タイムスリップ~五年後から来た未来人~
――俺は、ほんの少し先の未来から来た。
五年後だ。
どうやって来たか、教えてやろう。
ただ、道を歩いていたんだ。
俺は大学生で、駅へ向かっていた。
その途中で……タイムスリップしてしまったのだ。
気が付いたら、やけにレトロな風景が目の前に広がり、いつも見慣れた景色な筈なのに、知らないものばかりになっていた。
五年って、大した事がないと思うだろう?
俺もそう思っていた。
だけど実際に五年後から来てみると、驚く事ばかりだ。
こんな事も知らないのか、元々はこんなだったのかと、自分の記憶を探ってみても、そういえばそうだったような……という朧げにしか思い出せない。
人間の記憶なんて、いい加減なもので、自分に関わる事、興味のある事しか、よくは覚えていないんだ。
俺が今いる『ここ』が、五年前の世界だという事は、すぐに判った。
五年だぜ?
そこまで変わる訳がないだろう。
コンビニ入りゃ、いくらでも情報はある。
五年で大きく変わった事。
五年経っても何も変わらない事。
……差は大きい。
俺は、俺の記憶を頼りに、婆ちゃんの所へ身を寄せた。
婆ちゃんは一人暮らしだ。
何と説明すれば良いか判らなかったが、しどろもどろに説明をする俺を、婆ちゃんはニコニコと笑って、俺が俺である事を……俺が、婆ちゃんの孫である事を、信じてくれた。
五年前の俺は、まだ高校生だというのに……。
ボケている訳じゃないんだぜ。
ただ、孫の俺の言う事だからと信じてくれたんだ。
優しい婆ちゃん……大好きだった婆ちゃん……。
あと三年で、この世からいなくなってしまうんだ。
俺はそれを知っているから……哀しくなる。
そして同時に、また会えて、本当に嬉しい。
高校生で自分の事しか考えてなくて、遊びに来て欲しいという婆ちゃんの言葉にも耳を貸さずに、突然迎えた別れの時間を……俺は今、取り戻す事が出来る。
婆ちゃんの所へ身を寄せて、婆ちゃんにスマートフォンも買って貰った。
これで世の中を知る事が出来る。
婆ちゃんには、俺の事は誰にも内緒で、と約束した。
未来から来たなどと、他に誰が信じるというんだ。
婆ちゃんは、よく信じてくれたものだ。
……いや、本当はどう思っているか判らないが、孫であるという事だけは確信してくれている。
毎日、毎日、俺は婆ちゃんの家の中で、婆ちゃんの料理を食べる。
田舎料理だ。
味の濃い煮物が多くて、俺の大好きな肉や加工食品なんか出て来やしない。
それでも他に行く所なんかない。
この機会に婆ちゃん孝行を考えるが、やはり俺は身勝手だ。
たまに肩を揉んだり、長々とした話を聞くだけで、世話になっているだけに過ぎない。
婆ちゃんの優しさに、どっぷり浸かって怠惰を貪んで。
……未来から来た俺は、何をしているんだろう。
高校生の俺は、今頃どうしているだろうと思い出す。
この時期は……この時間は……。
このタイムスリップに意味はあるのだろうか。
婆ちゃんに会えた。これは嬉しい。
しかし、それ以外は?
俺のいた五年後は、今、大変な事になっている。
もう少し前に、何かをしていたら……。
問題になっている、あの根本が成立されたのは、二、三年前だ。
これを阻止出来たなら……。
しかしそれをしたら、歴史が変わってしまうのではないだろうか。
そうしたら、俺は帰れなくなるんじゃないのか。
俺の元いた世界へ。
元いた五年後……。
あそこに帰れるのだろうか……。
一日、一日と過ぎていく。
何もしないままで、時間だけが経って行く。
俺の寿命も、この五年前の世界で、何もしないまま費やされていく。
俺は駅へ行って、そこから大学へ行き、講義を受ける予定だったんだ。
あんまり休んでいると単位が足りなくなる。
大学卒業が出来なくなってしまう。
そうなったら俺の人生、予定通りいかないじゃないか。お先真っ暗だ。
……いや、帰れるか判らなくなって来た。
むしろ、どうやって帰れば良いんだ。
タイムスリップだろ?
