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転職を繰り返した女(事件編) 転職を繰り返す

河合造船を辞めた後すぐに、梨華は求人サイトを読み漁るようになった。よさそうな求人を探して、履歴書を書いて、適性検査を受けて、面接を受ける。一連の転職活動は、新卒就活時に比べると苦痛を感じなかった。

一社目を短期間で離職していたにもかかわらず、梨華の再就職先は比較的すぐに決まった。それなりの学歴があったためか、まだ若くてやり直しがきくと思われたためか、それとも他に理由があるのか。正確な理由はわからないけれど、河合造船を辞めた1か月後、梨華は越境ECを主たる事業としているITベンチャー企業に、営業職として入社した。


梨華の新たな職場は、「イノベーションストリート」という社員数400名程度の企業だった。この規模の組織になると、社内に知らない人がいることが当たり前になる。「同じ会社に属しているから」という理由だけで強い仲間意識が芽生えることはなく、社員たちはそれぞれが自由に、仲良くしたい人や仲良くする必要がある人とだけ、仲良くしていた。一部の役員や管理職たちは、

「全員野球!」

などと言って社員をまとめようとしていたけれど、実際には業務の分業が進んでおり、人間関係は分断されていた。したがって、彼らの掲げるスローガンは、有名無実で空虚なものとなっていた。

河合造船では毎朝全社員が集まって朝礼を行っていたので、イノベーションストリートのドライな雰囲気が、梨華にとって新鮮だった。それは、ポジティブな差異だった。


このような中堅規模以上の会社の場合、中途採用は同期がいないから寂しいという噂を聞いたことがあったけれど、梨華には同期がいた。同期のヤマシタは、梨華と同日に入社した29歳の男性だった。性別も年齢も違うヤマシタとは、プライベートな話をすることはほとんどなかったけれど、入社直後の手続きなどで相互に協力しあった。


ヤマシタは前職で営業職をしていた経験があるためか、入社3日目には1人で客先を回るようになっていた。一方で、未経験から営業職に挑戦することとなった梨華に対しては、先輩社員が梨華の指導係となり、営業職の仕事を基礎から丁寧に教えてくれた。

隣の部署に配属されたヤマシタも、直接業務では関わらない立場から、梨華のことを気にかけてくれていた。梨華の仕事の邪魔にならない程度に、社内チャットで面白おかしく雑談をしてくれた。


2週間の研修を受けた後、梨華も客先へと出るようになった。河合造船の頃とは環境や職種が大きく変わったけれど、梨華の仕事の成績は以前と変わらず向上しないままだった。顧客には理不尽な要望を押し付けられ、厳しい上司には理不尽な要望は断ってこいと怒られ、落ち込む日々が続いた。社外の人と関わることが、こんなにもストレスなのだということを、梨華は学んだ。


入社して1か月経った時点で、梨華は既に退職を決意していた。イノベーションストリートの求人票には「未経験歓迎」と書いていたけれど、実際には自分は歓迎されていないのだと感じた。社内が一丸となってビジネスを行っていた河合造船と異なり、イノベーションストリートは社員同士が競い合う社風であり、それも会社にいづらいと感じる理由の一つだった。入社当初は嬉しかったドライすぎる人間関係を、「やっぱり嫌だ」と感じるまでの気持ちの変化は、本当にあっという間だった。

大手企業で、のんびりした社風の会社。それが、今の梨華が求める転職先の条件だった。


残業を終えた帰り道に、電車で求人サイトを漁る時間が、梨華は好きだった。大学生の頃はあんなにも就職活動が嫌だったのに、今は暇さえあれば転職活動のことを考えていた。就職活動自体がストレス源だった学生時代と異なり、既に存在するストレスから逃げるための回避行動である転職活動をしている時間は、梨華にとって、どちらかと言えば幸福な時間だった。


たまに、短期離職を繰り返すことに対する不安感を感じることもあったけれど、「無能ちゃん」のSNSにそれを書き込むと、「短期離職はダメなんて古い」、「嫌な仕事を続けていても成果が出ないし時間の無駄」といった、梨華の望む返信が無数に返ってきた。この感覚が癖になり、自分の中であらかじめ結論が決まっている悩みをSNSに書き込むことが増えた。


