044 昔の記憶
マリーは宿屋の部屋の隅で風呂敷を拡げていた。
その上に幾つかの道具が並べられている……錬金術の道具だ。
向かいにはアマルティアがそれをジッと眺めていた。
何時もの勉強なのだろうか?
バルタもそちらを見てしまう。
ヴィーゼはムーズとクリスティナとで出かける準備をしている……ちゃんと着いて行く様だ。
もう心配する事もないと思うと、今度はマリーが気になったのだ。
何を始めるつもりなのだろうか?
そのマリーがバルタをチラリと見た。
「別にたいした事はしないわよ……ただ薬を造るだけ」
バルタに向けてだった。
「何をしても良いけど……遊びには行かないの?」
「薬を造ったらね」
すり鉢に何かを入れている。
「薬なら……買いに出れば良いのに」
「普通の薬屋では売ってないのよ……たぶん造れもしないわ」
ゴリゴリと木の実らしき物を擂り潰して。
「錬金術の薬?」
「まあ……そうだけど」
チラリと元国王を見やり。
「この男の薬」
「ああ……風薬」
ついこの間に倒れたのだ……その薬……?
「あれ? 風薬なら普通に売ってるんでは?」
フウっと大きく息を吐いたマリー。
「この男はもう百才を過ぎているの、普通の薬じゃあ駄目なのよ」
「百才ですか?」
驚いて声をあげたのはアマルティア。
そして元国王を見る。
「そこまでには見えません……」
「まあ……百才を越えた辺りで数えるのを止めたがな」
元国王は肩を軽く竦めた。
「それは何年前の話?」
バルタも驚いてはいたが、魔王と自分で名乗った程なのだし……それに。
チラリとマリーを見る。
ゾンビだけど……それよりも遥かに年上だと聞いた。
「何かのスキルなの?」
「スキル?」
首を傾げたマリー。
「それに近いかもしれないけど……この男は魂の勇者でも有るの。それは自分の魂にも影響を与えるらしい」
元国王を指差して。
「ラシイと言うのは……それを誰も知らないからよ」
フンと鼻を鳴らして少しだけ悔しそうな顔を見せた。
自分にわからない事が有るのが悔しいらしい。
と、マリーとまた目が合うバルタに話を続ける。
「それに……魔素量も膨大だし。使役したモノ達の影響も受けるからその数も膨大。もしかするとその中の魔物のどれかが長寿か何かのスキルを持っているのかもね」
半分は自分で考えながらに話しているとそんな雰囲気だ。
「で……薬?」
マリーの話は半分もわからないバルタ。
だから何がどう作用して長寿に成るのか? サッパリだ。
「今から造るのは寿命とか健康とか……体に作用するモノじゃあ無くて」
目線を乳鉢に戻してゴリゴリと。
「魔素を安定させる薬」
「それって……意味有るの?」
「有るみたいよ……実際に効いているのだし。病気に成り難いとか魔素で体を動かす補助もしているみたいだし」
「風邪引いたじゃん」
バルタは元国王を見てボソリ。
腰も抜かしたし。
「だから薬を造ってるのよ」
「でも……凄い薬ですね。不老長寿の薬?」
アマルティアは感心していた。
自分の先生は本当に凄いと改めて思ったと、そんな顔だ。
「売れば……大儲けですね」
違った様だ……ローザと同じ目をしている。
「売れないわよ」
マリーは今度はすりこぎ棒で元国王を指して。
「この男の能力有りきの薬だから、この男限定」
「そうですか……」
あからさまにガッカリとしたアマルティア。
「でも……これを研究していけば魔素を増やせるかもしれない」
アマルティアの魔素が増えれば燃費の悪い特別なゴーレムも扱えるからかそう告げた。
「まあ……出来たとしても何年も先には為るでしょうけどね」
それを効いてまたガッカリとする、アマルティア。
「私は……そんなに長生きは出来そうに無いです……普通の獣人だから」
「出来るかもよ……」
少しだけ考えて。
「この世界の医術は凄いからね、それこそ術……魔法だもの。私の元居た世界よりも治療だけ見ればかなり上だと思う。欠損した部位を再生させるし。薬は風邪まで治せるし……それにウイルスや細菌まで使役してコントロール出来るのだから……ズルすぎ」