自然現象みたいなものだろ?
そんな突発的な、奇跡みたいなものに乗ってしまったんだぞ。
もう一度乗れる確率って、どれだけだ。
帰れなかったら、どうしよう。
俺の時間、あの世界へ。
いや、よく考えてみれば、もう既に俺の世界では無かった事が起きている。
――今の俺の存在だ。
婆ちゃんはずっと一人暮らしで、誰とも住んでいなかった。
だけど今、俺は婆ちゃんの所へ身を寄せて、婆ちゃんと暮らしている。
これだけで婆ちゃんに影響が出ている。
楽しそうに話す婆ちゃんは、頬をピンクに染めて、とても生き生きとしている。
もしかするとこの楽しさが、婆ちゃんを俺が知っているより長生きさせてくれるかもしれない。
それはそれで嬉しい。
婆ちゃんとの、この時間が少しでも長く続くのは、俺の望みでもある。
しかし、それでは俺の記憶とは違う。
歴史が変わってしまう。
婆ちゃんが生き続けたら、どうなるんだ?
五年後、俺にはもう婆ちゃんはいなかった。
しかしそこでもまだ、もし生きていたら……。
五年後には、今高校生であるこの時間の俺もいて、今の未来から来た俺がまだ婆ちゃんの所で厄介になりながら、ただ漠然と生き続けるのか?
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
そんな人生は嫌だ。
俺は大学でやりたかった勉強を存分にして、そして社会へ出て、嫁さん貰って、子供作って……そういう人生を送りたいんだ。
婆ちゃんの所でグダグダしているだけなんて、ただのクズじゃないか。
俺は戻る。絶対に戻ってみせる!
――と意気込んでみても、戻る方法などみつかる訳がない。
……もしも、戻れないのなら……。
いっそ、五年後の未来で問題になっている、あの事を公表するか、その元凶を世間に知らしめて、問題になる前に阻止してやろうか。
それをしたら、完全に俺の知る、未来の五年後は来なくなる。
俺は確実に戻れなくなる。
どうすれば良いのか、何をすれば良いのか、判らないまま……。
ただただ、時間だけが過ぎ去っていく。
一年……二年……。
そして三年目。
もうそんなに経ってしまったのかと、何もしていない自分に嫌気が差す。
俺の知る婆ちゃんの命日は、もうすぐだ。
婆ちゃんがもし、その日に本当に死んでしまったら、俺はどうしたら良いのだろう。
居る所も、なくなってしまう。
俺がいて良い場所が。
俺の存在が。
否定されてしまう……。
もしも……。
あの時、駅へ向かっていなかったら、こんな事にはならなかっただろう。
五年……いや、もう三年経ってしまったから、二年後のタイムスリップする前の俺を。
どうにかして駅へ行かないようにすれば、こんな事にはならない。
高校生だった俺がいる。
アイツを……このまま、タイムスリップしたあの日を待って、何とかして駅へ行くのをやめさせれば……。
俺は……。
いや、そうだとしたら「俺」はどうなるんだ。
今でも「俺」は二人いる。
高校生だった今の時間に元からいる俺を、タイムスリップしないように止めてしまったら、そのまま「俺」が二人の状態で、ずっとこのまま進んでいくのか?
タイムスリップしなければ、高校生だった俺は、確かに俺が望んだ人生を歩むだろう。
しかし、今、ここにいる俺は?
何もせずに、ここにチンタラ居続けただけの俺はどうなるんだ?
三年……俺は、何をしていたんだ。
本来なら、大学で存分に勉強をして、社会人になって……。
充実した人生を送るはずだった。
それが今は、何もしていない。
婆ちゃんがいなくなった後は、どうなるか判らない。
帰りたかった五年後も、今帰っても、三年もここで費やしてしまった自分が、そのまま何事もなくタイムスリップしたあの日の続きが出来るとは思えない。
どこで狂ってしまったんだ……どこで!
