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其の六…『幽霊の量子化、シュレーディンガーの魚の話:後編』

『二重スリット実験』について、作者はうまく説明できる自信が全くないので『外部の情報』を参照ください(こればかりは本当にもうしわけございません)。

『量子もつれ』………その奇妙な『量子現象(量子の性質)』について『量子属性少女サカナちゃん』が私たちに『わかるようなわからないような説明』をしてくれた。



 例えばここに『二粒の量子』があるとする。それは『電子』でも『光子』でも何でも構わないが、この二つをあたかも『ビリヤード』のようにぶつけると、『二つの量子』は『衝突』したあと『遠くへ飛んでいく』ことになる。『量子』は『存在確率の波』であり『フワフワの雲』のようなもののはずなのだが、『量子同士の相互干渉』で瞬時に『堅い粒』になって互いに弾き飛ばし合うのだ。


 そしてそうなるとこの『二つの量子』は『もつれ』と言う状態になるのだがいったんこれは脇に置いておく。例えば『二つの量子』の内『片方の量子』が『日本から西』へ、『もう片方の量子』が『日本から東』に飛んでいったとしよう。するとこの二つの『量子』は当たり前だがそのまま『どんどん遠ざかって』いき、もしこの『二つの量子』が『地球を一周』するのなら『正反対の方向から同じ場所に戻ってくる』ことになる。


 だがそもそも『大前提』として『量子』は『存在確率の波』である。普通に考えれば『水面を伝わる波の角度』を計ることはできない(一体『波』の『どの点』に『分度器』を当てればいいかわからないため)し、『複数個所に同時に存在できる』ため『どの個所を基準に速度を出せばいいか』もわからないからだ(100メートル先と1キロ先に同時に存在するため)。


 ゆえに『速度も角度も無い』と言う状態になる。これは正確には『不定(速度と角度は確かにあるはずなのだが計測不可能な状態)になる』と言った方がよいらしいが(『0』とは明確に違う)、そうなると『そもそも本当に『互いに遠ざかっている』のか? それだって『不定』になるんじゃないの?』と思えてくるだろう。だが『互いに遠ざかっている』ことだけは『確定』するのだ。これを『量子もつれ』と呼ぶのである。つまり『二つの量子』が『相互干渉』しあって同じ『遠ざかっていく』という『性質』を示すのである。



 ちなみにこの『ぶつかって東と西へ飛んでいく量子』の片方を『観測』する、つまり例えば『日本から西へ飛んでいった量子の運動』を『中国の北京』で『壁』でももうけて『妨害』したり、『カメラ』を設けて『観測』したりする。すると『西へ飛んでいった量子』が『干渉』を受けて『フワフワの波』から『堅い粒』に変化することで『速度と角度』が『計測可能』になるのだが、すると『不思議なこと』に『全く同じ時間』に『東へ飛んでいった量子』も──仮に『カナダのトロント』に到達していたとしよう──『堅い粒』に変化して『計測可能』になるのだ。これも『量子もつれ現象』であり、つまり『東西へ別れて飛んでいった量子』は『どれだけ離れていて』も『互いに影響を与え合う』のである。







 ………と言う風に『前編』では『量子論の概要』を、『中編』では全く話が変わって『科学の歴史』が語られたわけだが、それらの『まとまりのない』、『ごちゃごちゃした話』が『私』こと『やっくんくん』の頭の中で飛び回っていた。



 まず『量子』とは『電子・陽子・中性子』などの『原子』を形作っている『ものすごく小さい粒』のことだ。もちろん『量子』はそれ以外にもたくさんあり、例えば『光』を構成する『光子』などもその仲間らしい。これら『極小の世界』で起こっている『物理法則』を調べるのが『量子論』だ。


 だがこの『量子は小さい粒である』という説明も『厳密にいうと正しくない』のだそうだ。例えば『原子核』の周りを取り巻いている『電子』は実際のところ『粒』というよりかは『空間を漂う波』ととらえた方がその実態に即しているらしい。いや『粒の性質』も持っているのだが基本的には『波』で、つまり『空気を伝わる音』とか『水面を伝わるさざ波』とおなじようなものなのだ。『電子』に限らず『量子』はすべてそういうもので、それがなんか『遠くから見る』と『粒』っぽく見えるだけとか………、


 ………でもやっぱり『粒の性質』も持っているので『光電効果』も起こるわけだ。『アインシュタイン』は『光子は『小さい粒』なので『ある程度以上のエネルギー』で『ある種の金属』の表面にぶつけると『金属原子』の『電子』が『飛び出して』電気が流れるはずだ』と『予測』し、実際にその原理で『太陽光発電』が可能になったらしい………ああ、まあなんだ。『通常は波』だけど『何かにぶつかる時』だけ『堅い粒』になるということでいいだろう。なんでそうなるかって? 『そういうものだから』だそうだ。



