めぞん『石の下』
しいなここみさん主催の『梅雨のじめじめ企画』参加作品です(*´Д`*)
梅雨の時期は雨が多い。
だから僕は、家から出ない。
日雇いバイトの予定を入れていたけど、面倒なのでドタキャンしてしまった。
この冷んやりした万年床に寝そべって、ずっと天井の染みを数えていたい……。
「団吾くん! 団吾くん!」
トランクスに手を突っ込んで、キノコの横をボリボリ掻いていると、201号室の下司さんが玄関ドアを叩いた。
薄いドアが、バカみたいな音で騒でいる。
「なんすかー、うっさいっすねー」
首元の伸びたTシャツとパンツ姿のままドアを開けると、そこには下司さんと、102号室の百足さんが立っていた。
2人とも無職らしい、髭も髪も伸びっぱなしの見るに耐えない姿だ。まあ、それを言うなら僕だってそうだけど、30代の2人と20代の僕じゃ漂う悲壮感が違う。
「202号室に、引越し業者が出入りしてますよ!!」
「ああー? そうなんすかー」
僕は尻の割れ目の上あたりに痒みを感じて、片手でボリボリと掻く。そして垢? が溜まった爪の先を、トランクスの端で拭う。
誰が引っ越してきたところで、どうせ3ヶ月もたないだろう。
日が当たらなくて常時ジメジメしたこのアパートは、陰干しした洗濯物が逆に湿ってしまうレベル。浴室は白い壁のシーリングにカビが生えて孔子模様になってるし、時々よくわからないレベルでデカいキノコが生えてくる。
そんなこのアパート『メゾン石之下』は、当然の帰結として人が居付かない。僕ら3人以外の住人は、過酷な環境に耐えかねて3ヶ月以内には退去してしまう。
石の上にも三年ならぬ、石の下には3ヶ月、だ。
どうせ今回の住人も、3ヶ月もたない。
まあ、どうでもいいけど。
立ち話もあれなので、下司さんと百足さんに上がってもらった。どうせ今日は暇なのだ。ビールでも飲みながら、次の住人が何日で退去するか、くだらない賭けにでも興じよう。
僕は実家から送られてきた350ml缶のビールを取り出し、コップに均等に注ぐ。
「うるさい若者だったら、いやですねぇ」
下司さんがビールの泡を、もったいなさそうにぺろぺろ舐める。
「そんときゃ、こっちから追い出してやりゃーいいんだよ!」
百足さんは大口を開けて豪快にガハハハと笑って、下司さんの背中をドンドンと叩く。そして、僕の差し出したビールを美味しそうにぺろぺろ舐める。
「団吾くん、なんかつまみはねーのか?」
「この前、風呂場によくわからないレベルのデカいキノコが生えましたので、食べてみます?」
「ああ、それなら僕の部屋にも似たようなのが生えてましたよ。ソテーにしたら美味しかったですねぇ」
「お、じゃあ俺の部屋にも生えてるかもしれねーな! ちょっと採りに行ってくる!」
勇み足で玄関に向かっていった百足さん。
でも、すぐに顔面蒼白で帰ってきた
「どうしたんすか? 百足さん」
「いや、あの、女が……」
「はい?」
僕は首を傾げる。
下司さんも百足さんも、女性に縁がない。
こんな世間的に終わってるところに住んでる連中が、女性との健全な交流があるはずも無く……かくいう僕も、童貞である。
そんな女日照りの日々を送っているからか、たまに美しい女性の幻を見る事があった。
僕はそれをイマジナリールームメイトと呼んで、いつも舐めるような視線を向けている。
彼女たちは時に清楚な女子大生風、時にバリキャリのOL風、時にロリロリな後輩風の姿で出現し、僕の目と心を癒してくれる。
だから、百足さんの目の前にいきなり女性が現れたところで、大して驚かない。
とうとう百足さんもその境地に辿り着いたんだな、と先駆者として温かな視線を向けるだけだ。
「ああー、百足さんはどんな子が見えましたー?」
「いや、あの、若い、JKか、JDくらいの……」
「ほほーん、百足さんエッチだなぁ。若い子がお好きなんですねー?」
「違う! 引越し! 引越し!!」
要領を得ない百足さんの言葉に、僕は再び首を傾げる。
「とにかく、お前、玄関行け! ここ、お前の部屋だろ!?」
