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43話 異変


―――その日は静かな朝だった。




俺は寝起きが悪い方なので、毎朝何回も鳴るやかましいアラームの音で起きる。

それなのに、その日は目覚ましの音が全く聞こえなかった。


珍しい。俺が目覚ましの音の前に起きるなんて何日ぶりだろう、と思いながら時計を見る。



外は明るい。時間を確認してみると、6:30をさしている。



・・・あれ、俺、6時に目覚ましセットしたつもりが、出来てなかったのか?



首をひねりつつも、俺は毎日、朝起きた時の日課である歌を歌うことをした。



毎日、俺は喉の調子を確かめる為に歌を歌う。

曲はその日によってさまざまだが、今日は自分の曲を歌おうと思って、息を吸って声を出した。




―――だけど、俺の声は出なかった。




あれ?



声を出しているつもりなのに、声が出ていない。

そこで俺は、初めて自分の異常に気がついた。



もう一度、深呼吸をして声を出してみる。



声帯は震えている。腹から息も出ている。

だけど、声は聞こえない。



やばい、と俺は焦りを感じた。

歌を歌うやつにとって、声が出せないのは致命的だ。喉の病気か何かになってしまったのだろうか。



くそっ、今日はドイツに行かなきゃいけないっていうのに・・・・



とりあえず、自分を落ち着けようと、俺は台所に水を取りに行こうとする。

そこで、自分の足音が聞こえない事に気がついた。



―――あれ?もしかして、喉じゃなくて、耳の問題なのか?




俺は急いで台所に行って水を出してみる。




水の音が聞こえない。

そのままコップに水を汲んで、一気に飲み干し、適当にCDをかけてみる。




―――聞こえない。





どんなに音量をあげても、音が聞こえる事はなかった。





目の前が真っ暗に染まるのを感じる。

血の気がだんだんひいて行く。





―――何でだよ、何でなんだよ。




だって、今日はドイツに行かなきゃいけないんだ。

佐藤を殴って、音海に会わなきゃいけないのに・・・どうして・・・・。




強烈な眩暈が俺を襲う。

倒れこみそうになる身体をどうにか踏ん張って、

俺は急いで携帯電話を取り、母親にメールをすることにした。



「耳が聞こえない。大至急病院に連れて行ってくれ。

今日、12時のドイツ行きの飛行機に乗らなきゃいけないんだ。」



すぐに親からメールが来た。



「大丈夫?今すぐマンションに向かうわ。

ドイツに行くって初耳だけど、旅行でもするの?

流石に耳が聞こえなくなったのに、旅行なんて行ってられないでしょ。諦めなさい。」



母親のメールは、親として・・・というか人として当然の判断だろう。



当たり前だ。

昨日まで正常に聞こえていた耳が聞こえなくなったというのに、

異国の地に旅行しようなんて考える馬鹿はいない。




だけど、それでも、俺は無理でも無茶でも何でもいいから、あいつの元へと行きたかったんだ。





音海が泣いているっていうのに、側にいれない自分がもどかしい。

あいつに・・・何て言ったらいいんだ。




真っ暗な闇が、心の中に広がって行く。





俺は、冷たくて、深くて、暗い闇に、ゆっくりと堕ちて行った。


---------------



「突発性難聴」



それが俺の耳の病気の名前らしい。


ある日突然、何の前触れもなく耳が聞こえなくなる病気で、

普通は片側のみ発症するようだが、俺の場合、両耳の聴力が全く聞こえなくなっているそうだ。

原因は不明で、医者も「ストレスですかねー。」と首を捻るだけだった。



とりあえず、全く耳が聞こえなくなっているので、入院して安静にしましょう、

と言われて俺は、すぐに入院を勧められた。



ふざけんな。入院なんかするか、俺は、ドイツに行かなきゃいけないし、バンド活動だってしたいんだ。



曲を作って・・・ライブをして・・・早くデビューしなきゃいけないってのに・・・・




だけど、俺の抵抗もむなしく、両親は医者に入院をお願いした為、

俺は、入院をすることになってしまった。

まあ、冷静に考えれば音が全く聞こえない状態でいきなり日常の生活に戻るのは難しいので、

親と医者の判断は正しいとも言える。



治療法はとにかくストレスのない状況で安静にして、まずい薬を飲むこと。



薬を飲んでも治るかどうかは分からないし、どのくらい聴力が回復するかも定かではない。

発症して一ヶ月を過ぎるとほとんど病状が固定されてしまうことが多いそうなので、

この一ヶ月が勝負だそうだ。



もしかしたら、治療をしても聴力が全く回復しない可能性もある、と知って俺は軽く眩暈がした。



医者なんだろ?病気を治すプロなんだろ?何で治せねーんだよ。



もし、このまま一生耳が聞こえなくなったら、俺は、どうなるんだろう・・・・。

バンドは・・・無理だよな。音が聞こえないのに音楽なんて出来るはずがない。





でも、もし、俺から音楽を取ってしまったら、何が残るっていうんだ?





