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株式会社SPYへようこそ  作者: 香煙
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いつもの日常

今日も一日が新しく始まる。

それを知らせるスマホのアラームの音を、無意識にもスヌーズにしてしまった俺、鹿野(しかの)アタルは、数分後、またアラームの音に起こされることになった。

朝の10分はとても貴重で通常の何時間にも相当する、と何かで読んだか聞いたことがあったが、何で読んだのだったか……と考え始めたところだった。スヌーズにして9分という短い時間だけど貴重な二度寝のチャンスが、こんなことを考えているうちに終わってしまった、と残念がりつつも、こんなどうでもいいことは朝の準備をしているうちにすぐに忘れてしまうんだろうな、と思っている自分がいた。

実際、暖かいというよりも、日を追うごとに、暑さの自己アピールを激しくしてくるキツい朝日を浴びて、もたもたとお湯を沸かし、珈琲を淹れ始める時にはそんなことはやはり、すっかりと忘れてしまった。


珈琲の匂いは好きだ。

珈琲を飲むのももちろん好きだし、カフェも好きだし、何ならインスタントコーヒーも好きだ。コーヒーゼリーも好きだが、あれは甘いミルク部分が好きなのであって、あの濃いミルクがなかったら、自分は好きかどうかはわからないけど。

最近見つけた、お気に入りのカフェの雰囲気も好きだし、そのカフェのかわいい店員さんと話をするのも好きだ。

でも、珈琲の匂いは段違いに好きなのだ。別格と言ってもいい。

コポコポとお気に入りのカップに丁寧に珈琲を淹れている時、「豊かな時間を過ごしている素敵な自分」を感じる気がするから、といったら言い過ぎか。でも、珈琲の匂いには、幸せの時間が凝縮されている気がする。

その香りを部屋中に漂わせながら、めざましテレビの占いカウントダウンを見るのが常だ。おぉ、今日のみずがめ座は2位。ツイてるかも。

え?優雅な時間が台無し?現実なんてそんなものだ。

コーヒーの香りも好きだし、その香りに浸る優雅な時間はとても大事だが、今日一日のテンションを決める占いも大事なのだ。


そんな朝のルーティンをこなしつつ、今日の予定を確認。

一、いつものカフェに行って、ソイラテを飲む。

一、散歩コースBで、お気に入りの庭をのぞき見。

一、スーパーで買い物。豚肉とキムチ。今日はガツンとしたものが食べたいから。

一、アルバイトに行く。今日は午後4時から。だるい。

一、その後は……


こんなものか。今日は天気もいいし。(目覚まし君が「気温25度、晴れ」と言っていた)。

お腹はすいているけれど、冷蔵庫の中にはほぼ水しかない。しかも珈琲を淹れる用の水だ。

自分のすきっ腹と同じくらいすきっ腹の冷蔵庫。ごめんね。

よしよし、今日はスーパーに買い物行って、お腹いっぱい詰め込んでやるからな。


ということで、まずは着替えて準備しなくては。

ジーンズにTシャツ。

持ち物は財布、スマホ、部屋の鍵、そして帽子。

今日の帽子はキャスケット。俺のちょっと茶色くした猫ッ毛風のフワフワ頭と、シンプルなジーンズとTシャツに合うはず。……たぶん。

財布なんかは最近お気に入りのエコバックに入れて。

男がエコバックなんて、というかもしれないけれど、なかなかいいんだぞ、エコバックは。

軽いし、おしゃれなデザインも最近は多いし、しかも環境に気を遣ういい人間に見える。これ、大事。

しかも、エコバックだと、いかにも「ちょっとそこまで、近所に買い物に来ました」感がある。

これ、もっと大事。



今日これから通る散歩コースBは、ABCのBではない。ブリティッシュのB。

つまり、イングリッシュガーデンを意識した庭造りをしている家が途中にある、散歩コースのこと。

最近のお気に入りのコースだ。


この町は大きくもなく、小さくもなく、自分的にはちょうどいい町。

緑もあるし、そこそこ都会(風)。

でも一本路地を曲がると、庭造りに力を入れている家々が並んでいる通りに出る。

欲を言えば、その路地の曲がった先に、海がちらりと見えたりなんかすると最高なのだが。

残念ながら、その先に見えるのは田んぼだ。田植えの季節には水を張った田んぼの水面がキラキラと光って、遠くから見ると海に見えたりもする(気がする)。

あくまでも一瞬だけど。(しかも気のせい)。

しょうがない。そうそう理想通りにはいかないのが人生。

人生なんて、まだ25年しか経験ないけど。


それにしても暑い。誰だよ、25度なんて言ったの。しかもそれ、最高気温だったのに。

今は朝の10時過ぎ。一番気温が上がるという午後二時まであと4時間もある。

でも、電光掲示板が示すのは、なぜか27度。

おいおい、壊れているのか、この掲示板。

それとも天気予報が外れたのか?

