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株式会社SPYへようこそ  作者: 香煙
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密とのバッティング

その帰り道、俺は悩んでいた。

密のこと、どうしようか……。

こんなときは毎日カフェに通っていることが恨めしい。

でも、そんなことを言ってもいられない。

明日カフェに行ったときに、なんとかごまかそうと心に強く思い、今日はもう家でゆっくり休むことにした。

透との任務は、今日はない。

ま、そもそもそんな毎日呼び出されているわけではないから。

次の任務は、一週間後だったかな、確か。

詳しい格好とかは近くなってから連絡が来る。ちなみに、俺が持っていないような服装を求められる時は、透に言うと俺の分も準備してくれることになっている。

……そう考えると、この前のガーデンパーティーの格好はセーフだったな。「ラフなパーティーでも行けるこじゃれた格好」だったから。これが例えば結婚式に出れるような、とかだったらアウトだった。そんなの、持ってない。

……それより、明日の密の対策、どうしようかな……なんて考えながら、俺は知らないうちに眠りに落ちた。



朝は容赦なくやってくる。誰の頭上にも、等しく。

もちろん、俺にもやってきた。くそっ!

……今日はなんだか珈琲の気分じゃないかも、といつもの朝のルーティンを変えて、沸かしたお湯を、白湯のまま飲んだ。

って、年寄かよ、俺は!

何を弱気になっているんだ!強気、強気!

俺は気を取り直して、いつものように珈琲を淹れ、(いつもよりだいぶ薄くしたアメリカンにしちゃったけど)ホッと息をついた。

今日は本屋のバイトがあるだけ。

あとは密のことかな。……これが今日の一番の課題だな。

でも、いける!がんばれ、俺!

めざましテレビの占いでも、みずがめ座は今日は4位。ほらね、悪くない。

とりあえず、透のことと任務のことは、内緒、と。

自分に念押しの確認をして、そろそろいつものお散歩(つまり例の素敵な家)とカフェに行くことに。あー、行きたくない……。

おっと、つい本音が。

さすがに今日はお散歩はいいんじゃないかと思ったけれど、なんか主任に負けたような気になるので、あえて逃げずに、「打倒、主任!」を掲げてみた。



結論から言うと、おしゃれガーデンの家はいつものように静まり返り、庭の扉も閉ざされたままで、透の気配も主任の気配もなかった。

拍子抜けしたような物足りない気持ちを抱えつつ、俺は重い足取りで密の待つカフェへと向かった。

カフェに向かう階段を上り、ことさら明るい声で

「おはよう!今日もいつものカフェラテ、よろしくー」

扉を開けながらカウンターに声をかけると、おかっぱちゃんが驚いたような顔をしながら「かしこまりました」と答えた。

その隣に立っていた密は様子を窺うようにしながらも、眉間のしわを深くして俺を見たけれど、何も言わなかった。


……セーフ!乗り切った?


きっと密は、俺から言わなければ、自分からは無理に聞き出そうとはしないスタンスなんだろう。俺の意思を尊重してくれるらしい。

正直、その密の優しさがうれしい。

俺はその密の優しさに甘え、おんぶにだっこ状態で、そのやさしさに乗っかることに決めた。

ごめん、密。でも話せないものは話せないんだよー。

心の中で密に懺悔をしながら、表面では笑顔で密に「カフェラテ、サンキュー。」とお礼を言った。

密が何も言ってこないんだから、実質、密のことは解決したも同然じゃないか?

主任はもうこのカフェには現れないんだし。

よし、密のほうは、これで解決だ!

うん。夕方からの本屋のバイト、頑張ろうっと。

……本当は密のことがまだ不安だったけど、俺は無理やりその不安に蓋をした。



それからの一週間はあっという間だった。

透からはメールで次の任務に必要な格好と迎えに来る時間が届いただけで、実際に顔を合わせることもなかったし、主任とも顔を合わせていない。

おしゃれガーデンの扉もあれからずっと閉ざされたままだった。

密も相変わらずで、俺に深い眉間のしわを浮かべてはいるが、特に何も言ってこず、上面だけの他愛もない会話をするだけになった。

例えばその日の気温の話や、テレビで予告を見た今評判らしい映画の話。それに朝に見た占いの話なんか。

全部、どうでもいいその場限りの会話だ。

前まではそうじゃなかった。同じように占いの話もしたけれど、もっと感情がお互い入った会話だったし、何よりもお互いに薄氷を踏むような、地雷を探りながら避けるようにびくびくしながらの会話じゃぁなかった。


