイなど、やり込みプレイを中心に、ゲーム実況の配信をしていた。
きっかけは、小さい頃に見たRTAの動画だった。
RTA……リアルタイムアタック。ゲーム開始からクリアまでを、実際の時間でどれだけ速く達成できるかという遊び方。
自分ではおよそ不可能な動きを止まることなく続ける。
どうしてそんなことができるのか、本当に可能なのか。小さなわたしの胸は好奇心でいっぱいだった。
父もゲームが好きだったので、動画の技術を解説してもらいながら自分でも挑戦した。タイムは動画より全然遅かったのだけれど、それでも普通にプレイしてたときより遥かに早くて、自分のやったことに感動した。
タイムが縮まることに喜びを覚え、何度も挑戦するうちに誰かとこの喜びを共有したいと思うようになり、配信を始めたのだった。
配信を始め、情報共有しながらタイムが縮まる喜びを分かち合う。
わたしはどんどんのめり込んでいき、挑戦するゲームも増えていった。
アイテムや技、レベルなんかを縛ってのプレイも、チャートを作ってなぞっていくのも、全部全部楽しかった。
そんなことをしているうちに、わたしのファンアートを描いてくれたりする人たちが現れた。
かわいかったので配信画面の端っこにくっつけていたのだけれど、いつしか“あいちゃん”と呼ばれるようになった。なんのことはない。RTAのときに入力する名前が“あい”だったのだ。速かったから。
いつしかそのとき流行っていた、バーチャル配信者みたいになっていた。と思う。
別にわたしは全然そういうのに興味がなかったのだけれど、世間ではキャラがついていた方が良かったみたい。
ありがたいことに沢山応援してもらえて。一緒に楽しい時間を過ごせて。より引きこもるようになってしまった。でもいいんだ。楽しかったから。
でもそんな日々は長くは続かなかった。
徐々にかわいいだの、えっっっだの、プレイ内容に関係ないコメントが大半を占めるようになってきて。わたしの好きだったゲーム攻略の話やちょっとしたミスの悔しさに共感してくれる声とかはどんどん見えなくなっていった。
そしてわたしは、それまで使っていたアカウントを消して、新しいアカウントを作ることにした。
“esuhgilse”
それが新しいアカウント名。適当にタイピングしてみた。
読めなかったので、試しに機械音声に読ませてみたら、イーシュギルス、だって。
読めることに感心しつつ、アカウントを作ったわたしは動画だけ投稿することにした。もちろんわたしの声なんか付けない、ただのプレイ動画だ。いいのだ。見てくれる人は減ったけれど、それでもコメントはもらえるから。結局のところ、プレイを見てもらえればいいんだなって、気付けたのだ。
そして…… 死んだのだ。
夢中になり過ぎたのだ。
一人だと、配信をしていた頃より時間を忘れてしまって。
何が原因だったのかはわからない。だけど、不健康な生活だったのは間違いなくて。
お母さんとお父さんに、申し訳ないことしちゃったな。わたしの口座に結構お金入ってると思うからーって言ってもそんなのいらないからご飯ちゃんと食べてくれーって言われそう。それどころか、わたしのせいなのに責任感じてそう。ばかでごめんねってだけ言いたい。
ごしごし目を拭う。
もうわたしにはどうしようもできないんだ。
幽霊になって謝るどころか世界も違う。
わたし、幸せだった。
そして、この世界でも幸せになる。
そう決意して、わたしはまた歩き出す。




