#4-11.ゼノビアの物語
私は、奴隷として産まれました。奴隷である母親から。
父親が誰かは知りません。
その母も、私が物心ついてすぐに、病気で亡くなりました。
私たちの主人は、たくさんの奴隷を持っていました。南の大陸の豪商だったようです。
そして、奴隷の中でも獣人は虐げられていました。同じ奴隷であっても、ヒト族の方が立場が上だったのです。その獣人の中でも、トカゲ人は酷い扱いでした。
私が成長して、月のものが来るようになってからは、特に。主人は、面白半分に他の獣人に私を手込めにさせたのです。
「どんな子供が生まれるか、確かめてやろう」
アフロディエル神の加護がなければ、子を宿すことなどないのに……。
記憶に残っているのは、そんな毎日でした。地獄というのは、あんなところを言うのだろう、と。そう思っていました。
とんでもない。もっと酷いことが、この世にはあったのです。
ある日、魔族が街を襲いました。多くの人が殺されました。その中に私たちの主人がいました。私たち奴隷は、自由と引き換えに死すべき定めとなったのですが。しかし、ただ死なせてはくれなかったのです。
魔族は私たちを捕らえ、魔王に献上しました。
奴隷としてではなく、食料として。かつての主人が、酒のつまみに干し肉やナッツを食べたように、魔王は私たちを食べるのです。男も女も、全裸に剥かれて。
そして、さらなる絶望。
私たちを助けに来た勇者さまが、目の前で魔法陣に磔になっていました。彼と共に来た魔術師も、別な魔法陣に囚われています。
「いや! 助けて! 死にたくない!」
私の隣にいた小人族の女性が、魔王に掴みだされました。母が死んでから、異種族の私にも優しくしてくれた人です。その彼女が、目の前で手足をちぎられ、生きながら食べられていく。
私もあんな風に死ぬのだ、と思いました。酷い、あんまりだ。せめて、もっとまともな死に方をしたい。
その時、何かが起こりました。気が付くと、魔王はズタズタになって死んでいて、私たちの入れられていた檻も、正面の鉄格子が四角く切り取られていました。
光を失った魔法陣の中には、勇者さまが座り込んでいました。魔術師は、その向こうに倒れたまま。
「早く逃げろ」
勇者さまがそう言うと、みな檻から逃げ出しました。私も外へ出ましたが、すぐに力尽きてしまいました。
気が付くと、私は寝床に寝かされていました。今までに寝たことがないほど、清潔な寝床でした。
「意識が戻ったか」
声をかけてきたのは、勇者さまと一緒にいた魔術師の少年でした。
「薬を用意した。飲むと良い」
そう言うと、湯気の立つ液体の盃を差し出しました。
「私は主を亡くした奴隷の身です。じきに、この命は尽きます」
すると、彼は微笑みました。
「なら、問題ない。俺の奴隷になれば済む」
彼の名はオルフェウス。そして、私にゼノビアと言う名を与えてくださいました。
魔王の罠にかかって魔人となってしまったため、この城に住んでいるのだと、おっしゃいました。
*********
オルフェウスさまは魔王の城にこもり、毎日、魔王の蔵書を読みふけっています。時々、どこかへ出かけて、食料などを持ち返ります。
私の役目は、わずかに使える火魔法を使って、そうした食材を調理してお出しすること。魔力は使うほど上がるからと、かなり酷使されましたが、確かに上達していきました。魔力も、料理の腕も。
「ゼノビアの作る料理も、入れてくれるお茶も美味いな」
オルフェウスさまは、いつもそう言って召し上がってくださいました。
しかしある日、私に読み書きも教えると言い出されて、びっくりしました。
「この城には山ほど本があるが、整理されていなくて困ってる。文字が読めれば、アルファベット順に並べるくらいは出来るだろう」
こうして、私にはもう一つ、オルフェウスさまのお役に立てることが増えました。
そんなある日。オルフェウスさまが悲し気な顔で、一冊の書物を眺めていました。読むというより、考えにふけっているような。
「いかがなされましたか?」
「いや……魔王というのは、死と破壊の知識ばかりを欲するのだな、と」
