転職を繰り返した女(事件編) 青春時代
梨華が進学することになった中高一貫の女子高は、梨華の家から電車で約30分ほど離れた位置にあった。一応東京23区内にあるとはいえ、梨華の実家は比較的田舎と言える。都心へと電車で通うことが、最初は少し怖かった。本当はユウカと一緒の学校に行きたかったけれど、ユウカは中学受験に失敗し、結局は公立中学に通うことになった。
男子と関わることをストレスだと感じるようになっていた梨華にとって、女子校での生活は快適そのものだった。テニス部に所属して、体を真っ黒に焼きながらボールを追いかけた。大会で勝ち上がれるような強さは身につかなかったけれど、先輩や後輩、そして同級生たちと部活ができるだけで十二分に満足できた。しかしそれも中等部までの話で、高等部に進学すると、テニスには飽きて退部してしまった。
中高生時代の梨華は、幼稚園に通っていた頃と同等とまでは言わないけれど、小学生の頃よりもクラス内で発言する機会が増えた。梨華自身が大きく変わったというよりも、玉石混交の小学校とは異なり、ある程度似たような人生経験を積んできたクラスメイトが多かったので、相対的な立ち位置が変わっただけだった。
梨華の通う学校には、中流よりも少しだけ上位に位置する家庭で生まれ育った、素朴な感じの女の子がほとんどだった。
だからこそ、派手に髪を巻いて毎日教師に注意されているウララの存在は、異質だった。ウララは校則違反の常習犯であったが、その内容は服装規定の違反と遅刻がほとんどだった。ウララは、決して他人に直接的な迷惑をかけるようなことはしなかった。
ウララの成績は常にトップだった。それも、2位以下を寄せ付けない圧倒的な1位だった。ウララと同じ小学校に通っていたというクラスメイトから、
「ウララちゃんは受験に失敗してすべり止めで仕方なくここに進学したんだよ」
と、教えてもらった。確かにそうなのだろうと納得できるくらい、ウララの学力は学校の平均レベルを凌駕していた。
しかし、ウララの口からその話がされることは絶対になかった。むしろ、
「アタシ、この学校に来てマジでよかったわ」
と、よく言っていた。
ウララと直接話す機会は多くなかったけれど、梨華はウララのことが好きだった。女子校によくある同性同士の恋愛といった類の話というよりは、女性として憧れる存在だった。
幼稚園時代の自分がそのまま中学生になっていれば、ウララのようになれていたかもしれない。そんなことに想いを巡らせていると嫉妬の気持ちが芽生える時もあった。けれど、それはすぐに消えた。そんなくだらない感情をも打ち消すほどの圧倒的なオーラが、ウララにはあった。
梨華以外にも、ウララのことを好きな人は多かったと思う。ウララは対立を恐れない。自らの意見をハッキリ言うし、校則違反をして先生を困らせるし、保護者から学校に苦情が入ることもあった。それでも不思議と、ウララのことを嫌いな同級生はいなかった。
ウララに友達は多いけれど、深入りしすぎない。他人との距離感を守ることが上手だった。
ウララの両親は医者と女優だった。女優と言っても、連続ドラマで主役を張るような有名女優ではない。それどころか、ウララの母を知っている者はクラスメイトの1割程度しかいなかった。それでも、授業参観では、明らかに他の母親とは違っていた。既に50歳を超えており地味な格好をしている梨華の母と並ぶと、親子だと言われても信じられるレベルの年齢差を感じた。
梨華はもう、親の年齢や容姿のことを無神経に口にできるような年齢ではなかった。それでも、気にならないのかといえば、気になった。複雑な気持ちは、そっと胸の奥へしまい込んだ。
梨華が内部進学で高校生になった時、父が倒れた。既に70歳を超えた父の身体は、がんですっかり弱り切っていた。梨華はこのことを隠さなかった。別に大々的に悲劇のヒロインを演じたかったわけではない。ただ、意識して隠すことをしなかっただけだ。意識しないようにすることを意識したのは、幼少期のケンとの一件で父を悲しませてしまった後悔が残っていたからである。他人に何を言われても、梨華にとっては大切な父だった。
しかし、梨華がいくら何事もないかのように振舞っていても、同級生たちにとっては「珍しい話」だったのだろう。数人の仲良しグループにしか話していない内容が、数日のうちにクラス全体に広まった。
