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#2-19.意識的儀式

 暑い。冬の真っ盛りのはずなのに、滅茶苦茶暑い。

 出航して七日目、船は赤道を通過した。春分と秋分の日に、太陽が真上を通る海域ってことだ。元の世界でも赤道祭といって、海水をぶっかけ合うなどのセレモニーがあったような気がするが、こちらでは海の女神にささげる儀式があるそうだ。

 朝食後、非番の船員たちが甲板に集まってるので、俺たちも出てみた。

「儀式って、何をやるのかしら」

 ミリアムも興味あるんだな。

「マオは知ってるんだろ?」

 南の大陸に行ったことがあるはずなので、水を向けてみたが笑って誤魔化された。

「なかなか面白いですよ。見ててごらんなさい」

 なら、見守るとしよう。

 船員たちは、マストに向かって一列に整列していた。

 ん? みんなシャツと短パンだな。まぁ、これだけ暑い中、体を動かすんじゃな。

 そこへ、制服をキッチリ着込んだ船長が現れ、号令をかけた。

「海の女神にその身をささげるものは、高く飛べ!」

 おう! と全員が答え、次々とマストの策具をするすると登っていく。上手いものだな、流石は船乗り。三本ある横木の一番上にまで登りつくと、そこから左右に分かれて横木の端からダイブ!

 いや、まさか海へ飛び込むとはね。高さは二十メートルはあるだろう。しかも、元の世界の高飛び込みとは逆で、水しぶきが高く上がる方が良いようだ。そのためか、わざわざ体を水平にして盛大に腹を打つ者もいて、大丈夫か心配になった。

「しかし、どうするんだ? 船は進んでるぞ」

 帆を半分巻き上げているが、それでも時速十キロは出てる。船の速度だから、ノットだっけ? こっちでは何と言うのかな。とにかく、泳いで追いつくのはオリンピック選手でも不可能だ。海上に置き去りになれば、サメのえさになるしかない。

「大丈夫ですよ、ほら」

 マオが指さす船尾の方では、両舷からボートが降ろされていた。だがボートには乗員は一人ずつで、どんどん取り残されていく。と、ボートに海中から船員たちが次々と乗り込み、手に手にオールを構えた。統率のとれたオールさばきで、ボートはこちらへぐんぐん近づいてくる。やがて、舷側から投げられたロープが結ばれ、二隻のボートは甲板に収納された。

「なるほどな、船に帰りつくまでが儀式か」

 海の女神に捧げるのは、普段からのたゆまぬ訓練の成果と言うわけだ。

 俺は船長に話しかけた。

「素晴らしい儀式ですね。これなら女神さまも喜ぶでしょう」

 顎髭をしごいて、船長は答えた。

「勇者さまにそう言っていただけるとは。それこそ、女神さまもお喜びでしょう」

 ボートから降りた船員たちが、次々と船長に敬礼しながら歩いていく。全身びしょ濡れだが、表情は輝いている。いいもんだな、こんなのも。

 この間の海賊の件でばれてしまったが、勇者だからって今のダイブは真似できないな。水に入る瞬間は透明鎧で防御できるが、そもそも横木は丸太のままで、上が平らになってるわけでもない。バランスを崩せば甲板にまっさかさまだ。なんとかダイブできても、ボートまで泳ぐ自信がない。

「いや、凄いものを見せられたな。これはちょっと真似できない」

 思わず呟いたら、グインがうなずいて言った

「まったくです。私にも無理ですね」

「いや、お前ならやれそうだが?」

 しかし、レベル二十の戦士は意外なことを告げた。

「実は私は、全く泳げないのです」

「……ほんとに?」

「水に浮かないのです。手足で水をかけば顔を水面に出せますが、少しでも休めば沈んでしまいます」

 なんだろう。体脂肪率が限りなく低そうだから、そもそも浮力が少ないのかな?

