竜は少女と星空へ舞う
「竜が見たいわ」
豪奢な天蓋付きのベッド、そこに身を横たえた少女の小さく小さく呟く。少女の目の前にはガラスの嵌められた小さな窓。柔らかなベッドに身を預けたままでも、外の景色が見られるようにと配慮され、設計されたものだった。
「竜……?」
そんな囁くような声を聞いて、側に控えていた黒髪の少年が首を傾げる。
応えがあると思っていなかったのだろう、驚いたように少女は少し肩を震わせた。
それから寝返りを打って、眺めていた外の景色に背を向ける。動きに合わせて、金糸のような長い髪が音もなく流れた。
「そうよ、竜。おとぎ話に出てくる、有名な。
……もしかして、知らないの?」
少しだけ視線を上げて少女が問えば、膝を折ってベッドの脇に控えていた少年は己の顔を手で撫でながら眉を下げた。
「恥ずかしながら。このような、身の上でありますから」
「そっか……そうよね」
少年の仕草の意味することを察して、少女はゆっくりと瞬く。少年が手で触れるそこには、真っ白な包帯が巻かれていた。両の目をぐるり覆い隠して。
「でも不思議。それでも、アナタは何だか見えているような気がするわ」
そう言って少女がじっと見つめていると、少年が小さく苦笑した。
「そう、ですね。目が使えなくとも、風の行方を肌で感じる事は出来ますし、陽の匂いを感じることも、木々のざわめきを聞くことだって出来ますから。
それに、見えなくても”視える”ものも、実はあるんです」
ナイショですよ、と自分の唇へ人差し指を添えた少年に、少女はクスリと笑みを零した。
「ふふ、そうなの?
だけれど、本を読めないのだけは少しだけ不便そうよね。
……そうだわっ!」
少女は明るく声を上げて手を一つ打ち合わせると、全身に力を込めてゆっくりと起き上がった。
「お嬢様、あまり無理をされてはなりませんっ!」
そんな彼女の背中を、少年は慌てて支える。
「大丈夫よ、ちょっとだけだから。
体も、支えなくて良いわ。早く、離れて。アナタに病が感染ってしまうわ」
「いいえ、離れません。私は、病に罹りませんから」
「……本当に?」
「本当です。この面にも、包帯しか巻いていないでしょう?」
そう言って微笑む少年の顔を暫し眺めて、少女はやがて、ふっと息を吐いた。
「それじゃあ、そこの本棚まで私を支えて頂戴」
「かしこまりました」
少女は少年の手を借りて、ベッドから降りる。そうして立ち上がる。歩き出そうとしてよろめくのを、少年が両肩を抱いて支えた。
「情けない、わね。長患いの内に、自分で歩くことも出来なくなっていたなんて」
「お嬢様……」
肩を支える少年の手に体を委ねながら、少女はそこに自身の手を重ねた。
「……暖かい」
それから、盲目の少年のために進む方向を伝える。
「このまま、真っ直ぐ、歩くわ」
「はい」
少年の支えを借りて、一歩、一歩、時間を掛けて柔らかな絨毯の上を少女は裸足のまま歩く。
十歩ほどの今の少女にとっては遠大な距離を渡り、本棚へと辿り着いた。
「止まって。本棚に着いたわ。
さて、どれが良いかしらね?」
上から下まで、棚に収められた背表紙を追って、細く白い指がしなやかに踊る。本の大きさ、厚みは様々。どれもが物語の記されたものであり、そして真新しかった。
少女の放浪は、やがて一冊の本の前で止まる。その本だけが、他と違って幾ばくかの年月を経た跡があり、何度も繰り返し読まれたのか、ページの端が一部擦り切れていた。
「うん、やっぱり、これが一番よね」
そうして、一冊を引き抜き、持ち上げようとした所で、ヒョイと少女の手から本を取り上げられてしまった。
「お嬢様、これは私が持っていきますので。
まずは、ベッドにお戻り下さい」
「でも……けほっ! ごほっ! ごほっ!」
「ほら、お早く。これ以上はお体に障ります」