百足さんに背中を押されて、足元に置かれたゴミ袋につまづきながら、僕は玄関に向かう。
頭を掻いて、爪の間に溜まったフケを見ながら、玄関ドアを開ける。
「はーい……」
そこには天使がいた。
僕が今まで目にしてきた、どのイマジナリールームメイトよりも、可愛く、美しく、可憐で、いい匂いがした。
「あ、はじめまして!」
ツヤツヤの髪、まだ垢抜けない眉毛、まん丸なお目々、ぷっくり柔らかそうなほっぺた。
「わたし、202号室に越してきた『黒山アリス』と言います!」
そう言ってぺこりと頭を下げる。
しぐさ一つ一つが、僕の感情と劣情をくすぐる。
「すぐそこの女子大に通ってます。初めての一人暮らしなので、ご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします!」
「あ、ああー」
アリスさんの柔らかな声が、僕の耳から入り込んで、脳みそをこねくり回した。
その結果、僕の知能指数は50ほど低下し、ただ「ああー」と鳴らすだけの物体になった。
「あの、これよろしかったら」
彼女のしなやかな手には紙袋が握られている。
僕は窓の結露が滴り落ちるみたいな、ぬべーっとした動きでそれを受け取ると、ペコペコと頭を下げる。
そして、アリスさんの顔が真っ赤なことに気付いた。
「あの……」
「は、はいー」
「その……下、履いた方がいいと思います!」
そう言って踵を返すと、アリスさんは階段に向かってテトテトと走る。
そして何もないところでつまづいて転びそうになり、こっちを振り返ってバツが悪そうに笑うと、何度も頭を下げてから階段を上っていた。
残された僕は、頭を掻きながら視線を股間に向ける。
そっか……パンツ一丁だったか……。
キノコが大きく成長していたのは、きっとこのアパートに漂う湿気のせいだろう。
居間に戻ると、やり取りを聞いてた2人が困惑した表情で僕を見上げていた。
可愛らしいアリスさんを見たあとでは、この悲しき生き物も、陰鬱なこの部屋も、そして僕自身も、どーしようもないくらいに滑稽に感じた。
そいつらを通り過ぎて、僕は締め切っていたカーテンを開ける。
外はあいにくシトシト降りの雨だったけど、雲の隙間からうっすらと陽の光が漏れている。
「変わらなきゃ」
さらに、窓を開け放つ。
外の空気は確かに湿っていたけど、この部屋に住み着いたジメジメの空気と混ざり合い、いつもと違った非日常の匂いを感じさせてくれる。
「彼女が、3ヶ月以上ここにいてくれるように――僕たちは変わらなきゃ」
なにが『石の下には3ヶ月』だ。
そんなジンクス、ぶっ潰してやる。
僕は、この雨雲に誓ったのっだった。
* * *
引越しが終わった。
ダンボールが積まれた部屋の真ん中に座り込んで、黒山アリスはウットリと天井の染みを眺める。
実家に住んでいた頃は、お母さんが口煩く言っていた。
『あんたの部屋は物が散らかりすぎていて、陽も入りゃしない! 薄暗くて、ジメジメして、まるで石の下のアリの巣みたいだよ!』
その度に渋々片付けていたけど、部屋のものが整理され触れられなくなるにつれて、自分の居場所がなくなっていくような心細さを感じていた。
でも今日から一人暮らし。
誰にも文句は言わせない。
アリスは服を脱いで下着だけになり、ダンボールに詰め込んでいた私物を部屋に撒き散らし始めた。
古いぬいぐるみ、腕の取れたリカちゃん人形、かわいい形のペットボトル、色が気に入っているチョコの包装紙、そのへんで拾ってきたハート型の石、ふわふわの緩衝材、好きなアーティストのTシャツ、ライブで買ったタオル、カビが生えてしまった合皮のバッグ、エトセトラ、エトセトラ……
大好きなものを敷き詰めた床面に寝転び、その質感を素肌で感じながら、屋根を叩く雨音を聴いた。
「もう、ほんと、最高……」
恍惚の表情で、彼女は呟く。
ドライブスルーで松屋の『うまトマハンバーグ定食』を待っている最中、ふと思いついたので一気に書きました(*´Д`*)
だめぞん一刻?
アリスは、アリ巣です。