1.2
朝。
朝である。
人々の活動開始をお知らせする時間帯である。
ま、一部の人からすれば睡眠の始まりでもあるが。
そんなことはどうでもいい。
朝日を浴びるというのは、目覚めるためにいちばん効果的らしい。
しかし朝起きてカーテンを開けて背伸びをするなんて行為はカーテンのないアパートに住む俺にとっては無縁の行為だし、そんな朝起きたてでシャキッとしている人は今どきいないだろう。
俺もその仲間の一人な訳だ。
布団と言う唯一の安らぎ場所からも体を起して活動を起こさねばならない。
こんな拷問があってたまるものか。
しかし、しかしながら誰しもやらねばならないことはあるのだ。
今日の俺のように。
「あー、嫌だ」
世界とは、地球とは、時間の流れとは。
実に残酷だ。
意識しない俺の口から言葉が漏れたではないか。
探偵事務所に向かう時間までだいぶ時間がある。それまでに行かなければいけない場所がある。
今回のストーカーの件。俺が関与しているって分かってしまった場合、あの探偵二人に怪しまれる事間違いなしだ。
怪しまれる分には構わないが、そこから探られるのがマズイ。
「あぁ...行くか、うん行こう」
依頼者金井の元へ。
「金井 雅」。
彼は金に物を言わすいわゆる富豪である。
しかし表立っての富豪ではなく、拠点をあちこちに置いて株やら物流で金をもうけている成金である。家だって大豪邸ではなくいたって普通の民家であるところが謙虚というところか。
運が良かった男である。
そしてやっている事は真っ当な堅気の仕事であったりするので、怨まれたりはしないが、俺個人に対して金井は貸しを作っている。
そして彼は貸しを作ったらすぐ返すという性質の人間だった。
過去の事なんか思い返したくもないがちょっとしたことに片足入れたら全身巻き込まれたぐらいのことであると思ってもらえれば良い。
忘れたくても忘れられない、でも忘ることができない。そんな記憶の一つや二つだれでもあるだろうしな。
そしてこれもまた奇跡的な確率の不幸である。
正直な話をするならば。
俺がここに引っ越しをしてから風の噂で富豪がこの近くに引っ越してきたなんて事を聞いた事がある。
まさかと思って試しに足を運んでみればそのまさかだった訳だ。俺は初めてかもしれないぐらいに運というものと縁を切りたくなったのをかすかに覚えている。それでもまぁ会わないだろう、関わりを持つ事はないだろうと思っていたのだ。
なのにこれだ。
俺は依頼者の名前を見た時。
俺は思わず手を顔に当てたくなった衝動に駆られた。
そういうことだ、それぐらい面倒を過去に押し付けられたことがあるということだ。
そしてその男の娘の被害事に俺が関与しているというのがばれてしまうと金井からも、「彼女」サイドからも俺は変な探りを入れられしまう。
片方からは俺の行方について、片方からは俺の過去について。
他人の過去なんか知って何が嬉しいのやら。
俺の行方なんか知って得するのか。...まぁ金井からしたら得はするだろうけどもさ。
実にメンドクサイ。
面倒がこうやって連鎖してしまうとは、なんて理不尽な事か。
人助けのつもりで助けたら冤罪をかぶらされてしまうなんてことがこの世の中あるぐらいだ。そら誰でも善意で人を助けたいなんて思う人がいるものか。
ちなみに俺は過去に「彼女」に
「なぜ、警察、消防士などの人を助ける人達が存在しているのか俺は知っている。
彼らは人の為になる事をするために就いたのではなく、安定した職業だから就いたんだと俺は予想してる」と言うと彼女は
「クソッたれ案山子が」
と暴言を吐いてきた事がある。
