貴方の愛車、愛してますか?
「合格、おめでとう」
試験官から自分の顔写真が入った免許証を貰う。
全身に電流が流れたようだった。
この感覚はどう形容したらいいのか。
強いて言うならばUFOキャッチャーで景品が
やっと取れたときの安堵に似た電流だ。
「それにしてもお兄さん、マニュアル取るなんて珍しいね。今の車は殆んどオートマなのに。ガソリン車にでも乗るのかい?」
「その通りですよ。やっぱり車の良さはガソリンエンジンじゃないと感じられないですから」
「ふうん......まっ、あんたも若いんだから破産には気を付けろよ」
2018年、日本政府はガソリン車の新規生産を禁じた。
そして、エコカーは軽税にし、既存のガソリン車には重税をかけた。
その結果多くの人々はガソリン車を手放し、最早ガソリン車は骨董品になりつつあった。
石油の産出減少と環境問題が理由らしい。
免許センターを後にした私は、近所の中古車販売店に向かった。
『うさみみモータース』
看板には自動車販売店として確実に不適当な店名と、恐らく許可を取ってないであろうバックスバニーの絵が描かれてあった。
私が馬鹿みたいに看板をまじまじと見つめていると、中からジョーズのクイントのようなスパナを持った渋い顔のおやじが出てきた。
「いい名前だろう。脱兎の如しからきてんだ」
脱兎の如し。日産の旧名ダットサンの由来だ。
「なにかお探しかい?」
「あの.......マニュアルのガソリン車、ありますか?」
おやじは一瞬キョトンとして、直ぐにニヤリと笑った。
「珍しいね若いのに。付いてきな」
スパナおやじは店の奥に入っていく。私も後に続いた。
多くの自動車が展示されている車庫の奥に小さなドアがあった。
そこをくぐると店の裏の駐車場にでた。
やはり、規制のせいか表にあった電気自動車よりは少し数少ない気がする。
「自由に見てってくれよ。状態が良いのはそれなりにするけどな」
一通り見てみたが、あまりピンと来るのがなかった。
少し刺激が足りないのだ。
候補はあるが、今一買う気にはなれない。
もう諦めかけてたその時だった。
思えばあれは運命だったのかもしれない。
泣いていた。
彼女は白いクーペのボンネットの上で独り泣いていた。
時の流れを嘆くように。
失ったものを嘆くように。
「......はしり、たい...はしりたいよぉ...」
彼女が何故ボンネットに乗っているのか、何故泣いてるのか。
私には解らなかった。
だが、何かにもがき、苦しんでいることは確かだった。
何を考えたのか、次の瞬間には彼女を抱き締めていた。
抱き締めた瞬間、理解した。彼女の苦しんでいることを。
その事実は、流れ込むように私の脳を刺激した。
これが「共有する」ということなのだろう。
生まれながらにして他を超越する能力を持ってしまった彼女は孤独だった。
誰も彼女を上手く操作することができなかった。
誰一人操作できなかった。
人間が上手く操作できない車は必然的に好かれない。
どんどん彼女は孤独になっていった。
その様子を見ていたスパナおやじは過去を一つ一つ噛み締めるように語り始めた。
「そいつは俺がスクラップ工場に出向いた時に出会ったんだ。今みたいにしくしく泣いていたよ。死ぬのは嫌だ、もう一度走りたいよ、ってな。そんな姿見ちまったら、いてもたってもいられなくなってよ。引き取っちまった。それ以来10年近く一緒に居るが、毎日毎日泣いてたよ」
胸が締め付けられるようだった。
車にも苦しみがあるのだと気づく。
車は走るために産み出される。
言うなれば走ることが人生そのものなのだ。
彼女は10年近く生きる意味を失っていたのだ。
......とここまできて彼女を抱き締めていたことに気づいた。まずい。下手したら逮捕もありえる。
だが、不思議と彼女の涙が止まっていた。
「いきなりごめん!本当非常識でここは日本だっつうの!はははー警察はご勘弁......」