 そしてこの『何かにぶつかる』というのが『観測される』ことと『同じこと』らしい。つまり『量子』にとっては『目で見られること』も『手で触れること』も同じ事らしく、『観測される』というよりも『何かの干渉を受けたときだけ性質が変わる』と表現することが正しいとか………だから『光子』も通常は『波』だから我々が目に見ている『光の線』というものはつまり『光子の波』と言うか『光子の雲』のようなものらしい。あれは『粒が小さすぎたり速度が速すぎて帯や線に見えている』わけではなく、『雲状』になっているからああいう風に見えるらしい。


 だから仮に『光子』が『一か所で静止』していても──おそらく『ブラックホールの中』とかでもないと起こりえないらしいが──それは『粒』ではなく『雲の塊』のような感じ見えるとか。そんな『綿あめ』みたいに『フワフワ』したものが『干渉』を受けた時だけ『堅い粒』に変化する『らしい』のである。こういう言い方をすると『変幻自在に自分の形を変えらえるバトル漫画の超能力者』みたいなイメージになって想像しやしかもしれない(知らないが)。


 そしてこの『雲みたい形なっている』というのはもちろん『一個の光子』だけしか存在していない場合でも同じである。つまり『光子を一個ずつ放つ銃』があったとして──これは実際に作れるのだそうだ──銃口から『一個の光子』を発射してもそれは『雲の形』で発射されるのである。でもそれはあくまで『一個の光子』なので『一個分のエネルギー』しか持っていない。


 もちろんこれは『電子』でも同じで、例えば『水素原子』の内部にある『電子』は『一つ』しか存在しないが、それは『雲』のような形で存在しているらしい(電子雲)。これがつまり『電子は複数個所に存在することができる』ことを意味しているわけだ。つまり『原子核の周辺の無数の個所』に同時に存在するから『一個』なのに『雲』になっているということらしい。だが『一個』しかないので『化学結合』するときはちゃんと『他の原子とくっつける『手』が『一本』しかない』のである。


 また『原子核の周りを取り巻く電子の雲』が『具体的に原子核からみてどれくらいの半径まで広がっているか』、つまり『雲が広がる範囲の広さ』はどれくらいなのかと言うと、実は『わからない』のである。どうやらこの『雲』の『範囲』は『かなり広い』らしく、『原子核』から滅茶苦茶離れていても『うっすら』だが『電子雲』が存在するらしいのだ。


 つまり『電子雲』は『原子核』に近づけば近づくほど『濃く』なるのだが、どれだけ離れても『薄くなる』だけで『無くなる』ことがないのである。これが『存在確率』といやつで、『どうやら電子は原子核の周りに『存在する確率が高い』らしいが、『原子核』からどれだけ離れても『存在確率』が『下がる』だけで『0%にならない』というのである。『科学の参考書』には『原子の大きさ』が数字で書かれていることが多いが、あれは『電子の存在確率が最も高い場所』を『原子の外殻』と決めて計測しただけであり、『電子雲』は『原子の外殻の外側』にもうっすらとだが広まっているのだそうだ。


 そしてこのように『存在確率だけがある』からこそ『複数個所に同時に存在する可能性を持つ』ことができるのであるのだそうだ。だがこれが本当に『不思議』で、なぜその『量子』が集まってできている『人間』は『複数個所に同時に存在する』ことができないのだろうか? 


 これはどうやら『人間』が『大きすぎ』て常に『光』や『空気』や『他人』の『無数の干渉』を受けているせいで『一つの状態に固定』されているからかもしれない、『量子重ね合わせ』は『干渉がない状態』では『矛盾する二つの状態に同時になる』ことができるが、『干渉』が起こると『一つの状態』に『収束』されるとう『現象』らしいからだ。『量子重ね合わせ』が身近で観測できないのも『物質』は常に『無数の外部の干渉という変数』を受け続けているからと言えるだろう。この『全ての存在は他から『様々な干渉を相互に与えあっている』』こともとても大事な点だと『サカナさん』は言っていた。『量子の相互作用』というやつだそうだ。


 

 だけど、『でもそれだったら『光』や『電子』も『自然界』に存在する確率があるのなら常に『干渉』を受けているのではないか?』という疑問は当然浮かぶ。そこで出てくるのが『相対性理論』らしくて、『物質は運動することによって『時間と空間』が『変化』すること』と、さらには『ある決まった物質しか『光の速度』で運動することができない』という『法則』が重要になるのだそうだ。


