#3-10.皇帝、出陣
今回、ミリアム視点です。
「ミリアム様!」
「なにかしら?」
一日の訓練が終わった後で、ジャニスにつかまった。
癖の無い金髪を後ろでひっつめにした、そばかすの目立つ少女。私の十人の部下の一人だ。副官のパトリックが私を「勇者の右腕」なんて紹介したものだから、すっかり私になついてしまった。そう言った人物に憧れる年代なのはわかる。
年齢的に、部下たちは弟や妹という感じだけど、彼女は特にその色が濃い。とはいえ、部下を好き嫌いで差別するわけにいかないから、あまりベタベタしない・されないように気をつけてはいる。
「あの、タクヤ様は、なぜ、涙の勇者なんでしょうか?」
涙の勇者、嘆きの勇者、泣き虫勇者。吟遊詩人に歌われたせいで、タクヤにはそんな二つ名がつきまとう。今朝の訓練前の教示で、タクヤのことを引きあいに出したからかしらね。でも、歌そのものを聞いた人は少ないらしい。
「晩御飯、食べながら話しましょうか?」
「……はい!」
ジャニスを連れて練兵所の食堂へ向かう。本来は士官と一般兵卒が一緒に食事をするなどありえないのだが、士官が一般兵の食堂に来る分にはお咎めは少ない。せいぜい、パトリックにお説教されるくらい。
気が付くと、私の部下たちが全員、ぞろぞろと後ろについてきていた。
「……その少女の亡骸をタクヤから引きはがすのが大変だったわ。そのあと、彼は一晩中、街中を歩きまわって犠牲者を探し続けたの」
いつもは喧騒に溢れている食堂は、何故か静まり返り、あちこちから嗚咽やしゃくりあげる声が聞こえた。向かいに座ったジャニスなど、その全部に加えて盛大に鼻をすすりあげていた。もう、顔中ぐしょぐしょだ。
「ゆ……勇者さま、可哀そうです」
そのジャニスだ。
「わけも分からず連れて来られて、役立たずだから捨てられて、それでも、死んだ人を助けられたはずだと苦しんで」
制服の両袖で涙を拭くから、洗濯しないとガビガビになってしまうわね。
「私も……私も、勇者さまのように、人を助けなくちゃ!」
そうね。これなのね、タクヤ。
「ありがとう、ジャニス」
口から自然に感謝の言葉がこぼれおちた。でも、その通りなんだと思う。
「勇者の証は、力じゃないの。戦う決意そのものなのよ」
思えば、ザッハは良い事を言ったわ。
「命を救うために戦いましょう。味方の命を救う。それは、自分の命を大切にすることも含みます。生きて帰れたものは必ずレベルが上がる。そうなれば、もっと多くを救えるはず」
この一週間、何度も話したことだ。皆、うなずいてくれた。私の直属の部下だけでなく、この食堂にいる誰もが。
明日、私たちは大陸の東へ向けて出陣する。お爺様も同じように東へ向かい、奇襲を受けて死んでしまった。私は……私たちは、同じ失敗は繰り返さない。
何としても、この場で共に泣いて笑ったみんなと、またここに戻って来なければ。
********
馬上の騎士たちの鎧が朝日に輝く。その後ろ姿を見ながら、私たちは行軍する。東へと。魔王の軍勢に向かって。
重装備の騎士に比べて、私たち魔法兵は軽装だ。戦闘時、騎士が前面に出て盾となり、後方から魔法兵が支援するためだが、不利となれば素早く逃げるためでもある。仲間の騎士を見捨てて。
そのため、騎士の中には魔法兵を快く思わない者も多い。しかし、魔法兵は伝令の役も兼ねている。遠話のような上級魔法はもちろんだが、使えるものは極一部。早馬で駆けるなら、小柄で軽装な者に限る。そして、敗北の知らせが届かなければ、さらなる大敗北を引き起こす。
だから、魔法兵は逃げる。逃げのびるのも使命の内だ。
しかし、逃げない時もある。踏みとどまって、騎士が一人でも立っているなら、支え続ける。そう、私の役割はこっちだ。私はどうやら、この派遣軍の魔術師の中では最高レベルらしいから。
「お嬢、自分であれだけ言っておいて、自分だけ死に急ぐのはなしですぜ」
傍らのパトリックが耳元で囁いた。古参だけあってお見通しみたい。
「命を大事に、よね」
苦笑交じりに答えた。
パトリックは本当に頼りになる。息子や娘くらいの年齢の部下たちをまとめて、新米の私を立ててくれる。彼がいなかったら、私の分隊は未だに烏合の衆だったろう。
「もちろん、あなたもよ」
頭を掻いてる。照れてるのね。
徒歩で行軍する私たちにや、荷馬車の輜重兵に合わせて、行軍は進んでいく。初日は帝都から最初の宿場町まで。当然、宿には入れないから、広場や外の草地に野営。すでに雪が積もってるから、火と土魔法で除雪して天幕を張るのも、魔法兵の役割。パトリックの指示で部下たちが走り回る。
