4:襲来
2019年 12/20
順番間違えてたので割り込み投稿しました。
「ほら早く!おいてくよ!」
「姉ちゃん待ってー!」
石蕗の道案内をしている最中、自転車を漕ぐ小学生くらいの姉弟とすれ違った。
ほのぼのとした微笑ましいやり取りに、思わず顔が綻ぶ。が、同時に呼び起こされた姉との記憶が表情筋を凍りつかせ、瞬く間に俺の頬から笑みを霧散させていく。
蘇った記憶は、同じように自転車で出かけて、日が暮れてから帰って父さん達に怒られたとある日の記憶。
それは懐かしくも虚しい、もう戻らない日常。
「あれがなけりゃ、今頃」
皆、生きていたに違いない。拳を握り締めながら当時の記憶を悔やみ、唇を噛み締める。
あの時、俺が早く帰っていれば。
あんな穢れた力を持ってさえいなければ。
そもそも、この世に魔術なんてものがなければ。
「……分かってる。何もかも、分かってんだよ」
たらればを述べても不毛でしかないことも、当時十二になるかならないかの子どもに出来ることなど、たかが知れているということも理解はしていた。
だが、思考をやめられるかと問われたら否だった。
「竜胆、くん?」
「……いや、大丈夫だ。さて次は──」
思い出したくない記憶によって強ばった表情を誤魔化すように足を踏み出した瞬間、遠方から地響きのような音が響く。
否、音で気づいたというよりは空気が振動する感覚で気づいた、という方が正しいかもしれない。
四年前のあの日を境に、力と共に五感が研ぎ澄まされた。小さな空気の揺れすらも敏感に感じ取ることが出来るようになってしまった自分の身体に溜め息をつき、隣の同級生に目をやる。
「……っ!予想より早い……!?」
隣の少女の何かを知っているかのような言動に違和感を持ちながらも、目線の先を追いかける。
その先にあったのは、間違いなくたった今響き渡った轟音の音源地に他ならなかった。
「……石蕗。お前まさか」
意図せずして震える声。
それが、偶然か必然かは分からない。
だが何度見ても、少女の目線は今の今まで俺が見ていた方角へと注がれていた。
「まさか……竜胆くんも?」
しまったと口を噤むも時既に遅く、君も同じなのかと言わんばかりに見つめられる。
あまり人に知られたくない事実を知られたことに唇を噛み締めていると、小さく微笑んだ石蕗は小さく首を横に振った。
「大丈夫。私は敵じゃないよ」
言葉の意味が分からなかった。
敵じゃない、その言葉の意味は何なのか?
一体この街で何が起きようとしているのか?
浮かび続ける疑問を推敲することなくぶつける。だが同い年の少女は答えることなく、俺の肩に手を置きながら諭すように語りかけてきた。
「早くここから逃げて」
「は?」
「このままだと危険なの、多分奴らは竜胆くんのことを——」
「ちょっと待て、まず説明をしろ!さっきの地響きは一体なんなんだ!?そもそもお前は──」
何者なのか。そう問おうとした瞬間、凄まじい地響きと共に大地が揺れる。
それが着地による衝撃と悟ったのも束の間、大きな影が一瞬にして俺達を覆う。
尋常じゃない大きさのそれが伸びる先は、背後。
「サイクロプス……!」
恐る恐る振り向いた先に佇んでいた一つ目の巨人の通称を読み上げる。
日光を遮るほどの巨漢はじっとこちらを見つめていたが、やがて不気味な笑顔をその大きな顔に浮かべた。
途端に襲いかかってくる名状しがたい薄気味悪さに全身の毛がよだつ感覚を覚える。
早くどこかに行け。
俺のことを見るな。
ここから出ていってくれ。
そんな俺の願いは、様子のおかしい巨人には当然通じるはずもなく。
ゆっくりと振り上げられた棍棒は、確かに俺達の元へと振り下ろされる。
「冗談はその目玉だけにしろよ……!」