 普通に想像しても『人間』は生まれた瞬間から『運動』というものをしている。自分で動けない赤ちゃんでも親に抱きかかえられて移動だってするだろう。あるいは高い所に行くことも低い所に行くこともあるだろう。それだけで『赤ん坊』の『時間の流れ』は『遅くなったり早くなったり』していて、『空間の長さ』も『伸びたり縮んだり』しているのである。


 そうなれば『赤ん坊』が産まれた時点では『流れる時間の速さ』が『母親』と全く同じであったとしても、一瞬でも『母親』が『赤ん坊』を寝かしてから移動すればそれだけで『時間』がずれる。具体的に言えば『母親』の時間が『相対的』に『遅く』なり、『赤ん坊』の方が『相対的』に見て『わずかに未来の時間』に移動するのである。言ってみれば『タイムスリップ』だ。それでもそれは『コンマ数秒』ではあるわけだが、例えば『コンマ一秒』でも『過去or未来』に移動したのであれば、それは『同じ今と言う時間を共有している』とはいえないことになる。これは『詭弁』でも何でもない、『今』は『この瞬間の『幅』の無い時間』だけをさし『コンマ一秒』でも前の出来事ならそれは『過去』、逆なら『未来』だからである。



 人間は決して『自分の過去』に時間を遡ることはできないし──当然『コンマ一秒』でも『過去』に『タイムワープ』することなどできるはずがないのだから──つまりこの時点で『赤ん坊』と『母親』は『違う時空に居る』ことが『判明』するわけだ。そして『違う時空』にいるということは、それは『同じ現実を共有していない』ことに他ならない。勿論これは『父親と母親』、『父親と赤ん坊』でも変わらない。


 でもそうはいっても『赤ん坊』と『両親』は互いに触れ合って共に生活することができる………それは『両親』と『赤ん坊』それぞれの『現実』が『相互関係』にあるからである。『全く別物』だが『深く関わっている』のだ。だからお互いの『現実』は『判別不可能なほど近似』になるのである。だがそれでも『似てる』だけで『全く別物』であることには変わらない。別物だが関わり合うことはできるというだけで、『深くかかわること』と『共有すること』は全く違う。その間には『絶対に越えられない時空の壁』がそこにあるのだ。



 そして、この時点で『時間と空間』は『漠然と私たちが思っていたもの』とは『全く違う形をしている』ことがわかってくると思う………だから『量子論』や『相対性理論』を考える際は『時間と空間のイメージ』の『固定観念』を一回完全に『取っ払う』必要があるのだそうだ。まず『量子重ね合わせ』や『量子もつれ』が起こるということは『現実の空間』が私たちが『漠然とイメージしていた性質』とは『全く違う』ことを意味している。『距離』と言うものは『絶対的』ではないからいくらでも変化する。だが『光の存在する空間』には『私たち』は『絶対に到達することができない』………どういう意味か? これは『相対性理論』の『光速度不変の法則』を考えるのが一番いいそうだ。



 例えば『スピードガンを持った人』が『静止状態』で『右から左へ走っていく車のスピード』を計ると『スピードガン』には『時速60キロ』と表示され、同時にその車の『スピードメーター』も『60キロ』となっている。おおよそ『ニュートン力学』が想定する『速度(絶対速度)』とはこの時の速度を指しているらしい。


 だがもし『スピードガン』を持った人が『時速30キロ』で走る車に乗っていて、『同じ方向に走る時速60キロの車』を計測したら? その『スピードガン』には『時速30キロ』と表示されるが、計測対象の車の『スピードメーター』は当然ながら『時速60キロ』だ。これは別に『スピードガン』の『計算ミス』でも『どっちかが間違い』でもなくどっちも『正解』である。つまり『速度』とは『誰から見るか』によって変わるというだけだ(これは中学の理科で聞いた記憶がある)。これが『相対性理論』が記述する『速度(相対速度)』であり、先に述べた『皆は時空を誰とも共有していない』の着想の原点となったらしい。



 だが『光』だけはこの『相対速度』の法則を『無視』しており、『静止している人』が『光』の速度を計測しても『秒速30万キロ』、そして『時速60キロ』で動く人が同じ方向へ進む『光』を計測してもやっぱり『秒速30万キロ』になる。『時速60キロなんて差が産まれても光から見たら誤差だろw』と思うかもしれないが、これは『秒速15万キロ』で移動する人が『スピードガン』で計測しても同じだし、『秒速30万キロで移動する人』が『どの方向へ進む光』であろうと関係なくその『光』を計測しても全く結果が同じになるのである。



