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前編

 黒猫・ケットシーは憤怒バチギレしていた。


 空腹にも関わらず、自身のテリトリーに住まわせてやっている人間が食事を提供しなかったからだ。


 ケットシーは賢い猫である。人間よりも遙かに正確な腹時計をもって、定時に人間を起こしに来たのだが、なにやらもにょもにょと言ってうつ伏せで丸まり布団から出てこない。


 せっかく人間に合わせて、仔猫のように鳴いてやっているのにも関わらず、だ。これは意地でも起こさねば、とケットシーは決意した。


 怒りに任せてど突いてやってもいいが、ケットシーは思慮しりよ深い猫である。まずは優しく自慢のピンク色の肉球でちょいちょいと軽く触れるのが彼流だ。


 肩の辺りをつついていたが、人間はうにゅうにゅとうめくばかりで、布団を頭に被って潜りこんでしまった。


 仕方が無いのでケットシーはやり方を変えて、その背中に乗り自身の重量による抱き石を敢行する。


 重いー、と言うには言うが、起きる気配はまるで無く、人間はそのまま寝入ってしまって失敗に終わった。


 二度寝する人間に乗るケットシーは思った。むしろこうされるのはご褒美になっているのではないか、と。


 背中に爪を立ててやろうかとも考えたが、ケットシーは慈悲じひ深い猫なのでそれはやめ、前足で丁寧ていねいに肩の辺りをこねる。


 途端とたんにくつくつと笑い始め、分かった分かったご飯ね、と今度は辛抱しんぼうたまらずといった様子で言ったのを聞き、ケットシーはひょいと降りて皿の前に移動する。


 |食事が出てくる機械《しよくひんよう3Dプリンター》をいじくると、いつも食べている茶色の粒が発する、肉とも魚ともつかないかぐわしい匂いがし始めた。


 しかし、ケットシーはグルメな猫である。2ヶ月も同じものを食べさせられて満足できるはずもない。


 ええーっ、と言われようが、そういうポリシーなのでケットシーは意地でも口をつけない。


 仕方ないなぁ、と苦笑いしながら、人間はなめるタイプのおやつをまぶした。


 それに関してはケットシーといえども、一般的な猫と同様に好物であるため、ひとまず今回ばかりは人間に譲歩して全て食す。


 本能的に前足をなめて顔をこすっていると、再びベッドに戻った人間が、何が楽しいのかにんまりとして見ている事にケットシーは気付いた。


 ケットシーはなんだか腹がたったので、人間からは見えない仕事場へ、まってケーさーん……、という懇願こんがんを無視して移動することにした。


 外を見たり横になったりひっくり返ってみたり、などと窓際でやっていると、昼前になってやっと人間が行動を開始した。


 仕事机の椅子で寝ていたケットシーは、いつも寝起きに電子版新聞を確認する人間のために、気を利かせて机上へ移動したが、人間は素通りしてユニットバスの洗面所に移動した。


 人間が溺れてはいけない、と危機管理ができる猫・ケットシーは、ぴょんと机から飛び降りて人間の様子を見に行った。


 顔を洗っていた人間は、姿を見せたケットシーへにこやかに挨拶し、今日から仕事で遠出するので親友に3日ほど預ける事を彼へ告げる。


 そうなると、ケットシーの行くべき場所は決まっている。たとえ宇宙空間に晒されてもびくともしない上に防弾性能まで備えた、高性能なペットキャリーの中だ。


 普段は仕事場の片隅に、ケットシーの寝床の1つとして置いてあるそれへ、自分からニュルっと入ると正面の丸い小窓から様子をうかがう。


 先ほどまで野生の熊の様に、モサッと清潔感の無かった人間は、ある程度マシにして部屋へと戻ってくると、寝室のクローゼットにあるパンツスーツを身につけた。


 これはスーツそのものではなく、ウエットスーツの様な見た目で体温調節機能付きかつ、ヘルメットを被れば船外活動ができる船内外服にその装飾を施したものだ。


 この時代のコロニー居住者にとっては標準的な物であり、この人間が杞憂きゆうに極めて深く頭を悩ませる程度のそれという訳ではない。


 行き先は地球圏にあるコロニー『NP-47』である、ということは、その名称は分からないまでもケットシーは理解していた。


 人間があれこれ話しかけてくるが、特に関心がないケットシーはキャリーの中で丸くなって寝ていた。





 ――ケットシーは、いや、名も無き黒猫は、意識がはっきりしだしてから、最低限上下動出来るステップが付いた箱の中で常に孤独でいた。

 

 短毛の黒猫は実験動物だった。その内容は、脳を人間と遜色ないように機能させる事で、遺伝子を組み換えられて〝試験管〟の中で生まれた。


 複数の人間が小さなフラップを空けて監視されていた黒猫は、成猫になったところで、一向に人間の言葉を話そうとはしなかった。


 遺伝子の組み替えに失敗して、言語野の発達が普通の猫と同じ程度になっていたからだった。


 黒猫が単なる賢い猫である、という可能性に気がついた人間達は、黒猫を一切見に来なくなった。


 ――ただ1人を除いて。


 それは若い女の人間であり、研究員の中では下っ端ではあったが、単純に猫が好きであるため、フラップから覗くどころか中に入って熱心に観察記録を付けていた。


 その人間が黒猫にケットシーという名を付け、理解しているのかいないのか分からない彼へ、日常の愚痴から宇宙の構造まで色々な話をしていた。


 ただの賢い猫であるケットシーは、ほとんどの内容を理解していて、その人間が行った○×テストにより、彼は自身に高い知性が備わっている事を証明した。


 殺処分、という事が決まりかけていたケットシーは、お偉方の目にとまって予算がつけられる、とまでは行かなかったが、個人的な研究として扱われる事でそれを回避した。


 その書類の写しを持って箱に入ってきた人間は、ケットシーにややうざがられながらも抱き上げてくるくる回り、ふらついた勢いでステップにおでこをぶつけてしまった。


 出血はしなかったものの、そのおマヌケ行動にケットシーからジト目を向けられて、彼を降ろしてから額を抑えて呻く人間は呆れられていた。


 痛みに呻いていた彼女はハッと思い出して顔を上げ、もうすぐ自身の部屋にケットシーを移せる、という事を思い出して彼へ満面の笑みで伝えた。


 実験室猫から家猫にグレードアップと聞いて、柄にもなく少しわくわくしていた彼だったが――。その日は来なかった。

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