067 怒れるバルタ
皆がヴィーゼの顔を覗き込んで、そして安心した顔を見せてくれる。
心配顔からの安心顔へのその落差が余計に自身の状態が酷かったと思わせた。
それでも、記憶に無いのだから……実感は無い。
痛いも苦しいも全く無いのだ。
ただ、今はふらつく目眩だけだ。
「さあ……もう良いでしょう」
マリーがそんな皆の背中を押して、追い出した。
「大勢で囲んでも疲れさせるだけよ」
そして、自身も出ていった。
「何か有ったら呼んで」
そう、エルに告げていた。
残ったのはそのエルが1人。
最初に座っていた場所にまた座る。
私が寝ているベッドの足の方だ。
たぶん、ズッとそこに居てくれて居たのだろう違和感もなくスッとそこにおさまる。
ただ、1つ気になる事が有ったので聞いてみた。
「ねえ……バルタは?」
顔を覗き込んで来た皆の中にバルタが居なかったのだ。
エルは窓の外を指差して。
「今は魔物退治の最中よ」
首を曲げて示された車窓を覗いた。
少し日が陰る空しか見えない。
「今日はバルタの日なんだ」
「今日だけじゃ無いわ……もうズッとよ」
「ズッと? これからはって事?」
あれ? っとそんな顔になった。
記憶では昨日が私でサーベルタイガーだった筈。
「もう今日で終わりよ……あんた3日も寝てたから。明日には列車も終点よ」
「え! うそ!」
信じられない。
「うそ言っても仕方無いでしょう」
方眉を上げる。
「あんたが怪我してからは公演はバルタ一人で……それも瞬殺だからショーにも成ってない感じ。見せ場も無いから客も飽きちゃってもうあんまり集まんない感じかな」
ふーんと頷く。
状況が良くわかんないけど……取り敢えずだ。
「あれ? そう言えばサーベルタイガーはどうなったの?」
エルはヴィーゼの顔を覗き込んで。
「あんたが手榴弾の爆発の巻き込まれて……最初に飛び出したのがバルタ。焚き火の準備をしていた職員からスコップを奪ってサーベルタイガーを瞬殺してた」
「そか……バルタなら楽勝だもんね」
「楽勝とかそんな感じじゃ無かったな……鬼気迫る感じ。サーベルタイガーを邪魔物扱いで、スコップで滅多刺し」
「凄かったんだ」
「そうね……何時もなら返り血を気にして適当に避ける為りするけど、そんな素振りも無しで暴れまくった」
エルは自分の肩を両手で抱いて、首を竦める。
怖かったのか……。
「その後、原因をつくった魔法使いの前で仁王立ちで見下ろしてた」
エルは続けた。
「魔法使いのオジサンも、あんたの怪我を見て腰を抜かしてヘタリ込んだ所に、血まみれのバルタに睨まれたもんだからビビっちゃって、泣いてショウベンまで漏らして謝ってたわよ」
今度は首を横に振って。
「あれは……もう、魔物退治は出来ないわね。絶対にトラウマもんよ」
「まあ……同情はしないけどね」
そりゃあそうだろうと頷いたヴィーゼ。
「手榴弾しか投げられないんじゃあ、そのうち自分が怪我するだけだし……もう少しスキルなり修行なりをしないとね」
「オジサンのあの年で?」
笑ったエル。
「もう遅すぎ?」
ヴィーゼも笑った。
と、車窓が赤く染まるのが見えた。
日が暮れたにしては、まだ空は白い。
少し気にして見ていると、エルが立ち上がり外を確認した。
「調理の為の焚き火の明かりよ……もう、バルタも居ないみたいだし、終わったのね」
「いつ始まったの?」
歓声も音も、なにも聞こえては来なかった。
さあ……と肩を竦めて。
「バルタは司会とか解説とか待たないから。魔物が見えたら即……攻撃」
その物言いにバルタは怒っていると感じた。
「私……怒られるのかな?」
「どうだろう?」
ただ笑って、そう答えただけ。
しばらく経つと、バルタが部屋に入ってきた。
まずは、入り口で立ったままでヴィーゼの様子を伺う。
ヴィーゼもまた、バルタの様子を伺った。
そして、エルと一言、二言、言葉を交わすとヴィーゼのベッドの横に座る。
手には器を持ち、そこから湯気も出ているのでスープか何かだ。
「髪の毛……濡れてる?」
怒られるかも知れないが……それよりも驚いたので聞いてしまった。
信じられない光景だからだ。
濡れているバルタ?
