028 用心棒
元国王の伸ばした手がアザラシに触れるまであと少し。
ほんの数センチなのだが……その手と足が止まる。
アザラシの目が、完全に元国王を捉えたからだ。
アザラシには選択肢が幾つか有る。
後ろ足で蹴り飛ばす。
胴体で踏み潰す。
頭から噛り着く。
選択したのは三番目の様だ。
大きく口を開けた。
「マズイ……」
漏れる元国王の声。
このまま触れても魔法が完結するのに数秒は掛かる。
でもアザラシが噛み付くには一呼吸……ほぼ一瞬だ。
逃げるを選択しても、アザラシの太い首を伸ばす方が早いだろう。
万事休すか……。
その時……号砲。
アザラシの片耳が吹き飛んだ。
撃ったのはルノーft-17軽戦車。
「今、撃ったのは誰?」
エルが慌てて叫んだ。
そして誰かと尋ねた理由は……荷馬車の上にバルタが踞ったままだからだ。
順に確認していく。
アマルティアは荷馬車の上で銃を構えている。
クリスティナとムーズはバルタと犬耳三姉妹を介抱している。
ローザはヴェスペの運転席の中。
マリーは……そもそも戦車の砲は撃てるとも思えない、そんな訓練は見た事がない。いや、すぐそこに居た。
荷馬車を下りてアザラシの方へ走っている。
なら……。
「ペトラ?」
戦車の操縦は出来る筈だ……以前にしているのを見た。
砲は?
その時に見ていたか?
……それとも教えて貰ったか?
どのみち見えないのはその一人だけだ。
「何で撃ったの!」
無線で怒鳴るエル。
「あそこにはイナとエノが居たのよ!」
「ワシも居るぞ?」
無線に割り込む元国王。
「イナとエノに当たったらどうするつもりよ!」
「ワシには当たらんのか?」
「3.7cm砲だって当たれば死ぬわよ!」
「もちろんワシも……」
「うるさい! あんたは逃げる為り何とかしなさいよ!」
「いや……もう済んだ」
「今の砲撃でアザラシが脳震盪か何かを起こしたみたい」
「完全に動きが止まった」
イナとエノが報告。
「使役出来たので……今は治療中じゃ」
「上手くいったじゃない……」
ボソリとペトラの返事が返ってきた。
「……たまたまでしょう!」
「たまたまでも、大成功でしょう?」
これは無線からではない……運転席のローザが直接エルに声を掛けている。
「私が怒っているのはそんな事じゃない!」
エルは地団駄を踏んだ。
作戦を立てたのは元国王だ……だけど指揮をしたのは私だ!
ペトラはその指示とは違う行動をした。
ペトラだけじゃない……元国王も勝手に動いた。
本当なら火薬の爆発で足止めしてからの筈だったのに。
ゴーレムだって……まだそこに待機したままだ。
誰も彼もが私の指示ではなくて勝手に動いた。
チラリとバルタを見たエル。
これがバルタの指示なら皆はその通りに動いた? ……たぶん動いた筈だ。
誰もバルタの決めた事なら逆らわない。
みんな知っているからだ。
普段……優柔不断に見えるのは誰よりも沢山物事を考えているからだ。
考え抜いて出した答えに間違いは無い……と、皆は思ってる。
それは私もだ。
パトと一緒に居る時も常に考えていた。
ただパトの決断の方が早かっただけだ。
私は……まだそこまで信用されていない?