……こんなの、友達じゃない。


そう思わないでもなかったけど、密を巻き込みたくなかった。

契約もあったけど、主任みたいなあんなヤバそうな人間、関わらずにすむならそれに越したことはない。


そんな風に過ごしているうちに、任務の日がやってきた。

指定されていた任務の時間が午後一時だったため、午後からの本屋のバイトは休ませてもらった。こういうことも、たまにはある。

指示された服装は「休日に遊びに行く若者。インドア」というものだった。

うーん、悩む。

休日に遊びに、って普通の格好、ってことだよな?

でも、いつもの俺の格好、っていうのも……。

悩んだ結果、俺はスマホでインターネットの海へと飛び込んだ。

そして選んだ俺のチョイスがこれ。

黒のスキニージーンズに、白の無地のTシャツ。その上に青のデニムシャツを羽織って。シャツの袖は七分袖くらいまで無造作にまくった。そして、濃い茶色のフレームの伊達メガネ。これは変装とまではいかなくても、顔の印象を少しでも変えたくて。足元は白のスニーカー。

……うん。こんなもんかな。

鏡で全身を映してチェックすると、なかなか爽やかな好青年ができあがった。

一人ファッションショーをしていると、そろそろ行く時間になった。外に出ると待ち構えていたように黒の高級車が目の前に留まった。

ドアが開き、中に入るのも、もう手慣れたものだ。


「お待たせ」

「時間通りだな」

透は俺の格好をいつものようにチェックすると、満足そうにうなずいていつものスパイセットを俺に渡した。

今日の俺の名前はイツキケンジ、らしい。

ターゲットの写真も確認する。何枚かある写真の中に珍しく後ろ姿のものもあったが、気にせずに脳内に記憶していく。

そして通信機ピアス。

……今回のも、かっこいい。今日のデザインは、こげ茶のべっ甲みたいな小さな小さなピアス。

誰がデザインしているのか知らないけど、通信機のセンス、今までのも全部好きだなぁ。

通信機ピアスをウキウキと耳につけていると、透が

「今日のターゲットは、探すのに少し手間取るかもしれない。アタルは、夜目がきいたよな、確か」

……今、昼間ですけど。夜目、と漢字変換するまで一瞬考えたけど、それ以外の漢字が思いつかない。嫁、じゃないだろうし。

「今、夜目って言ったか?昼だけど、今」

「暗いとこで探すんだよ。しっかり頼むな」

「……了解」

暗いところ、ってなんだ。この俺の渾身のおしゃれ、意味あんのか?

今知らされたことの重大さをかみしめていると、透が俺に映画のチケットを渡した。座席が書いてある。

「このまま、すぐにそのシアターに入れるはずだ。明るさの問題もあるし、みんな同じ方向を向いて座っているだろうから、くれぐれも注意を」

なるほど、映画館ね。それなら確かに暗いのもわかる。

透は俺の顔を見て、ちょうどいいな、とつぶやいた。そしてアタッシュケースから

「んー、似ているのはこれかな」

と、俺が今かけているような眼鏡を手渡した。

「こっちの眼鏡に変えて。赤外線センサー付きだから。右のフレーム上を触ると、センサー動くから。暗視ゴーグルみたいなもん」

これを受け取って実際にかけたときの俺のテンションはマジで上がりっぱなしだった。だって、まんま某アニメじゃん!

なになに、そのアタッシュケース、いろんなデザインの道具、入ってるの?

もしかして、必要とあれば電動付きのスケボーとかも出てくるんじゃね?

個人的に欲しいのは、針が出る腕時計だけど、わがままは言えない。

俺のテンションがマックスのまま、車は静かに止まり、「では後ほど」の声で、透とともに車から降ろされた。



あれ?ここはデパート?

