2.2
前回とは違って駿河恵美の住む一軒家周辺には警官の姿は見えなかった。
やはり大方のストーカー被害はあの要によるものだったんだろう。
近くに駐車して車を降りる『彼女』に続き俺も助手席を降りる。
「こっちに来てから天気が悪くなったなぁ。車で来て良かった」
空を見上げてそう言う『彼女』に俺は言葉を返す。
「所詮は予報ですから。パーセントなんて言って信じて違ったら裏切られたなんていう人は世の中にたくさんいますが、それを天気予報士に当たるのはお門違いです。
悪いのは天気だから天気に怒ればいいんですけど、誰もしたがりませんよね」
「そう言う話をしたいんじゃないんだが、まぁいいや。行くぞ」
駿河家の玄関先に歩を進める『彼女』。
俺は変わらぬ距離を保ちつつその姿を後ろから見ていた。
チャイムを押す。
少ししてノイズとともに低い声が聞こえて来た。
「はい」
どこか情けなさを感じる男性の声だ。
「すいません、駿河さんの家でよろしかったでしょうか?」
「えぇ、はい。そうですが。どちらさまでしょうか」
「私探偵をしてる者です。先日駿河恵美さんが早期退院されたと聞きまして具合はどうかと思いまして」
「え?え?そうなんですか?」
なんだこの反応は。
『彼女』の方も意外そうな顔をする。
「戻られていないんですか?」
「え、えぇ、妻は帰ってきていません。むしろ私が今妻がどこにいるのか知りたいです。退院するとは聞いていましたが、いつ頃迎えに行けばいいのか連絡を待ってるばかりなんですよ」
「えっと、すいません。貴方様は恵美さんの?」
「あ、ごめんなさい。恵美の旦那です」
この人は夫のほうか。しかしこのおどおどした喋りはかなり特徴的だな。
「あの、探偵と言いましたよね。私の妻の事を探してもらう事はできませんか?あの、私日頃は仕事で忙しくて、どうしたらいいか、分からないもので。急ぎはしません。確実に見つけてもらえれば大丈夫なので」
俺は『彼女』の耳元で囁く。
「これは断った方がいいのではないですか?今俺達はストーカーの依頼を受けていますよ?両方を受け持つなんて無茶なことはしない方が良いと思います」
『彼女』はちらっと俺を横目で見ると
「分かりました。ですが私達も他の依頼を受けています。駿河さんの依頼を優先して、ということは出来かねますがそれでも構いませんか?」
面倒事が増えた。
こう言う所は昔からの『彼女』らしさと言えるのだろうか。
否、こういうのは愚考であり愚行だ。
ストーカー被害を止める、そして行方不明となった駿河恵美の捜索。
なぜこうにも面倒事というのは増えるのだろうか、どちらに関しても本来俺が生きる上で関わらなくても良い人達である。
責任を真っ向から負いたがる人というのはそうそういないだろう。いるとするならば何か裏があると相場が決まっている。
完全な経験談による偏見であり、人類の1割にも満たない稀な人であろうが。
しかしそんな人が身近にいるとするならば、俺はその稀な人がいたという可能性を賞賛しそしてそれを怨んでいただろう。
昔の俺だったら。
閑話休題。
『彼女』の上司である笹木さんへも連絡。その事を伝え一旦ストーカー被害を優先することとなった。
なったが、駿河夫の「急ぎはしません。確実に見つけてもらえれば」っていう言葉に違和感を感じずにはいられなかったが。
まぁ最近の夫婦事情なんてのはそれぞれだろうし、両親もいない俺には尚更縁のない話だろう。
とりえあず駿河恵美よりも先にストーカーの対策から講じる事になった。
しかし、『金井未知』の証言を元にストーカーを見つけることなんて難しいだろうし、あの子を餌とした作戦もできない。
『彼女』の車の助手席にいる間、エンジン音だけが耳に入る。
「あの場ですんなり受け入れましたが、良かったんですか?依頼を受けて報酬だの日程だの決める事は多いと思いますが」
とりあえず、気になった事を『彼女』に聞く。俺は探偵の世界なんて知らないが安請け合いなんて良いものじゃないはずだ。
明日にすら路上に放り出される可能性がある仕事なら尚更。
「正式に受けたわけじゃない。私の事務所じゃ正式に受ける物と状況を確認して出来そうなら正式にのパターンもある。ケースバイケースってことだ。
笹木さんがそう言う方針でやるって言ってたからな」
澄ました顔で『彼女』は言う。
「おざなりになんてしない。ただ優先すべき依頼を先にするってだけだ。優劣はつくかもしれないが、私たちだって完璧な訳じゃない。だからそれ相応の時間が欲しい事も言うのさ」
なんとも理不尽な世界だが、その通り。
言ってしまえば臨機応変が大事って訳だ。
そう考えると、どの世界でも生きるためのコツってのは同じなんだと思ってしまう。
「『案山子』。君の過ごしている社会人生活だって同じようなものだろ?」
そう、その通りだ。
社会人として過ごして仕事内容は変われど、順番というものがある。
それを決めてこなしていかなければならない。
まぁ怒られる事が生きるか死ぬかに直結する仕事なんてものはないだろう。
クビを切られるだけだ。
「そうですね。どの世界に置いても同じでしょう。でもまぁ企業のお偉いさん当たりなんかは子供の思う人物像の一例であるハンコ押してれば一日の仕事が終わる人達であるのではないかと、思ってますよ。
例えば、さっきの駿河夫も在宅ワークを仕事としていて会社と言う場所に行かなくても良い人である。あるいは自宅に居ながらも企業を自分の手の平で弄ぶ事の出来るお偉いさんなのだとすれば、あの対人恐怖症みたいな喋りも納得できますね」
『彼女』はかわいた笑い声を上げた。
「相も変わらずクソッたれな案山子だな。『案山子』」
「クソッたれですかね?そんな酷い事言ったつもりはありませんが」
「私の指すクソッたれな部分はなぁ、お前がその程度にしか見ていない事を指してるんだよ。どんな人達も苦労や努力と言う道を進んできている。
どこかのボンボンの成り上がりもあるだろうが、そんなもんは極稀だろうしそんな奴が上に居てもすぐに崩れるだろうさ。
とにかく、お前が思うほどお偉いさんっていう人達はそこまで毛嫌いするぐらい悪人じゃないぞ?」
久しぶりに聞いた。
『彼女』のまっすぐな気持ちの意見。
世の中はまだ捨てたもんじゃないって言いたいのだろうが、はたしてそうだろうか。と過去の俺なら疑問を抱いただろう。
では、今の俺はどうだろう。
答えは出ている。答えはNOだ。
俺がクソッたれた案山子であるならば、立場や諸々を利用してあぐらをかいて笑う奴らを俺は再利用できない物質と呼ぶ。
『彼女』には『彼女』の経験故の意見だろうが、俺は俺の経験を元にしてこの答えを出している。
『案山子』として眺め続けて来た答えだ。
そんな環境に入ったとすればどうだろうか。
混じりたくもない、それが俺の本音だ。