つい、タクヤの小屋を思い出してしまう。旅ではこっちが当然なのに。
私はと言うと、小隊長に呼ばれて会議だ。行軍の日程と、各分隊の役割分担の確認。
「通達は以上だ。何か質問は?」
小隊長のレイモンド・ギアトリスが私たちを見回して言った。この高圧的な態度が苦手だけど、上官とはそういうものだと受け入れてはいる。それでも。
私は手を上げた。
「ガロウラン軍曹、なんだ?」
「今回の行軍でも、敵の奇襲が予想されておりますが」
「……何が言いたい?」
険のある口調だが、ここは我慢。
「魔王の奇襲を受けた場合の対処を、はっきりとすべきかと」
「あり得ん!」
バン、と机を叩いて小隊長は声を荒げた。
「敵陣からこんなに離れた場所で、敵の総大将が奇襲などするものか!」
そう、軍事の常識ではそうよね。しかし……。
「魔王は、空間魔法を自在に操ると言われてます。警戒するべきかと」
ふん、と小隊長は鼻を鳴らした。
「貴官の御祖父が戦死なさった件は私も聞いている。だが」
そして、信じられないことを口にした。
「勝手に勇者を召喚しておきながら放り出すようでは、仕方あるまい」
カッと頭に血が昇るのがわかった。体が震えている。でも、これは事実だ。反論すべきはそこじゃない。
「祖父のことはさておき、空間魔法への対処が必要です」
「信じられんね」
耳を疑った。
「銀色の刃など、どの魔道書にも記述が無い。あり得んよ」
空間魔法それ自体、ほとんど文献に載っていないのに。アイテムボックスのゲートが刃になるなんて、タクヤが発見したくらいだし。
「書かれたものが全てではありません」
「空間魔法とは、そもそも創造神さまが勇者に与えるもの。魔王などが使いこなせるものか」
お爺様が命と引き換えに残した情報を否定され、創造神さまをこんな形で持ち出されると、何も言えなくなる。過剰対価で勇者自身が魔王化する危険性は、魔法学における奥義中の奥義。迂闊に喋れない。……でも、それでいいのだろうか? 現魔王が、まさにそうかもしれないのに。
その時、他の分隊長の一人が口を開いた。
「小隊長殿。とりあえず、相手がなんであれ、反撃不能なほどの強敵と出会った場合の対処は、必要とかと愚考いたしますが」
三十代半ばで鳶色の髪と目、名前は確かエリオット。一兵卒からの叩き上げらしい。
「それは当然だ。その場合の上からの命令は、とにかく陛下をお守りしろ、だ」
そこで、どのようにお守りするか、が重要なのに。
小隊長は会議を一方的に打ち切った。降り出した雪の中、部下の所に戻る私は、余程うなだれていたのだろう。ぽん、と肩を叩かれた。顔を上げると、エリオットだった。
「御苦労さま。新米にしては、なかなか言うね」
「……先ほどは、ありがとうございました」
「小隊長様としては、『魔王を見たら逃げろ』とは、口が裂けても言えねぇだろうからなぁ」
下士官である分隊長の軍曹までは平民出身ばかりで、貴族なら最低でも小隊長で少尉。私が軍曹なのは、貴族の祖父から家督を受け継いでいないから。私も、お爺様から貴族の子女としての教育は受けていない。礼儀作法などは常識としても、領地運営のような面は全く。
そのせいか、貴族出身の士官より下士官や兵卒との方がうまくいっている。
「建て前では、そうなりますよね」
しかし、小隊レベルでの会議は、直接命を預けるもの同士だ。本音で話し合いたかった。この辺がやはり、私が貴族らしくないところなのでしょうね。
「まぁ、運悪くそんなのに出くわしたら、小隊長を簀巻きにして担いででも、部下と一緒に逃げるがね」
すごい事を言う人だ。ああ、こんなところはタクヤと似ている。
「その時は、うちの子らも連れて行ってやってください」
そう答えたら、エリオットは頭を掻いた。
「いや、あんたもだよ、ミリアム」
部下以外から名前で呼ばれたのは、初めてかもしれない。部下から名前で呼ばれる上官も、私くらいでしょうけど。
「じゃあ、その時はお世話になります」
一礼して、分隊の天幕へと走る。夕飯の準備をしていたジャニスが、私に気づいて手を振っていた。
********
雪中の行軍は、かなり体力を消耗する。懐炉の魔具があるとはいえ、手足の先は冷え切って短杖ですら取り落としそうだ。対価を気にしながらも、休息の度に火魔法でブーツや手袋を温める。もちろん、自分たちより騎士たちが優先だ。金属製の鎧は何しろ冷える。凍傷にでもなったら戦うどころではない。
「ありがとう。すまないね」
それでも、こんな風に礼を言われることはまれだ。剣や鎧兜など高価な武具を先祖から受け継ぐため、騎士のほとんどは貴族出身。それに対して、文字さえ読めれば体一つで学べるのが魔術。
