1.9
「なぁ「案山子」。あの人はまともな人だよな?」
「まともでしょう。でなければ専業主婦にはなれませんし、旦那さんも家を任せてはくれませんよ」
一通り駿河恵美から話を聞き俺達は家を出た。
本人の口から聞けたのは当時の事実とあのストーカーが「優しい子」であるということだけ。
そして厳しく暗い家庭事情。
世の中の普通が何なのか分からないというのに、あのストーカーの親御さんはとにかく普通でありたかった。それを自分の子供にも押し付けたという見方ができる。
駿河恵美は、話終えた後俺達に「あの子を止めてあげてください」と頼み込まれた。世話焼きな性格はいつまでたっても消えずに燻り続けているようだ。
将来いつか見るであろう我が子の為に取っておいてほしいもんだ。
「しかし、例のストーカーについて語っているあの人の目はどうも曇っていたというか。悲しんでいたというか」
「俗に言う憐みですよ。誰もが自分の身が大事というこのご時世にあそこまで他人を思うというのは自分の人生に余裕があるというのが証拠だと思います。パートナーを持ち、生活にはあまり困っておらず、時間にも余裕がある。良い人生を送っていますから、多少の演技もあまり疲れないでしょうね」
「お前はあれを演技だというのか?」
「いいえ。演技だとは思いません。本心でしょうね。ただ、本人の心の底までは分からないと言う事です。無意識ってやつですよ」
隣を歩く「彼女」は腕を組む。
「とりあえず情報は得た。加害者のことに詳しい人物からの話もきいた。しかしここからだ「案山子」。あとは単純な話あのストーカーを止めるだけだが、居場所が分からない。止めるにしても今回の加害者のやったことが全てあのストーカーがやったことなのか。
駿河さんの言っていた人があのストーカーであるかの確証もない。
今までやってきたことだって全て憶測で動いていたにすぎないし、私が追いかけられていた人物も同じ人とも言えないんだ。この状況からどうやって依頼を果たすか」
「らしくないですね、あんた」
珍しく弱音を吐く「彼女」。恐らくそれなりに動いてきたつもりだが、まったく依頼を果たせる気がしないと感じたのだろう。
確かに、直接解決だとか果たすだとかの感じはしないだろう。
しかしながら俺達は警察ではない。
俺に関して言えばただの一般人だし。
要は、そういったルールに縛られている場所ではないということだ。
つまり
「ここまで一緒にやってきておいて今更くよくよしてたって、時間は戻りませんしあんた自分でも言ってたでしょう。結果が出なくても、努力をしたそれらは自分の経験になる。今追いかけてる加害者が別の人だったとしても今まで集めた情報の全てが無駄になるとは限らないでしょう。メインはあんたなんですから、くよくよするのは一旦終わらせてからにしてくださいよ」
「分かってるよ」
昔自分が言っていた発言を掘り返されたからかいじけた様に「彼女」は言い返した。
流石にもうタクシー乗るべきではないか?という俺からの提案により途中でタクシーを拾った。
タクシーの中ではお互い無言のままで空気は重めだ。
「彼女」はこの後ストーカーの行方を追う前に見つけた時の作戦だとかそういった事を考えているかもしれないが、俺としては一旦彼女を事務所に戻しておかなければならない。
もっと言ってしまえば「彼女」は俺が欲しかった情報を提供してくれた段階で後不必要だった。
「彼女」は知らないだろうが、あのストーカーの居場所は恐らくまたあの金井家の周辺だろう。
しかし、前回の金井未知を使った作戦をもう一回使うのは無理だろうなぁ。
となるならばあからさまな登場でおびき寄せるしかないだろう。
あとは、「彼女」を事務所に戻す理由だが、なんというべきか。
「「案山子」」
「はい?」
不意に呼ばれ彼女の方を振り向く。
難しそうな顔をし眉間に皺を寄せたまま目の前の座席のどこかを見続けていた。
「これは私の予感というか、勘というか。言ってしまえば根拠も証拠も何もない物だ」
「良いですよ、何か疑問でも?」
はぐらかす準備は出来ている。今回はあくまで「依頼から手を引いたが私怨で勝手に近づいて「彼女」を巻き込んだ、でも解決はした」とすれば言いわけだからここで全くあてにならないアドバイスとか返事をしてしまえば大丈夫だ。
「お前、今までどこにいたんだ?」
「おや、今更ながらに再会の挨拶ですか?まぁ言うても、お互い連絡の取り合う仲でもありませんでしたし知らないのは当たり前かもしれませんね」
「お前が大学を出たというのは知ってる」
「そうですよ、まぁどことまでは言わなくてもあんたは勝手に調べる事が出来ますから言いませんが、普通の人生を歩んできたわけですよ」
「お前、それ嘘だな」
・・・こいつ、時間かけて調べてやがったな。よほどの所まで調べなきゃ分からないようにしてもらったというのに。
だが、分かっているならはっきりと言うはずだ。もしくは俺からのボロを待っているか、「分からないけどとりあえず嘘という事実は分かった」という所まで知ったかのどちらかだろう。
「人様の歩んできた人生に嘘だ、なんて酷い言い方ですね。転生よろしくファンタジーな経験が出来る人生を歩めるならそれでも良さそうですが、今俺達の住む世界はそんなものないんです。
もし俺が、他の人とは違う生き方というのであれば具体的な何かを言って欲しいですね」
そう言うと、「彼女」は言葉を詰まらせた。
「まぁ俺の過去なんか普通なんですし楽しくない思い出話をする仲でもないでしょう、俺達は。そんなことより、あんたはあのストーカーの居場所を突き止める努力をしてください。もしあのストーカーが他の対象を見つけてしまっていたら被害の拡大ということになってしまいます。時間は無限じゃないんですから」
「彼女」は変わらずの難しそうなまま顔を正面に戻す。
「お前がな、変に冷静でいろんな案を提案してくれることには感謝はしているんだ。だけどな流石におかしいと思うじゃないか」
おかしいだろうな、普通に見れば。
じゃあ普通とは何だ?
