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#4-1.ルフィの物語1

 俺は、両親を知らない。物心着いた時にはすでに、盗賊の親方の下で盗賊としての訓練に明け暮れていた。物音をたてず、気配を消して、館に忍びこむ。そして金品を盗み、時には人を殺す。訓練だけでなく、やがて実際の仕事も任された。

 ある日、親方に呼ばれた。

「お前は見所がある。特に気配を消すスキルは大したものだ。まだ餓鬼のくせに。そこでだ」

 机の上の図を、パンと手で叩く。

「ひとつ、大口の仕事をやってもらおう。うまくいけば、いいもの食わせてやれるぞ」

 俺はうなずいたが、褒美のほうはピンとこなかった。オート麦の粥と硬い塩肉くらいしか食べた事がなかったからだ。

「これは屋敷の見取り図だ。魔法ギルドの大賢者のな。この家にはとある魔法具があり、それを高値で買い取りたいってお客がいるんだ」

 魔法具がどんな用途のものだったかは覚えていない。俺がやる事は、単純に忍びこんで持ち出すだけの事だ。そして、もし誰かに見つかったら殺す。

 それから何日かかけて、見取り図を暗記させられた。似たような作りの廃屋を親方が見つけ、何度も訓練を繰り返した。

 そして、いよいよ仕事の日が訪れた。俺は親方に連れられて屋敷の下見に行った。あの廃屋と違って、高い壁に囲まれ、あちこちに警報の結界が張られていた。盗賊ギルドに伝わる魔術でそれらを確認し、一旦、親方と宿に引き上げた。

「よし、腹ごしらえをしておくか」

 宿の一階の食堂で、親方は二人分の食事を注文した。

「はい、こちら、息子さんの分ね」

 給仕の女性が奇妙な事を言って、皿を置いて立ち去った。

「ふん、息子か」

 親方はエールを一口あおると、ニヤリと笑った。

「おう、しっかり食っておけ」

「……はい」

 深皿の野菜スープ。これはたまに食べる。平皿の上には黒いパンと……肉の塩焼きが載っていた。あとで鳥のもも肉だと知ったが、見るのも初めてだった。

 肉にかぶりつく。塩肉じゃない。生肉に塩を振って焼いたものだ。

「うまいか?」

「……うん」

 返事をするのももどかしいほど、俺は肉を噛みしめ、飲みこんだ。またかぶりつき、噛みしめる。肉ってこんなに汁気がたっぷりなのか。パンも食べた。固くて酸っぱいが、親方の真似をしてスープに浸すと柔らかくなる。

 全て食べ終えても、まだ食べたかった。

「仕事がうまく行ったら、もっと美味い物を腹いっぱい食わせてやるからな」

「はい!」

 そうだ。仕事だ。食わせてもらう以上に仕事をしなければ。


********


 夜中に、宿の者に気づかれぬよう、厠に行くふりをして抜け出す。仕事の時はいつも一人だ。気配を消して、夜の闇にまぎれて、目的の屋敷へ向かう。

 屋敷の灯りは既に消え、寝静まっている。俺は猿のように塀を昇り、内部に降り立った。警報の結界をやり過ごし、屋敷の裏の勝手口を探る。簡単な施錠だ。ここも警報の呪文がかかっているので、盗賊の呪文で打ち消し、懐から出した道具で解錠する。音が出ないように、これも懐から出した小瓶の油を蝶番に挿して、ゆっくりと戸を開く。

 中は厨房だ。ひたすら気配を消し、部屋の影から影を伝って廊下へでる。そして、階段を上る。上りきった所に、またも警報の結界。これも打ち消して二階の廊下を進む。そして、目当ての部屋の扉。ここも結界を解除して中へ。

