刻多革命
前回の顛末と、もう一国について……。
世歴八百四年六月二十九日の午前……子算と彼の側近達と彼の信奉者達は、既に西崖に買収されていた者達の手によって――抹殺された!
殺された彼ら全員の首は、その日の夕方までに西崖の本営まで運ばれた!
その本営で、西崖の皇帝である――氏が『怖穀』、名は『狂』、字が『長太』という元強盗殺人鬼が……自身の目の前に並べられた数多の首を眺めて「わはははははっ‼」と笑いながら酒を摂取していたが……。
その当の長太も酔っぱらっている最中に、臣下達の手によって――抹殺された!
臣下達もまた……別の者、それも黒幕に買収されていたのであった……
さらにその日の夜を同じくして、崖の一国である東崖の――氏は『文丘央』、名が『二甲弐』、字は『犬空』という皇帝も……。
そして同じく崖の一国である南崖の――氏が『視奪』、名は『伍穀』、字が『穢桶』という皇帝も――暗殺された!
両帝とも、同じ黒幕に買収された部下の手によって……。
こうして崖の三帝が弑されて一か月も経たない内に、崖の三国のそれぞれ政府が――隈への恭順を申し出た!隈はそれを快く受け入れた!
ここに至って、件の『黒幕』が――隈の摂政である“改長”という事実が明白になる!
実際、崖に三帝が現れ、三国に分かれたのも――改長の謀略。
崖は一国になっても、その兵力は隈の半分程度。
しかし、崖の兵が大変強いので、改長は崖を分裂させる決断をしたのだ!
いざ崖と戦って大損害が出れば、そこを他の国々に突かれてしまう……。
一国を分裂させて、分裂した諸国同士で敵対させて、諸国の力を消耗させる。
さらに諸国の皇帝に、隈の息がかかった者を即位させて傀儡政権を打ち立てて、諸国の力の一切を隈に向けさせないようにもしておく。
対し、隈は力を蓄えたり、別の外交に力を入れて、諸国を引き離す!
後は頃合いを見て……用済みになった皇帝達を、それぞれの別の有力者に処分させる!隈は皇帝が無くなったその国々《み》を併合のみ!
また改長は、崖の併合計画と並行して、皇帝やら有力者達がいなくなって無政府状態になっている地域――『譬』を制圧し、これを併合した。
譬が無政府状態になったのも、もちろん……改長の謀略!
こうして隈は現王朝の開闢以来――最大の領土と兵力を手に入れた!
兵力に関しては、尽に勝るとも劣らない規模にまで膨れ上がっていた!
しかし、隈……改長の領土拡大政策はまだ終わっていない……。
ここで話は世歴八百四年の六月十三日……尽の東に位置する隣国――『碩』に移る。
その日の夜――刻多(碩の首都)では血布党による革命が起こった!
碩の皇帝である――氏は『奪価』、名が『鋳』、字は『艮金』という者は自身の一族郎党ごと、血布党の手にかかって殺された!
後にこの革命は――『刻多革命』と自他共に呼称されるようになった。
その翌日――碩には王朝が廃されて、『刻多社民国』という共和国が誕生した!
尽と隈の両国とも待ち望んでいた――この事態に、両国が動かないはずがなかった!
前々から両国とも、この碩に工作員を派遣して、革命勢力を支援していたのだ!
とはいえ反君主主義者達が君主主義者達の支援なぞ素直に受けるはずもなく、支援する側も自身の正体が反君主主義者に悟られないようにしていた。
それに“君主主義者が反君主主義者を助けた”なんて外聞が悪い……。
両国は碩の革命が起こったその日に軍を派遣し、予め敵の校尉(碩では最高位級の部隊指揮官)という地位を手に入れていた自国の工作員と共に攻略を開始。
結果――隈は『高比(碩の西部に位置する地域)』と『穀筍(碩の南部に位置する地域)』の両地域を占領して、即日で隈の西部と南部を併合を宣言するに至った。
同じく――尽も『之央(碩の北部に位置し、尽と国境を接する地域)』と『御荘(碩の北部の最南端に位置する都市)』を占領して、これらを併合した。
特に“御荘”は、碩の“刻多”に次いで重要視される程の都市であり、当の“刻多”にも徒歩で三時間未満(休憩無し)の距離により、戦略的にも重要である。
両国の動きのに、刻多社民国の指導者である――氏が『仕土』、名は『息』、字が『法大』という者は、両国に対し徹底抗戦を決断!
そして同年同月の二十日!大軍で刻多を攻めてきた隈に対し、法大は決死の覚悟で陣頭指揮を執るも、全兵力の内の半数(千名)の裏切りに遭って防衛態勢が崩壊!
結果――この『刻多の戦い』は即日で終わった。指導者の法大の自決によって……。
こうして『刻多社民国』は崩壊し、最後まで生き残った兵は全員――隈に皆殺しにされた……。
次回予告:新章の本編が始まる予定です。