秘密
1.
「ひとりで生きて来たとは思わない」
「自然に湧く食料は、ここには存在しない」
「でも」
「何を学べというのか」
「三名で構成された最小単位の社会にすら、拒否反応が出た」
「どうしたらいい」
「だれも教えてくれない」
「だれも知らない答えを、見つけろと」
「教えられた」
「俺の妄想にだ」
「妄想した友としか話さなくなって」
「その状況が怖くなったから」
「」
大事な最後の友だったのに。
もうどんな奴だったのかもわからない。
それからはたちまち言葉が紡げなくなった。
元から口数が少なかった俺を、最小単位の社会は切り離した。
二人だけで談笑するさまを、テーブル分の距離を開けて、
食事をしながら眺めていた。
病だとは全く思わなかった。皆こうした通過儀礼を通ってから、社会に溶け込んでいるのだと思った。
スーパーやコンビニの類は、あれは社会じゃない。ほとんど言葉を発さなくてもなんでも買える。
口数は減ったがおつかいも家の仕事もできた俺を、両親はなんの問題もない子供だと思っていたことだろう。
思い出す。
小学校のクラスは家の十倍。俺には広すぎて、把握することすらできなかった。
たまに興味を持って話しかけに来る人間はいるが、適当にあしらっていればすぐに飽きて去る。
その度に心の底で、『俺はまだ駄目なんだ』と謝って、関係をリセットする。
目立った行動さえしなければ大抵困らない。そう思っていた。
休み時間にぼーっとしていると、弾んだ声で呼びかけられた。
「1+1はっ!?」
「2」
咄嗟に声が出た。唐突に話しかけられたが何とか冷静に答えられた。
「………」
でも相手は怪訝な顔で俺を見ている。なんだ。間違ってはいないだろう。
「ブ、ブブーッ! 残念! 正解は……っあ、うん。まあ、いいや……」
「そっか」
相槌は打った。だが、なにが良いんだ? 俺は何を間違えたんだ。
チャイムが鳴ってそそくさと相手は席に戻る。何を間違えたんだ。俺のどこが変なんだ。
気になって仕方なくて、そいつの背中をずっと見ていた。
次の日、給食を食べているとそいつと何人かが近付いてきた。
「まだ食ってんの?」
俺は食べるのが遅いんだ。癪に障る。
プリンの蓋を勝手に開けようとした。その手からすかさずもぎ取る。
デザートを先に片付けようとすると、食いかけのシチューに勝手にパンを漬けやがった。
そいつ等はニヤニヤ笑ってる。気色悪い。
それでも言葉が出ない。こんな時はなんと言えば良いのか、言葉が紡げない。何も言い返せない。
眉根を寄せてめいいっぱい、睨む。
「………」
奴等は俺の顔を見て、何かを待っているようだった。
でも俺は喋れない。この頃の俺は、睨むことしか出来なかった。
奴等は諦めたのか、自分の席へ戻っていった。それでいい。
食い終わるまでずっと奴への恨みの念が残っていた。
家に帰ってから今日のことを反省しようとした。
どうして何も言えなかったのか。
いや、何も言わなくて良かった。もしケンカになれば俺は勝てなかった。
奴は何故俺に敵意を向けるんだろう。
あの時出された問題か? あのやり取りの何処に奴を怒らせるところがあったんだろう。
わからない。
不可解だ。
不愉快だ。
だが奴は悪くない。悪いのは俺だ。
俺が学校に溶け込めていないから、奴が怒った理由もわからないんだろう。
明日聞いてみよう。いや、聞けない。どう聞けばいい。
本当に怒っているのかすらわからないからな。
下手なことを言えばおかしいと思われる。おかしいと思われると目立つ。目立つのは駄目だ。
どうして目立つと駄目なんだ。当たりまえだ。俺はまだ未熟なんだ。まだ学校の社会は早すぎる。
そんな奴に話しかけるほうが悪い。そうだ。悪いのは奴のほうだ。いや違う。俺が悪いんだ。
布団に入って考えても堂々巡りで、結論は出なかった。
敵意を向けていたのは俺のほうだった。奴はそれを跳ね返していただけだった。
それに気付いた俺は、奴に干渉しないことにした。
それなのに奴は、俺に敵意を向け続けた。もう俺は何もしていない。なのに危害を加えに来た。
体育の時も、トイレに居ても、席が変わっても、クラスが変わっても、
奴はいつも数人を引き連れて、俺に危害を与えた。
正直に言えば怖かった。どうして奴は俺を追う。いつも数人がかりで。
きっと捕まれば袋叩きにされる。必死で抵抗した。
泣きながら逃げる。振り返ると奴等は腹を抱えて笑っていた。怖い。
掃除の時間で泣いてしまう。それを見て奴等は笑っていた。腹立たしい。
とても怖くて、苛立って、恨み辛みばかりが蓄積された。
蓄積されても力にはならず、ただの女々しい涙にしかならなかった。
卒業式には行かなかった。疲れきった俺は仮病を使って休んだ。
家に来た先生から、卒業証書とアルバムを貰った。精一杯の笑顔を作って礼を言った。
よかった、俺の社会性は失せてない。
そう思って安心した。
外に出さなければ、俺は削られずに済むんだ。
アルバムは燃えるゴミに出した。
2.