まぁ、全員が全員ではないのは分かっているが、可能性としてあるって話をしたかっただけなのだが、「彼女」曰く
「そういう発想がある時点でクソッたれなんだよ」との事だ。
当時の俺は心底不思議に思ったが、結局その真意は分からぬまま会話は終わった。
恐らく人情的なものだろうか。しかしそれを俺に伝えるのは難解だ。
しかし、しかしだ。他人への関心がない俺がそういう考えを持っていると自覚できるのは、個人的に素晴らしいのではないだろうかと他人事のように評価をして、そしてそれらも今になるまで忘れてた。
そう、忘れていた。
それまでの価値、その程度の考えの浅さ。
我ながらよく社会になんとか溶け込めているもんだと他人事のように思う。
「ここを曲がる、と」
独り言を放りだして、少し進んでから目の前の建物を見上げる。
ちょっと良い感じの一軒家と言うべきか。
まぁ「金は持ってそう」な雰囲気は感じれる。俺が金井を知っているからかは分からないが。
そしてここを見た瞬間に流れるそよ風。
心地よい風が流れ目の前には良い感じの一軒家、雰囲気というのはどうしてこうも人の感性を狂わせるのか。
庭は綺麗にされており小さな花が所々に咲いていた。そこそこの広さの庭だしバーベキューとか昼寝とかするには贅沢な広さだ。
そんな事をする元気はないけど、と思いながら俺はチャイムを押す。
「はぁい」とのんびりした口調の女性の声が聞こえて来た。
出て来たのはエプロンをつけたのんびりとした雰囲気の女性だ。身長は俺の肩より下あたりで髪を一つにまとめている。お手伝いさんだろうか。
「どちらさまでしょうか?」
「すいません、私、金井雅の知人の者です」
適当に名前を伝える。女性は「今雅様を呼んできますね~」と去って行った。
まぁそこまで広くはなかろうけども、お手伝いさんぐらいは雇う金はあるか...
人を一文字で表すとするならば、どんな文字を連想されるだろうか。
俺が「金井」という男をイメージするなら「暑」だ。
文字通りの暑い男であるが、意味が変わってくる暑さだ。そう暑苦しいのだ。
「いやぁ久しぶりだなぁおい!おいおい!」
暑苦しい笑顔を撒き散らしならが寄ってくる。俺を見て開口一番の言葉がこれだ。
大声、暑苦しい、うっとうしい。これらが「金井雅」を表す言葉だ。
とりあえずと客室に通されソファに座る。
流石にお手伝いさんもいるからかどこかの探偵事務所と違って書類だ何だで散らかっている事がなかった。
「何年振りだよ!一体どうしたんだ?急に」
俺がなんでこの住所を知っているのかとかは聞かないんだな、俺も噂が元だから聞かれたとしても風の噂としか言いようがない訳だが。
「何年振りか、なんて俺が覚えてるわけがないです。最後にお前から押し付けられた仕事も記憶にないですし。俺が覚えているのは呼びだされたと思ったら急に北海道に飛ばされて道中で雪崩の起きた場所からあるアタッシュケースを探してほしいとか馬鹿な注文をしてきたことだけしか覚えてないんですよね」
本当に死にかけたあの時だけは覚えている。あれだけは忘れようとも忘れられない思い出だ。
「あの時はマジで申し訳なかった!でもあれのおかげで俺はこうして成功できたと言っても過言じゃないぞ!」
俺は金井の開き直りは聞き飽きている。さっさと用件を伝えるべきだと判断した。
「今、お前の娘が何か被害に遭ってるらしいじゃないですか」
いつもの暑苦しい笑顔が消え無表情に変わる金井の顔。
いつもへらへらしてる奴の顔が無表情に変わる瞬間は別人を見てる感覚になるな。
仮面が剥がれたと言うべきか?