それが外れるってことは、占いの信ぴょう性も薄れるではないか。

やめてくれ。せっかく2位だったのに。

これが最下位に近ければ、すぐにチャンネルを変えたのに。


予想外の暑さに舌打ちをしそうになったが、路地を曲がってお気に入りのイングリッシュガーデン(もどき)のある家が見えてきたときには、その機嫌も直りかけていた。

少しの風にも揺れる草花。

庭の半分以上が庭木の木陰になって、その空間だけ本当に涼しそう。

この庭にだけ、別の風が吹いているようだ。

庭の隅のほうに無造作に置かれている錆びれたイスも、不思議におしゃれでいい雰囲気を出している。

一部に見えるのは、あれは枕木を庭に敷き詰めているのかな。

その枕木の隙間に、クローバーなんかの背の低い草がいい感じに生えているのが見える。

もっと奥のほうはどんな庭なんだろう……。

庭の全体は、残念ながら見えない。

なぜなら玄関横の通常なら庭が見えるはずのところに、大きな木目調の素敵な扉があって、中が見えないようになっているから。

でも、俺には見えている。

なぜか?それは隙間から覗いているから。

変質者?いやいや、違う違う。そこは全力で否定させてほしい。

俺は、この庭の、大ファンです!



いかにさりげなく、いかにもただの通りすがりで、たまたま素敵な庭のある家が目に留まって……という風を装うのが、いかに難しいか、知っているか?

知っている、という人は、きっと俺と同じように素敵な庭を覗いてみたくてうろうろした経験がある人だろう。

もしくはストーカーか、空き巣の下見の人。

そんな人は、通報されて職務質問されてしまえばいいのだ。

……自分みたいに。



去年、俺は一度職務質問されたことがある。

今みたいに他人の家の庭を覗こうとしてではない。(それで職質されてたら、さすがにやばい人だ)。

ただ、公園でベンチに座って、ゆっくりとコンビニで買ったペットボトルの飲み物を飲もうとしていた時のことだ。(忘れもしない、新発売のドリンクだった)。

二人の警官が自分のほうに近づいてきて、「すみません、ここで何をされているんですか?」と聞いてきたのだ。

その時俺は、さっきも言ったが、買ったペットボトルを飲もうとしていたその瞬間だったものだから、「喉乾いたから、飲もうと思って……」というアホな答え方をしたのを鮮明に覚えている。

答えてから、自分で自分に突っ込んだ。いや、それ、違うでしょ、答え。

警官たちは自分たちも身分証を見せてくれて、俺にも身分証を見せるように言ったけど、ただの公園に来ているのに身分証なんて持っているはずもなく。

車の免許証も持ってなかったし、保険証も家だし。

それとも何?世の中の人はみんなちょっとそこまで出るのに、パスポートとか持ってんのかよ!

と心の中で警官に叫んだのは覚えている。あくまでも心の中でだけど。

実際は、へらへらと愛想笑いをしながら、(自分では人懐っこい好青年を演じているつもりだったが)「何かあったんですかー?」なんて応えてみて。


特に何を言われたわけでもなかったけれど、職務質問というのは、されたことのある人ならわかると思うが、されると本当に嫌なものだ。

自分が怪しい行動をしている人間に見えているのだろうか、という不安がよぎる。

誰かに通報されたのかな、なんて思ったりもして。


だからこそ。

だからこその、このジーンズにTシャツ、そしてエコバックという今日の格好が活きてくるのだ。

この格好ならば、怪しさも、不審さも、ましてや通報されそうな人物には見えない。まったく。



過去の自分に思いを馳せている間にも、汗は流れる。

お気に入りの帽子の内側にも、あぁ、汗が。

そろそろ時間切れ。今日も扉は開かなかった。

ということで、次の今日の予定。

カフェに行こうっと。



お気に入りのカフェ。それは人生を潤してくれるもの。

このカフェは、最近見つけた。

細い路地の中の住宅街の一角。

白壁の階段があって、その階段を上っていくとそのカフェはある。

どうやら俺は、入り口が素敵なのに、なかなかその先が見えなくて、奥が気になる…というものに弱いらしい。

このカフェには、大きな窓に、たくさんの本。

ところどころに蔓の植物が小さなガラスの入れ物に活けられていて、シンプルなかわいらしさ。

北欧風っていうのかな?