文字が読めなくても健康ならなれるのが歩兵だから、下士官以下の魔法兵はその同類扱いだ。
しかし、戦闘なら威力が強いに越したことはない。だが、冷え切った手足やスープを温めたり、濡れた衣服を乾かすのは、別な技術がいる。決して、戦うだけが魔法兵ではないのだ。
……礼を言ってくれた騎士が、さらに話しかけて来た。
「自分は、あなたを見て、この行軍に志願したのです」
一瞬、何を言ってるのか分からなかった。
「……私を? どこで?」
「あなたの警護を任じられて」
お爺様の最期の様子を聞いて意気消沈していた時。ずっとつき従っていた騎士がいた。
「あの時の……」
兜で顔は見えなかった。言葉もかわした事はない。大勢いる中の一人としか思ってなかった。
「あんな辛い目にあったのに、なおあなたは戦おうとされた。そんなあなたを見て、自分はもう、城で主上を待っているわけにはいかないのだと、思いました」
「……あなたも、無事に帰りましょうね」
それだけ言って、次の騎士のグループへと向かった。
私が生きて、歩みだす。それが他の人を動かしている。
人と関わるのが、煩わしいだけだった私が。
タクヤ……あなたと出会ったからよね。
あなたに、会いたい。
********
帝都を出て二週間後。私たちはアストリアス王国領に入った。王都ハイアラスをタクヤと一緒に旅だってから、まだ半年に満たないなんて。もう、何年も前のことに思える。
さらに何日か進んで、思い出深い街へとたどり着いた。
「もう、すっかり復旧したのね」
夕陽を浴びて輝く城壁。城門は以前より堅固で立派に見えた。
ペイジントン。タクヤたちと暮らした街。黒い魔族に襲われ、タクヤが勇者となった街。
「お嬢、どうした?」
立ち尽くす私に、パトリックが声をかけてきた。いけない、部下の前で涙なんて。
「ごめんなさい、ちょっと懐かしくて」
歩き続け、私たちは城門をくぐって太守の館の門前で野営となった。陛下は館の中なので、その近く、というわけだ。派遣隊の主力は街には入らず、城門の外側で野営となる。
門前の小さな広場で、私たちを取り巻くように近衛騎士団が取り巻く。帝国の派遣隊一万は、ここで王都ハイアラスからのアストリアス王国派遣隊と合流し、北のエルトリアス王国を経由して、エルトリアスの派遣隊をさらに加え、東のオレゴリアス公国を目指す。各個撃破されないように、順次合流しながら向かうわけだ。
野営の準備が終わり、分隊ごとに炊事が始まるころ、広場に聞き覚えのある声が響いた。
「将兵の皆さん、行軍お疲れ様です! ご武運のお守りはいかがですか! 勇者謹製のお守り! この街で魔族を倒した、嘆きの勇者のお手製ですよ!」
見回すと、騎士団の野営天幕の向こう側だ。
「ちょっと、知り合いがいるみたいなので」
パトリックに声をかけて、きれいに除雪された石畳の上を走る。
「ザッハ!」
浅黒い禿頭が振り向いた。私は勢い余って、飛びついてしまった。
「おお、お嬢さんじゃないか! え、その制服、魔法兵?」
「え、ええ、そうなの」
思わず声をかけてしまったが、今の状況を聞かれると気まずい点もある。
「そうかい、てっきりお嬢さんは兄ちゃん……あいや、勇者さまと一緒だと」
「それより、娘さんは? 奥さんは?」
途端に、ザッハは双眸を崩した。
「ああ、どっちも元気だよ。最近じゃ娘もおませになってね、勇者さまのお嫁さんになる、だなんて毎日言ってるし」
!……意外な伏兵が。じゃなくて。
「お店の方は?」
「ああ、勇者さまのおかげで大盛況さ。店も二軒増やしたし、従業員の奴隷も二十人に」
「それはよかったわね。で、これは?」
ザッハの手にした籠の中の手のひらサイズのお守り。どう見ても、木彫りのキウイ……あの喋る魔具だ。絶対に、作ったのはタクヤじゃない。お手製どころか、お手本すら作るはずがない。
「よくできてるだろ。ほら、開くとこうなる」
キウイの文字や図や景色などが映る四角い部分に、黒髪で黒い瞳の青年が微笑む姿が描かれていた。会ったこともない美青年だけど。
「これが涙の勇者さま?」
ザッハに向けた私の目は、きっと薄かったはず。タクヤのゲート刃並みに。
「……いいだろ、カッコ良ければさ」
目をそらすそのしぐさに、思わず噴き出してしまった。
「商売、頑張ってね」
笑顔に見送られて、私は部下たちのところへ戻った。
旧知と言うほど昔ではないけど、懐かしい街で懐かしい人と再会できた。
……でも、再会したくなかった相手も、やって来てしまった。




