表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/79

#1-1.凡人ですが何か?

 月の無い満天の星の下、街のそこここに燃え盛る火の手に照らされて、ヤツの黒々とした巨体が眼前に立ちふさがる。そして空には翼ある魔物の群れ。

 俺は、もう逃げない。仲間を護るために、俺自身が生き延びるために、戦うと決めた。武器もなく、魔法すら使えない凡人だけど。俺にはこれがある。いや、これしかないんだ。

 そう、あの日からずっと。


********


「へぐっ!?」

 思わず変な声が漏れてしまった。顔から地面に突っ込むとイタイ。芝生でも土でもなく、石畳だとなおさら痛い。しばらく前に、ボーナスはたいてド近眼をレーシックにしておいてよかった。メガネなら、絶対割れてるね。

 転んだ拍子に、とっさにプログラマの本能でノートパソコンの入った通勤カバンを抱え込んで守ったから、顔が犠牲になったわけだ。

 痛みに顔をしかめながら目を開くと、あたりは真っ暗。

 え? 出勤途中だったから朝なのに。

 カバンを抱えたまま、モソモソと体を起こす。反射的に胸ポケットのスマホを探るが、転んだ拍子に飛び出してしまったらしい。周囲の石畳の上を手で探るが、見つからない。

 ……石畳? 歩いてたのは渋谷の駅前交差点だから、アスファルトのはず。だが、指に振れる冷たい凹凸は間違いない。そう、スクランブル交差点を歩いているうちに、急に足元の地面が無くなった感触があった。階段を降り切ったと思ったら、もう一段あった時のような。

 呆然としていると、次第に目が慣れてきたようで、暗闇にうっすらと何かが見えてくる。

「ひっ?」

 周囲を取り巻く、顔、顔、顔。十以上の白い顔が俺の回りにぼんやりと浮かんでいた。

 ……危うく漏らすところだった。なんとかこらえたけど。

 そこへ、しわがれた感じの男の声で、念仏のようなつぶやきが響いた。

「……光明(フォス)

 周囲に並ぶ顔の上に、ポツポツと灯りがともっていく。

 改めて見回すと、やっぱりここは交差点じゃない。というか、屋外ですらない。石造りのホール、天井が高くて、なんとなく教会の礼拝堂を思わせるような場所だ。その真ん中で俺が腰を抜かしていて、その周りを黒いローブの十数人が取り巻いている。それで闇の中、顔だけが浮かび上がってたのか。

 顔立ちは外人、というか白人系? 彫が深くて色白。よく見ると老若男女が混ざってる。みな厳粛な面持ちだが、敵意はなさそうなので、少しホッとする。

 その一人が俺の前に歩み出て、膝をついて頭を下げた。顔に刻まれた皺と白い顎鬚から、かなりの高齢だと見える。

「ようこそ、異世界の勇者よ」

 勇者? 今俺、勇者って呼ばれた?

 ……まさか、ゲームでよくある異世界召喚じゃないよな。あるわきゃない。夢だろ、そうだ、そうに違いない。

 なんて考えが頭をぐるぐる駆け巡る。困るんだよ。会社に遅刻しちゃうじゃないか。昨夜の帰り際に気がついたあのバグ、さっさと直しておかなきゃ。年度末近いし、納品だし。

 なら、まずは起きないとな。

 石畳に打った方の頬は相変わらずジンジン痛むので、反対側をつねりあげてみる。いてぇ。マジで痛いのに、まだ目は覚めない。

「勇者どの、どうぞこちらへ」

 老人が手招きする。今いるホールは四方を石壁に囲まれており、その一つの中央に祭壇のようなものがしつらえられていた。声の感じから、さっきの呪文も光りあれも、この老人に違いない。

 その老人、俺を祭壇の前に立たせて、再びモゴモゴと呪文を唱え出した。

「……鑑定(エクティミシ)

 最後に一声。それが合図かのように、祭壇の上に立つ墓石みたいな黒い板に光点がともった。光はチラチラと動きながら左から右に動き、文字を綴っていく。

「あれ?」

 思わず声に出た。光点が描く文字は、アルファベットに似てはいるが見慣れないものだ。綴られる単語も見知らぬ物のはず。なのに……読める。苦もなく、スラスラと。便利な夢だな。

