1.7
「はい、今日お休みをいただきたいのですが」
携帯の奥から上司の声が聞こえる。
流石に渋られるかと思ったが予定通り上司から「とっとと有給を消化しろ」という返事が来たため俺は今日は自由になった。
まぁ、会社に行ってもミスが多い俺が休んだところで会社は困らないだろうが。
以前の案件はとんでもないいざこざだったな、と数か月前に俺が起こした大失態を他人事かのように懐かしむ。
さて、言わねばならないことも伝え、とりあえず俺は偽造工作を行う事にした。ここにいる医者にばれないように抜け出さなければいけない。
と言う訳で、適当な物を丸めて布団の中に入れておく。こんな手段を使って病院から抜け出すバカ野郎がこの世にもいるってことを経験して欲しくて抜け出しました、なんて言えば何とかなるだろうと思っていない。
世の中そんなに甘くないってことは俺自身も良く分かっている。
笹木さんには関わらなくてもよいと言われたが、実際にお願いしてきたのは「彼女」からのお願いである訳だから俺が今回の件から手を引く事は出来ない。
屁理屈だろうが屁理屈も理屈である。
しかしながらこんな屁理屈も小学生の何時何時何分に相当するだろう面倒な屁理屈だ。誰も相手にしたがらないだろう。
今更独りでいる事に不満や不安を感じているわけではないし俺にとってみれば今更なのだが。
あとは今着てる病院服を何とかしなければならない。時間はかかれど地域内ということで、早めに病院を抜けアパートに戻ることにした。
朝とは言えど時間で言えば社会人学生は登校や出勤をしている時間だ。そしてそんな中に病院服の患者が町をさまよう。見つかれば警察への電話は免れない。
別に怪しい人ではないのだが、なぜこうも普段とは違うだけで自分が悪いみたいな空気が自分の周りを包み始めるのか。自意識過剰か、それとも俺にもそんな意識があるのか。
仮にそういった意識があるのであれば「一般的な感性」を持っていると言えるのかもしれないが、俺の過去の出来事を思い返せば常識や感性に縛られていてはどうしようもできない出来事はたくさんあった。故に俺のこの行動は過去の出来事に基づいての行動。
と逃げの理由を頭の中に染めながらもこそこそとアパートまで歩く。
アパートに入った瞬間にもうここで胡坐で座り日向ぼっこをして観葉植物を目指してもいいんじゃないだろうかとも思ったが、ここで再び「彼女」との約束を破ってしまえば怒りのメーターを超えた「彼女」と見事に騙された笹木さんが俺を殺しに来るだろう。
さっさと着替えて行かねばらなない。
本来であれば休みの日の朝は誰にも迷惑にならない独りで二役の討論を脳内で行い、日が沈めば夜の散歩という充実した時間を過ごしていたというのに、ここまで今回の件で時間を取られるとは思ってなかった。完全に舐めていた。
過信とまではいかないにしても、この町にあんな人がいるとは思ってなかった。
シャツとズボンに着替え病院服をアパートに置く。
前の入院先の病院服はどうなったか俺自身も定かではないが、今更ながら施設の服を気軽に汚すわけにはいかない。
本当に今更だけど。
着替えを終わらせ財布と携帯の所持を確認してアパートを出る。
処置をしてもらった傷はいまだに鈍い痛みを発してるが、着替えただけでもこうも気持ちが変わると痛みも紛れるだろう。たぶん。
「5分前行動を知らないのか?「案山子」」
スーツを来た「彼女」に怒られる俺。
遅刻した。
おっかしいな。俺が指定した場所がまさか店舗改装以外にも場所移動をしていたとは。
たどり着いていれば雑草の住処に変わって、不思議に思って調べてみればこのざまだ。どうやら店舗改装をしていたらしく俺の記憶にあったお店の雰囲気はアンティーク風なのが変わりロイヤル感の出た綺麗なカフェに変わっていた。
カフェでロイヤル感って新しいが客足減るんじゃないのか?とも思ったがそれこそ偏見かもしれない。
別にこのカフェには思い出などないが、それこそ昔に個人的に一回だけ行った事のあるお店だったという事で今回の集合場所にした。