「マリーは元居た世界では看護師じゃったもんな」
「看護婦として仕事をしたのは半日だけよ……初勤務のその日のうちに転生に巻き込まれたから」
乳鉢の下に魔方陣が浮かぶ。
「それでも医療を学んだ者には、この世界の治癒魔法はチートにしか見えんのじゃろうな」
頷いている元国王の前に、黒い粒を差し出したマリー。
元国王も頷いてそれを口に入れた。
「何時もの薬か……苦いんじゃよな、これ」
「魔素に効く漢方みたいなモノだから苦くて当然」
さっさと飲み込めと睨むマリー。
元国王の喉の動きを見て満足したのか……小さく頷いた。
そして、風呂敷をしまい。
「さて、遊びにでも行ってくるわ」
アマルティアを誘っているのか、目線でそくす。
アマルティアも頷いて立ち上がる。
「あんたは行かないの?」
次いでにとバルタも誘ったマリー。
「私は……」
チラリと窓の外を見やる。
「雨だし……」
「猫じゃから雨は苦手か」
元国王が笑った。
「私の実家で飼っていた猫は、雨の日でも散歩に出掛けたわよ」
マリーは昔は猫を飼っていたらしい。
「もちろん獣人では無くて、本物の猫」
本物?
本物は猫耳の獣人の方でしょう?
バルタは少しだけムッとした。
その表情に気付いたマリーも少しアタフタ。
何に怒っているのかわからないが、何かマズイ事を言った?
雨の日はバルタを怒らせる様な事は言ってはいけないとでも言われていたのか?
そんな感じが透けて見えた。
私はそんなに短気じゃないとは言いたいが……それは飲み込んでおく。
現に今、少しだけムッとしたのも事実だから。
「無理強いはいかんぞ」
妙な雰囲気を感じたのか元国王が割って入る。
「雨にでもトラウマが有るのじゃろう」
造り笑って。
「知らんが」
オモシロク……和ませる様に言ったとそんな風だ。
しかしトラウマと言われたバルタは考え込んだ。
雨には無いが……濡れる事には嫌な思い出がある。
小さい頃。
まだ父さんと母さんと一緒に居た時だ。
盗賊に拐われたその時の事。
有る晴れた夏。
いきなり村に押し込んで来た盗賊団。
人間とエルフだった。
次々と剣で斬り着ける。
銃の音もしたけど、それは疎らだった。
そして私の家にも扉を蹴飛ばして入ってきた。
父は抵抗した。
母は私を隠そうとした。
そして盗賊は母の後ろから斬りつけた。
その血を頭から浴びた私は……。
いや……血を浴びたのは父の血だったか?
どっちの血だったのか……。
もしかして両方?
もう余り覚えていない。
でも生暖かく濡れて気持ち悪くて……それも違うか。
その血が怖くて……でもない。
倒れた両親の目が私を見ていたからか?
濡れるのは関係無い?
……。
でも濡れる事が気持ち悪いくて怖いことだとは覚えている。
体が濡れればそれを思い出すからか?
だからイライラする?
それも違う気がする。
イライラするのは自分にたいしてだ。
あのとき、父と母が殺されたのに、自分は泣くことしかできなかったからだ……でも今は違う。
人間でもエルフでも……私や家族に害を為そうとするなら返り討ちにしてやる。
もうあんな気持ちは嫌だ……父さんはもう殺させない。
「バルタ?」
「おい! 大丈夫かの?」
マリーと元国王の顔が目の前にあった。
私の方を揺すっている。
あれ?
ふと思う……父さんは殺させないって、もう父さんは死んでいるのに。
なぜそんな事を思ったのだろう。
母さんの顔も……父さんの顔ももうおぼろげにしか思い出さないのに?
昔の事なのに。
でも今の記憶の中の父さんは……なんだかパトに似てた気がする。
それも思い過ごし?
気のせいかな?
「ふう……」
大きく行きを吐き出したバルタは、また窓の外を見た。
雨はまだしつこく降っていた。
「よく……わからないけど濡れるのは嫌なの」




