ひと時の時代
そろそろ終わる……官男!
「同志大書記!図籍(官男の氏名)らが馬を使っている以上、我々の足では追いつけません!このままでは逃げられてしまいます!」
自身の軍勢の一人に声を掛けられ、暖沼は――
「案ずるな!図籍らは我々が通ってきた道に沿って逃げている!
ならば――大丈夫だ!」と自信満々に応えてみせる!
遠くなっていく複数の蹄の音を聞きながら……。
暖沼は先程の決起の前に、自身が過穀まで通ってきた道の途上に、自身の息がかかった四十名程の部隊を配置させている。
――例え逃げれられても、図籍らの馬くらいは仕留められるだろう!と暖沼は考えている。馬さえ仕留めれば、“弓”を持っている暖沼らが有利となる……!
それに工兵部隊にも罠を仕掛けるよう命令している!対策は万全……!
そしてものの五分もしない内に、官男らは暖沼らが仕掛けた罠にはまる!
その罠は単純!官男らの予想進路上に縄をピンと張って待ち構える!
後は、その縄に官男らを乗せた馬を引っかけるだけ!
先頭を駆けていた官男は他の親衛隊将兵らと共に豪快にその罠に引っかかってしまう!
これを見計らって、物陰に隠れていた弓兵やら槍兵の混成部隊四十名が急襲!官男らは必死の抵抗するも、剣ではどうしても槍の長さや弓の飛距離には勝てない!もう間合いの長さで勝負は決まってしまっているのだ……!
官男が気づいた時には、自身の手勢が数えられる程に減っていることに気付く……。
「同志主席!ここは我らが引き受けます!同志だけでお逃げください!」と一人の親衛隊将兵に促された官男は「頼むぞ!」と言い残して闇夜に逃げ去っていく……。
それから瞬く間に、生き残った親衛隊の将兵は殲滅された……。
ここに官男軍が誇る選良部隊である『親衛隊』はこの世から消滅した……!
――わ……私は佞邪のみならず、旧日汎王国域の全ての暴君から人民を解放する唯一の男なのだ!ここで終わるはずがない!
そんな幻想を抱きながら、闇夜を駆けていく官男!
しかしこの世の現実は彼には異常に冷たい!その証拠に馬に乗った暖沼が松明を片手に、彼の後ろに迫ってくる!その距離は瞬く間に縮まるばかり!
「一騎打ちか、逆に好機だ!」と後ろを振り向いて反撃体勢に移行する官男!
――ここで暖沼との一騎打ちに勝てば、形勢逆転が成る!と信じてもいる故に……!
しかし彼は知らない。暖沼が一騎打ちのような高尚な勝負に興味がない奴だと……!
暖沼は今も馬に乗って駆けている状態で、持っていた松明を官男に投げつける!
官男は「笑止!」と吐いて、その松明を自身の剣で真っ二つにしてみせる!
その直後に彼は振り下ろした剣を上げようとするが……なかなか上がらない。まるで剣が重くなった――というよりは、腕から力が抜けていくようだ……!
――な、何があった……?と官男は訳が分からぬうちに、自身の意識のみを夢の世界へ!
そして現実に残った体は剣を落とした直後――地面に倒れ込んでしまう……!
「くくっ……!誰がお前なんかと一騎打ちをやるか!」と嘲笑を堪えきれない暖沼!
意識を失った官男に対して、馬に乗った状態で官男を見下ろす!
一度でも暖沼がやってみたいことが現実となった瞬間であった……!
そんな彼の片手には、長さ一メートル程度の棒――ではなく筒!吹き筒!
彼はこの吹き筒で、麻酔が塗られた矢を官男に向かって射た!つまり吹き矢で!
「大書記ーっ!後ろから京賀軍がっ!」と声を掛けられて、暖沼が後ろを振り向くと――十人ぐらいの自身の軍勢の者達が、自身に駆け寄ってくる!
「どうした!? 京賀軍が向かってきているのか!?」と暖沼が彼らに訊いてみれば――
「はい!千人ぐらいはいます!」と一人の部下が同様を何とか抑えつつ答えてくれる。
「誰か反撃した者はおったか!?」
「いえ全く!皆、逃げるのに必死です!」
「京賀軍には騎兵がいるはずだが……?」
「それが……騎兵達、思いのほかこっちに来なくて……」
部下からの報告を訊き終えた暖沼は「そうか……」とどこかホッとしたように呟く。
――ここで京賀軍に反撃して一人でも死者を出せば、あの幼君(陽玄)は年相応に猛り狂って、我らを皆殺しにするだろうからな……。というのが彼の思い込み。
なお、彼は数多の風の噂だけを頼りにそう思い込んでいる。
ちなみにそれらの噂の発信源は貴狼。故にその思い込みは間違っているわけでもない。
「事情は分かった!! ところで縄は用意してきたな!?」と部下達に訊く暖沼。
これに先と同じ部下が「はい!」と答えると、暖沼は即座に――
「では急いで官男を縛り上げろ!」と命令!
「はいっ!ただ今!」と先の部下の声を合図に、官男は暖沼の部下達に縛られていく……。
こうして官男がもぎ取ったひと時の時代は――幕を下ろした……!
そろそろ消えそうな……佞邪救国政府!