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後編

 非人道的な実験をやっていた事が、1人のジャーナリストもどきによって暴かれ、証拠を消すために、単なるペット扱いだったケットシー以外は、即刻殺処分による証拠隠滅しようこいんめつがはかられた。


 そしてケットシーの飼い主である女は、別の秘密研究所に異動となり、ケットシーからの永遠の別れが決定してしまった。


 だが、研究所の所長にわずかに残っていた良心により、20年は食事と水に困らないように、自動清掃機能付きの給仕装置が置かれた。


 その上に、通信波の中継基地という事にして自家発電設備が設置され、野球場ほどの広さがある職員の居住区がまるごとケットシーの家になった。


 そこで2年ほど、ケットシーは悠々自適な猫ライフを送っていたが、清掃・補修ロボット以外は、誰も何もいないその空間に彼は知性を持て余して退屈を覚えていた。


 いつも通り、仕方なく植物園エリアの外周に生えている、エノコログサをつついて遊んでいたとき、久方ぶりに人間の足音を察知して、ケットシーは物陰に隠れた。


 この辺りで遊んでると思ったんだけどなあ、と独りごちる人間をケットシーはじっと観察する。


 人間の手には、件の研究者が使っていた宇宙船のようなキャリーがあり、やけに大きなその女へ彼は少し興味が湧いた。


 その人間はケットシーの名前を呼んで、自身は研究者に頼まれて彼を引き取りに来た事を告げ、来るまで待つか、と1つも嫌そうな顔どころか微笑ほほえみみすら浮かべて、レジャーシートをいて地べたに座った。


 人間はいるとも分からないケットシーへ、君のことはよく聞いているよ。高い知性に無限の可能性を秘めた、()()()()()()()()()()だって、と朗らかに語りかける。


 自身に付けられた称号を聞いて、ケットシーはそれがいたく気に入り尻尾を立てた。


 だが、これは少し言いづらいんだけれど、と続けた人間が、暗いトーンで告げてくる次の言葉でケットシーの頭が真っ白になった。


 それは、研究者の彼女がとある未知で不治の病を発症し、もう余命幾ばくかもない状況だというものだった。


 研究者は自身の様態を知って、ずっと心残りで割り切れていなかった、ケットシーにもう一度会いたいから、探偵業をやっている人間を雇ったという。


 ケットシーの観察眼では、人間が嘘を吐いている様には見えなかった。


 クールな猫であるケットシーは、それまでさびしいとは思っていなかったが、人間における今際の際に会いたいという存在の重さを知っていた。


 こうしてはいられない、とケットシーは茂みを飛び出して、人間の持つキャリーの中に自分で入った。


 そこに入っていたブランケットは、懐かしいあの人間の匂いが染みついていた。


 絶対間に合わせるから、という人間は法定速度すれすれで小型宇宙船をかっ飛ばし、コロニー連合会の本部である月面都市に到着した。


 ケットシーは、駆け足で人間が自身を運び込んだ先が、警察病院である事を表札を読んで理解していた。


 動物を用いた実験の数々に良心の呵責かしやくによって耐えきれなくなり、研究者は色々なデータを持って自首した。


 だが、その際のメディカルチェックで〝圧縮恒星線疾患あつしゆくこうせいせんしつかん〟の末期だと判明した、という話をケットシーは面会手続きの待ち時間に教えられた。


 彼にはそれがどんなものかは分からなかったが、人間が発する言葉の重さから、急速に命がなくなって行っている事は分かった。


 廊下などに出さない事を条件に、いざ病室へ到着したケットシーは、大量の管につながれて本当にギリギリ生きているかつての飼い主を目にした。


 その肌には生気もなにも無く、おそらくもう意識も曖昧あいまいである、とケットシーは察していた。


 この飼い主から聞いた話で、人間が最期まで残っている感覚は聴覚である、という事を知っていたケットシーは、上のハッチを開けろ、と強化ガラスをひっかいて人間に要求する。


 開いたハッチからケットシーは顔を出すと、元飼い主の前で滅多めつたに鳴いてはいなかったが、そのやや低めな声色で1つだけ鳴いた。


 すると、ベッドの上の元飼い主の右手がピクリと動き、手を伸ばそうとしてきた。


 人間がケットシーをその手の届くところに近づけると、元飼い主の手はケットシーの頭部にかろうじて触れた。


 その次の瞬間に、心停止を知らせるけたたましいブザー音が鳴り響いた。


 彼女が最期にケットシーの存在を感じ取ったのかどうか、その手の感触が脳に届いたのか、彼どころか人間すら知るすべはない。


 ケットシーはリアリストである。だがこのときばかりは、きっと届いているはずだ、と、柄にもなく願いなどというものをかけていた。


 人間とケットシー以外は、誰1人としていない元飼い主の葬儀を終え、その生前の意思通り月に散骨されてその砂粒の1つとなった。


 月から自身の自宅があるコロニーへと帰る道中、人間はケットシーへ、元いたところに戻りたいか、それとも自分と共に暮らすか、と訊ねてきた。


 片方はせっかく残してくれたものを捨てることになるため、ケットシーはしばらく首をひねって悩んだが、ケットシーは享楽きようらく主義者の一面も持っている。


 前者の場合は短く鳴く様に言われていたケットシーは、にゃーん、と一言だけ発した。





 着いたよ、と言われて目をパッと開けたケットシーは、開いている正面ハッチから人間の友人の持ち物である小型の宇宙戦闘艦内へとゆっくり出て行った。


 そこは、戦闘艦とは思えない様な、家族向けマンションの一室のそれほどあるリビングだった。


 その奥の方で、育ちと人の良さそうな長い黒髪の女が、今すぐにでもなで回したそうに彼を遠巻きに見ていた。


 前後に伸びをしたケットシーは彼女へ挨拶で短く鳴き、長ソファーの上へ移動して座ると、ふと人間からすれば何もいない隅っこの空間をジッとしばらく見つめていた。


 ――彼の名はケットシー。人の言葉は話せない、誇り高く賢いただの黒猫である。

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