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#3-17.皇帝の涙

今回、ミリアム視点です。


 皇帝クロードは、太守の部屋で椅子に腰かけていた。鎧姿のままで、その膝の上には鞘に入った宝剣。

「ミリアム・ガロウラン様をお連れしました」

 そう言うと、侍従は私の後ろでドアを閉めた。

 部屋は広い。天蓋つきのベッド、机、椅子、どれも贅を凝らしたものばかりだ。しかし、灯りはなく、窓から差し込む月の光に照らされているだけだった。

「ミリアム。よく来てくれた。そこに座ると良い」

 クロードはベッドを指して言った。一礼して腰を下ろす。

 彼は私の方を見ず、膝の上の宝剣を見つめながら話しだした。鞘にはめられた宝石が月光を受けて輝いている。

「祖母、勇者ナオミが、鉱人族(ドワーフ)の名工でもある族長タルンドルフに作らせたのが、この神剣キフォスガロウだ」

 半分ほど剣を抜く。片刃の、反りの強い刀身。

「作らせるにあたって、祖母は言ったそうだ。鉄は折り返して鋼となる、と。それだけでタルンドルフは全てを悟り、三月(みつき)の間、工房から一歩も出ずにミスリル鋼を打ち続け、この剣の刃を鍛えた」

 彼は剣を目の前に掲げた。

「元は槍のような長い柄の付いた、ナギナタという武器だったらしい。それを祖母は振るい、魔王を倒した。その際に柄が折れたため、再びタルンドルフが剣としてあつらえ直し、この鞘を作ったとされている」

 剣を鞘に戻し、彼は続けた。

「この鞘には鉱人族(ドワーフ)の魔法が込められていて、彼が認めた者、勇者とその血を受け継ぐ皇帝だけが抜く事ができる。つまり、勇者の、皇帝の証だ」

 うつむき、膝の上の剣を凝視するクロード。

「余は……皇帝だ。魔王の手から民を護るために生かされている。なのに……」

 顔を上げ、窓から外を見た。ここからは街の南側がよく見える。月の明かりに照らされた、真っ暗な闇が。

「……誰ひとり、救えなかった!」

 立ち上がり、窓辺に歩み寄ると、窓ガラスに籠手をはめた手のひらを打ちつける。

「自分の力に酔っていた。被害を減らすため、敵を街の外に誘導すべきだった。そうしてさえいれば……」

 私はベッドから立ち上がり、声をかけた。

「クロード。あなたもタクヤと同じね。戦いの後で、あの時こうしておけばと悩み苦しむ」

 歩み寄り、剣を掴んでいる方の腕に触れる。

「タクヤが涙の勇者なら」

 その横顔の頬は濡れていた。

「あなたは涙の皇帝」

 端正な顔がこちらを向いた。この顔に胸がときめいたのが、はるか昔に思える。今、胸に湧き上がるのは、いたわりの気持ちだけ。

「タクヤはずっと、この街で救えなかった人たちの事を思い続けてます。だから、困っている人や危険な目に会ってる人を見過ごせない。二度と同じ思いをしたくないから」

 制服のポケットからハンカチを出し、彼の頬を拭う。煤で真っ黒になったが気にしない。

「あなたもどうか、その気持ちを忘れず、皇帝の務めを全うしてください」

 彼の瞳に光が戻った。

「それで余は許されるだろうか?」

「皇帝を断罪できるものなどおりません」

 不意に、抱き寄せられた。冷たい胸当てが頬に当たる。殿方に抱きしめられるなんて。タクヤにもされた事がないのに。

 なのに、私は落ち着いていた。

「陛下、お戯れを」

 頭上でため息。

「こんな時は、名を呼んではくれぬのか」

 彼は私を放してくれた。

「なぜだろう、ミリアム。そなたにだけは本心を明かせる」

「皇后さまには心配をかけたくないのですね」

 夫の身を案じて、肩を震わせ泣いていたルシタニア皇后。可憐な女性だ。護ってあげたいからこそ、話せないこともある。

「できれば、側室に迎えたいくらいだ。タクヤ殿がいるから無理だが」

「……軽口が言えるなら、大丈夫ですね」

 私は一礼した。

「今夜は下がらせていただきます、皇帝陛下」

 彼はちょっとばつの悪そうな顔だった。


********


 翌日の夕方、アストリアス王国の派遣隊、六千が到着した。

 その隊列を見て、パトリックが渋面でつぶやいた。

「一昨日までに着いてりゃな」

 首を振りつつ、答える。

「魔族が相手では無理よ」

 実際、あの戦闘で騎士たちは牽制するのが精いっぱいだった。帝国の派遣隊の被害がほとんどなかったのは、魔族が真っ先に城門を燃やし、外の主力部隊を閉めだしたからだ。皮肉なことに、彼らは城壁に守られたと言える。