そこに記されているのは、ここから西にある大陸を死の世界に変え、暗黒大陸と呼ばれるようにしてしまった魔術だと言うことでした。
西の大陸には、かつて非常に高度な魔法を使う王国があったそうです。そこでは、無から新たな命を生み出す研究がなされたとか。しかし研究は失敗して、命ある何もかもを食いつくす、真っ黒なスライム状の魔物が生れてしまったと。
西の大陸はほどなくその魔物に埋め尽くされたが、魔神様がその魔物を滅ぼし、どうしても消せなかった最後の欠片を、厳重に封印した。そう、文献に書かれていました。その封印した場所までもが、詳しく。
「魔神の鼻をあかすために、これを使うのも一興だが」
そんなことをおっしゃるので、思わず意見してしまいました。
「どうかおやめください! そんなことになったら……」
奴隷の分際でなんてことを。厳しい叱責があると思い、私は身構えました。
「やらんよ。冗談だ」
そう言って、私の入れたお茶をお飲みになられました。
でも、小さな声でつぶやかれたのです。
「滅びるのは俺一人で良い」
*********
私が魔人となると、オルフェウスさまは大そう喜んでくださいました。
「これで、お前の入れてくれたお茶がずっと飲めるな」
魔人となると、魔力次第で自由に外見が変えられるようになるそうです。そのため、種族での差別は無くなるのだと。なんと素晴らしい。
私たちを捕らえた魔王はおぞましい存在でした。勇者に滅ぼされて当然です。それでも、オルフェウスさまが魔王に即位なされば、きっとこの世界も良くなるはず。
私はそう信じて疑いませんでした。
そして。
遂にその日が来たのです。私は心からの喜びを伝えました。
魔王オルフェウスさまは、私をトラジャディーナの王宮へ使者として送られました。そこで私は、この百年ほど学んできた魔法で、外見を変えてみました。人間の少女の姿に。種族による偏見へのささやかな意趣返しで、溜飲を下げることができました。
*********
しかし。
すべての魔王は、いずれ勇者と戦うという運命から逃れられません。
オルフェウスさまと勇者が対決したとき、私は迷宮の底に戻されましたが、そこから入り口まで駆け上がりました。もしもの時に、おそばにいるために。
そして、オルフェウスさまが倒されてしまった、まさにその時。
いつも首にかけておられたチョーカー、人間サイズには非常に大きなペンダントの銀色の玉が、私のところまで転がってきたのです。
私は確信しました。
これこそ、私がこの世に生まれた理由、果たすべき役割だと。
オルフェウスさまの存在を許さなかったこの世界。魔王ですら手ごまとして使い捨てる魔神。
その裏を書いてやる。人も魔物も何もかも含めて、滅びてしまえばいい。
そういう思いが突きあげてきました。
銀の球体の中に納められた、勇者の魔核を用いて、まずはオルフェウスさまの書庫へ。ずっと私が整理してきたので、あの禁断の書物はすぐに見つかりました。片付けるのももどかしく、そこに記されている西の大陸の廃墟へ、私は飛びました。その地下に広がる迷宮の奥底にある、出入り口のない閉鎖空間も、この魔核が持つ瞬間転移の前には意味がありません。
こうして私は、実にあっさりと、その「全てを喰らうもの」と呼ばれた魔物を封印した壺を手に入れました。
この封印を破るべき場所は、オルフェウスさまが倒されたあの場所しか考えられません。
変わり果てた姿となったオルフェウスさまのそばにひざまずきました。
「オルフェウスさま」
呼びかけても、答えはありません。あの穏やかな声は、もう二度と聞くことは出来ないのです。
「一緒に参りましょう」
大切な、厳粛な、死出の儀式。
それが邪魔された。
「いったい何をしてやがる!」
あの勇者だ。オルフェウスさまを殺した。
「寄るでない! 汚らわしい!」
思わずそう叫んで、銀の球体を投げつけてしまった。
構わない。もう必要ないのだから。
「オルフェウスさまのいない世界など、滅びてしまえばいい!」
そう叫んで、私は壺の封印を解いた。
闇が広がった。
苦痛に満ちた、甘美な闇が。
そして、無。