梨華は、求人を探すだけでなく、面接のテクニックや転職活動において気を付けることなどについても徹底的に調べ上げた。その結果、転職エージェントを使うと、通常は非公開の求人に応募できるということを知った。早速大手エージェント企業の担当者と面談をしたけれど、微妙な求人を大量に紹介されるだけで、梨華が入社したいと思える企業は全く紹介してもらえなかった。

そのことをエージェントに告げると、担当者は謝って、すぐに大手企業の求人を複数紹介してくれた。しかし、梨華がそれらの求人に応募すると、全て書類選考で不合格になった。


エージェント経由ではよい求人を見つけられないと悟った梨華は、エージェントからの連絡を無視するようになった。そして、転職活動を開始して1か月後に、大手食品メーカーの契約社員として内定がでた。正社員でないのことが引っ掛かったけれど、求人票を見ると、「契約更新は半年ごとに行う。最後の契約満期を迎える3年後に正社員登用される可能性が80パーセントもある」と記載されていた。さすがに大手企業が数値のウソをつくことはないだろうと考え、この「帝京食品」という会社の内定を承諾した。


困ったのは、イノベーションストリートへどのように退職意思を伝えるかだった。入社してまだ3か月も経っていない。実際に営業として成約した件数も、まだ数えるほどだった。なんなら試用期間すらまだ経過していない。そのような状況での退職は、さすがに早すぎるのではないかという考えが梨華の頭の中を駆け巡った。そして、一番嫌だったのは、これらの事実を上司に指摘されたり、怒られることだった。


一週間程度悩んだ結果、梨華は退職代行サービスを利用することに決めた。3万円を支払い退職したい旨を伝えると、本当に会社と一切のコミュニケーションをとることなく、簡単に辞めることができた。こうして梨華は、大学を卒業したその年のうちに、2つ目の会社を退職した。


帝京食品での業務は、データ入力とサンプル食品の発送が主だった。すなわち、河合造船で行っていたような事務作業に逆戻りした。営業職は辛いと感じていたところだったので、この変化は梨華にとって好ましいものだった。

初めの頃はミスが多かったけれど、慣れてくると少なくなった。他のスタッフに比べるとまだまだ多かったが、その点についてハッキリと指摘されることはなかった。周りで働く人たちはたちは皆例外なく皆が温厚で優しく、オフィス内で大きな声をあげるような人は一人もいなかった。帝京食品は、梨華の理想の職場だった。


このまま正社員登用されて、この会社で一生働こう。そう思っていた矢先、2年目の契約が満了するタイミングで、梨華は契約更新をされなかった。正社員登用されない20パーセントに該当してしまったのかと思ったけれど、最近入ってきた契約社員のユメノにその話をすると、

「梨華さん、それ3年間生き残った人のうち8割が登用されるって意味ですよ。実際はそれより先に切られる人が大半です。知らなかったんですか?」

と、呆れ顔で言われた。梨華が驚いた顔をしていることに気づいたのか、ユメノはすぐに、

「あ、でも会社が隠してましたもんね。ほんと、ひどい会社だと思います。私も騙されました」

と言って、チークで赤く染まった頬を、わざとらしく膨らませた。


思い返すと、梨華が入社した時点で既に契約社員として働いていた十数人のうち、正社員登用された人は1人しかいなかった。残りの人たちは、いつの間にかオフィスから姿を消していた。正直、彼女たちの大半とは業務上かかわらず、個人的な興味もなかったので、これまで意識したことがなかった。

なにはともあれ、結論として、25歳の梨華は無職になった。


梨華にとって今回の離職は過去2回のそれとは明確に違った。自分で望んだわけでもないのに、一方的に辞めさせられた。やはり、契約社員という身分は不安定なのだと実感した。


再び正社員を目指そうと思ったけれど、梨華を採用してくれる会社はどこにもなかった。大手企業はもちろん、中小企業からも断られた。求人サイトに登録しているだけでスカウトを送ってくれる企業もあったけれど、どう見てもブラック企業にしか見えなかったので、さすがに受けなかった。梨華には、ウオーターサーバーを飛び込みで営業したり、週に6日、シフト制でホテルの清掃を行う勇気がなかった。


