6話 学内コンクール
今日は奏のコンクール。
クラシックのライブなんて行くのは初めてで、まず、何を着ていいのか分からない。
ウチの持っている服はカジュアルだったり、クールだったり、ロックなものばっかりで、
綺麗なワンピースとか、お上品なスカートとかそういう服は持ってな い。
一時間くらい悩んだ末、結局制服を着ることにした。
・・・朝音あたりに鼻で笑われそうだけど、まあ、しょうがない。浮くよりマシだ。
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駅で電車に乗って、音羽駅まで乗る。
音羽駅に着くと、杖をついているおばあさんが、階段の前で止まっていた。
「おばあさん、あっちにエレベーターありますよ、案内しましょうか?」
すごく困っていた様子なので、声をかける。
「あらまあ、ありがとう。ちょっとこの辺りのことは分からなくてねぇ。貴方、音羽学園の生徒さんなの?」
物腰の低いお上品なおばあさんだ。
着ているのも、紫色の綺麗な着物だし、きっと裕福な家の方なんだろうなぁ。
・・・はて。このおばあさん、どこかで見たような気がする・・・えっと、どこだっけ?
「あ、はい。そうです。」
「やっぱり?うちの孫も音羽学園なのよ。」
おばあさんがそう言って、嬉しそうに笑った。
おばあさんのその言葉で、ようやく分かった。
この人、奏のおばあちゃんだ。
奏によく似ている。
「知ってます。音海奏・・・さん、ですよね?友達なんですよ。」
「まあ!じゃあ、貴方が千鶴ちゃん?いつも奏がお世話になってます。」
おばあさんはそう言って、深々とお辞儀をした。
ウチも深々とお辞儀を返す。
「いえ、こちらこそ。」
「貴方のことは、奏から聞いているわ。
仲良くさせて頂いているみたいで、奏がすごくいい友達って言っていたわ。」
うわ。そういう風に褒められると、どうしていいのか分からなくなってしまう。
えーっと、こういう時、どうすればいいんだっけ。
「奏のこと、宜しくお願いしますね。
物静かで、音楽の虫ですけど、素直で優しい子ですから。」
おばあさんはふんわりと笑ってお辞儀をした。
こういうお上品なおばあちゃんっていいな。
ウチも年を取ったら、こういう着物の似合うお上品なおばあちゃんになりたいな。
そんなこと言ったら、絶対皆に笑われそうだけど。
でも、目指す分には自由だよねっ。
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自分の出番の前というのは、いつまで立っても慣れないものだ。
ステージに上がってしまえば緊張しないのに、どうしてもステージに上がる前は緊張してしまう。
見えないプレッシャーに押しつぶされてしまいそうだ。
ましてや、このコンクールは、最終的に先生に喧嘩を売るような形で、自由曲を変えた経緯がある。
先生には、「どうしてその曲を」とか「音海さん、自分の立場分かっているの?」とか
散々脅しをかけられて、最終的には、おばあちゃんまで巻き込んでしまっ て・・・
その時のことはもう振り返りたくない。
おばあちゃんは、私の選択を「奏が演奏したいならすればいいわ。」と言って、笑顔で後押ししてくれた。
この水色のドレスも今日のためにおばあちゃんが作ってくれた。
おばあちゃんと、おじいちゃんは、いつだって、私の味方だ。
おじいちゃんは、ヴァイオリン職人で、私のヴァイオリンを作ってくれて、時々メンテナンスをしてくれる。
頑固で、なかなか自分の意見を曲げない人だけど、いつも頑張れよって大きな声で励ましてくれる。
おばあちゃんは、いつもコンクールの度に私に、衣装を作ってくれる。
私がヴァイオリンの演奏で悩んだ時に、厳しくも的確なアドバイスをくれる。
そして、二人とも、私がヴァイオリンをやっていることに
好意的ではない両親から、私を守ってくれていることも知っている。
・・・たぶん、おじいちゃんと、おばあちゃんが守ってくれてなければ、
私は、とっくのとうに潰れていたかもしれない。
学校でも、家でも、居場所がないというのは、学生の私たちにとっては辛いことだ。
社会という広い世界にでれば、もっと他の選択肢が出てくるかもしれない。
だけど、学生という狭い箱庭のような世界に暮らしている私たちにとって、
家と学校というのは大きな存在なのだ。
「音海さん。準備してください。」
控室のドアの向こうから、先生の声が聞こえた。
私は、ヴァイオリンを持って、ステージへと向かう。
「はい。今行きます。」
私の賭けのはじまりだ。
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学内コンクールは、課題曲と自由曲それぞれ一曲ずつ演奏することになっている。
課題曲→自由曲の順で演奏する決まりだ。
課題曲は、ヴィエニアフスキのオベルタス。
華やかな感じの曲・・・なんだけど、むちゃくちゃ難しい曲だ。
練習でも、楽譜について行くのが、精一杯で、正直、自分の納得する演奏レベルではない。
まあ、コンクールに出ている皆がそういう感じの演奏をしているので、
学校側としては、この楽譜について来れるかどうかを見ているのだと思う。
・・・とは、いえ、そんな演奏をおばあちゃんや美和君の前でしたら、怒られそうだ。
練習以上の演奏が出来るとは思ってないけど、
ここは、仮にもコンクールで、私は、ステージの上に立っている。
演奏者というのは、ステージの上に立ったら、
観客を喜ばせるようなパフォーマンスをしなければいけない。