 私の魔力の鎧も、あの時いた近衛の騎士たちが精いっぱいだった。少数だったからこそ、助かったのだ。

「この戦い、皇帝陛下に頼り切りだな」

 彼の言う通り。勇者とは一人で万の騎士に匹敵する、破格の存在。その血を引く皇帝も同じだ。相手が魔族や魔王なら、クロードだけが頼り。

 ……もう一人、タクヤがいるけど。彼に押しつけるわけにはいかない。彼は彼で、この世界を救うために旅をしているのだから。

「魔族は数が少ないはず。魔物の軍勢が相手なら、数が意味を持つわ」

 ペイジントンでも、魔族とたたかったのはタクヤ一人。私は魔物を相手にしただけ。それも、キウイに対価を引きうけてもらいながら。

 今回はもっと多くの敵を相手にするはず。そうなれば、味方の軍勢は多いに越したことはない。帝国側と合わせて一万六千。決して弱兵ではない。

 その後、私たちは交替で敵襲を警戒しながら夜を過ごし、翌朝、小雪のちらつく中を合同派遣隊は出発した。

 進路は北。雪深いエルトリアス王国。

 北の大陸の北端にあるエルトリアスは、アストリアスの東側にある妖精郷やその南の獣人諸国を迂回する形で、大陸の東端のオレゴリアス公国へと接している。このルートをエルトリアス回廊、または単に北回廊と呼ぶ。

 さすがに、行軍中に魔法で除雪するわけにも行かないので、私たちは騎士たちが踏み固めた雪の上を延々と歩き続ける。こういう時は、魔力より体力ね。

 雪に覆われた平原に曇天からさらに雪が降り積もる。せめて晴れていれば景色の美しさを愛でる余裕も生まれるのに、気が滅入るばかり。

 そこへ敵襲があった。

「右手より、雪狼の群れ!」

 隊列の先頭から声。それを後方の騎士が復唱し、後ろへと伝える。騎士たちは全員抜刀し、あるいは斧槍(ハルバード)を構える。

 雪狼は巨大な白い狼だ。いつか倒したゲリ・フレキと同サイズだが、数十頭の群れで獲物を狙う。口から吹雪を吐くので、まともに浴びたら動けなくなる。雪の中ではまぎれてしまうので、発見が遅れたようだ。百ヴィ(七十メートル)も離れていない。

 もちろん、こちらは一万六千の大部隊だから、数の上では圧倒的だ。しかし、行軍中で長い列になっているし、踏み固めた道の外では雪で動くのもままならない。直接戦えるのは私たちの前後、百名前後だろう。

 パトリックがみなに指示を出した。二人が防御の結界を張り、残りは炎の矢の呪文だ。

 私も長杖を構え、騎士たちにかける保護呪文を唱え始めた。

「……魔力の鎧(マギキソラキ)!」

 騎士達の体が赤い光に包まれると同時に、部下たちの呪文が完成した。

「……守護の結界(フラグマプロスタ)!」

「……炎の矢(フィオヴェイロ)!」

「……炎の玉(フィオバーラ)!」

 半球状の光が私たちを取り巻き、八本の炎の矢と一つの火球が雪狼たちの群れに突き進んだ。矢は一頭の狼に集中し、火球はもう一頭に命中、爆発して深手を負わせた。他の分隊からも魔法攻撃が次々に命中するが、散発的で効果が薄い。そして、魔法が途切れた瞬間に、一斉に飛びかかって来た。

 待ち受ける騎士たちが武器を振るい、迎撃する。だがその瞬間。

 後ろ髪をまさぐられるような感触。振り返ると――

「後方、別な群れです!」

 胸が張り裂けんばかりの大声で叫ぶ。

 正面の倍はいる雪狼の群れが、背後からにじり寄っていた。五十ヴィ(三十五メートル)も離れていない。その中の特に大きな狼が、こちらへと飛びかかって来る。

 反射的に杖を掲げ、大火球(メガロフィオバーラ)を放つ。吹雪を吐こうとした狼の(あぎと)に大火球は飲みこまれ、爆発した。

 轟音と共に血と内臓がまき散らされ、守護の結界に弾かれた。

 その狼がリーダーだったのだろう。前後の雪狼の群れは退却していった。

「すげぇな、お嬢」

 パトリックが肩を叩いてねぎらってくれた。

「運が良かったわ。総員、ステータスを確認!」

 目を閉じて短い呪文を唱える。自分自身を鑑定する、対価がほとんどない簡易魔法。脳裏に光の柱が浮かび、下から赤く染まっていく。染まった分が対価だ。

 部下たちが申告する対価の割合を、パトリックが小さな石板にチョークで記録していく。八十以上は危険だから魔法の使用は禁止だ。ほとんど無視されている規則だが、私の分隊では厳守。

「よし、あとはお嬢だ」

「四十」

 私はウソをついた。簡易ではなく、自分自身を鑑定して分かった。

 対価はない。その上、さっきの大火球も鑑定も、無詠唱だった。

 前回、過剰対価(オーバードーズ)で気絶したあの瞬間、私の脳内に魔核が生じたに違いない。

 私は魔人になってしまったのだ。


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