結局、梨華は派遣社員になり、誰でも知っている著名なIT企業で、事務作業を行うことになった。正社員としては絶対に採用されるはずがないような人気企業だったけれど、派遣社員であれば15分程度の面談を一回行っただけで、すぐに採用してもらうことができた。派遣会社のお姉さんからは、うまくいけば正社員登用もあるという話を聞かされたけれど、梨華はその話を信じていなかった。


派遣社員は、意外と給料が高かった。時給制だったので月によって収入に多少の波はあったけれど、これまで正社員や契約社員として働いてきた企業たちと同等か、むしろそれ以上の手取りを得ることができた。賞与はほとんどないに等しかったけれど、それは今までの勤務先も似たようなものだった。


2年ほど経ったある日、梨華が仕事でミスをして、正社員に注意をされたことがあった。書類をシュレッダーに入れておけと指示されたものを忘れていただけなのに、この春新卒入社してきたばかりの苦労を知らなそうな小娘に強く指摘されたことが、妙に癪に触った。その2日後、梨華はこの会社を辞めた。


一連の流れを「無能ちゃん」のSNSに投稿すると、

「最近の新卒って売り手市場で入社できただけなのに勘違いしてるよな。特に若い女は多様性で下駄を履かせてもらってるし」

というコメントが返ってきた。イイネボタンを押しながら、自分はもう「最近の新卒」でも「若い女」でもないのだと気づき、悲しくなった。この時、梨華は既に27歳になっていた。


それでも、今の梨華の味方は、もうこのSNSの中にしか存在しなかった。大学生の頃まで薄く繋がっていた友人たちは、仕事や恋愛に忙しくなり、徐々に梨華と遊んでくれなくなった。姉は子供が生まれ、年に1度くらいしか実家に戻らなくなった。梨華だけが、昔から変わっていなかった。毎朝眠い目をこすりながらオフィスへ行き、ストレスを感じながら働き、家に帰って母と二人で母の作った夕食を食べ、そして全てを忘れて眠った。休日はSNSと動画サイトを見ていると、あっという間に過ぎていった。


ここからのキャリアの転落は、加速度的に進行した。

27歳から31歳までの4年間の間で合計6社を経験し、梨華の職歴は合計10社になった。最初の2社、河合造船とイノベーションストリート以外は、全て非正規社員だった。


「で、今日ここに来たってわけね」

梨華の話をすべて聞き終えると、ユキナはやっと終わったのかという風に、ため息をついた。


古びた雑居ビルの一室で、梨華はユキナと対峙しはじめてから、既に1時間以上が経過していた。全てを見透かした様子のユキナに対する恐怖心は、既にほとんど残っていない。それよりも、梨華はユキナに聞きたいことがあった。


「私のキャリアって、どこで間違ったの?」

梨華は、おそるおそるユキナに尋ねた。

「そうね。直接的な原因を言うなら、正社員を諦めて契約社員になったあたりじゃないかしら。一度非正規社員になると、簡単には正社員に戻れないもの。それに、2回連続の短期離職はさすがに面接官に与える心象が悪すぎる」

ユキナから発せられる、幼い見た目のわりに冷静な声が、天井にこだました。

「やっぱりそうよね。今思うと、あのあたりから正社員の書類選考に通らなくなったもん。はぁ、もっとちゃんと調べておけばよかったなぁ」

今度は梨華がため息をつく番だった。


「あら、今、あの頃に戻ったら、違う決断ができるとでもいいたいの?」

ユキナが挑発的な目で梨華を見つめる。

「もちろん。絶対に契約社員になんてならないわ」

「ウソね、断言してもいい。あなたは何度23歳に戻っても、1年以内にイノベーションストリートを退職するわよ」

「なんでよ」

ユキナの断定的な表現に、梨華は思わず苛立ちの声を上げた。ユキナはそれを気にも留めずに立ち上がり、意味の分からない数字がいくつか書かれたホワイトボードの前へと足を運ぶと、くるっと反転させて真っ白な面を表に出した。


「転職に失敗する本質的な原因は、転職活動を始める何年も前に既に出来上がってるということよ。さぁ、解決編を始めましょう」

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