自分がどんなコンディションでも、最高のパフォーマンスをするのがプロだから。
―――演奏がはじまる。
おばあちゃんから、この曲は、
「楽譜をなぞるより、自分の理想の音を出すイメージで弾くんだよ」と言われている。
私のこの曲のイメージは、「華やかな貴族達のダンス」だと思っている。
オベルタスっていうのは「回る」って意味もあるし、華やかななこの曲のイメージは、貴族って感じだ。
くるくると、華やかに踊る貴族の舞踏会をイメージして、私は、ヴァイオリンを弾く。
技巧的には、軽やかに、なるべく装飾音で音を飾って、
この曲の華やかな雰囲気を出すように、指と弓を動かす。
きらびやかに、優雅に、練習よりも、いい音がでて嬉しくなる。
夢中で弾いていたら、いつの間にか曲が終わっていた。
慌てて、次の曲の前に一度、調音をして、自由曲を弾き始める。
自由曲はチャイコフスキーの「感傷的なワルツ」。私の好きな曲だ。
「夜明け一番星」のライブを見ていて、
自分の気持ちをダイレクトに演奏に込めるっていうのもいいなぁ、と思って選んだ曲だ。
私は、歌歌いではないし、分かりやすい歌詞を歌うことはできないけれど、音で表現することはできる。
ヴァイオリンの音一つで、どれだけ自分の世界観を表現できるか、という自分の表現力への挑戦だ。
―――もの悲しい旋律と共に演奏がはじまる。
この曲は、自分一人で孤独で、ヴァイオリンがうまく鳴らなくて、
それでも、ヴァイオリンが辞められなかったその頃の自分を思って演奏する。
私は、暗い海の底にいて、光の当たらないステージで、
壊れた機械人形のように、ただ、ヴァイオリンを弾いていて。
別に、その状態を抜け出したとは言えないし、今でも心の中の傷は深く、残っている。
だから、こんなある意味自虐的な演奏をするのは、辛い。
―――でもね、それでも、私は、こういう風に弾いてみたかったんだ。
曲の後半で、がらりと音色を変える。
暗く深い闇から、光が当たって、どんどん夜が明けていくように。
そう、ここが一番私が弾きたかった所。
ただ暗いだけの演奏じゃ、息が詰まってしまう。
だから、曲の後半で、今の私を表現してみる。
美和君や、千鶴と出会って、キラキラと光がさして。
私の中の長い夜が明けて、夜明けの空に輝く一番星が見えて。
その光がね、こっちだよって、私の歩く方向を導いてくれているの。
―――光の方向へ。
―――お日様の当たる大地へ。
演奏が終わった時、今までにない満足感があった。
沢山の拍手が聞こえる。
この学校に入ってから、今まで、私の演奏なんて露骨に拍手が少なかったのに。
・・・・私の演奏、伝わったのかな。
お辞儀をすると、ますます拍手が大きくなった。
客席を見ると、音楽科の人たちも拍手している。
・・・中には、私のこと大したことないと言っていた人もいる。
―――すごい。なんか世界が変わったみたい。
ようやく、私、お日様の下にこれたような気がする。
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その夜、美和君に、今日どうだったかメールしてみた。
コンクールの後は、おばあちゃんが来ていたから、美和君と話せなかったから。
おばあちゃんは良かったよ、と言っていたけど、やっぱり、ちゃんと美和くんの評価も聞きたい。
私の演奏が、彼の目にどう映ったのかすごく興味があるのだ。
「すごいね。俺ならもっと先生に媚びた演奏したよ(笑)
クラシックのコンクールで、あんな思い切った演奏していいの?」
彼から、こんなメールが返って来た。
確かに、彼の言う通りコンクールでは、
作曲者の意図を汲み取った上で個性のある演奏が求められている。
なので、私が感傷的なワルツでやったように、
作曲者の意図は無視で、自分の解釈で演奏するのはあまり宜しくない。
これがコンクールではなくて、コンサートならそれも「あり」なんだろうけどね。
「演奏の出来は良くても、点数は伸びないと思うよ。」
私が素直にそう返すと、
「だめじゃん。・・・崖っぷちのクセに、ホント、バカだね。でも、俺は嫌いじゃないよ、そういうの。」
・・・えーっと、これは、演奏自体は良かったってことなのかな?
そう思ったのなら、素直にそう書けばいいのに。
―――でも、良かった。美和君がいいって思うような演奏が出来たんだ。
・・・少しは、美和君の期待に答えられたかな?
あの時、美和君が見捨てないって言ってくれて、本当に良かったと思う。
それがなければ、今の私は、いないから。
「ありがとう、美和君。」
感謝の気持ちを込めて、メールを送った。
本当は、もっと色々書きたいんだけど、
五文字で住んでしまう言葉が、便利なようで、物足りないような気がする。
「だから、お礼言うのやめろって。気持ち悪い。俺は、何もしてないから。」
美和君のメールを見て、頬が緩む。
―――そんなことないよ。本当に、私に、とってはすごく大きなことなんだよ。
美和君にしては、大したことないかもしれないけど、
私にとっては、人生が変わった瞬間だって言っても過言ではないんだよ。
―――美和君に、何かお礼が出来たらいい。
物だと美和君は受け取ってくれないかもしれないけれど、
美和君から受け取った恩を、何らかの形で恩返ししたいな。
―――できれば、彼の人生にとって、すごく大きなものを返せたらいい。
それが何なのか、さっぱり分からないしけれど。
こんなに大きな恩を受け取っているだけじゃ、もったいないから。
―――今度は、私が美和君を助けたいんだ。
END