有無を言わせぬ少年に両肩を支えられて、十歩の旅を戻る。優しくベッドに寝かされて、ふと気付けば、手元には先程選んだ本が置かれていた。少年が本を脇に抱えていた様子もなかったのに、と、少女は首を傾げる。
「それで、その本を如何するおつもりなのですか?」
「こほっ……うん、アナタに、竜のお話、を、読んであげようと、思って」
熱に浮かされて赤みを帯び始めた顔色で、少女は言う。
「なりません。今日はもう、お休み下さい」
「いや」
少年の陳言に、少女は枕に顔を埋めながら、ふるふると首を振る。
「お聞き分け下さい、お嬢様」
「だって……」
「これからも……、機会はいくらでもありますから。
だから、今はお休み下さい」
「本当に……?」
「本当です。だから、お休み下さい」
「うん……」
ようやく聞き分けてくれた少女に、少年はほっと息をつく。それから少し乱れていた掛け布団を整えてやった。
「ね、お願い……」
「何でしょうか?」
「私が眠るまで、そこに居てくれる?」
「勿論です」
「……約束、ね?」
そう言って少女は瞳を閉じ――――、程なくして静かな寝息を立て始めた。
少年は約束の通り、少女が眠るまで側に控え、見守っていた。
◆
この国には竜に纏わるおとぎ話が多く伝わっている。それは建国に纏わる伝説であったり、災害に立ち向かった少年との絆の物語であったり、天涯孤独の少女が竜に嫁いで幸せを得る童話であったり、万病を癒やす竜の心臓を求める冒険譚もあったりと様々だ。
中には暴虐をなした悪党たちが竜の怒りに触れ一夜の内に焼き滅ぼされてしまった、という教訓話もある。
そんな数々の物語に現れる竜だが、二つの共通点がある。
一つは姿かたちの描写が無いこと。
近年の作品には描かれることもあるが、それらは全て後付け。原典とされる逸話にはすべて、竜が如何なる姿をしているのか語られることはない。
そして、もう一つが夜空だ。お話の中で、必ず一度は夜の空が描かれる。
学者の中には、この夜こそが竜の正体なのだ、とする一派もあるほどだ。
この三つの事柄について、ある寓話では次の様に説明されている。
曰く、竜はかつて強大な力を持っており、その力で以って地上の覇権を巡って神々と相争ったという。
七日七晩に渡る戦いは、しかし唐突に終わりを告げた。争いにより大地が傷ついて行く様に心を痛めた竜たちが、自ら矛を収めたのだ。
そう、竜たちは何よりも、誰よりも、この大地を愛していたのだ。
そんな竜たちがどうして神々に牙を剥いたのか、その理由を伝えられていない。
ただ、竜たちは二つの条件によって神々に赦されたのだとされる。
一つ、今後、地上に生きる他の生き物達の前へみだりに姿を現さないこと。
一つ、地上で死した魂を神々の住まう天へ送り届ける役目を担うこと。
こうして、竜たちは人々の前から姿を消し、そして夜空には、天に迎えられた魂が星に姿を変えて、瞬くようになったのだという。
一方で、悪を焦がす炎が教訓話にあるのは彼等が大地を愛しているが故なのか。
これらのおとぎ話が真実を伝えるものなのか、知るものはいない。
だが、いずれにせよ、この国の人々はそんな竜たちのおとぎ話と共に歩み、歴史を紡いできた。
だから、この国では幼い我が子に語って聞かせるのだ。
悪いことをすれば、竜に燃やされてしまうよ、と。
良い子にしていれば、いつか、竜が星空へ連れて行ってくれるよ、と。
◆
「がおー」
「……?」
「がおー。がおー」
「あの、何をしているのかしら、ノガルド?」
白いシーツを頭から被り、もごもごと動く盲目の従者の少年に、病床の少女は首を傾げる。
「がおー。がお、がお?」
「くすくす、がおー、じゃあ分からないわ?」
「がお……その、お嬢様が以前、竜を見てみたいと仰っていたので」
もそもそ、むぐむぐ、とシーツから頭を出して、少年が笑う。
その笑みに釣られて、少女もコロコロと笑い声を上げた。
「ふふ、覚えてくれてたの……?