・クラス 異世界からの召喚者

・名前 不明

・年齢 不明

 うーん……使えない魔法だな。

 老人が俺の方に向き直り、言った。

「どうぞ、お名前とお年をお教えください」

 迂闊にこの手を教えると、個人情報的に不味い気がするが……まあいいか、夢だしな。

石川卓也(いしかわ たくや)、27歳」

 すると、黒い板の上の文章が消え、書き直された。

・クラス 異世界の凡人

・レベル 1

・体力 100

・魔力 なし

・すばやさ 50

・かしこさ 100

・スキル 特になし

・称号 特になし

・体脂肪率 28%

 なんだよ、最初の「異世界の凡人」と最後の「体脂肪率」って。そりゃ、身長168cmで体重80kgはデブだろうけどさ。でも、こちとら健康が売りもんなんだ。徹夜だってこなせるぞ。それに、スキルも特になしとは酷過ぎる。これでもコンピュータ系の認定資格はいくつか持ってるのに。あ、あとフィギュア作成とかの工作ね。

 ……そういやどこかのブログで、夢だと分かってるのは明晰夢といって、自分で好きにアレンジできるとか行ってたけど、あれはウソだな。本当に異世界召喚された夢なら、いくらなんでも凡人はないだろ。

 その「いくらなんでも」という思いは、この黒ローブ集団も同じだったらしい。背後からどよめきと囁き合う声が聞こえてきた。

 夢なのに夢も希望もないな。早く覚めろ。

 と、怒りを感じたのがいけなかったのか。俺は腹を押さえてその場にうずくまった。

 ……痛いんじゃない。猛烈に腹が空いてる。胃袋が空っぽで、自分自身を消化しちまいそうだ。朝はいつも通りしっかり食べてきたのに。いや、起きたところから全部夢だったてことか?

「さぞ空腹でしょう。勇者どの、ひとまずこちらへ」

 腹の鳴る音が聞こえたのか、老人が扉の方へいざなった。俺は極度の空きっ腹を抱えて、その後に従った。


********


 空腹は最高の調味料というのは、空腹の科学の絶対真理(セントラルドグマ)のはずだ。しかし、異世界では違ったらしい。

 あの礼拝堂みたいなホールから連れて行かれた一室には、食事の用意がしてあった。かなり豪華な花の飾られたテーブルに。部屋そのものには他の調度はなく、明り取りの小さな窓が高いところにあるだけだった。これで鉄格子がはまってたら、ズバリ牢屋だな。

 そう、それでもテーブルにあるのは料理だ。それがなんだかわからない粥のようなものであっても。一応、出来たてで湯気もたってる。

 テーブルの向かい側に座った老人に勧められるまま、「いただきます」と手を合わせて、スプーンですくって口に運んだのだが……

「ぐっ??」

 何ともいえぬエグ味と異様な香りが口いっぱいに広がり、吐きそうになるのをなんとかこらえた。

「お口に合わぬかもしれませんが、どうかご勘弁を。勇者どのの体には、この食事が必要なのです」

 口に合うかどうか以前に、食い物なのかと言うレベルなんだが。

「あちらの世界から転移する際に、体の中の異物は排除され、元の世界に残されるのです。同時に、この世界の病気に対する耐性や、言語などの最低限の知識が植え付けられます」

 なるほど。こっちに無いウイルスとか持ち込んだらえらい事だからな。大航海時代で新大陸にインフルエンザを持ちこんで、代わりに梅毒をもらってきたんだっけ。

 ……ちょっと待てよ。

「その異物って、ようするに……」

「はい、食べた物とか、……排泄する前のものです」

 さっき失禁せずに済んだのは、膀胱が空っぽだったからか。……いやまて。それだと、俺の朝食ったものとか、トイレで出切らなかったものとかは、今頃、渋谷のスクランブル交差点のど真ん中にぶちまけられてるのか?