しかも俺、たぶんここには来たことあるかも。

デパートの、映画館専用入り口に俺たちは降ろされたようだ。よくある、全国どこにでもある映画館だ。

エスカレーターを上り、たくさん人がにぎわうチケットや飲み物を売る売店を突き抜け、シアター3の中に、俺と透は別々に入っていった。

俺はチケットの座席を確認するふりをしつつ、今いる人たちの中にターゲットがいないかすばやくチェックする。

まだ、いないようだ。

……まだシアター内に明かりがついている今の時点で発見出来たら楽だったのにな、と思いながら、ゆっくりと一番後ろの列の自分の座席に座る。

俺の近くの席は、透が全て押さえたのだろうか。座っている人はいなかった。ありがたい。

ぐるりとシアター内を見回すと、透は通路側の比較的後ろの座席にいるのが見えた。パンフレットらしきものを見ているようだ。

だんだんと人が増えてくるが、ターゲットの姿は見えない。

そして会場の明かりが消され、映画の予告編が始まった。大音量でビルの破壊されるシーンが大スクリーンに映し出される。

そんな中、腰をかがめて会場内に入ってくる影が見えた。

俺は赤外線センサーを付けて注意深く観察した。

その人物は内側の席らしく、身をかがめながらすでに座っている人たちの前を謝りながら通って座った。座席に座っている他の人の頭が邪魔でなかなか横顔が判別できなかったが、さすが赤外線センサーだ。はっきり見えた。


———ビンゴ!

すぐにターゲットの座席を確認し、知らせる。

「見つけた。真ん中ブロック、前から三列目、H12。本人の座席左側通路まで3人。本人の座席右側に……8人」

「……了解。そのまま動かず確認続けて。あとは、いい」

任務完了を聞いた後も、俺はハラハラしながら暗がりでセンサーを付けたまま見守っていると、透が大胆にもターゲットの列に左から入ろうとするのが見えた。

客のふりをして、ターゲットのすぐ左隣の座席に座る計画らしい。

確かにターゲットのすぐ隣は開いているけど……大丈夫か?

列に入ろうと、透が身をかがめて列の人にすみません、と頭を下げたとき、少し後ろの方の席で若いカップルがけんかを始めるのが聞こえた。声を二人とも抑え気味だが、スクリーンに映る予告編の音量に交じって、よく聞こえる。

俺も一瞬そっちに気を取られそうだったが、ターゲットも同じように後ろを気にするそぶりで左側を振り返った。


まずい、かもしれない。

ターゲットが透に気づいたようだ。


透に気づいた、と俺が思った瞬間、ターゲットは反対側の右側にすごい勢いで逃げ出した。正確には逃げようとして、列の右側のほうに座っているカップルや若者たちにぶつかりながら、ターゲットの男はなんとか列の狭いところから抜け出そうと必死にもがいていた。

近くの人たちから、文句のざわめきが大きくなる。

「何?」

「ちょっと……!前見えないんだけど」

「痛い!何?」

「ちょっと!こぼれる……!」

ざわめきが大きくなる中、ターゲットはシアターの前方にある出口付近まで動いている。透も近くまで迫っているが……。

そこまで赤外線センサーで確認したとたん、俺はすぐに後方にある出口から先回りしようと駆け出した。勝手に体が動いていた。


任務終了の言葉、さっき聞いたような気もするけど、明らかに目の前でトラブってるし。透を一人放ってはおけない。

俺はシアターから廊下に勢いよく飛び出した。


まぶしい……!


シアターの外の明るさが目に刺さるようだ。

でも、どんなにまぶしくても足を止めることはしない。

おかしい、俺はこんなキャラじゃなかったはずなのに…。

なんて思いながらも、全力でシアター外のまぶしい明るさの中、ターゲットを追いかけて走った。透の姿は見えない。まだシアター内か?

俺の出てきた出口は、ターゲットの出口よりもだいぶ後ろだったようだ。俺のほうがまだシアターの中にいる透よりもターゲットに近い……!

ターゲットの男は外のまぶしさに目をやられたのか、少し足元がふらついているが、それでも足が速い。少し先を逃げている。

その時、後ろから透の叫び声が聞こえた。やっと暗いシアターから出てきたらしい。


「ケンジ!戻れ!」

……ケンジ?って、誰?あ。今の俺か。

って、え?戻れ?

はぁ?マジか。

走りながら、思わず透のほうを振り返ったとき、「ケンジ……?」と不思議そうにつぶやく声が聞こえた。

思わずそっちを見て、俺は血の気が引いた。

運動不足なのに突然全力疾走したからか、足ががくがくする。


目の前で俺のほうを呆然と見ているのは、密だった。


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