だけど、それじゃあ、竜というより、オバケだわ?」
「お嬢様にお聞かせ頂いた竜の話では、姿の説明が無かったものですから」
「確かに、それもそうね。でもね、本当の竜の姿は……ぅ、こほっ、ごほっ」
「お嬢様!」
口元に両手を添えて咳き込む少女に、少年は慌てて駆け寄る。背中を優しくさすり、少女の発作が収まるのを待つ。
「……ありがとう、もう、大丈夫よ」
「はい……」
少年の手が背から離されて、少女は枕元に置かれていた白く清潔な布巾で手を拭う。側のゴミ箱に捨てられた布巾は、鮮やかな赤で斑に染められていた。
「さ、お嬢様。無理せず、横になって下さい」
「もう、さっき起き上がったばかりなのに」
頬を膨らませて不満を少女は零すも、少年に促されるまま素直に横になった。
「おやすみなさい、お嬢様」
少年が少女の瞳に手をかざすと、掌の中に生まれた小さな夜に眠りを誘われたのか、すぐに少女は穏やかな寝息を立て始めた。
そんな少女の寝顔を見守るようにして、少年は暫しの間じっと立っていた。黙したまま、両手を強く握りしめて。
それから数日後のことだった。
いつもは少女が目を覚ます前に側へ控えている少年だったが、この日は遅れてしまった。
「遅くなって申し訳ありません、お嬢、様……?」
既に昼を前にした刻限。遅れた事を詫びようとした少年は、しかしその相手がいつものベッドの上に居ない事を感じ取った。静かな部屋の中を、少年は気配探るようにしてゆっくりと歩む。
と、普段はこの部屋では感じることの無い外からの風の香りが少年に届いた。
香りと、気ままに動く大気の動きに引かれるままに、少年は歩を進める。
歩むほどに香りは強く、風はより自由になっていく。
と、ある時から肌に降りる柔らかな熱を感じるようになった。それは、陽の光だった。
「ようこそいらっしゃいました、お客様。
私の主催するお茶会へ、ようこそ」
「お嬢様?」
「ふふ、今日に限って来なかったらどうしようって、ちょっと心配していたわ」
少女の部屋に併設されたバルコニー。暖かな光の中で、金糸の少女がスカートを摘み、優雅なカーテシーで少年を迎えていた。
「さあ、こちらに」
少女は少年の手を取ると椅子の背もたれと座に手を触れさせて、座るように促した。そうして、自分も席に着く。
小さな白いテーブルの上には二人分の茶器と二人分の菓子。
少女は手ずから少年の為のカップに紅茶を注ぐと、次いで自分のカップにも注いだ。本来給仕を担当すべき侍女の姿は、無かった。
「お嬢様、お体は良いのですか?」
少年は問う。最近の彼女の病状を思えば、お茶会など出来るはずもないのだから。
「ええ、今日は調子がとても良いの」
気遣う少年に、少女は微笑んで返す。それから優雅にカップを手に取って、一口飲んだ。
その動作は一つ一つがどれも穏やかで、だから少年も、自身に給された紅茶に口をつけた。
「今日はね、アナタへのお礼がしたかったの」
そうして人心地ついた頃、少女は言った。
「お礼?」
「そう、お礼よ。私はずっと、病で苦しくて、痛くて、寂しかったの。
でも、アナタが来てくれてから、それも紛れたわ。だから、そのお礼」
屈託のない言葉に、しかし少年は固辞するように首を振る。
「いえ、私は……何もしていません。何も、出来ていません。
だから、お礼を言われるような事は……」
「アナタが側に居てくれただけで、私は、それだけで十分だったのだから」
重ねられた言葉に、それでも、少年は顔をうつむかせる。その様子に、少女は小さく笑んだ。
風が渡り、バルコニーから見える木々が葉を、梢を鳴らす。
「暖かくて、気持ちいいわね」
目を転じれば、緑豊かな庭の風景。その向こうには、少女の家族が住まう屋敷も見える。
「こうして、お日様の光を浴びるのも、久しぶり」
少女はそれらを、眩しそうに目を細めながら眺めている。
「……私、ね。お話が出てくる竜が大好きだったの」
何か遠くのものを見つめるようにしながら彼女は言う。彼女の雰囲気の変化に、少年は顔を上げた。