「お前、どこでそれを聞いたんだ」
「どこも何も噂ですよ、噂。ただまぁその反応をみると、何か遭ってしまってるのは間違いないみたいですね」
意図的な引っかけである。
少しの間の後
「どっちみちある所に相談済みだからな。お前個人ならばれても構わない」
ある所とは恐らく探偵の事だろうが、俺は知らないふりを通す。
金井はひとつため息を吐き出すと、喋り出した。
「お前は知らないだろうが、俺には娘がいてな。アルビノっていうちょっと変わった症状を抱えてんだ。
そしたらどこの誰かは分からんが、俺の娘に目をつけてストーカーしてきやがる」
「それは、娘さんがお前に言ったんですか?」
「あぁそうだ、だが一回だけ俺も見たんだ。家の前まで来ている時があってな。その時俺が捕まえてやろうとして出た時が合った。結局逃げ足速い奴で捕まえられなかったけどな。ありきたりなパーカー姿で帽子までかぶっていた奴でよ、体格を見た限りでは華奢な奴だったから取り押さえるにはそう苦労はしなさそうだったがな」
まぁ人の見た目なんて印象操作な所もあるし簡単、とは言い切れない。
「もう一カ月も続く。このままじゃ俺の娘も可哀想だ。そうは思わないか?」
俺に問いかけるようにくる金井の言葉である。こんな同情を誘うような手は親切心をもつ奴らが聞けば助けてあげたくもなるだろう。
まして被害に遭ってるのは少女と来たものだ。ロリな趣味を持つ人からすればヒーローになれるチャンスだろう。
「確かにまだ先の人生のある少女の未来を心霊スポットレベルの暗闇にしてしまうのは可愛そうですよね」
「そうだろう、だから折り入って頼みたい事がある」
「しかし、俺は関与しませんけど」
そんな趣味も人助け精神も持ち合わせていないので断る俺は本当につまらない人間であろう。
実際には少しだけお手伝いということで関与するが、ここで金井雅に関与してしまった場合、貸しを作ったとしてこの先も貸し借りの清算をし合っていくことになっていく。
作った貸しはすぐに返すがまた貸しを作るようなことをしていくのがこの男だ。
この男と関わりたくない理由の一つでもあるが、この一つだけでも十分な理由としてあげられるだろう。
「頼む!金は弾む!」
「お前は娘の命をその程度の認識としか見ていなんですか?」
「違う、物事や世界は金で動く。だから俺は金が好きなんだ。貧富についてではなく、信用は金で得られるからだ。そして人は責任を押し付けられなければ、汚い事も出来る。違うか?」
違わない、正論だ。
多少の汚い事をして莫大な金が入るなら進んでやってしまうのが悲しいかな今の人間の性だろう。
産まれてから死ぬまでの間に綺麗な手のままで生涯を終える事が出来る人がいたりするのか知りたいぐらいだな。
「そもそもお前は探偵に頼んであるんでしょう。ならそいつらに任せる形で良いじゃないですか。俺にまでお願いする理由が分かりませんね」
「保険、という意味だ。世の中には確実と言う言葉があるが俺はそんなの信用していない。確実に出来ているならば俺はその言葉を頼りにしてもっと上手く世の中を渡ってきたはずだ」
その自信がどこから来るかは分からないが、この男が確実性を疑っているのは昔から知っている。俺も分かってて聞いてみたが、相変わらずということだ。
だからといってここで引き受けてしまう理由にはならない。
面倒事は嫌い、だ。
「保険なら他の連中にでも頼んでください。お前は顔が広いんだから他の奴でもいいでしょう」
「...そうか、分かった。ならせめて娘に顔だけでも会わせてくれないか。お前は俺が信用している一人なんだ。何か会った時にたまたま近くに顔見知りが居るだけでも違うものだからな」
「なんで会わなきゃいけないんだめんどくさいですね本当に。死に去らせ」
と突っぱねて暴言までの冷え切った事が言えないぬるい人間である俺は形だけとして渋々会う事にした。
子供を持つなんて気持ち俺には分からないし、誰かを心配するなんて理解したくもないから嫌なんだが、全てを断る理由にはならないだろう。
「俺への貸しにしないでくださいよ」と念を散々押して部屋まで案内してもらった。
年頃の女の子の部屋に入って良いのか分からないが、金井雅曰く「怖がって部屋から出たがらないんだ」だそうだ。
二階の奥の部屋。物置やらなんやらと様々な札がかけられている扉がある中に金井雅の娘。
金井未知の部屋はあった。
良くある木製の扉で壁には「未知の部屋」というプレートがかけられている。