そして、かわいい店員さん。

おかっぱの、こげ茶の腰巻のエプロンがかわいい。俺の心の中での呼名は、おかっぱちゃん。

「メニューがお決まりでしたら声をかけてください」

おかっぱちゃんは、レモン水をテーブルに置きながら安定の可愛さ。

俺も笑顔で「いつもの」とかっこつけてみたけれど、苦笑いでスルーされた。寂しい。

「アイスのソイラテ、お願いします」

「かしこまりました」

つまんないの。毎日来てるのに。

ま、まさかここでも不審者扱い?

毎日600円プラス消費税を払ってるのに?そんなわけない。


動揺しながら、レモン水を飲んでいたら、奥から店長の(ひそか)がでてきた。

正直、ほっとする正直者の俺。


「なんだ、アタルは今日も来てたのか?」

「来てたよ。ねっ?」

と満面の笑顔でおかっぱちゃんに笑いかけてみたけど、肝心のおかっぱちゃんはもうカウンターの向こうにいて、聞いていなかった。

そんな相変わらずの俺の残念ぶりに、密はあきれたような眼をしながらも何も言わない。

これもいつものこと。

でも、密の耳が少し赤くなっているから、笑いたいのを我慢しているのだろう。

ムカつく。


店長の前野(まえの)(ひそか)は、俺の高校の同級生。

正直、男の俺から見てもかっこいいほうだと思う。黒い短髪を立たせていて、足は長いし。背も高い。

高校の時に野球部だったこともあり、肩幅もあって。男らしい感じ。

高校時代からよくモテていた。

本人は野球にしか興味がなかったから、気づいていなかったけれど。

でも、残念。

昔から密は、無口で表情をあまり出さないからか、体が大きいこともあって武骨なイメージで見られる。

でも表現が下手なだけで、実際はとてもやさしい奴だと俺は知っているけど。

数か月前にこのカフェを初めて見つけて、ドキドキしながら階段を上って入ったカフェのカウンターの内側に、店長として働いている同級生を見つけたときは、マジで驚いたものだ。


ちなみに俺も、かっこいいほうだと思う。茶髪のフワフワヘアーが我ながら優しい雰囲気で、俺に似合っていると思う。

……誰も言わないけれど。(親は言う。「私の息子だもの。世界一かっこいいわよー♡」って。……うれしくないけど。)

足も長いし、背も高い。

……密よりは少し低いけど。(しょうがないだろ、密がデカすぎんだよ!186なんて、大概の人類を見下ろしてるだろ。そんなのと比べたら、そりゃぁ178ある俺でもちびっこに見える。)

高校時代は尾行同好会。

これは俺と、あと一人だけが所属していた、学校側には申請しなかった(できなかった)秘密の同好会。

表向きは帰宅部。実際放課後になると、すぐに校舎から出ていたのだから、あながち嘘でもない、はず。

いつも二人で、学校の帰り道に、前もって決めていた人を尾行して、その人の動きを日誌に記録するという、とても楽しいものだった。

でも、この話をすると、みんなに「怖っ!」と言われる。

なんでだ?