 しかし。

「……頼むからそれ、海の上で戦いになる前に言ってくれよ」

 あの時、大剣背負って出撃しようとしたのは、どの道、海に落ちたら終わりと思ってたからなのか。思い切りが良すぎるぜ、全く。

 昼になったので食堂へ向かった。その途中の廊下の壁には大きな海図が張り出されていて、船の位置が毎日ピンで刺し示されている。これはなかなかありがたい。

 南の大陸はここからさらに三日、南に下ったところにある。この世界の大陸は北半球と南半球に一つずつあり、北の大陸の西側が南の大陸の東側に接する形になっている。なので、南の大陸に上陸したら、また西へ西へと旅することになる。この大陸はやたら東西に細長い。地峡という大陸が細くなったところで、さらに西に広がる大陸に繋がっているらしいが、そちらはほとんど前人未到の地で、魔物だらけなので暗黒大陸なんて呼ばれており、大まかな地形すら分かっていない。

 俺たちの目的地の迷宮都市ガジョーエンは、その地峡の手前、大陸の西側だ。この大陸を横断することになるので、直線距離でも二十日はかかる。実際には一か月か。さらに、間に大砂漠があるため、その手前の港から船で移動することになる。砂漠の移動は魔物が増えたせいで非常に危険だという。つまり、ガジョーエンはトラジャディーナ王国の飛び地みたいになってしまってるわけだ。

 魔神の奴め、本当に意地が悪いというか。よくぞこれだけ遠くに、盟約の指輪を隠したもんだ。

 昼食の後、ミリアムにみんなの鑑定を頼んだ。

「えーと、まずタクヤは」

「俺は良いから、俺は」

 嫌味かよ、もう。

 グインは一つ上がってレベル二十一。キャプテン・ネロとの剣戟が大きかったらしい。ミリアムも一つ上がってレベル十八。山賊を捕らえるときのが大きかったのかと思ったが、空いた時間に水・風・土の魔道書を読みふけっていたとか。勉強家だな。俺も見習わないと。自分で呪文を試せないのが辛いな。

 マオは変わらず。コイツはほとんどカンストだからな。

 ちなみに、キウイは自己申告でレベル十二になったと言ってきた。アイテムボックスの数が百四十四、容量が二百十六立方メートルとなった。魔法の方は遠話で同時に複数の人と話せる遠話の上位版が増えた。遠話V2とでも呼ぼう。一対多の通話ではなく、スピーカーみたいに複数同士でも声が聞こえるというものだ。そばにいて普通に話しているイメージだ。なかなか便利。

 あとは、アリエルのレベルが上がっていたのが面白い。クラーケン討伐で人魚族の戦士をまとめたのが利いたのか。しかし、このままレベル二十になったら達人級のメイドか。一体どんな奉仕をしてもらえるのやら。

 その日の午後は、先日作った回転万力で色々なものを削って試した。ゲート刃はほとんど力を入れなくてもサクサク削れるので、色々作れた。大理石のコケシとか石英のゴブレットとか。ゴブレットは、わざと回転を止めては削る、と繰り返したら、細かい多面体となってスワロフスキー見たいになった。きらきらと輝いて、なかなか美しい。

 そして、いよいよ明日、港に着くという日。

「タクヤ、『明るい魔族計画』の工程表を書き直したから、見ておいて」

 朝食のあと、ミリアムが書類を手渡してそういった。

 ……何と言うか、こっちには当然、該当するモノがないので、誰も俺の命名に突っ込んでくれなかったわけです。はい。

 書類には、盟約の指輪を手に入れて、エリクサーや回復の魔法、さらには魔核変換の術式を手に入れるまでの大まかなスケジュールが書かれている。もちろん、物事は計画通りには行かないが、計画より前倒しされることはほとんどない。つまり、計画時点で食糧やら路銀が尽きるようでは、計画倒れそのものだということだ。