「魔物の血を落とすのに水を被ったからね」
やはりバルタの言葉には驚いた。
自分から水を被ったの?
「マリーに聞いたんだ……血を洗うには水が一番なんだって、お湯だと固まるらしい」
「服も、放っておくと染みに成るけど……すぐに水洗いすると簡単に落ちるのよ、ヴィーゼ知ってた?」
エルはバルタに場所を譲ったので、その後ろに立っている。
「そうなんだ……」
そんな話は頭にも入ってこない。
とにかく視線がバルタの濡れた髪の毛から放れられないのだ。
エルはそんなヴィーゼを見てニヤニヤと笑っていた。
「凄いでしょう? 毎日水浴び」
「凄い……いや、それが普通の事なんだけど、凄い」
思わず口の出でてしまった。
「なによ……」
ムスっとした顔でエルとヴィーゼを睨んだバルタ。
「汚れるんだから仕方無いでしょう」
自分で仕方無いと言った。
それにもまた驚いた。
いったいどういう心境の変化か? 等とは聞けはしないが……たぶんそれも私のせいなのだろう。
「ごめんなさい……」
何に対してかは……色々全部だ。
「別に謝る必要は無いわよ……」
ヴィーゼを見詰めたバルタ。
「怒ってないの?」
「怒ってるわよ」
バルタはハッキリとそう口にする。
「もし、ヴィーゼが死んでたら……この列車の全員を殺してやるだけだし」
「え? 全員なの?」
怒っている対象は私では無いらしい。
でも、なぜにお客さんも?
「死を見せ物として楽しんだ対価よ」
声音は普通だが……たぶん本当にやるのだろう。
それがわかったから一言、言っておく。
「いや……やらなくてもいいからね」
頷いて。
「私、生きてるし」
「わかってるわよ……だからイライラは魔物にぶつけてる」
「魔物もいい迷惑よね……どう考えても八つ当たりなんだから」
エルだ。
「それもわかってるから、苦しむ時間も無いようにしてあげてるじゃない」
そして、また一つわかった。
私じゃ無くても、他の子が死んでもバルタは総てを殺すだろう。
それが自分でもわかっているから……だから、ズッと自分が魔物の討伐を続けているのだ。
自分を抑える自信がないからだ。
バルタが失敗して死んでも、客を殺す事を考える者が居なくなるからその方がよいとでも考えたに違いない。
「でも……バルタは死なないでね」
その言葉に止まったバルタ。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「そんな……へまはしないわよ」
「良かった……そしたら、私もバルタみたいな事はしなくても済むね」
また、止まったバルタ。
「ヴィーゼじゃあ無理ね……途中で返り討ちじゃない?」
「そうかもね……それでも、どうでもいい事だからいいんじゃないかな?」
「二人して死ぬ必要も無いでしょうに」
バルタは……部屋に入ってからはじめて笑った。
そして、やっとこさか持っていた器を前に出す。
「食べられる? スープだけだけど」
「大丈夫だよ」
と、差し出されたスプーンを咥えた。
寝ながらだから、飲み込み難い。
それでも、少し話し込んだから冷めてしまっているのは有り難かった。
「エル、起こすのを手伝ってあげて」
バルタは後ろのエルに。
私が食べ難そうにしていたからだ。
言われたエルは私の頭の方に来て、背中を引き上げてくれた。
「気持ち悪い様なら言いなよ」
私は素直に頷いた。
さっきは自力で起き上がろうとして失敗したから、私も少し不安だったのだ。
しかし、今度は問題無く上半身を起こす事ができた。
エルが気を使ってユックリと時間を掛けてくれたお陰かもしれない。
そして、安心した私はバルタに甘えた。
「もっとガッツリ食べたい」
笑いながらだ。




