1.5
昔々のその昔。
そんな感じがする数年前。
あたしを受け入れてくれた小さな女の子。
名前も顔も分からないあたしをお姉ちゃんと受け入れてくれた。
春の夕方。日が落ちると少し寒くなる今と似たような時。
あたしはその瞬間が忘れられなかった。
そして離れるのが嫌だった。
受け入れてくれるなら近くにいてくれてもいいじゃないかと。
だからずっとそばにいて欲しいと言っただけなのに、本心を言えば皆離れていく。
でも本心は言わないと伝わらない。だからあたしは言い続けた。
いろんな子に、言い続けた。またあたしを受け入れて、受け止めてくれる子を。
あたしは犯罪をして回ってるんじゃない。
ただ探し回ってるだけの1人の女なんだ。
受け入れて抱いてくれる暖かい人を求めてるだけなんだ。
「しかしながらそんなのは言いわけにすらならないのですよ」
俺はべらべらと独り言のように喋りストーカーと相対する。
ストーカーは変わらずパーカーの服を着てフードをかぶっている。口元も変わらずガスマスクのようなものを付けている。
しかし昨日とは違ってどこか精神的に不安定な所が見えた。
そんな理由は知った事ではないが、これをチャンスとするか否とするかは俺自身の問題になる。
「金井未知」は話をした通り俺が出て来てすぐに公園から出て行った。
特に不都合なことでもない限り、彼女は無事家に戻る事が出来る。
さてさて他人のことはここまでにしておいて、問題は俺だ。
手には何もない。これがゲームの世界ならば真っ先にスライムにでも殺されているだろう。
勇者は勇気と武器と人望を持って初めて勇者となりパーティを組めるのだ。
この世界が世紀末の世界ならばストーカーの言葉も命を持ったのかもしれないが、残念ながらこの世界ではこいつは社会不適合者だ。
人の事は言えないが。
このストーカーが過去に何をやってきたのかは知らないが、自分の欲を晴らすために犯罪に手を染めるなんてのは許されない、と法律で決められてしまっているのだ。ルールには従って貰わないといけない。
「あの子は特別な子なの。実際にあんな見た目をしているじゃない。それはあたしの元に来るために産まれて来たってこと」
「違いますね。あなたが求めている人は特別でも何でもありません。人に特別な存在なんてのはありません。少し違うだけ、それだけなんです。あなたはただ自分の都合のよい妄想を現実にしようとしているだけなんです」
俺はストーカーの発言をすべて否定する。
「違う。
違う。あたしに救いはあった。救われた。
じゃあなんであたしは生きている?それは救われたからからに決まってるでしょ」
カチカチという音が聞こえた。
ストーカーは新しい武器としてカッタ―を持ってきていた。
流石に脂汗に塗れて立っているのすら精いっぱいの俺には避ける事すらもう難しい。
ここで出来る選択は今ある力で全力で避けるか、意識を持つ事を願って受け止めるかだ。
仮にここで全力で避けたとしても俺はたぶん座りこんでしまうだろう。座りこんでしまうというのは相手を有利にしてしまう状況に繋がる。
それはつまり、自分は動けませんと言っているようなものだ。
となるならば、意識が持つ事を願って受け止めることになるのだが、正直これしか残っていないだろう。
最初にストーカーと相対した時に武器を奪うためとはいえ無暗に体を張ってしまうんじゃなかったと後悔している。
本当ならば、「金井未知」を生贄にしてしまえばこんな問題さっさと解決できたというのに。
金井雅の娘ってだけで話しかけたくもない存在だというのに。
ジャリっという砂を踏む音で俺の思考は現実に戻された。
あと数歩近付かれたら俺は覚悟をしなければならない。
死ぬ覚悟でも十分だが、生憎ながら俺は死なないように努力するという約束をしてしまっている。約束をしてしまっている以上破るわけにはいかない。
俺は再び言葉を吐き出した。
「なぜあなたが生きているか、それはそうなるべくしてそうなったんです。誰かに救いを求めるだなんておかしな話です。あなたは今まで誰かに救われた事がありますか?