 で、ミリアムの工程表によると、南の大陸に上陸して二週間後には路銀が尽きるとある。早速、計画倒れだな。

 ううむ。山賊の妻子の村に大枚をつぎ込んだからなぁ。

 となると、クラーケンの魔核をどこかで換金するか、ダイヤモンドの塊をアクセサリのサイズで加工するか。

 できれば後者は避けたい。例の女海賊たちを率いるネロが、ダイヤの値崩れに巻き込まれてほしくないからね。

 そうなると、魔核の売却が最優先だな。幸い、トラジャディーナ王国には、あつらえ向きと言っていい組織があった。

 冒険者ギルドだ。

「そういえば、北の大陸には冒険者っていなかった気がするな」

 俺の疑問にミリアムが答えてくれた。

「昔は有ったらしいわ。でも、魔物に依存する職業はおかしい、と言うことで、ルテラリウス一世の時に廃止されたの」

 なるほどな。そのせいで、傭兵ギルドや魔法ギルドなどに分割されているのか。その影響で、北の迷宮の攻略は、各地の太守が編成した軍隊により行われたようだ。徹底しているだけに、魔素の枯渇を招いて、それらの迷宮は停滞しているようだけど。

 一方、ガジョーエンでは冒険者ギルドのおかげで民活がうまく行き、活況を呈しているという。どうも、無茶をする冒険者が栄養源になっているようなんで、あまり称賛はしたくないけど。

 などと知識を集約しているうちに、船は南の大陸の入り口、港湾都市のゾルディアックに到着した。赤道通過の儀式でちょっと親しくなった髭の船長とも、ここでお別れだ。

 ちなみに、俺が勇者だというのはご内密に、と念を押しておいた。騒がれるのは、例のダイヤを国王に献上するときだけにしたい。魔王オルフェウスが何を仕掛けてくるかわからないからね。人間爆弾は二度と御免だ。

 さて上陸だ。幸い、こちらでは獣人や妖精人への偏見が少ないらしく、うちの奴隷たちもすんなり入国手続きが出来た。これはありがたいね。

 馬車も馬たちもきちんと世話されていたので、早速出発だ。昼過ぎにゾルディアック市を出て、街道を西に進む。本当なら、ゾルディアック市を一日くらい観光したかったんだが、帰りの楽しみにとっておこう。

 馬車でしばらく南に街道を進むと、やがて宿場町があった。そろそろ日が落ちるので宿場に入り、目に付いた最初の宿に入った。意外にも、宿はすいていた。

 受付で恰幅のいい女将に声をかけた。

「一晩世話になるよ。ところで、ずいぶんすいてるようだが?」

「はは、お客さん、こんな宵の口じゃこんなもんですよ」

 なるほど。こちらは南半球。これから夏に向かうのか。どんどん、日が長くなる時期だからな。

 宿の食堂で夕食をとり、その場でミリアムの作ってくれた書類を読み上げる。

「てなわけで、目下の問題は路銀だな。エレにあげる生肉も枯渇しそうだ」

 居並ぶ全員がうなずいた。

「路銀は、クラーケンの魔核の売却で解決できるでしょう」

 マオの言葉に、俺はうなずいた。

「この国の冒険者ギルドなら、引き取ってくれるかな?」

 北の港湾都市エルベランでは、ついに買い手がつかなかった。魔核としては破格のサイズだからだろう。しかし、迷宮都市のあるこの国なら、可能性は高い。

 ただ、気になるのは使い道だ。

 マオの受け売りになるが、魔核を使った魔法具は、魔核が対価を引き受けるので起動時以外は使用者に対価は発生しない。そのかわり、魔核を構成する魔素は、対価を引き受けるたびに減っていく。つまり、魔核は縮んで行き、ついには消滅してしまう。魔物の体内にあれば、魔物が濃縮する魔素によって再生していくのだが、取り出した魔核は消耗する一方だ。

 で、クラーケンの魔核を何に使うか、だ。たとえば、光玉に使うなら、それこそ都市まるごとを何年も照らせる人工太陽にできるだろう。が、その光を集約して放てば、恐るべき兵器、魔核兵器となる。

 魔王や魔族との戦いに使われるならまだしも、ヒト族同士の戦争が起きないとは言い切れない現状では、なかなか悩ましい。皇帝の威光がかすんじゃってるからな。

 そもそも、路銀はそれほど問題ではない。重要なのはエレに食べさせる生肉の方だ。街で買っていたら、路銀などすぐに無くなる。

「冷蔵アイテムボックスにあるのが三日分。生魚のほうも二日分」

 俺が書き加えたところだ。五日後にはエレが飢えてしまう。

「狩りをしましょう」

 グインが具申してきた。

「私とトゥルトゥルで、明日狩りに出ます。野獣も魔獣も、周囲の森に気配が多く感じられますから、空振りにはならないはずです」

 うん。一日くらいこの宿場に留まっても構わないし、魔獣が取れれば安全の面でもいいはずだ。

「じゃあ、明日はこの宿場で旅の必需品の補充だな。トゥルトゥルとグインには狩りを頼む」

 ただし、二人には遠話V2の回線を設定することにした。回線維持のためにいくらか対価が発生するが、相手からも掛けてこれる。ここは南の魔王オルフェウスの勢力圏だからね。奇襲はもうごめんだ。