「春原くん、いつもありがとう」
高校では演劇部に入った。
舞台に立つよりも裏方の仕事をやるほうが気に入った。
文化祭に向けて必要な道具を申請して、書類を纏めて、看板を作る。
ベニヤ板に色を塗り、世界を作っていく。その工程をしているうちに、かつて喪った友を思い出す。
「春原くん、いつもありがとう」
礼を言われるのは悪い気分ではなかった。
俺は頷き、なんてことないよ、と決まった文句を言う。
その日は助っ人が来ていた。音声チェックのためにマイクを手に取る。
放送部の子だった。
「ワン、ツー、ワン、ツー……」
鈴木小鳥。
たしか、そんな名前だった気がする。
彼女の雰囲気と名前が、好きな詩に似ているから覚えていた。
鈴木小鳥はナレーションの読み合わせを始めた。
俺は看板を乾かす場所を探して外へ出た。
本来、出会うはずはなかったのだ。
3.
俺は一人、看板の隣で詩集を読んでいた。
手形や書き込みを残すような悪戯をしていく奴がいる。その見張りだ。
校舎裏の誰も来ないスペース。生徒の喧騒は遠い。木々の擦れる音だけがする。
詩集のページをまた一枚めくる。
ふと、背表紙の向こう側に足が見えた。
「春原周良」
鈴木小鳥だった。
「何読んでるの?」
彼女はたずねる。
「何でもいいだろ」
「したいことないの? 他に」
嫌な物言いだ。あいつらと同じ。俺はいつものように無視した。
「文化祭、壊してやりたいと思わない?」
その唐突な言葉は、あいつらとは違った。
俺は顔を上げる。
「具体的に、どうするんだ」
彼女は、嘲笑ってはいない。
泣いているようにもみえた。
4.
俺たちは全校生徒の『秘密』を探った。
「新聞部からの情報はこれだけ。裏取りしていく」
「必要なのか」
「刺さる言葉には真実が入ってる」
鈴木小鳥の言葉は力強かった。
学校を歩き回り、多くの人間と話した。
理由を聞かれたら「先生に頼まれた」「台本の構想に必要」だとか適当な言葉をつけた。
俺の顔を覚えている奴はそれほどいない。目立たないように生きて来たから。
彼女はそんな俺を十二分に活用した。
そしてカメラを回す。『秘密』の証拠を握る。
「序盤は先生たちをイジってるように見せかけて安心させる。聴かせるためにも必要」
鈴木小鳥は原稿を新しく書いている。
俺は隠し撮りした映像を編集している。
予定されていた劇が終わったあと、全校放送と共にこのエンディングロールを流す。
「これで文化祭を破壊できるのか」
俺は鈴木小鳥に聴いてみた。
「やってみないとわからない」
頼りない返答だった。
それでも俺は彼女に従った。
5.
文化祭の準備をしながら、文化祭を破壊する準備も進めている。
妙なマッチポンプだ。
それでもなんだか、毎日の喧騒が、生徒と教師の流れが、違うものに見えた。
嫌悪感を好奇心が塗りつぶしたおかげで、俺のざらついた感性が麻痺しているのかもしれない。
6.
結論から言えば、文化祭は破壊できなかった。
劇を見に来ていた観客たちは固まって、白けたような顔をして体育館を出て行った。
全校放送は途中で打ち切られた。
鈴木小鳥と俺は教員室に呼ばれてこっぴどく叱られたどころか、家庭状況まで心配された。
結果は散々だった。
それでも彼女は晴れやかな笑顔をしていて、少し不気味だった。
「んー、スッキリしたー」
運動場の隅で彼女は腕を上げて伸びをした。
俺はなにもスッキリしていない。
「あなたも楽しかったでしょ。秘密、集めるの」
問われた。
俺は、彼女と同じポーズで伸びをした。
「一番、言うべきことが言えてなかった」
「何?」
「周良じゃなくて、周良だ」
「そう」
彼女はただそれだけ言った。
了