健全な活動だったし、別に非行に走ることもない。

ただ、記録するだけ。

ルールもあった。


一、同じ人間を複数回、対象としない。

一、対象者は男性のみとする。(女子だと怖がらせることもあるし、のちのち面倒だから)

一、見つかりそうになったら、その日は活動終了。全力で逃げること。

一、対象者が自宅に帰らなくても、午後6時半になったら、活動終了。(部活動の終了時間だから)

一、土日祝日は、基本は活動しないが、特別な事情があれば認める。例えば、高総体なんかが近くて、高校生みんなが部活動に力を入れているような時期。

一、活動記録帳は、厳重に管理すること。

一、尾行して知った事実は、他言しない。


なんか、懐かしいなー。

思い返してみると、かなり変な活動をしている高校生だったような気もするが、今では笑い話だ。

ちなみに、俺がそんな同好会に入っていたことは、密は知らない(はず)。

本当に内緒の、秘密の同好会だったのだ。



……密は知っているんだろうか、あいつの近況。

……今、聞いてみようか。

ちらりとカウンターの向こうで珈琲を淹れている密を見て、首を振る。

いや、密は意外と勘が鋭いから、怪しまれるかも。

うん、またの機会にしようかな。


いつの間にかテーブルに置かれていたソイラテを口に入れながら、さらに過去に思いを馳せる。

そういえば、いつだったか一度だけあいつを尾行したことがあったな。

なんでそんな気になったのか……。

思い出せないけれど、休みの日にしたんだろうから、きっと春頃だったかも。

あんまりよく覚えてはいないけれど、はっきり覚えていることがある。

あいつを尾行していて気付いたのだ。

その時のあいつは、別の人を尾行していたのだ。

それに気づいたのは、やはり自分も尾行していたからだろう。

特に怪しい歩き方をしているわけではなかった。

例えばよくドラマや漫画に出てくるような、ばれそうになって慌てて電柱の陰に隠れたり、とか、靴紐を結ぶふりをしてしゃがんでみる、とか。

あんなことをしていたら、実際にはバレバレで、アウトだろう。

即、通報されてしまう。


俺は尾行するときは、対象者の背中を見たりはしない。

対象者の靴を見ながら、一定の距離を保って尾行する。

前に、何かの本で読んだのだ。

そうすれば、背中や後頭部なんかの後ろ姿を見ながら尾行するのと違って、対象者は後ろからの視線を感じにくい、って。


この方法はなかなかうまくいった。

今までばれそうになったことは、数えるほどしかない。

その数少ない、ばれそうになった時の状況を今から考えると、原因は、対象者が知り合いだったこと、かな。

やっぱり、普段毎日のように顔を合わせているクラスメイトなんかを尾行するのは、難しい。

だって、俺の家の方向が、明らかにその対象者の方向と違ったりすると、言い訳にも無理が出る。


———そうそう、あの時は、あいつが誰かを尾行していたのを、俺が尾行していたんだった…。

冷静にその時の状況を考えると、笑えてくる。

前をスタスタと歩くサラリーマンの男。その後ろを一定の距離を取りながら歩く若い男。そしてさらにその後ろをつける俺。

……確か、その時あいつに尾行されていたのは、冴えないどこにでもいるようなサラリーマンだった。

休みの日なのにスーツを着て、顔や体型も特に特徴のあるような人じゃなかった…。

そうそう、当時俺は、その対象者を「尾行するのに難しそうなのを選んだな」って思ったんだった。

自分だったら、選ばないな、って。

でも、あいつは選んで、尾行していた。さすがだな、って感心したんだった。


……なんか、いろいろ思い出してきたな。懐かしい。

でも、その日の活動はどうやって終わったのか、正直記憶がない。

休みの日の活動も、普通だったら活動日誌に記入するんだけど、その時は俺の対象者があいつだったから、なんかばつが悪くて、書かなかったし。



当時のことをいろいろと思い出しているうちに、真剣に考えこんでいたらしい。

突然、密に声をかけられて驚いた。

「おい、アタル、アタル!」

「……ん?どうした?」

「どうした、じゃないよ。大丈夫か?なんか、じっと一点を見つめたまま動かなかったぞ」

あちゃー、そうだったか……。

気が付けばアイスソイラテは、氷が全て溶けてしまい、水とソイラテの部分がくっきりと二層に分かれ、グラスの周りには水滴がつき、コースターもひどいありさまだった。

「ごめんごめん、なんかぼーっと考え事してた。ソイラテ、お代わりもらえる?」

そう言って俺は、ごまかすように、薄くなったソイラテを一気飲みした。

うん、おいしくない。

「ねー、ヒソカー、お代わりは、ホットにしてねー」

「ラジャ」

密はちょっとほっとしたように、ホットのソイラテを作り始めた。

その様子を見ながら、俺は気分を切り替えることにした。


ソイラテ飲み終わったら、近くのスーパーで買い物しようっと。

今日のお昼ご飯は、豚キムチ炒めと、みそ汁。

んー、みそ汁の具はどうしようかな。……冷凍庫にアサリがあったっけ……。

じゃあ、アサリの味噌汁かな。簡単だし。

あとはー……ご飯がないからー、パックご飯、買おうかな……。

今から炊いたりする時間、もったいないし……。

豚キムチ炒めにご飯がないとか、ありえないし!