「色々なお話が面白かったからというのもあったけれど、一番のきっかけは大叔母さまから秘密のお話を伺ってから、ね。
大叔母様は、竜に会ったことがあるそうなの」
「竜に?」
「そう。屋根から転げ落ちてきたらしいわ。なんともうっかり屋さんの竜よね?」
その光景を想像してか、少女がくすくすと笑う。
「その竜は、夜色の鱗に満月色の瞳をしていて、力強い蜥蜴のような体に蝙蝠の様な羽を持っていたんだそうよ。
爪も、牙も、角も、星の光を固めたようでとっても綺麗だった、って大叔母様は亡くなる前に仰ってたわ」
「そんなに、綺麗だと思ったのですか?」
「ええ、きっと。このお話をして下さる時は、いつも大はしゃぎだったもの。
それから、大叔母様達は友達になって、一緒に夜空を飛んだりもしたそうよ。まるでおとぎ話よね?」
思い出を辿り終えた少女が、瞳を目の前の少年に戻す。
「だからね、そんな大叔母様のお話を伺ってから、私も夢を持つようになったの」
「夢……?」
「そう、夢。いつか、私も竜を見てみたい。その背に乗ってみたいって」
鳥のさえずりが聞こえてきて、少女は空を見上げた。雲雀が二羽、戯れながら飛んでいる。
「私は昔から体が弱かったから、自由に世界を飛び回れるのが羨ましかったの。
叶わぬ夢、だけれどね」
「いいえ、叶います。きっと、叶えてみせます」
少女の話を、ずっと黙して聞いていた少年が静かに言った。確かな意思を込めて。
「病を克服して、そして旅に出るのです。世界中を見て回り、様々な人と話したり。そして……」
「そうね。ふふ、それはとっても素敵ね。
この身が病の軛から自由になるなら、いつか竜の背に乗って空を飛んでみたいわ」
はにかむようにして笑う少女に、少年は小指を差し出した。意図が掴めずに少女が首を傾げていると、
「……約束」
一言、少年は言葉を添えた。
「ええ、約束」
少年の小指に、少女も小指を絡めて応じる。
それから少女は徐に立ち上がると、このお茶会の始まりの時のようにスカートの裾を摘み、優雅に礼をした。
「今日は、私のお茶会にお付き合い下さり、ありがとうございました。
私はそろそろ、あるべき所へ戻らねばなりません」
少年も立ち上がり、恭しく礼で応える。
「こちらこそ、お招きありがとうございました。
このお礼は、また後ほど」
「まあ、何を頂けるのかしら?」
「きっと、お嬢様がお喜びになるものです。
さあ、帰りはお送りしましょう」
そう言って、少年は少女へ手を差し出す。
「うん、お願い、ね」
その手に重ねられた少女の手は、降り注ぐ陽の光よりもとても暖かで、
「今日まで、ほんとうに、ありがとう……」
それは同時であった。
その熱に、少年が違和を感じた時と。
少女の体が大きく傾いだのは。
「お嬢様っ!?」
叫び、少年は抱きとめる。
腕の中で、荒く呼吸を繰り返す少女の体温が、溶け落ちてしまいそうな程に熱い。
「こんな……っ!? まさか、本当はずっと!!」
「だって、おれい、したかった、から」
「もう、喋らないで下さい!」
少年は横抱きに少女を抱えると、大股で歩き出す。
「ふしぎ、やっぱり、なにもかも、みえてる、みたい」
「いいえ、見えていません。見えていませんでした、何も」
胸に顔を埋める少女に、少年はただただ歯を食いしばる。
少女にとっては長かったであろう距離を一瞬で歩き去り、少年は少女を横たえた。
「私は、薬を……薬を取って参ります!」
「まっ、て……」
寝台を素早く整えて、少年がベッドから離れる。それを引き留めようとした少女の手は、しかし空を切った。
鐘の音が鳴る。
側机に置かれていた、呼び出し用のベルを少年が鳴らしたのだ。
ベルに呼ばれて、殆ど開くことの無い部屋の扉が開いた。
「お呼びですか、お嬢様?」
顔を覆う鳥を模した面を付けた侍女が、静かに入ってくる。
「お茶は、もう宜しいのですか?」
誰も居ない、誰も訪れることの無い部屋を、ホコリを立てぬよう気を使いながら、侍女はベッドの中の主へと問いかける。しかし、応えがない。
「お嬢様……?」
聞こえてくるのは、荒い、荒い、息遣いのみで、
「お嬢様っ!? お嬢様っ!?