 あった。部屋の奥のマントルピースの上に、その魔法具は置かれていた。慎重に近づき、結界も罠もない事を確認してから、手を伸ばした。

 その瞬間、四方から蛇のようにロープが飛びつき、俺の手足に巻き付いた。大の字になって宙づりにされる。

 そして部屋の明かりが点り、一人の老人が奥の戸口から現れた。白髪に白い髭を伸ばした、親方より背の高い男だ。高そうなローブを着ている。

「なかなかの手際と思ってみれば、こんなに幼い子供だとはな」

 失敗だ。言われたように、口に含んでいた毒薬の玉を噛み潰そうとしたが、顎が動かない。上下の歯が引っ付いてしまっている。

「死なせるには惜しい。そなたには魔術の適性がある」

 老人が呪文を唱えると、今度は勝手に口が開いた。毒薬の玉が床に転げ落ちる。

「子供に与えるのは飴玉にすべきだな」

 老人が何かつぶやくと、玉は自らその手に飛び込んで来た。彼はそれをマントルピースの暖炉に投げ込んだ。パッと炎が一瞬上がり、玉は焼き尽くされた。

「……さっさと殺せ」

 口がきけるようになったので、そう言った。

「子供は殺さんよ」

 なにを言っているのか分からなかった。

「どうするつもりだ?」

 親方から以前、子供をいたぶって喜ぶ奴の話を聞いた事がある。あれだけはごめんだ。

「わしの弟子にならんか?」

 白いあごひげをしごきながら、こともなげに老人は言う。

「そなたなら腕の立つ魔術師になれる。加えて、盗賊としてのそのスキルがあれば、なかなか役に立つ人材となるだろう。このご時勢ならなおさらだ」

 俺が沈黙していると、老人は懐から魔法具を取り出した。丸い玉に円錐形の持ち手が付いたものだ。

「修行中はわしの奴隷となってもらおう。それにはそなたの同意が必要じゃ」

「いやだ」

 俺の返事に、老人は苦笑した。

「悪いようにはせんぞ。そなた、盗みの褒美になにをくれるとか言われんかったか?」

「……美味い物を腹いっぱい食わせてくれると」

 老人は目を丸くしたが、次に目を細めてカラカラと大笑いした。

「うむ。なら、毎日わしと同じものを好きなだけ食わせてやろう」

 これは俺にも意外だった。

「俺を奴隷にするのに?」

 老人は微笑んだ。微笑まれたのなんて、初めてだった。

「奴隷をどうしようと、主人の勝手じゃからな」

 老人の瞳を見返すと、何故か胸の中が暖かくなった。

「わかった」

 老人は再び微笑んだ。

「それでは、そなたに新しい名前をつけよう。ただし、この名前は誰にも教えてはならん。そなたを騙して、契約の呪文で悪用する奴がいると行かんからな」

 その時には意味が分からなかったが、俺はうなずいた。

 老人は俺をロープから解放してくれた。そして、俺は彼の奴隷となった。


********


 それから俺は、老人を師として様々な事を学んだ。老人の事は老師と呼ぶよう言われた。まずは読み書きから。そして魔術。初級から中級へと。乾いた砂に水がしみ込むように、俺は教えられた事を吸収した。そのたびに老師は微笑んだ。

 毎日、老師は俺と一緒に同じものを食べた。料理は美味かった。それまで見た事もない食材ばかりだが、オート麦の粥や塩漬け肉ですら、盗賊だったころに食っていたものとは比べようがないほど良い味だった。

 しかし、老師の食べる量が徐々に減っている事に気付いたのは、かなり後になってからだ。

 十五歳となった時、老師が言った。

「この服に着替えて、わしについてまいれ」

 手に取ると、立派なローブだった。それまで着ていた服もかなり上等なものだが、これは別格だった。

 着替えて老師の所に行くと、彼は杖にすがって立ち上がった。魔法を唱えるための杖が、最近では立って歩くために使うようになっていた。

 屋敷の門から馬車に乗り、立派な神殿に着いた。杖にすがっても立ち上がる事がつらそうな老師を、俺は魔法の手も使って支えながら、神殿の奥の祭壇へと向かった。

 老師が神官に向かって言った。

「わしは見ての通り、もう長くない。この子を奴隷から解放したい」

 神官は老師からうやうやしく金貨一枚を受けとると、俺と老師を迎え合わせに立たせ、祈りをささげ始めた。しばらくすると、俺と老師の体を白い光が包み、消えた。

 帰りの馬車の中、老師は口もきけないほど弱っていた。屋敷に着くと使用人たちが出迎え、その中で体格の良い男が老師の体を抱きかかえて寝室へと運んだ。

 しばらくすると、執事のブラウニーが俺を呼びに来た。寝室に入ると、ベッドの上の老師が、いつもの頬笑みを投げかけていた。

「そなたに礼を言わんとな」

「礼なら俺の方が――」

 老師は首を振った。

「子供のいないわしにとって、そなたは息子のようなものじゃ。わしの知識と技術を、全部そなたに託した。そなたのおかげで、わしの一生は無駄にならずに済んだ」

 微笑んで、老師は言った。

「そなたのおかげで、わしの人生はまんざらでもなかったのう」

 俺は黙っていた。なにも言えなかった。

「最期に、そなたに頼みがある」

 老師の言葉を待った。彼はしばらく目を閉じていたが、目を開いて言った。

「うむ。なんとか間に合ったようじゃの」

 その時、扉が勢いよく開けられ、一人の少年が飛び込んで来た。俺と同じくらいの年の、髪も目も黒い、敏捷な感じの少年だ。

「じっちゃん、ウソだろ? この前まであんなに……」

 老師は、俺に向けるのと同じ頬笑みを、少年に向けて言った。

「勇者ムサシよ。そなたと共に旅立てぬ事を詫びねばならぬ。代わりに、わしの愛弟子を、そなたに委ねたい」

 少年は俺の方を初めて向いた。老師は俺に向かって言った。

「最期の願いじゃ。勇者と共に、魔王を討ってくれぬか?」

 老師の言葉に、別れの時が来た事を悟った。

「わかりました」

 目が痛む。いや、熱い。何かと思えば、老師がまた微笑んだ。

「初めてじゃな、そなたの涙を見るのは」

 涙。これが涙か。俺は今、泣いているのか。

「よし、これでよし」

 老師はつぶやくと、静かに目を閉じた。

「……これで終わりじゃ」

 沈黙。その中で、俺は悟った。

 老師の時間は、この微笑みを浮かべたまま止まったのだと。

 しばらくすると、少年は俺に向かって右手を出した。

「オレはムサシ。みんなからは勇者とか呼ばれている」

 俺はその手を握った。大きくて温かく、剣のたこでごつごつしている手だ。

 そして俺は、本名を縮めた呼び名を名乗る。いつも老師が呼んでくれた名を。

「ルフィだ。大賢者の弟子と呼ばれている」

 俺たちはこうして、一緒に旅に出た。


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