捨て台詞にも似た愚痴。紡ぎ終わらないうちに叩きつけられた巨木の鈍器は、また一度大地を強く揺らした。
本来ならぐちゃぐちゃに潰れて即死。
だが実際は圧死するどころか俺の四肢には一切の外傷がなかった。
いつの間にか包むように展開されていた、光の障壁によってしっかりと守られていたからだと悟るのにそう時間はかからなかった。
「形質変化!!」
その中心にて両手をかざし、障壁を形成していた少女の気合いの一声が迸る。それを合図に障壁はみるみる凝縮し、勢いよく放出される。
強烈な衝撃波へと姿を変えたそれは、俺達を叩き殺さんとしていた邪悪な巨人を派手に吹き飛ばした。
大きく吹き飛ばされた巨人は呻き声をあげながら背中から倒れ込んだ。即座に起き上がってくるかと思ったがそんなことはなく、倒れ込む巨躯から小さく黒い煙が所々から上がっているのを視認する。
魔獣の皮膚を焦がす程の力。火の魔力かと一瞬考えたが、先程の光の障壁はどう考えても荒々しい炎が生み出していたものではなかった。
「浄化だよな。それ」
黙っててごめんなさいと申し訳なさそうに頷く石蕗を見て、俺の仮説が正しかったことが証明されてしまった。
『浄化』。それは、回復や補助を得意とする白魔術師に最も適しているとされる力。
傷の治癒だけでなく「悪しき者を祓う力」として攻撃魔術にも転用出来るという、まさに「万能」な力を彼女は所有している。
「……っ」
何となく悟っていたと言っても、同い年とは思えないほど強力な力を所持した少女の強さに息を呑む。
立て続けに起きる不測の事態に動揺する俺を見た石蕗は安心してと言わんばかりに小さく頷き、前に向き直りながら右手の指を三本立ててこちらに見せてきた。
「今の私には、これが精一杯です」
いつの間にか戻っていた敬語に気づくことなく思考に耽ける。
三分。
それが俺に与えられた「逃亡の猶予」だということは容易に想像がついた。
確かに三分もあれば、土地勘に優れた俺なら子ども二人を連れていてもそれなりに遠くに逃げることが出来るだろう。
だが、問題はそこじゃない。
「……お前はどうするんだよ」
「ここで奴を食い止めます」
その言葉を聞いて、この少女が命を懸けようとしているのだと悟った。
数十分ほど前に知り合ったばかりの男と、たった今すれ違っただけの幼い姉弟をを救うために、その若い命を投げ打とうとしている。
それに気づいたことで動けなくなりつつあった俺を見つめながら、石蕗は口を開いた。
「逃げて、竜胆くん」
「……っ」
「早く!!」
出会ってから聞いた中で最も強く張り上げられた彼女の声が鋭く耳を突く。
「クソ……ッ!!」
分かってる。
今の俺がいても邪魔だ。
こんなところで無駄死にするくらいなら、この姉弟を連れて遠くに逃げた方がいい。
そんなことは、言われなくても重々承知している。
「……行くぞお前ら、絶対手を放すなよ!!」
突き飛ばされるように動いた俺は、すぐそばで震えていた姉弟の手を引っ張りながら駆け出した。
いつの間にか意識を取り戻し、再び身体を起こしたサイクロプスが、全てを押し潰さんと動き始める。
けたたましいなんてレベルじゃない大きさの足音は二度、三度と地を鳴らし、大きく揺らす。
あの場に残った少女は、果たして無事に生き残れるのだろうか。
「振り返らないで!!」
割れんばかりの叫びに、後ろを向こうとしていた首を無理やり前に向ける。
走れ。そうしなくては、あいつが稼いだ時間が無駄になる。
それに俺は戦うのが嫌いだ。こうやって逃げれば、力なんて使わずに済む。
「これでいいんだ。これで……!」
自分に言い聞かせるように呟き、俺は小さな姉弟の手を引いて走り続けた。
逃げることへの罪悪感と、戦うことへの恐怖に押しつぶされそうになりながらも、懸命に足を動かし続けた。