風呂場
緊張の糸が切れた――猛己……!
「同志!お喜びのところを邪魔しますが――風呂の用意ができています!
ここは是非、風呂が冷めてしまう前に入浴を済ませるのがよろしいかと――」
「そうだ!風呂だ、風呂!気が利いてるな!」
申竜の気の利かせように、大喜びの猛己。実際、今の猛己の全身には、官男軍将兵の返り血がびっしりと付いている!一見すれば猟奇犯罪者扱いは確実!
「恐縮です、同志主席!では早速、風呂場にご案内します!
それと、親衛隊の同志の皆様に食事と酒を用意しております!
無礼を承知で――同志主席より早く配膳してよろしいでしょうか?」
「構わねえぞ!それに『救国政府』の身分は平等!細けえこたぁいい!」
続いての申竜の申し出に、猛己は即時に快諾する!上機嫌の証である!
ちなみに猛己は機嫌が悪い時に限って――身分等を用いてくる男である。
「ではこちらへ――」と風呂場への案内を始めた申竜に、猛己は――
「風呂だ、風呂~っ!」と喜びを抑えられないまま、申竜の後をついていった……。
それから猛己の声が聞こえなくなった時を見計らってか、一人の幼児が広間内へにんまりとした笑顔を覗かせる。陽玄の“師”を務める鋒陰である。
彼はそのまま両手で“丸のサイン”をつくって、広間内へ合図を送る。
すると、陽玄の両脇にいる二名の兵の内の一人から「失礼致します!」という声が上がったかと思えば、彼はもう一人の見張りの兵と共に陽玄を縛る縄をほどき始める。
声を上げた方の兵が、京賀の摂政である貴狼の変装!
声を上げなかった方が、前世日本からの転移者である真藤の変装である!
猛己にとって、貴狼と真藤の両名は会ったこともない相手。故に全く怪しまれなかった!
それに自身の兵らの顔を真面に覚えてくれる指導者なぞ――どの世界にいる?
ちなみに、この時を貴狼が改装して曰く――
「兜を被っていれば、案外ばれんものよ!」とのこと。冗談だろうから、鵜呑みは厳禁!
縄を解かれた陽玄は、貴狼と真藤の両名に笑顔で「ありがとう!」と礼を述べる。
これに空かさず貴狼が「恐れながら――これからが肝心で御座いますぞ!」と返す。
陽玄はいつもの鉄面姫に戻って「うむ!」と気合を入れる!
こんな陽玄に向かって、鋒陰が――
「予定通り、傍矛と洲漕達は猛己が連れてきた兵達の相手をしに行ったぞ!」と報告!
猛己が連れてきた親衛隊四十名にお酒を振る舞う予定!
後は言わずもがな、親衛隊は酒に仕込まれた眠り薬で夢の世界へ直行の運命!
この時点で政庁の内外に月清が率いる精鋭部隊が潜んでいるので、もし傍矛らが魔がさして裏切りに走っても、対応可能な体制は既に整っている!
「後は頼むぞ――貴狼、鋒陰、真藤!」とこの陽玄のかけ声に、名を呼ばれた三人は――
「「「御意!」」」と一斉に返してみせる……!
それから五分も経たずして――政庁内の風呂場。
そこでは、猛己が「うぃ~っ!」と奇声を上げて湯に浸かっている。
この時の猛己――牙が抜けた完全なリラックス状態に移行済みである。
余談だが、この世界の旧日汎地域での部屋の灯りは、風呂場に限らずほとんどが提灯や行灯等。
故に前世の者達からしたら、夜をあんまり照らしてくれない……。
ちなみに今、猛己がいる風呂場には提灯が完備されている……。
「コンコンコン!」と風呂場の戸を叩く音!これに猛己の警戒心が芽生えて――
「誰だ!?」と彼の厳しげな声が戸に向かって放たれた!
すると、その戸からは――
「申竜です!同志主席にお酒の方をお持ちして参りました!」と申竜の声。
これに猛己は警戒心を解くどころか、一旦封じてしまって――
「おおっ、ますます気が利くな!入っていいぞ!」と快諾!
「失礼致します!」と申竜は戸を開けて、猛己の下へ酒を運んでくる。
この時、持ってくる申竜の両手には一枚のお盆が抱えられている。
そしてお盆の上には、一本の徳利一つの猪口が載っている。
「どうぞ……」と猪口に注いだ酒を猛己に振る舞う申竜。
猛己はその猪口を片手で持って、そのまま猪口に入った酒を己の口へ投入。
「風呂の中の酒も――美味いもんだなぁ……!」と感想を述べてみせる。
「……!」
上機嫌な笑みを浮かべる猛己を見て、自身も笑顔を浮かべる申竜。
――頼む!そのまま上手く寛いでくれ……!と反面、内心では焦りに焦りまくっている。この時の彼の命運――否、“命”は猛己の機嫌にかかっている……!
次回予告;猛己に運命の時……のはず!