2-3 俺が山田で山田が逐電士で?
『お前、山田っていうのか。すげーありがち』
なんだその着眼点は。
問題はそこじゃないだろ。
『いや、ありがちすぎてむしろないわー』
ていうかお前俺の心読めるんじゃないのかよ。
苗字くらい判るだろ。
『いや判らん』堂々たる返答。『お前の思考は読めるが、それは取りも直さずお前が何事かを思い浮かべているからであって、お前が考えてないことについては一切判らんぞ。どうだ!』
どうだじゃねえよなんの自慢だ。
「いやいや、でもそれ苗字だけでしょ。書いてあるの」俺は心の声を打ち消すように己の声を荒げて反論した。「そのFは、Eを書こうとして一画抜けちゃったとか。ほら、隣のクラスにも山田いるし。柔道部だか野球部だかの。気は優しそうだけど力持ちな感じの、俺なんかよりよっぽど強そうなのが」
だが、少女は首を振って、
「確認済みです。何度も伺いましたです。二年F組の山田さんのことですかと。間違いないです」
「この〈逐電士〉という言葉については、何か聞いてる?」
先生が問いかける。
チクデンシって読むのかこれ。
士の字が最後にあるから、肩書きの類いか?
「いえ。ただ、最強の逐電士さんなので、近くにいれば絶対安全だと」
「最強の、逐電士? 山田くんが?」
お、俺が?
「はいです」高らかに少女は言った。「本人はとても照れ屋さんだから、きっと否定するけど、ともおっしゃっていましたです」
そりゃ照れ屋じゃなくたって否定するよ。
だって、なんのことだかさっぱりなんだぜ?
なんだその逐電士って。
『なんだその逐電士ってのは』
知らないっての。
お前ちゃんと心を読めよ。
しかも、言うに事欠いて近くにいれば絶対安全だと?
とんでもないわ。
この娘に近寄られたらむしろメチャクチャ危ないんだよ、俺が。
「さっき会った、あの怖い方々も、ルキが逐電士さんに会うのを恐れていたみたいでした。山田さんは、その筋では、きっと有名な方なのだと思いますです」
どんな筋だよ。
勝手に決めつけるなって。
「いやいや、それってさ」俺は言い返さずにいられない。「苦し紛れにテキトーなこと書いただけなんじゃ? 山田なんてありふれた苗字、そこら中にいそうじゃん。それがたまたま当たっちゃっただけでさ」
「ルキは、信じてるです。信じたいです。山田さんは、違うとおっしゃるかもしれないですが」
真剣な眼で見つめられ、返す言葉もない。
「あー……えっと」
「あのとき、山田さんが樹の上から降りてきて、実際びっくりしたのですけど、本当は、とても、とっても嬉しかったです。〈賢すぎるよ! す~ぱ~こんしぇる〉さんの話が本当で、山田さんが、ルキの窮地を助けるために来てくれたって」
はにかみながらこっちを見ていた少女は、それだけ言うと再び俯いて黙り込んだ。
そりゃ違う。
この子は想像力をたくましくしすぎだ。
完全に違うんだが、面と向かって指摘するのも躊躇われる。
そもそも、そんな胡散臭さ満載の怪しすぎるコンシェルとやらを、こうもあっさり信じるかね普通?
この子は将来もっと酷い詐欺に遭うだろう。
俺は少なからず心配になった。
「山田くん、こうもはっきり名指しされたら、逃げるわけにはいかないんじゃなくて? 授業のほうはエスケープしてばっかりだけれど」
寺島先生の蠱惑的なウィンクが、悪魔の誘いのように感じられる。
「いや、俺関係ないッスよマジで。心当たりゼロだし」
「残念ながら、それを決める権利、君にはなさそうなのよね」
紙片をちらつかせて先生は言った。
「少なくとも、君に対しては刀のほうもしっかり反応してくれるんだし。ほら、わたしが近寄っても全然動かないでしょ? 暁月さんの腕」
確かにそのようだが、それがどうにも腹立たしい。
この暁月という女生徒がひと芝居打ってる可能性だってあるだろうに。
とはいえ、これに関しても直接言うのは憚られた。
少女の眼はどこまでも真摯で。
「冗談じゃないっての。第一、俺を斬ったら元も子もないでしょうが。真っ先に斬り捨てるべきなのは、今朝いたあいつらであって」
「動かなかったです」俯いたまま、少女は再び語り始めた。「あの怖い方々に取り囲まれたとき、腕はいつも通りでした。ひとりでに動いてくれなかったです」
「……やっぱりその刀」
先生が言葉を止める。
その先は口にするまでもないってことか。
『完っ全にお前仕様なわけだ』
認めたくはないが、そう結論せざるをえないようだ。
俺だけに反応し、襲いかかる日本刀。
納得しかねるが事実は事実。
そこは認めざるをえないだろうな。
「はあ」
『お前さんに首ったけなその凶器に、素っ首狙われちゃ叶わねえよなあ、ははっ災難だねーこりゃ』
減らず口を叩くな。
大体、あの刀で斬りつけられてからお前が出しゃばり始めたんだ。
つまり、元々お前があの刀にいて、それが何かの手違いで俺に乗り移ったんじゃないのか?
『かもしれねーなあ』
なんだそりゃ。
一言で済ますな。
だったら俺に構ってないで元の場所に帰れよ。
それに、逐電士ってのも実はお前のことなんじゃないのか?
『おいおい何を根拠に』
じゃあお前は何を根拠に俺の心の中にいるんだよ……。
『ケッ、俺は別にいいんだぜ、蓄電池だろうがなんだろうが。刀につけ狙われて困るのはお前だけだし』
こっ、こいつ……本気でムカつくわ。
わざとらしい言い間違いも怒りの燃料投下に一役買っている。
『どうせなら、山田とかじゃなくてもっとかっこいい名前にしたかったけどな! ま、最強っていう肩書がありゃあ後はどうでもいいや』
ぜってー違うわ。
最強の逐電士はお前じゃねえ。
心中のそんな言い争いに気づくはずもなく、寺島先生は早くもその〈す~ぱ~こんしぇる〉なる胡散臭い御仁に接触を図ろうとしていた。
「暁月さん、その賢すぎるコンシェルの連絡先は判る?」
「あ、はいです。電話番号だけなら」
「今かけても大丈夫かしら」
「あの、それが……」
少女が言うには、その自称賢すぎるコンシェルは出立準備の真っ最中だったらしく、当分の間オフィスには戻らないと彼女に告げていたというのだ。
見ず知らずの俺に無理難題を押しつけて、自分はのうのうと外出か。
どういう了見だ。
単なる観光旅行とかだったらただじゃおかないところだ。
「一応かけるだけかけてみるわ」
携帯片手に別室へと消えていく寺島先生を眼で追う。
後に残された学生二人。もちろん向こうから話しかけてくる様子はない。
「…………」
「…………」
息苦しい沈黙が続くのだった。