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転職を繰り返した女(事件編) 大学時代

梨華が進学した大学は、中高までのそれと同じく、東京のど真ん中にあった。梨華は実家から、片道45分程度をかけて通っていた。カフェでアルバイトをして、そのお金で好きなアイドルのコンサートに参戦した。首都圏の会場だけでなく全国を巡り、いわゆる「おっかけ」をしていた。


積極的に出会いの場に出かけて行ったり、大勢の男性と関係を持ったというわけではないけれど、梨華も人並みに恋愛をした。梨華の初体験は、アルバイト先のカフェで知り合った同僚だった。

2つ年上のユタカは、特別イケメンというわけではないが上品な顔立ちをしていて、身長が高かった。真面目で優しく決して怒らない人であり、店長や他のスタッフからの信頼も厚かった。もちろん客からも人気があり、女子高生らしき客からラブレターをもらっている場面を目撃したこともある。その時、ユタカは、彼女たちに礼を言いながらも、しっかりと断っていた。


その数か月後、ユタカにイルミネーションに誘われ、そのままユタカが一人暮らしをしているアパートで一夜を過ごした。修学旅行などを除いて初めての外泊をするにあたり、母には、女友達の家で徹夜でドラマを見るのだと嘘をついた。


ユタカと付き合い始めてからの梨華は、なんとか可愛くなりたくて、動画サイトや雑誌を見て必死でメイクやファッションの勉強した。そのたびに、自分はブスなのだと痛感した。鏡を見て、一重まぶたの母と背の低い父の顔が頭をよぎったこともある。そのたびに、慌てて首を横に振って、邪な考えを捨て去った。梨華は、毎日ユタカのことばかり考えていた。


毎日のように炎天下でテニスをしていたころに出来た頬のシミも、梨華のコンプレックスの一つだった。美容治療を考えてパンフレットを取り寄せたことだってある。思っていたよりも手ごろな金額でできることに食指が動いたけれど、なんだか少し怖かったし、ファンデーションで隠せないこともなかったので、断念した。


梨華は浮気や不倫、二股といった類の話に強い嫌悪感があった。大学の同級生たちが平然とそのような話をしているのを、聞いているだけでもイライラした。一方で、自分の性衝動の赴くがまま、自由に生きている彼女たちのことを羨ましいと思うこともあった。


梨華に対して声をかけてくる男性は、ユタカ以外に全くいなかったというわけではないけれど、もちろん全て断った。梨華が信用できると思えたのはユタカだけで、他の人からは都合のよい遊び相手候補としか見られていないように感じていた。もしくは、梨華にとって全く興味のない相手からのアプローチだった。


反対に、ユタカのことを信用していないわけではないけれど、他のアルバイト仲間や女性客と楽しそうに話している彼の姿を見ると、もやっとした。そんな時、嫉妬していることを伝えるのが恥ずかしくて、できるだけ強がって見せた。しかし、ユタカへの依存度は日に日に増し、結局は彼を困らせることになった。


悩みの種は、決してユタカの件だけではない。進学先としてこの大学が本当に正しかったのかについて今さら考えて落ち込んだことも、1度や2度ではなかった。年の離れた姉が商社マンの彼氏と結婚し、しばらくアメリカで暮らすと言い出した時は、どうして自分と姉はこんなにも違う生き物なのだろうと隠れて涙した。

大学生として過ごした数年間で、徐々に、でも確実に、梨華の心の中を、ネガティブな感情が支配するようになっていた。


梨華のネガティブ思考を最大レベルにまで増幅させたイベントが、3年生の秋から始まる就職活動だった。

端的に言って、梨華の就職活動はうまくいかなかった。丸の内の高層ビルでスーツを着て働くことに憧れはあったけれど、自分には似合わないと思って、本気で準備をする気になれなかった。一応数社にエントリーシートを出してみたものの、そのほとんどが不合格だった。2社だけ書類審査に合格し、適性検査を受けられるところまで進んだけれど、数学の問題が全く解けずに不合格となった。この2社の経験で梨華の心はぽっきりと折れ、4か月間も就職活動を中断した。


就職活動のスケジュールは、決まっている。年度によっていろいろとルールが変更されることはあるけれど、「一定のスケジュールが決まっていてそれに進めなければ内定を得ることが難しくなる」ということ自体は、何十年も前から変わっていなかった。

スケジュールは社会全体や応募先の企業が決めるものであり、就活生が決めるものではない。それにもかかわらず、梨華は、「マイペースに進めよう」と呑気なことを考えていた。

母にその話をすると、特に反論されることはなかった。母は看護師であるから、いわゆる「普通の就活」はあまり詳しくないのだと言っていた。


当たり前のことであるが、就職活動を4か月先延ばしにしたところで、結果は何も変わらなかった。むしろ、梨華が重い腰を上げて就職活動を再開したころには、人気企業が既に採用活動を終えてしまっていたり、周りの就活生の対策レベルが上がっていたりなど、状況は更に梨華にとって不利なものとなった。