我ながら見苦しいな。本当に死にたくなる。
「ううん、大丈夫です。なんと言うか、ほっとしました。私、まだ生きてていいんだって。そう思えました。」
長い白い髪が風に揺られてなびく。
その美しさは何物にも形容し難い美しさだった。
「お前さん、そいつと気が合うんじゃねぇか?出会って早々ハグだもんな!お熱いねぇ!カッカッカッ」
おやじは気まずくなりそうなことを平気で言う。囃し立てられて嫌かと言われればそうではないのだか。
「兄ちゃん、試乗してみっか?シルビア、いいだろ?こいつならお前の人生変えてくれるかもしれないぜ?あっ車生か?」
彼女はブンブンと首を縦に振る。車生ってなんだよ。
「申し遅れました、私はシルビアS15です!お気軽にシルビアって呼んでください!」
そんなこんなで、私とシルビア、人と車の何とも不思議な生活が始まろうとしていた。
シルビアには四点ハーネス付のバケットシートが装備されていた。よっこいせ、と乗り込む。
シルビアはS15の助手席に乗った。
「良いかい兄ちゃん、間違ってもベタ踏しちゃいけないよ。危ないと思ったら直ぐにブレーキを踏むこと。必ず守ってくれよ」
ずっとにやついてたスパナおやじが珍しく真剣な表情だった。
そのただならぬ雰囲気にゴクリ、と固唾を呑む。
「大丈夫だよーっ!私がちゃーんと見てるから!それより早く走ろうよぉ!」
さっきとうってかわってシルビアはテンションが高い。よっぽど走れるのが嬉しいんだろう。
それにしてもキャラ変わりすぎじゃないか?さっきまで落ち着いた雰囲気だったのに今は無邪気な少女だ。
シートベルトをして、前を見据える。緊張した手つきでキーを回す。
小気味良いSRエンジンの声が聞こえる。紛れもなくシルビアはーー生きているんだ。
シルビアが寝起きの時のように伸びをした。
「やっとこの日が来たよー!長かったぁー!!」
そして、一瞬悲しい顔になって
「今度こそは、今度こそ」
独り言のように呟いた。
コイツの期待に応えてやらねばならない。
コイツを過去の苦しみから救わねばならない。
そのためにはコイツを乗りこなせなければならない。
決意を固め、クラッチを繋いでいく。
ゆっくりと車が動き始めた。
ガコンっ!
やってしまった。エンストしてしまった。
スパナおやじは爆笑していた。
誰だって間違えることくらいあるわ!
「もーっしっかりしてよねぇ!お腹痛かったよ!」
どうやら彼女の体とこの車の状態はリンクしているらしい。いっそう気が引き締まる。
「さっいこーいこーっ!」
シルビアと俺は、しばらくドライブすることにした。
「あいつら、結構いいコンビになるんじゃねぇか?」
スパナおやじが一台の古いスポーツカーに語りかける。
すると次の瞬間、美しい銀髪の美女が現れた。
まるで新車の様に磨きあげられた美しい髪は、
彼女から溢れる妖淫さを一層加速させていた。
「いいわぁ、あの子ら昔の私たちを見てるようだわ。あなた、あんなにカッコよくは無かったけどね」
スパナおやじは苦笑した。
「きついねぇ、お前もあんなに素直じゃなかったけどな」
会話の一つ一つにも棘がある。熟年夫婦の特徴だ。
「久しぶりにドライブでも行きたいわぁ」
銀髪の美女が背伸びした。
年老いることを知らないワガママボディだ。
「そんじゃ行くか、2000GTR」
2000GTRはにかっと笑った。
「そうこなくっちゃ♪」
初登場から49年。まだまだS20エンジンの音は衰えてはいない。
スパナおやじが丹精込めて毎月毎月整備した結果だ。
「ほんじゃいこか。」
「ガンガン飛ばせー!」
打ち合わせた相槌のようにぴったりと呼応する。
愛車との絆。
その一つ一つを確かめるように、スパナおやじと2000GTRは走り出した。
読んでいただき、大変ありがとうございました!!
是非、次話もご覧ください!よろしくお願いします!