 つまり『秒速30万キロ』で走れる人間が『光』と『レース』をすることになって『同時にスタート』するという『思考実験』する。『よーいドン!』で両者が走り出して両者は全く同じ『秒速30万キロ』で走っているはずである。だが『光』は『秒速30万キロで走る人間』を『毎秒30万キロ』ずつ突き放して前へと走っていくのだ。だがその『光』に『秒速30万キロで走る人間』が『スピードガン』を向けても『秒速30万キロ』と表示され、『観客』が計測しても同じ。そして『光』がもし『車』に乗っていたらやっぱり『スピードメーター』は『秒速30万キロ』となっているのである。つまり絶対に『光』に追いつくことができないのだ。これだと完全に『怪奇現象』である。だがこれは『現実』に実際に起こることなのだそうだ。



 そしてこの『光速度不変の法則』に『量子論』を組み合わせると『光は『秒速30万キロで移動する時空』に存在しており、我々とは『時空』を全く共有していない。つまり『光』は『相互干渉』によって『人間の目』と『干渉しあって』いるが『同じ現実には存在していない』ということになるのである。『走り屋』は『スピードの向こう側には別世界が広がっている』なんていう(かもしれない)が、その言葉は『科学的』であるというわけだ。本当に『万物』は『運動』すると『別世界』に飛んでいくのである………なんじゃそりゃ(困惑)、『狂人の発想』じゃないかこれは???(理解不能)



 つまり『現実』は『光』に限らず、『全ての存在一つ一つごと』に『現実(時空)』が存在し、しかもそれは『量子重ね合わせ状態』になっているので『観測されなけれ』ば『複数個所に同時に存在』し、『観測される』と『一つの現実に収束確定』することになる………『現実』が『存在する場所』ってなんだろうか??????(わからない)


 分からないのならもうそれは『そういうものだと受け入れるしかない』とするのが『量子論』だそうだ。そしてその『個々の時空(現実)』は常に『不規則』に『運動』していて、そして時に『二つ以上の現実』が『ぶつかり合う』ことで『量子もつれ』を引き起こし『複数の独立した現実』が『判別不可能なほど近似』になるのである(日本語が破綻してないか?)。


 こういったことから私たちの『現実』はどうやら『粒々っぽい(量子)』のだ。そしてその『粒と粒の間』には『非因果領域』とされる『万物が一切因果関係を持てない時空』が存在するらしい………これは『数式』で導き出されただけなので『観測』されているわけではないとか………もう好きにしてくれ(思考放棄)。




 ………と、ここまで『量子属性少女サカナちゃん』が話したところで『昼休み終了五分前』の『音楽』が流れてきたので彼女は話をやめたのだった。


「…………今の話は『量子論』のほんの『さわり』だよ。『量子の奇妙な性質』はもっといっぱいあるんだけど、とても全部語り切れないから今日はここまで………でも『現実ってこんなに不気味で意味不明なんだ!』っていうサカナちゃんの『感動』を二人が『共有』してくれればそれで今日の目的は果たせたかなって思うよ」とサカナさん。



「はぁ………(目が回っている)」と私。

 

「…………つまり『サカナちゃん』が言いたかったことは『科学がこんなにも不気味なんだから怪奇現象なんてそれに比べたら全然、てんで馬鹿馬鹿しいものだよ』ってこと???」と柚葉さん。


「違うよ、むしろ『逆』。『現実がこんなに『意味不明』で『奇妙』で『ありえないもの』なんだから『怪異』が『特別奇妙で不気味であり得ない』ってわけじゃないってことだよ。だからきっと『怪奇現象』は『実在』するってこと~♪ もしそうならきっと『幽霊』はサカナちゃんと同じ『量子』で構成されてるはずだよねぇ。うぷぷぷ、いずれは『科学者』になって『霊子(霊量子)』を発見してやるんだよ~♪」とサカナさん。



 彼女はそう言って『上機嫌』で出て行った。普段はもっと『ダウナー』な感じなのだが、どうやら『量子論』の話だと『テンション』が上がるらしい。こっちはもう疲れて『へとへと』だけどね………(笑)。


 前回と今回では『参考文献』として『空間は実在するか(橋元淳一郎著 インターナショナル出版)』と『質量はなぜ存在するのか(橋元省二著 講談社)』と『実在とは何か(アダム・ベッカー著 吉田三知世訳 筑摩書房)』も参考にしてます。大変読みやすくてこちらもおすすめです。

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