 嫌だ。嫌過ぎる。いくら夢でも、これはあんまりだ。

 老人が言葉を続けた。

「先ほどからの空腹感はそのためです。しかし、通常の食事を取っても、胃腸の準備が整わないと受け付けませんから、このような薬膳を供させていただきました」

 老人の言う通りなら、確かに今の俺の身体は何日も断食した後のような状態だ。いきなり肉とか食っても、戻したり下したり酷い事になるだろう。

 なにより、空腹はさらに耐えがたいほどになってた。なのに食欲をなくすような話を聞くと……胃がキリキリ痛むんだな。初めて知った。というか、知りたくなかったし。

 仕方なく、俺は粥を平らげた。不思議なもので、一口食べた後は味も臭いもそれほど気にならなくなった。量から言ったらお代わりしたいくらいだが、それは流石に控えた。

 紅茶のようでそうでもない、これまた変わった香りのする食後の茶を飲み干す。すると、黙って見ていた老人が口を開いた。

「人心地ついたでしょうか。申し遅れましたが、わしの名はガロウラン。ここ、アストリアス王国の魔術師ギルドの(おさ)を務めております」

 なるほど。さっきの黒ローブはギルド所属の魔術師というわけか。

「王国の存亡の危機を回避するため、禁断の秘術を用いて、異世界からタクヤどのを勇者としてお招きしたわけですが……」

 語尾が消えるのは、さっきの黒い板に出たステータスのせいか。思いっきり凡人だし。魔力もスキルもないし。

「えーと、人違いだったと言うことで、このまま返してもらえませんか?」

 話の流れから見て無理そうな感じだが、一応聞いてみる。

「誠に申し訳ありませぬが……」

 老人……ガロウランは深々と頭を下げた。

「あちらの世界に送り返す魔法の術式は、残念ながら残されていないのです」

 そうだろうと思った。夢なら覚めてくれ。

「それに、まだ勇者である可能性も残されています。どうぞこちらへ」

 ガロウランに続いて立ち上がる。うーむ、給仕に椅子を引いてもらうなんて、初めての体験だ。

 が、その後の待遇は酷いものだった。

 食事(というには抵抗のあるアレ)を取った部屋を出て、長い廊下を歩く。左右に並び立つ甲冑は、がらんどうの置き物ではなく、中身が詰まった本物の騎士たちだった。魔術師ギルドてのは、相当警備が厳重なんだな。

 理由はすぐに分かった。廊下の突き当たりの壮麗なホールを抜けると、真昼の陽光に満ちた庭に出た。まぶしくて目がくらむ。振り仰ぐと、がっしりと重厚な石造りの城がそびえ立っていた。なるほど、魔術師ギルドは王城の中にあったのか。

 というか、春先にしてはやけに暖かい。つーか、暑い。

 思わず肩掛け鞄をおろし、ユニ〇ロのジャンパーを脱ぐ。

「よろしければ、お荷物はお預かりしましょう」

 ギルドの長に持たせるのはちょっと気がひけたが、一番信頼できるとも言える。しばしためらったが、結局預けることにした。

 で、その後この王城の庭でやらされたのは、さっき廊下にいたような騎士のひとりとの、木剣での打ちあいだ。木剣ってのは木刀が両刃になったようなものだが、そのせいか木刀よりさらに重い。これを右手で振り回し、左手の木製の盾で受けるんだが……。

 痛てェよ。ホントにマジで痛てェ。

 一応、簡素な兜と胸当ては付けてるが、その上から打たれても衝撃はそのまま響く。盾で受けても腕がしびれる。まともに腕や足に当たれば、あまりの激痛に立ってられなくて転げまわるほど。

 それでも相手の騎士さんは「打ちこんできなさい」とか言うわけだが、普段、マウスより重いものを持たない俺の腕は、木剣をまっすぐ構えることすら難しい。

「い、いやぁ!」

 痴漢に襲われた乙女みたいな掛け声で、必死に木剣を振り下ろす。しかし、反動で足元がふらつき、ばったりとその場に倒れ伏してしまった。

 顔を上げる気にもなれない。汗が目にしみるが、見なくてもわかる。騎士さんが憐みのこもった眼差しで見降ろしてるのが。

「……老師さま。今日、これ以上は無理です」

 騎士さんは、離れて見守っていたガロウランに声をかけた。

「そうか。ご苦労だったの。下がって良い」

 騎士が歩み去る。伏したまま、それを見送る俺。みじめだ。

「……鑑定(エクティミシ)

 そういや、耳から聞く言葉も全然知らないはずものだ。この世界に転移するときに知識としてすりこまれたんだな。

 俺がぼんやりとそんなことを考えていると、ガロウランは深いため息をついて、俺に声をかけた。

「タクヤどの。起き上がれますかな?」

 その声にも疲れが感じられた。俺は木剣と楯を放り出して、なんとかたちあがった。預かってもらっていた荷物を受けとり、下を向いたまま、頭の中ではまた言い訳めいた思いがぐるぐる廻りだす。