いや、そんなのは、とうの昔に知っている。
タイムスリップしたあの日に、すべてが狂い、すべてが終わった。
俺はどうすればいい……どうなるんだ。
このまま、名前も名乗れず戸籍もなく、人知れず死んでいくしかないのか。
「教えてやろうか」
どこからか聞こえて来た、その声は……いや、声なのか文字なのかすら、俺には判らなかった。
ただ……俺の前に、提示された。
「二年後、高校生だったお前が駅へ向かいタイムスリップするのを阻止しろ。そうすればお前は消えるが、元に戻れる」
その声……文字……思念……。
何だか判らないものは、それだけを俺に伝え、その後、俺が何を聞いても答える事はなかった。
それが何だったかを考える前に、俺は違う事を考えた。
『タイムスリップを阻止すれば戻れる』
『お前は消えるが』
どういう事だ……。
阻止すれば戻れる。
戻れるのは嬉しいが……『消える』?
その瞬間に、すべての謎が解けた。
簡単な事なんだ。
俺は、俺を止める事で、ここにいる俺を消して、高校生だった俺が、俺が望んだ人生をそのまま歩む事になる。
俺が、高校生だった俺を止めないと、ヤツは俺と同じように過去へ戻ってしまう。
そして今ここにいる俺が、その先を続ける事になる。
――だが五年もチンタラし続けた俺が、マトモに俺が望んだ人生を歩めるとは、もう思えない。
あの日の続きを出来るとは……思えない。
それならヤツが、俺の望んだ人生を、そのまま続けて叶えた方が良い。
だけど、もうこうなってしまっては、俺は俺であり、高校生だった俺は、もはや別人だ。
俺が消える……。
ヤツを止めるのは、俺にしか出来ない。
だけど、ヤツを止めたら、俺が消えて、ヤツに吸収され……俺がいなくなってしまう。
この三年間……いや、ヤツを止めるまでに経験する五年の時間を。
俺は失う。
今いる、この俺が消えてなくなる。
消える?
嫌だ……嫌だ……嫌だ……!!
俺は生きている。どんな人生を歩もうと生きている。
ヤツは、もはや別人だ。
途中まで同じ記憶を有した、別人なんだ!
俺が今まで感じた事……。
過去に来てしまって不安だった思いも、大好きな婆ちゃんと過ごしたこの日々も、こうして帰れなくて悩んで苦しんだ、この記憶も……すべて失ってしまうなんて。
俺の存在自体が、なくなってしまうなんて!
嫌だ! 俺は生きたい!!
――刻、一刻と、時間は迫って来る。
……婆ちゃんは、死んだ。
俺の知っている日に、俺の腕の中で。
穏やかな死に顔だった。
俺の知っている、記憶の中の葬式で見た婆ちゃんの顔も……こんな風に穏やかだった。
俺は、俺の痕跡をすべて消して、すぐに婆ちゃんの家を出た。
婆ちゃんが持っていた現金を、少し拝借して。
小遣いと言ってくれた金が少しばかりあったので、それで当分は暮らしていける。
婆ちゃんが買ってくれたスマートフォンも、すぐに使えなくなった。
当たり前だ。婆ちゃんが死んで、どこに払っているか判らない金なのだから切るだろう。
婆ちゃんから貰った金も、すぐに底をついた。
――五年。
俺は今、俺の家の前にいる。
ここでヤツを止めれば……俺は消える。
優しい婆ちゃんとの、この記憶も。
苦渋に満ちた、五年の記憶も。
……高校生だった、これから望む人生を歩んでいく俺には、要らないものなのだろう。
その方が良い。
何も、歴史も変わる事なく『今』がある。
世界の問題は問題のまま、起き、進み……俺の知っているこの時間は、まだ見ぬ未来へと、このまま進んでいく。
俺は、何の為にタイムスリップなんかしたんだ。
俺は何の為に、ここにいるんだ。
その答えは、今、判る。
タイムスリップする俺を、俺が止めて、俺が望む人生を、あの時の俺が……何事もなかったように、あの日の続きを俺がする。
この五年の記憶を失って。
戻ろう……あの日へ。
『俺』は、いなくなるけれど――