大変! 先生を、誰か先生をお呼びして! お嬢様が! お嬢様がっ!!」
普段の静寂が嘘のように部屋の中が俄に騒がしくなる。鳥の面を付けた人々が、入れ替わり立ち替わり少女の回りを取り巻く。
「やく、そ、く……」
掠れる少女の言葉は、騒然と混迷の中で紛れて消えた。
この日を境に、少女の容態は悪化の一途を辿るばかりになった。
高熱は引かず、肺に血は溜まり、食べ物どころか水さえも受け付けない。
元々体力の無かった少女の体は見る間に衰えていった。
そして――――。
お茶会から一日が経った、その夜更け。顔に包帯を巻いた少年は、一人、バルコニーに立っていた。
空には満天の星が輝いているが、月の無い夜を渡る風は少し肌寒い。
少年の眼の前には、小さな白いテーブルと二脚の椅子。上に乗った茶器や菓子類は、あの時のまま残されていた。
ガラス張りの窓から、少年は中の様子を伺う。
中は暗く、人の気配はない。ただ、窓の側のベッドに膨らみを見つけ、少年は目的の人物がそこに居ることを知った。
バルコニーへ続く、少女の部屋の扉は大きく開け放たれている。
夜風に揺れるレースに縁取られた入り口を潜り、少年は部屋の中へと入った。
「夜分に失礼します、お嬢様」
眠りを妨げないよう、そっと断りを入れて、少年はベッドの横に立つ。
「昨日のお茶会の、お礼をお持ちしました。
お叱りは後で受けますから、まずはこれを飲んで頂けないでしょうか?」
そう言って、少年は懐から小瓶を取り出しながら、少女の頬を優しく撫でた。
「お嬢様……?」
もう一度呼びかけるも、少女は目を覚ます気配が無い。
「お嬢様……」
もう一度。
「お嬢、様……」
もう一度。
それから、頬に触れていた手をゆっくりと離す。指先は、夜と同じ温度まですっかりと冷えていた。
「…………」
本当は、少年も分かっていたのだ。外から様子を窺った時から。少女が眠りにつく、その時に、自分は間に合わなかったのだと。
「お嬢様……」
少年は小瓶を右手に持ったまま立ち尽くした。左手で自身の胸元を強く握りしめて。
開け離れたままの扉から、風が吹き込む。誰かのすすり泣く声が聞こえた。
どれ程、そうしていただろうか。
少年は側机に持っていた小瓶を、コトリと置いた。
それからスルスルと、顔に巻いていた包帯を解いていく。
長く、真っ白な包帯が絨毯の上に落ちて、小さな山を作る。少年の目を閉じたままの顔が顕になった。
瞼を開く。その下から現れたのは金色の大きな瞳。縦に細長い瞳孔は、人のそれとは大きく異なっていた。
少年は確認するように一度顔に触れて、それから一歩下がった。
「お嬢様、約束を一つ破ってしまった私に、どうかもう一つの約束を果たさせて下さい」
恭しく腰を折りながら少年は風に夜色の髪を揺らし、自由になった満月色の瞳で少女の寝顔を見つめて、そう言った。
その夜、思い思いの理由から夜更けを過ごしていた人々は見たという。
星を横切る、巨大な夜の姿を。
それがなんであったのか、この国の人々は語り合うことはしなかった。
噂を聞いた人々は、ただ、黙して星を見上げるばかりだったという。
『竜は少女と星空へ舞う』
《完》
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