ある朝、梨華が登校すると、クラスメイト達が梨華の父の噂話をしていた。彼女たちは、梨華が登校してきたことに気づいていないらしい。しばらくするとクラスメイトの輪に対しウララが近づいていき、
「そういう話するのって、あんまりよくないんじゃない?」
と、言った。クラスメイト達がバラバラと解散していくのを見届けたウララが、梨華の方へ近づいてきた。
「ごめん、余計なお世話だったかな」
「あんな奴ら気にしない方がいいよ」
「アタシ、親が医者だから相談乗れるかも」
そんな言葉が投げかけられるのだろうと想像し、頭をフル回転させて事前に返事を考えた。ウララの口から出てきた言葉は、
「おはよう」
だけだった。梨華が小さな声で、
「おはよう」
と返事をした頃には、ウララは既に自分の席に戻って、鏡とにらめっこを始めていた。
梨華の父は、この年の冬に亡くなった。最期まで梨華を可愛がり、梨華のことを信じて、梨華を心配し、梨華のことを愛してくれた人がこの世を去った。寂しくて、悲しくて、しばらく夜も眠れなかった。そんな梨華のことを、母が必死で慰めてくれた。
10年ほど前、祖父の葬儀で泣いていたおばさんが、父の葬儀では泣いていなかった。おばさんはそれなりに神妙な顔をしていたし、梨華や母に対して優しい言葉を投げかけてくれたのも事実だけれど、祖父の時との対応の違いに、梨華はショックを受けた。
この日から、梨華は母と二人暮らしになった。
それでも、梨華の態度は今までと全く変わらなかった。家事を手伝うわけでもなく今まで通り母に甘え、時には感情をぶつけて困らせた。
幸いなことに父がそれなりの遺産を残してくれたので、金銭的な意味でも今までと変わらなかった。
中高生時代の梨華の成績は、普通そのものだった。小学校時代のように上位に食い込むことはできなかったけれど、かといって下位になるわけではない。上位40パーセントから60パーセントを常にうろうろしていた。先生に褒められることはないし、怒られることもない。でも、母だけは、
「いつも頑張っていて偉いね。マイペースに頑張ろうね」と、言ってくれた。
ある時、世界史の授業でヤマを外して38点という低い点数を取ったことがあった。赤点は30点以下と決められているので、低いとはいえ致命傷になるような点数ではない。母にそう伝えると、母は、
「じゃあ大丈夫だね」
と、言ってくれた。このころになると、母はもう梨華を叱ることはなくなった。小学生の頃とは異なり、叱らなくても梨華が極端に常識はずれなことをすることはないという信頼からだろう。「元気に生きてさえいてくれれば、あとは好きにしたらいい」という父の教育方針を、母はしっかりと受け継いでいた。
梨華は、大学受験の志望校として、名門私立大学の文学部を選んだ。特に文学に興味があったわけではないけれど、国語が得意だったからだ。他に得意科目がなかったからと言ってもいい。
それに、文学部は入学のハードルが比較的低かった。同じ大学の法学部や工学部と比べて、偏差値が10近く低い学校もザラにあった。
受験勉強は、自分なりに頑張ったつもりだった。毎日2、3時間、綺麗にノートをまとめて、その暗記に努めた。けれど、すぐに集中力が途切れ、ぼーっとイスに座ってノートを開いているだけとなることも多かった。勉強が大嫌いという程でもないけれど、力が入らない日々が続いた。模試で悪い結果が出た日には、ひどく憂鬱になった。
そのたびに冷静になり、「大して勉強していないのだから当たり前だ」と、思い直し、反省した。幼稚園に通っていたころに感じていた万能感は、既にほとんど残っていなかった。むしろ、平均レベルに何とかついていこうと必死だった。落ちこぼれることは許されないという焦りがあった。
しばらくした後、結局、当初志望していたよりも一つ下の大学群の文学部に、推薦入試で合格した。大学に進学できることよりも、受験勉強から解放された事に対する喜びの方が大きかった。
一足先に進学先が決まった梨華は、学校では大人しくしていた。1月、2月という受験が本格化するシーズンになると、周りの話題についていけなくて少し寂しかった。だからといって、一般受験をしなかったことを後悔することもなかった。ただなんとなく、皆と同じことができない自分が劣った存在に思え、胸が痛くなった。