万が一何があっても良いようにと、娘さんの部屋からでた近くに非常口らしきものまで用意していた。
家を会社か何かと勘違いしているんじゃないかと思ったが、要は過保護ということだろう。
詳しくは知らないが。
「未知、ちょっといいかな!お父さんの知人の人が来たんだ。家も近くだからもし何か会った時の為に挨拶ぐらいいいかな!」
家は近くじゃないし、何か遭っても助ける気なんてさらさらないというのは伝え忘れたな、と思ったが。
まぁ死人に口なしだ。何か遭ったら、その人の人生はそこまでだったということだろう。
少し経った後に扉越しから「いいよ」という声が聞こえて来た。
「入れても良いのか!?」
「...うん」
金井雅は俺を見て声を潜め「だそうだ、まぁ一声だけでも安心してやれるような言葉をかけてくれよ」
「お前は、俺がそういう事言う人に見えるんですか?」
俺を本当に信用しているのかすら怪しく見えてくる。信用を履き違えてないかと疑いたくもなる。
金井雅は、頭を掻きながら「そう言うな、言葉を知ってるなら気休めでもいい。言うか言わないかだけでも違うもんなんだよ」
そういうもんか。まぁ家庭を持ち喜怒哀楽がはっきりしてる奴がこういうのであれば、まぁそうなんだろうな。
「はい、じゃあ失礼しますよ」
とはいえ、女性の部屋にだなんて入った事の無い社会的経験値が皆無に等しい俺は入り方の作法なんて全く知らない。
友達なんて呼べる存在もいなかったぐらいだ。
とりあえず、カフェに入った事はあるのでそれぐらいの感覚で入る事にした。
中は、暗かった。
日光を遮るカーテンを付けているからか、まだ日中だというのに異常に暗い。
部屋はまぁ年頃の女の子らしいというか、本棚が目に入ったのでとりあえず本好き女の子という印象で留めておく。
そして部屋のドアが完全に閉まった後にテーブルライトが照らされた。
そこに彼女はいた。厳密には座っていたが正確か。
「彼女」から聞いていた通り髪の毛、肌ともに真っ白なのが真っ先に目に入る。しかしまぁ被害者という立場からか元気の無さが見て取れた。
長く白い髪の毛をひとつにまとめ片側の肩に流している。
テーブルには本が2冊重ねられていた。
有名どころのファンタジーな作品だったはずだ。たぶん。うろ覚えだが確かそうだったはずだ。
「おにいさんが、お父さんのお友達の人?」
テーブルをはさむ形で俺は座らずにしゃがむ。
「あぁ、はい。そうです。まぁそういう関係にあたりますね」
こういう接し方で良いのか?分からない。そもそも一声かけるだけのつもりだったはずだ。
とっとと適当になんか言って去るとしよう。
と、俺が声を掛ける前に女の子から喋り始めた。
「私を見ても驚かないのね。お父さんから聞いてた?」
「あぁ、聞いてますよ。アルビノなんですってね。まぁ珍しいとは思いますが、珍しいという範囲からは抜け出せません。そういうのを持ってるからと言って扱いが変わるなんておかしな話ですからね」
「...そう、おにいさんのような人は初めてなの。何かあったら助けてね」
「そうですね、その場にいて助ける事が出来たら助けますよ。残念ながらヒーローとは違ってただのおじさんなので都合よくなんて出来るか分かりませんけど」
はい、言った。
言いました。応援の言葉を掛けました。俺なりのだけど。
ということで、俺はこの部屋を後にした。
実に遠回りで年頃の学生さんには何を言ってるんだと思いたくなるような言葉の羅列だったが、理解しようがしまいがどっちでもいいことだ。
ドアを開けると少し離れていた所に金井雅が立っていた。
「おう!ありがとうな!」
「お礼なんか言わないでくださいよ、俺はそこまでの事をしたつもりはありません。とりあえず俺の本来の用件のお前への挨拶も済ませましたしとっとと帰らせていただきますよ」
「あぁ、時間取らせて悪かったな!」
という軽いやり取りを済ませて、俺は金井雅もとい金井家を後にした。
そりゃもう足早に。長い付き合いが合ってもあまり同じ時間一緒にいたくない人が一人二人いるはずだ。
すぐにアパートに帰ることにしよう。俺はドラキュラではないが、朝の散歩は趣味じゃないんだ。
しかしまぁこれで面倒事が減らせた。
あとは今夜の「彼女」のサポートだが、一回目で行く確証はない。
一回目はまずはお手並み拝見というほどやる気に満ちていないが、「彼女」の探偵の腕前を眺めることにしようか。