ったく、何でこんなワケの分からない病気になってしまったんだろう。

こんな病気になってしまった自分に腹が立つ。




こんな時は俺は、いつも歌を歌っていた。



ムカつく時、腹が立った時、ストレスがたまった時。

エレキギターを大音量でギュンギュン弾きながら、怒りのエネルギーを歌にするんだ。

そうすると、胸がスッとして、ストレスが無くなっていくんだ。




―――だけど、今は音が聞こえないから、ギターは弾けない。歌も歌えない。




この行き場のないフラストレーションを、これからどこに吐き出せばいいんだろう。

歌いたいメロディはたくさん浮かぶのに、今はどんなに大声で歌っても聞こえない。




バンド、どうしようかな。




バンドの奴らの顔が浮かんで来る。




俺を信じて、一緒に音楽やってくれる仲間達。

本当に、あいつらがいるお陰で俺は、自分の思い描く音楽が出来ていると思うし、

口に出して言うのは恥ずかしいけど・・・感謝もしてる。



もう、俺のことは小松さんやバンドメンバーにも連絡が行っているはずだ。

あいつら、俺が耳が聞こえなくなったと知ったら、どう思うんだろう・・・。




あいつらのことだ、俺の耳が聞こえるまで待つとか言いそうだ。





だけど・・・・




いつ治るのか、どのくらい治るのか、そもそも治るかどうかも分からないのに、

待っていて貰っていいのだろうか・・・?



今はまだ、高校二年生の俺たちだけど、来年は高校三年生。進路を決めなければいけない年だ。

大学に行くにせよ、就職するにせよ、俺たちは人生の分岐点に強制的に立たされることになる。



もし、耳が治らないまま、ずっと待っていて貰ったら・・・



俺は、あいつらの人生を狂わせてしまうのだろうか。




あいつらは、演奏うまいし、いい奴らだし・・・他のバンドでも、きっと、うまくやっていけると思う。

解散するなら、きっと、早めに決断してしまった方がいいよな・・・




―――コンコン。



そんな事を考えていたら、病室のドアがノックされた。

小松さんと祥太郎と圭が神妙な顔で病室に入って来る。




噂をすれば何とやら、かな。

ちょうどいい機会だ。解散の件、伝えておこう、と俺は胸に覚悟を決めた。






小松さんと祥太郎と圭が、ベットの側にある椅子に腰掛ける。



「朝音、大丈夫?」



祥太郎が、俺のベットのサイドテーブルの横に置いてあるノートに文字を書く。

このノートは親が耳が聞こえない俺の為に用意してくれたものだ。



「大丈夫じゃねーよ。何も聞こえないし。」



俺は、直接言葉で話せないことにイライラしながら文字を書いた。



「美和君、とりあえず、社長と話したけれど、

美和君の耳が回復するまではレコーディングの予定を止めることになったよ。

とにかく病気を治す事を最優先にして、これからのことは、治ってから決めよう。」



今度は小松さんがノートに文字を書いて行く。




・・・病気を治すって。




思わず俺は、鼻で笑ってしまった。



こんな原因も治療法も治るかどうかもあやふやなのに、果たして音楽が出来る日がまた来るのだろうか。

・・・もしかしたら、このまま一生耳が聞こえないままになるなのかもしれないのに。




「いいですよ、別に。待ってもらわなくても。」



俺はノートにそう書き込んだ。

小松さんも祥太郎も圭も、どうしてという顔で俺を見る。



「どうせ、薬なんて飲んだって治らないんだ。

俺はもう、音楽をすることは出来ないんだ。だから、もう、夜明け一番星は解散します。」



小松さんも、祥太郎も、圭も、黙って俺の書く文字を見ていた。



「祥太郎、圭、今までありがとう。お前らとやれて、楽しかった。

悪いけど、音楽やりたいなら他のやつとやってくれ。

千鶴にも、宜しく伝えておいてくれ。」



祥太郎の目から、涙が溢れ出てきた。



つられて俺も、泣きそうになったが、ぐっとこらえる。




「そんな事言うなよ。絶対治る。だから、耳が治ったらまた、音楽しよう。」



ノートを涙で濡らしながら、祥太郎が文字を書いた。



祥太郎の文字は涙で滲んでいて、めちゃくちゃ読みづらかった。





祥太郎の言葉はすげー嬉しい。



祥太郎は、俺がバンドをやろうって誘ってから、ずっと一緒に頑張ってきたから、

尚更胸に深くその言葉が突き刺さる。



音楽、やりてえよ。また、祥太郎と一緒に、やりてえよ。



でも、耳が聞こえないことにはどうしようもないんだ。



「ごめん。」



俺がそう書くと、祥太郎は崩れ落ちたように泣き出した。



圭の目にも涙が溢れている。




小松さんだけが、冷静な表情でペンを取った。



「美和君、今日はたぶん、耳が聞こえなくなったショックで混乱しているんだよ。

また、日を改めて来るから。」



小松さんはそう言って、祥太郎と圭に何か話しかけて、二人を連れて病室から出て行った。




真っ白な病室で、一人になって、俺の目からぼろぼろと涙が溢れてきた。





―――泣くな。泣いちゃいけない。





泣きたいのは、祥太郎や圭や小松さんの方なんだ。





いきなりバンドのボーカルやっているやつが耳が聞こえなくなって。





今までやってきたこと、これからやろうとしていたことが、全部めちゃくちゃになって。






めちゃくちゃにしたのは、他でもない、俺だから。

俺が全部悪いのに、泣いちゃいけないんだ。




だけど、そう思えば、そう思うほど、涙がとまらなくて、俺は、たぶん、大声を上げながら泣いていた。




END


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