慌ててエントリーシートを量産し、適性検査を受けてみたけれど、やっぱり数学の問題が解けずに不合格となった。

4回ほど連続で不合格になった時、梨華は適性検査を完全に諦めた。


適性検査を諦めるということは、大手企業への就職を諦めることと、ほぼ同義だった。

ある日、社員数が数十人の小さな企業にエントリーシートを提出すると、適性検査はなしですぐに面接進むことができた。書類選考合格通知を読みながら、「厳正なる選考の結果」というのはきっと嘘で、梨華の他にエントリーシートを提出している就活生なんてほとんどいないだろうと思った。

しかし、その会社の面接にも、梨華は落ちた。


梨華は面接がとにかく苦手だった。面接官の威圧感に圧倒され、緊張感や焦燥感を感じ、事前に考え覚えてきた内容を上手に話すことができなかった。これは、オンライン面接であっても、優しい面接官であっても、様々な会社から何度も繰り返し聞かれ続けた定番の質問であっても、同じだった。梨華にとって面接官は、もれなく全員が立派な大人であり、自分より優れた人に見えた。


挫折や中断、それに伴う息抜きを挟みながら、半年間の間に中小企業の面接を20社ほど受け、そのたびに不合格になるということを繰り返した。不合格理由は基本的に伝えられないけれど、たまに面接中に指摘してくれる会社もあった。「事前に考えてきたものを読み上げているだけのようで、コミュニケーションになっていない」と言われたことがあったけれど、梨華には、あらかじめ考えておかないと、面接の場で考えながら喋るということが上手にできる自信がなかった。


梨華の通う大学は、世間ではギリギリ高学歴に分類される事が多かったため、零細企業の面接官には訝しがられることもあった。

「そんなに優秀なら引っ張りだこだろうし、会社選び放題だと思うけどねぇ」

と、面接官に言われたにもかかわらず、その面接の結果は不合格だった。こんなことが、複数回あった。


卒業が近づくにつれて、アルバイトを休んで就職活動を行う日が増えた。一足先に社会人となりカフェの正社員に登用されていたユタカは、いつも梨華のことを心配していた。店長も、いろいろと梨華のことを気にかけて、シフトの融通を効かせてくれた。

それでも、梨華に正社員登用の話が来ることは、一度もなかった。楽しかったアルバイトが、だんだんと憂鬱なものへと変わっていった。


ある日、梨華は就職活動でたまたま出会った男子就活生に誘われるがまま、酔った勢いでホテルに行った。どういう経緯だったのかの詳細は、もうよく覚えていない。

梨華にとって初めての不貞行為は、なんとも味気ないものだった。自分はなぜ、この程度のことに今まで極端な嫌悪感や憧れを持っていたのだろうと思った。梨華はその日からたびたび、知り合って間もない男性と一夜限りの関係を結ぶようになった。特別楽しいというほどではないけれど、少なくとも行為が終わるまでの間は、男性たちが優しくしてくれて、辛い就職活動のことを忘れられた。


そんなことを続けていると、ある日ユタカから別れを告げられた。何かを疑われたわけでも、責められたわけでもなかった。むしろ、梨華にとって大変な時期に別れ話をすることが申し訳ないと、何度も謝っていた。

「謝るくらいなら別れないでよ」

と、思ったけれど、さすがに後ろめたさを感じて、言えなかった。中途半端な良心が、梨華の心の中には残っていた。


ストレスと良心の狭間で思い悩むという現象は、母に対しても同じだった。就活がうまくいかないストレスで、母につらく当たることが増えた。母はほとんど言い返すこともせず、黙って梨華の話を聞いていた。そういった日、梨華はたいてい、後悔で夜眠ることができなかった。


卒業が近づけば近づくほど、就活生は焦る。一方で、それは企業側も同じだった。早く人材を見つけなければならないと焦った企業が、合格基準を極めて低く設定した採用選考を行うケースが増えた。


結局、四年生の11月8日、梨華は河合造船という社員数24人の小さな造船会社の事務職で内定を得た。人事担当者からの電話での内定報告受けた時は、嬉しいとかほっとしたというよりも、信じられないという気持ちが強かった。

「ありがとうございます」

と小さな声で返すと、人事担当者に、

「あまり嬉しそうじゃないですね」

と、冗談を言われた。


家に帰ってすぐ、内定を母に報告すると、

「お疲れ様。来年からも頑張ってね」

という言葉が返ってきた。母の他に、梨華が自ら内定報告をする相手はいなかった。とはいえ、姉や学校の同級生、アルバイト先の仲間などから聞かれた場合には、隠さずに答えた。

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