ん、決まり!


すっきりした頭で、改めてホットのソイラテを飲む。

あーおいしい。

やっぱりこうでなくちゃ。

朝に自分で淹れた珈琲もおいしいけど、ここで飲む珈琲は、また別腹。

密もいるし、なんかこの雰囲気好きなんだよな。

本もいっぱい置いてるし。

(読んだことないけど)

窓も大きくて、外の通りを歩いてる人なんかが良く見えるし。

(たまにこっちを見上げている通行人と目が合って気まずいこともあるけれど)

このカフェは、今、俺の一番のお気に入り。



そんなお気に入りのカフェを出て、スーパーで買い物。豚肉のこま切れと、キムチ。

お、キムチ、好きなメーカーのやつがあった。よしよし。

顔がにやけつつ、籠にほかにもいろいろ放り投げていく。

キャベツ、安いじゃん。

トマトはまだ早いけど、トマ玉炒めもいいな。

明日のメニューも決まった!


うかうかしているとバイトの時間も近くなってしまうので、少し早歩きで帰った。


豚キムチ炒め、マジで最高!

オリーブ油で豚肉を炒めて、ついでにキャベツも適当に切ったのを入れて……。

ちょっと隠し味にめんつゆを入れるのが俺のやり方。

そうすると少しだけ甘みもついて、おいしい!

そしてキムチをちょっと多めに入れて炒める。

あー、食欲をそそるいい匂いが……最高!


ふー。お腹がいっぱいになったら、なんだかだるくなってきた。

でも、バイトが……。

しょうがないです。バイトしないと生活できません。

洗い物は帰ってからすることにして、台所までなんとか食器を運んだ。

台所まで運んだだけでも、数時間後の自分は褒めてくれるはず。

だって疲れて帰ってくるのに、食器がテーブルに出しっぱなしなんて、かわいそうすぎるでしょ、俺。

……だったら、食器洗いまで今やれよ。

という心の奥底の声は無視して、俺はバイトの準備を始めた。



俺のバイト先は町の小さな本屋さん。

ツ●ヤとかの大手の本屋さんじゃぁない。

店主のおじさん(佐藤さん、と俺は呼んでいる)が一人いて、店の敷地自体も小さくて、入り口付近に新刊を並べているけど、まったく売る気がなさそうな本屋だ。

何よりも置いてある本のほとんどが、料理に関するものなのだ。

料理本や小説、エッセイも全部食に関するものだけが選ばれて、所狭しと並べられている。

店主の佐藤さんは、たぶん40代くらい?

毎日毎日、佐藤さんは冗談ぽく言う。

「今日もお客さん、ゼロだったねー。来月にはつぶれてたら、ごめんねー(笑)。その時は鹿野君、新しいバイト先、探さなきゃねー」

でも本当は、佐藤さんは利益度外視で趣味でこの店をやっているんじゃないか、と俺は秘かに疑っている。

実際、お客さんなんてほとんど来ないけれど、今つぶれないのならば、来月もつぶれないでしょ、そんな簡単に。


今日もバイトのほとんどの時間を、本棚の整理と店の掃除と、店長との無駄話で終えた俺は、とっとと家に帰ることにした。

そんなに仕事をした気分じゃなくても、実際そんなに仕事内容がなかったとしても、時間給というのは発生するので、有難いものだ。

……正直、佐藤さんには悪いなぁ、と思わないでもなかったが、このバイトを辞める気はない。

だって、楽なんだもん。


「お疲れさまでしたー。お先しまーす」

「おー、お疲れ様。明日もよろしくね」

帰り際のいつもの会話。

夜の8時でバイトは終了。そして、その時間に本屋も閉店だ。



そして、家に帰って、ゆっくりと過ごす、っていうのが俺のいつも。

……だったのに。

今は違う。


今は……俺の一日の本番は、ここから始まる。


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