ダンディなおじさんが完璧にスーツを着こなす良い雰囲気であったが、また来ようと思えるお店ではなかったので行かなかった。個人的に。
「すいません、知ってます」
仕事でもないのに下を見て謝る俺。もはやこの構図は上司と部下に見えてしまうだろう。
「とりあえず、お店入りますか?」
「前回と今回で私は「案山子」から2回も騙されている訳だが?」
奢れと。
「朝食は奢らせていただきます」
財布を持ったのは前回の約束を守れなかった事に対するお詫びだったのだが、いや持ってきておいてよかった。
お店に入ってみれば内装も変わっていた。
それこそ初めて入るお店のような、お店のように感じる。
「いらっしゃいませー」
茶髪の若い店員に席を案内してもらい俺と「彼女」は椅子に座る。
俺はコーヒーを注文。「彼女」はセットメニューを頼んだところで俺は彼女に話を聞く事にした。
「で、調べていたという例の人なんですけど」
「うん、調べたよ。それなりにいろいろと出て来たけど」
彼女は持っていたバックの中からファイルを取り出し渡してくれた。薄いファイルの中には今回の件のストーカーの生い立ちが入ってる。
「しかし、「案山子」。君は一体何を考えてるんだい?私はね、今のストーカーの住所とか働き先とかを調べようとしてただけで、生い立ちなんて調べるつもりなかったぞ」
それだけでは甘い。
受け取ったファイルをめくりながら「彼女」の話を聞く。
彼女の情報収集力は流石だった。俺が昨日の電話で伝えた調べてほしい事を調べてきてくれている。
まぁ、彼女の探偵という職を使えば難しくはないだろうが。俺の最低限欲しかった部分はある。
「いえ、そこまで追い詰めないと難しいと思います。暴力で何とかなる世間であれば北斗の某よろしく世紀末の人達は何で死んで逝ってますか?自分達よりも強い人達にやられてますよね。
ならば、俺達もあの暴力よりも上の力で押しつぶすんですよ」
ストーカーの家庭事情。
過去にあった日常生活で起きていた出来事の詳細。
そして数年前に起きたストーカーの家の大きな火災。
そしてその火災後に起きた児童の誘拐事件。
「ストーカーを止める案を練るんです。幸いな事に被害者の家を俺は知っています」
「それどこで知ったんだい?」
「まぁ夜に散歩してたらたまたまですよ」
「彼女」は大分俺を睨みつけていたが、ため息をついた。「彼女」は俺がどんな性格なのかを知っている。どうせ本当の事を言わないと察したのかもしれない。
「まぁ今ここで「案山子」を問い詰めても何かが変わるわけではないな」
ここで二人分の頼んでいたメニューが来た。
コーヒーカップから立つ湯気が俺の眼の前で揺れる。
「彼女」はカップを持つ。着ている服のおかげかその姿は似合う。
対して特に意識をしない服装で来た俺。やはりカフェという場所は人を選ぶ場所だ。大人しく似合う場所に立ち寄るべきなのかもしれない。
まぁ飲食のチェーン店とか。
「で、どうするんだい?」
カップを持ちながら「彼女」は俺に尋ねる。
「そうですね。時間も限られてますしとっととダメージになるようなモノを絞って聞いて見ましょうか。まぁこのストーカーは家庭問題で大変な事にあったようですし。血縁でも知り合いでもとりあえず訪ねて見ましょうか」
ファイルに挟まっていた一枚の用紙。中にはストーカーの血縁関係に当たる人達の名前と現在の住所。
さらには当時の知り合い数人分の情報がそこには書かれていた。
「それにしても、あんたもよくここまで調べる事が出来ましたねぇ。探偵としての腕っ節ですか?」
「まぁ、そうだよ」
普段とは違う、明言はしても自信がない。そんな返事を「彼女」はした。
「安心してください。俺はあんたが調べたこの情報を疑ってはいませんよ」
「疑うな、自信あるんだから。」
吐き捨てるようにそう言うと、「彼女」は食事を口にし始める。
セットメニューはとても美味しそうなのに、「彼女」はしかめっ面のまま食事を続けていた。