 その日は早めに部屋に引き揚げて、宿場で調達する物をリストアップした。港町の方が品数は豊富だけど、旅に使うものはちょっと品ぞろえが違うから、意外とこうした宿場町の方が目移りしなくて揃えやすかったりする。

 保存の利く干し肉や乾燥野菜、硬いけどカビにくいパンとか。ギャリソンの手にかかると、これらが見事な料理に化けてくれる。他にもロープや革紐、帆布なども結構役に立つ。

 ある程度揃ったので、メモ帳を保存してキウイの画面を閉じた。

 ベッドで寝ているエレの尻尾が充電キットに刺さってるのを確認して、その隣に潜り込む。そろそろ並んで寝るのは無理か。小屋で寝るときは、壁にアイテムボックスを開いて、ベッドを拡張して寝ていた。宿でも似たようなことをするようになるな。

 いつものようにエレと念話でおしゃべりしながら、俺は南の大陸で最初の夜を過ごした。


******


 翌朝、朝食の後、トゥルトゥルとグインは森へ狩りに向かった。遠話の回線は二人が帰るまで開きっぱなしにしておく。

 俺の方は地図を確認。ありがたいことに、ここの宿場には町内やその周囲を詳しく描いた地図が揃っていた。必要なものを揃えるのに、どこを回ればいいかすぐにわかる。ギャリソンとジンゴローに任せても良いのだが、リストをまとめるときには気づかなかったものが、目にすると思いつくことがある。自分でも見て回りたい。

 もうひとつ、ここから西へ三日の距離にあるソルビエンという都市が目を引いた。街の規模はさほどではないが、かなり大きな冒険者ギルドがある。地図を売っている雑貨屋の主人に聞いたところ、そのあたりは魔物が多く出現するので、それを狙った冒険者が集まるのだという。赤味はさほど濃くないが、大きめの魔核が取れるらしい。昆虫系も多いので、武器や防具にしやすい殻や爪なども手に入るとか。

 しかし、魔物が出やすいってのは街道の交通にも問題だろう。北の大陸ではマオが俺たちについた途端に魔物の勢いが落ち着いたが、こっちの魔王二号はバリバリの現役だ。アストリアスの王都からペイジントンまでの旅で、四頭もの魔獣に遭遇したのを思い出す。そのうちの一頭がエレの実のパパなんだが。

「まぁ、普通の商人や旅行者なら、町々の冒険者ギルドで護衛を雇いますからね」

 雑貨屋の主人の言う通りで、宿に逗留している客は、ほぼ例外なく護衛の冒険者を連れていた。最低限、同行中の生活費は出るわけだから、元手が要らない初級者向けなのかも。ただし、高レベルの敵に襲われたら話は別だ。護衛すべき人を見捨てて逃げたりすると、冒険者ギルドから刺客が送られることもあるという。流石にそれは、傭兵たちと話した限りでは出なかった。

 冒険者として成長するには、よほどバランスのとれた敵と出会う運が必要だな。ゲーム開発で言うところのバランス調整だ。それが完全にランダムだというこの世界、ひょっとしてクソゲーなんじゃ?

 それでも、迷宮で高価な宝物などゲットすれば一攫千金。ゴールドラッシュのような熱狂が、こちらの大陸に蔓延しているようだ。

 一攫千金。うん、悪くないよ。予定調和的な人生なんてうんざりだからね。せめて青年期くらいは、根拠のない自信に裏打ちされた夢を見ても良いじゃないか。要は、他人を巻き込まないことだよね。

 ……はい、思いっきり巻き込まれましたよ! フラグは健在!


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