常識に則って生きる人を普通とするのか。社会の最低限のルールを知っている人を普通とするのか。そんなものはまちまちだ。
俺にとっての普通は、見て聞いて学んだ結果として、自分が普通と思う生き方をする事が普通である、と思っている。
よって「彼女」からおかしいと思われるのは当たり前だ。「彼女」にとって俺の行動、考えは普通に当てはまらないんだから。
しかしながらこれが俺だ。
今ここで心臓を動かし、口を動かし、脳を動かして生きている俺こそが俺にとっての普通だ。
「知らないんですか?俺は産まれたときから変わり者です」
ふっと息を吐き出した「彼女」の顔は俺の返事から何を思ったのか難しい顔を止めた。
眉間の皺がなくなったせいもあるからか幾分か若く見える、が言わないのが相手の為だろう。
「知ってるさ、「案山子」。お前は相変わらず案山子だな。とりあえずお前は自分のアパートに戻ってろ。その間にどこにいるかとか調べて分かり次第連絡を入れる」
「分かりました。じゃあ俺はのんびりと休ませてもらってます」
アパート前でタクシーから降りた。
タクシー代は当然奢ってもらえず自分で何とかしろと彼女から言われてしまった。朝ご飯代も奢らされたし俺はもしかしたら「彼女」のお財布係として動向しただけなのかもしれない。
「大人しくしてるんだぞ「案山子」。いつでも動けるようにしなければならないんだからさ」
「俺は自宅謹慎中か何かですか」
「お前の信用は当てにならないんだからな。変わり者の相手をしてきた私が言ってるんだ。間違いない」
「分かりましたよ」
「彼女」の言う事は的を得ている。
俺としては何事もなかったかのように何かをして帰ってきて知らないふりをするのがベストではあるが、今回もそうはいかないだろうな。
タクシーのドアが閉じ走り去って行った。
さて向かうは「金井家」。
前日に金井家から金井未知をつれて彼女を餌として使った。結果としてあのストーカーは釣られた。ということはあのストーカーは普段からあの周辺をうろついている。
「彼女」が追われていたあの時。時間帯は夜だった。ということは昼夜関係なくうろついていることになる。
とは言えど、それが毎日続く訳ではない。そしてあんな風にいつでも金井家の周辺をうろついているということは住む場所が近くか、もしくは定期的に戻っていて準備が終わったらまた外出しているんだと思う。
別にストーカーの住む場所を特定するつもりはない。そんなの探偵を名乗る「彼女」に任せてしまえば良い。
まぁ真相というか、ストーカーの本心はそこにあるだろうが今はストーカーの精神を降り「金井未知」を安全にさせてやるのが第一だろう。
つまり何が言いたいかと言えば、ストーカーが昼夜関係ない奴で良かった、ということだ。
「今から向かったとしても高確率で会えるだろうからなぁ」
嬉しくない再会だ。
しかしまぁ、役割というのは果たさねばならない。
あとは不安な事と言えば。
「明日の会社行けるかな」
それぐらいだな。
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彼女の姿はまだ見えない。
彼女は未だに囚われているという事なのかも知れない。
過去に蝕まれて普通の暮らしが出来ないのだとしたら、それはあたしのせいでもある。
あたしがもっとまともな姿でいられたら、お母さんやお父さんの望んだ子でいられたら暴力だって受けなかっただろうし、今よりも幸せな生活が出来たのかもしれない。
でもあたしは、もう後悔はしない。
あたしと同じ境遇にあるだろう子達を救い出すんだ。
この世から、救い出すんだ。
とは思ってもこれだけそれなりに大きな家だと侵入も難しい。
彼女を救い出すためならここで死んでも後悔はないけど、救えずに死んでしまうのは嫌だ。
それだけは嫌だ。
この世に幸せと不幸せがあるなら、死んだ後の世界にも天国と地獄があるはず。
審判が下されて良い子は天国へ。
悪い奴は地獄へ。
あたしが良い子を天国へ送ってあげるんだ。
あたしも最後に一緒になって楽しい毎日を過ごすんだ。
暴力とも孤独とも無縁な生活を。