エルが怒っていたのはその事だった。
悲しかったのだ……。
復活したバルタは荷馬車の横でローザと相談していた。
「これ……直せないよね?」
「ウーン……無理だね」
壊れた車輪を指差して。
「流石にここまで粉砕されてると……交換だけどココでは物がない」
「代わりを探すしか無いか……」
バルタはチラリと元国王を見る。
「トラックか何かを動かせても……運転できるのは元国王だけに為るね」
車のゴーレム化は……使役者の意識で勝手に動く。
そんな物は危なくて本人以外は誰も運転できない。
「相談してみるしか無いか」
バルタは元国王の方へと歩いていった。
その元国王はアザラシを前にクリスティナと話している。
マリーは何時ものように側に居る。
「可愛い」
クリスティナはハムスターを両手で受け止めてニコニコとしていた。
「それ……ネズミよ」
近づいたバルタは少し苦い顔。
「ネズミだけど……これは良いのよ」
マリーも指を出して撫でている。
「元々は愛玩用ペット」
「そうなの?」
バルタにはどちらも不快な音を立てる小さな生き物でしかない。
まあ……しかし可愛いという感覚もわからないではないのも事実だ。
「もうワシの支配下におるから……嫌な事はさせんよ」
元国王はアザラシの腹を撫でていた。
「そういえば……ペンギンは?」
確かペンギンも使役していた筈だけど……と、探してみるバルタ。
少し離れた建物の影で此方をうかがっていた。
「怖いみたいね」
「仲間うちでは襲わない様に注意はしているんじゃが……もう本能じゃの」
肩を竦めた元国王。
こればかりはどうしようもないとそんな感じか。
まあだから他のペンギンも近付いては来ないのだから……それは良しとしておこう。
それよりもと……バルタは荷馬車を指差して。
「あれなんだけど……修理は出来ないみたいなんだ」
「フム……」
考え込んだ振りをした元国王のその顔は面倒臭いと成っている。
「せっかく買って貰った弾薬をここに捨てて行くのなんだし……どうしよう」
上目遣いに見る。
「運べる車を調達せよとか?」
首を振りつつ。
「ついでにワシにそれを運転せよ……か」
大きな溜め息を吐く。
「他に運転できる者が居ないヘンテコなスキルなんだから仕方無いんじゃない」
マリーもそれしかないと考えているようだ。
そんなマリーを見た……上から覗くように見た元国王。
「誰か使役してしまおうかの……」
「辞めなさいよ」
慌てて止めたマリー。
「そんな事をしたら……あんたファウストに殺されるわよ」
「まあそうか……奴なら死んでも追いかけてきそうじゃ」
ふうぅ……と、溜め息。
「わかった……適当な車、この場合はトラックかの……を探すとしよう」
やれやれとそんな顔でだった。
一行はダンジョンの奥へと進んだ。
中心にアザラシを配置しているので……速度もそれに合わせる。
とてもユックリで歩く速度と変わらない。
しかし、荷馬車をアノ場に置いてきたので戦車とバイク以外の者は歩くしかない。
結局は丁度良い速度では有る。
因みに荷物は車の調達後に取りに戻る算段だ。
「ねえ……そこらの車……何でも良いから乗らない?」
歩くのが苦手なマリーの愚痴。
「嫌じゃ……ワシは日本車は好かん!」
元国王のこだわりらしい。
「本命の車が見付かる迄でもいいじゃないの」
汗を拭うマリー。
「動く歩け……健康の為じゃ」
「もう死んでいる私に……どう健康に成れってのよ」
ブツブツと。
「マリーは動かせるんでしょう?」
「適当に乗れば良いのに」
「モゴモゴ」
三姉妹がモンキー50zでノロノロと走りながらに。
そして、ネーヴの口にはまたあんパン。
「私の身長に合わないのよ」
チラリと三姉妹を見たマリーは息を吐く。
「あんた達だって身長に合わせての……その小さなバイクなんでしょう? おんなじ理由」
「じゃあバイクならいいんじゃないの?」
エレンは指を指した。
そこには少し大きめのバイク屋が見えた。
「バイクか……スクーターとかなら乗れるかな」
頷いたマリー。
「この時代にパッソーラは無いと思うぞ」
それは、ほぼ日本の原付スクーターの元祖の様なモノ。
「この時代のスクーターは妙にデカイから足が届くかの?」
元国王は笑った。
「ロードパルは? 無いの」
マリーは少し懐かしんで。
「私のお母さんが乗ってたのよね」
「無いの」
からかった積もりが素直に返されて面白くない元国王。
「そんなのはココでは骨董品じゃ」
「まあ……いいわ」
そのバイク屋を指してマリーは足を速める。
「とにかく行ってみましょう」