 うん、期待を裏切って済まないね。魔力はゼロでも、剣士としてならばと。実際に鍛錬したら、スキルがぐんぐん上がるとかの可能性にかけたんだよね。でもほら、木製とはいえ、剣なんて触ったの生まれて初めてだし。期待に添えなくて悪かったよ……。

 ふと顔を上げると、ガロウランは瞑目して立ち尽くしていた。

「ありえぬ」

 一言つぶやくと、かっと目を見開いて、天を見上げて続けた。

「ありえぬ! この秘術は創造神さま御自らが伝授なされたもの。間違いなどあるわけない!」

 信心深いのは良いけれど、現実を認めようよ。……それに、ものすごく、居心地悪い。

 ガロウランはしばらく身を震わせてたが、やがて溜息をつくとこちらを向いて言った。

「タクヤどの。どうぞこちらへ」

 そう言えば、いつの間にか「勇者どの」ではなくなってるな。

 ガロウランに連れられて、先ほどの部屋に戻った。そこで昼食をふるまわれたわけだが……ありがたい事に、今度は普通の食事だ。鶏肉の丸焼に野菜のシチュー、黒パン。肉はちょっと筋張ってるが、地鶏っぽいと言えなくもない。シチューは結構いけた。

 黒パンは小麦とは違うライ麦ってので作るらしい。ものすごく硬くて、かなり強い酸味がある。好みから言ったら、普通のパンの方がありがたい。バターをたっぷり塗って食ったが、顎が疲れる。

 鳥の丸焼は傍らに控えてた給仕が切り分けてくれた。ガロウランの前にも料理の皿が置かれたが、手をつけようとはしない。肘をついて指を組み、うつむいて額を押し当ててる。俺が勇者でない事が、相当こたえているようだ。

 ひとしきり飲み食いして、例の紅茶ではないお茶を飲んでいると、ガロウランが沈黙を破った。

「タクヤどの」

「なんでしょう?」

 問いかける形だが、返事はわかりきってる。

「……今後のことなのじゃが」

 ですよね。勇者どころか、役立たずですから。

「当座の生活費は工面するので……その、なんじゃ」

「立ち去って欲しいと?」

 言いにくそうなので、助け舟。ガロウランは、ほっと一息ついた。そう言えば、口調もジジ臭くなってるし。

「勝手に召喚しておいて何なのじゃが。これ以上、王城に置いておくわけにもいかんのでな」

 まー、そうだろな。責任問題だもんな。もみ消したいよな。

 もみ消すと言うなら、闇から闇に葬り去るのがベストだが、さすがにそれは困る。夢ならそこで覚めるのかも知れんが、今までの経験からその線は薄れてきた。

 これも現実と言うなら、なんとかこの世界で生きていくことを考えないと。なんだか、胃がもたれそうだ。

 先ほどの剣術の真似ごとの時以外、後生大事に抱えてた鞄を開けてみる。所持品は、愛用のノートPC、外付けバッテリー、レザーマンという多機能工具、USBケーブル長短2本、レシートでパンパンな長財布、ボールペンとA5サイズの手帳、などなど。

 パソコンなんて電池が切れたらおしまいだし、日本円なんて紙と金属の分の価値しかないだろう。この世界で役に立ちそうなのは、工具のレザーマンくらいか。……となると、趣味で鍛えた工作の腕で、なにかこの世界でも売れるような物を作って売るしかないな。

 魔法も剣も使えない「異世界の凡人」では、今はこれが精一杯。

「入ってまいれ」

 突然、ガロウランが戸口に向かって声を上ると、フードを目深にかぶったローブ姿のやや小柄な人物がやってきた。テーブルの横まで来ると、そのフードを払う。

「この者に、タクヤどのを案内させましょう。私の孫です」

 紹介するガロウランの言葉は、ほとんど聞こえてなかった。口をポカンと開けたアホ面で、俺はその人物……女性を見上げていた。

 金髪を結いあげ、左右に房が垂れている。青い瞳に白い肌、ピンク色の唇はキッと結ばれ、やや太めの眉と一緒に強い意志を感じられる。歳の頃は二十代前半か。

 その唇が開かれ、落ち着いた声音で女性は自己紹介した。

「ミリアムと申します」

 ……ああ、一目惚れってこんな形で起こるんだな。

 そう思うと同時に、実るはずもないだろうと言う確信もまた生じた、異世界の初日でした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