恨み節で悪かったね
◆火つけ役
知ったかぶりをすると、その筋の専門家から
「素人が偉そうなことを言うな」
と、叱られそうなので、個人的な生活実感だけをいくつか印す。
まず、どんな木が燃えやすいか。
知っている限りでは、松や杉、ヒノキである。
松は割り箸のように細く削り、先端に火をつけると、勢いよく燃え出す。「焚き付け」として、重宝された。
杉やヒノキの根元には、枯れ葉をつけた小枝が落ちている。これを拾っておいて焚き付けにするのも、生きていく上での知恵だった。知らず知らずに学んだ。
◆適材適所
これらの木の成木は建材となる。したがって、手に入りにくい。高価な木材を竈や囲炉裏、風呂などで、燃やしてしまうことなど畏れ多い。そもそも、杉は柔らかく、すぐ燃えてしまうので、燃料としては不向きだった。
そこで出番となるのが、樫やクヌギ、コナラなどだった。燃焼時間が長く、火力も強いので、薪の主役だった。
松脂という言葉があるほど、松には樹脂が多い。皮から琥珀色のヤニが垂れていた。杉やヒノキも程度の差はあれ、同じ現象が見られた。火付きがよかったわけだ。
一方の樫やクヌギは広い葉が水分を大量に蓄え、生木をくべると、音を立てながら、蒸気や水滴を噴き出していた。風通しのよい小屋や軒の下などで乾燥させないことには、燃料としては使い物にならなかった。
◆「国土緑化」の掛け声に乗り
父も長兄も農業の傍ら、長く炭焼きをしていた。
裏山には炭焼き窯の跡があった。炭焼きにはクヌギや樫などが主に使われた。家の近くに原材料がなくなると、山林主と契約して奥地の原生林に分け入り、小屋掛けをして窯を作って、炭を焼いた。
炭焼き工程の中には多数の人力を要するものもあった。小学の高学年になると、休みにはよく手伝いを命じられた。
こうして、山は禿げ山になっていった。後には植林・造林が行われた。植えられたのは、カネになる杉やヒノキだった。
ここまでは、長く繰り返されてきた林業の営みだっただろう。ところが、小学生の頃、村中総出、これは誇張ではなく小学生まで動員して、杉の苗木を禿げ山に運び上げた。公的な補助金が出ていたらしく、およそ人を寄せ付けない崖の突端などまで苗木は植林された。いわゆる「国土緑化運動」である。
◆農業も変わった
少し遅れて、農業の様態も変わって来た。
強烈に記憶に残っているのは、農薬である。長兄が
「すごいのが出た」
と驚嘆していた。
聞くからに恐ろし気な名前の農薬だった。
産卵期と重なり苗田を荒らしたガマガエルが、全滅した。イナゴやバッタ、ミツバチ、ホタル、蝶、蛾なども姿を消した。水辺でヘビ、ドジョウ、アメンボ、タニシなどを目にする機会も減った。
農薬で「害虫」との戦いに勝利したことに加え、山奥の農家にも小型の耕運機の導入が進み、農作業の苦労は軽減されたことは確かだった。ただ、耕運機など機械化の際のコストをどのように負担したのかは、不明である。現金払いの余裕はなく、ローンを組んだものと推測される。
同じ頃、農村からの出稼ぎが増え始めていた。
筆者が一七か八の時、長兄は嫁とともに、子供たちを田舎に残して、出稼ぎに行った。多くの場合、預けた子供たちは中学・高校を卒業すると都会に進学・就職した。
親たちも高齢化して配偶者が亡くなると、子供のもとに身を寄せるのが通例となった。筆者の家も例外ではない。
村の人口減少の一方で、増えていたものがあった。かつて競って植えた杉は手入れする者もなく伸び放題。さらに、家を出る際、まわりに杉を植林したことから、村中が鬱蒼とした杉の木立におおわれるようになった。
下草刈り、枝打ち、間伐などの手入れがされない杉は、無用の長物どころか環境破壊、自然災害の元凶となる。土石流に押し流されてきた杉が堤防や橋を破壊したり、民家を直撃した事例は枚挙にいとまがない。
今から四〇年くらい前だろうか、帰省して長姉の嫁ぎ先に泊まったことがある。向こうの山が煙っていた。
「あれ何? 山火事の煙みたいじゃない」
と、筆者は素朴な疑問を持った。
「あれは花粉じゃ。戦後、いたるところに杉を植えたから、こんなになったんじゃ」
と、義兄は吐き捨てるように言った。
ちなみに、村を挙げて植林に励んでいた頃、義兄は土木工事の出稼ぎに出ていた。ご多分に漏れず、塵肺で命を縮めた。
◆行政栄えて生業衰退
ここまで、筆者なりに、身近の自然、農村がどう変貌を遂げてきたか述べたつもりである。
その目線で現下(二〇二五年三月上旬)の日本を眺めてみると、ニューズのトップを賑わしているのは、まずはコメを初めとする青天井の物価高騰。さらには、延焼して止まるところを知らない各地の山林火災。また、今年はけた外れの花粉の飛散が予想されている。
いずれも根は同じ、だと思われる。
もう、その場しのぎの政策はやめるべきだ。傷口を広げるだけである。遅きに失した感はあるが、まずは
「失政でした」
と認め、過ちの点検作業に入るしかないのではないか。
やはり、当事者が膝を突き合わせて議論を重ねるのが、最良の策だろう。この期に及んで、グランドデザインは、「他人」任せにはできない。