攻撃はされても、守ってはくれず。そんな経験はないですか?」
ストーカーは目の前まで来ていた。
どうせここで刺されて意識を失ってもまた眼を覚まして世の中の理由に振り回されながら生きる人になるのだろうから。
「例えば、砂漠で行きぬく羽目になったり、雪山に放り投げられたり、見知らぬ洞窟に閉じ込められたり、そんな面白い話にありそうな場所で生きた経験はありますか?」
なにもかも。だれもかれもが。
神様、悪魔なんてものに責任をなすりつけて現実を見ない。
そんな物は存在しないと分かっているのにそう言う風にしないと自分を保てない。
吐き出し先がないから、八つ当たりする物を見つけて吐き出さなければ自分が追い詰められると分かっているのに分からないふりをして人生を歩む。
受け入れてしまうという道を選ばないのが不思議だ。
このストーカーも、そんな人なのだろう。
ストーカーは握っていたカッタ―を振り上げた。生きるか死ぬかなんてのは二の次だ。
誰でも死はいつか迎える。
皆死が怖いのは予想できないからだ、痛みが嫌いだからだ。
俺はストーかーの眼を見る。
「ストーカーさん、お聞きしたいのですが。その深くかぶっているフードの下は一体どんな傷跡があるんでしょうかね?」
カッターが振り下ろされた。
左胸付近を刺されたようで衣服が切れ血がにじんできた。
痛みは勿論ある。案山子と言えど生き物であれば痛みはあるはずだ。自分が感じているかそうじゃないかというだけで。
俺はカッタ―が振り下ろされた時にストーカーのパーカーのフードを握っていた。
そのフードを後ろに飛ばす。
ストーカーの頭は部分的に髪の毛がなく、皮膚が赤黒くなっていた。髪の毛が生えてる場所もあったので恐らくは火傷の傷跡だろう。
髪の毛はまとめてあったようだが、これじゃどれだけ伸ばそうが、隠しようがないぐらいの傷跡だ。
首もとの横の皮膚は絞められたように部分的に変色しており、所々にケロイドがあった。
切られたか、切ったか。
「おやおや、これはこれは」
俺はおどけた様に、語り口調でストーカーに話す。
「やけど跡ですか?熱いとかじゃ済まされませんでしたよね?まったく女性ありながらこんな傷跡が残ってしまうなんてのは一体過去に何をされたのやら」
刺さっていたカッターに力が込められる。
「あんたには分かりはしない。いろんな人に言われたけど誰も皆腫れものを扱うようにしてきやがって、あたしが普通じゃないのことは知ってる]
カッタ―が引き抜かれた。勢いよくではないものの血が少し噴き出す。
痛みが増し脂汗が増えた。服が絞れるかもしれない。
「あんたみたいな人はさっさと死んでしまえばあたしのやりたい事も出来るってことよね」
ストーカーの眼を見た。その眼にはさっきに比べて明らかに殺意が込められていた。
「あんたは異常者。あんたは異常者なんだよ」
引き抜いたカッターがまっすぐに突き出される。
それは俺の左首もとをかすれるようにして通りすぎ、皮膚を切り裂いた。痛む場所が増えたが、それよりもどうやら俺は選択を間違えてしまったようだ
まぁ、俺が意識を失ったらもしかしたら見逃してくれるかな。死体になっても刺し続ける人でないことを祈ろう。
埋葬されるなら綺麗な姿でいたい。
ストーカーは再びカッターを振りかざそうとしたところ、なにやら公園周辺が騒がしくなってきていた。
パトカーのサイレン音だ。
ストーカーはパーカーのフードをかぶり俺の前から去って行った。この時ばかりはその素早い行動力に感謝するしかない。
俺はその場に座る。
実のところ体力の限界だ。
警察の厄介になりたくはないのだが、もう自力で立ち上がる事も出来ない。
パトカーのサイレン音は未だに続いているが、音の位置が変わらない。
流石に不思議に思い俺は公園周辺を見渡す。バッグをぶら下げたスーツ姿の女性が歩いてきた。
知った顔だ。
「君は一体何をしでかしたんだい?」
笹木さんだ。
「君の病室に寄ろうとしたらいないものだから探し回ってみたらこれだよ。運が良かったね。あたしがここを通りかかってなかったら君はどうなっていたことか」
死んでいただろう。
でも、死ぬだけだ。
「申し訳ないです、笹木さん。今日のこれについて内密にお願いしたいのですよ。出しゃばってしまったことは謝罪します」
「その返事は一旦置いておくとして、まずはここから離れよう。本当のポリスの方々が来て君を見たら依頼も失敗に終わってしまうかもしれないからね」
「本当というのは?」
笹木さんはバッグの中から鳴り響くスピーカーのような物を取り出す。
「こういう物もあるってことさ。まずはとっとと移動するよ」
笹木さんの肩を借りて立ち上がる。
「汗びっしょりじゃないか君」
「ちょっとスポーツを頑張りすぎましたかね」
血が出る程度のスポーツだ。学園の鬼コーチの指導に比べたらこれ程度自分でどうにでもなる。
最後のは嘘だ。