18話 貴方に贈る演奏
12月20日。
今日は全国高校生ヴァイオリンコンクール本番。
鹿児島県で開催されているから、美和君や千鶴達はいない・・・
おばあちゃんも誰も応援に来てない初めてのコンクール。
おばあちゃんは、文化祭が終わってからすぐに入院したらしい。
・・・と言っても、私は両親の連絡先を知らないから、
いつ入院したのか、どこの病院にいるのか、手術は成功したのか、
おばあちゃんとおじいちゃんは元気なのか・・・全く情報が入ってこない。
すごく不安な気持ちで・・・いてもたってもいられなくて・・・
本当はヴァイオリンのコンクールなんか出たくない。
今すぐにでも、おばあちゃんとおじいちゃんのお見舞いに飛んで行きたい。
でも・・・・。
きっと、ここで下手な演奏をしたら、おばあちゃんは怒ると思う。
だから、私は・・・今は、ヴァイオリンの演奏をしっかりやらないといけないんだ・・・・。
そう思ってはいるんだけど・・・・
(集中できないなぁ・・・)
出番までヴァイオリンの練習をしようと思っていたけど、全く集中出来てない。
仕方ないので、気分転換にロビーで飲み物を買おう、と思って控え室からロビーへと出る。
「あっ・・・」
ロビーへと向かう廊下から、ロビーを覗いた時、客席へと続く扉の前に美和君が立っているのが見えた。
(えっ?何で・・・どうして?)
私の胸がドキドキと高鳴った。
だって今日は金曜日。学校がある日なのに・・・。
どうして美和君がここにいるんだろう・・・。
「美和君っ。」
私は、ロビーにいる美和君に小さな声で話しかけた。
ホールの中では他の生徒が演奏中なので、大きな声を出すわけにもいかない。
「うわっ!音海・・・何でお前がここに」
美和君は驚いたように私を見る。
「それはこっちのセリフだよ。どうして来たの?」
まさか、私の応援にわざわざ鹿児島まで来てくれたのかな・・・
とほのかな期待を込めつつ、私は美和君に聞いて見た。
「・・・・あー。今日、母親の命日なんだよね。鹿児島に母親の実家があって、墓こっちにあるから。」
美和君は照れながら、少し早口にそう言った。
そっか・・・美和君の本当のお母さんは亡くなっているんだっけ・・・
「お墓参りはもう済んだの?ここに来て大丈夫?」
「朝一で済ませて来たよ。あのクソババアに会いたくないし。坊さんのお経なんか聞きたくないし。」
美和君はうんざりしたような顔をしている。
「でも、ちゃんとお墓参りに来ているんだね、偉いね。」
そう言って笑うと、美和君の顔がますます赤くなった。
「一応、俺があいつの腹の中から出てきたのは事実だからな。
ロクでもねー母親だったけど、まあ、年に一度くらい顔見せに来てやらないとな。」
美和君は、すごく照れ臭そうにそう言った。
美和君は・・・お母さんが好きだったんだね。
胸の辺りがきゅっと締め付けられるような感触がした。
ああ、やっぱり、美和君といると落ち着くなぁ・・・
さっきまで、不安な気持ちに押しつぶされそうだったのに、元気をもらえた気がする。
「美和君っ!私の出番が終わったら控え室に遊びに来なよ。」
「は?何で?」
「・・・えっ、えっと・・・それは・・・」
もっと一緒にいたいから、じゃ駄目かな・・・・
「・・・直接、感想を聞きたいなって思って・・・」
「・・・へーっ、そう言うからにはお前、さぞかし自信があるんだろうなー。」
美和君が面白そうにニヤリと笑った。
その顔を見た瞬間、しまった、と思った。
「この間の音羽祭以上の演奏を見せてくれるんだろうなぁ?」
・・・美和君、それは、ハードル高すぎるっ・・・
あ、あれは、その・・・皆の音に触発されてすごいいい音が出ただけで、
一人で演奏している時は、まだまだ全然そのレベルに達してないというのに・・・
「期待しているからな、音海。」
ど、どうしよう。とんでもないことになってしまった。
勇気を貰えたと思ったら、とんでもないプレッシャーをかけられてしまった・・・。
美和君がちゃんと満足するような演奏をしないと、失望されちゃうかも・・・
「何青くなってんだよ。」
美和君がケラケラ笑いを堪えながら私の背中を叩いた。
美和君に触れられた所がかあっ、と熱くなる。
「お前、ホント、ビビりすぎ。もっと堂々としてもいいんじゃない?
折角才能あるんだからさ、もっと自信持ったら?」
美和君の言葉が、まるで魔法の呪文のように聞こえた。
・・・さっきまで、びくびくしていた自分がいつの間にかいなくなっている。
・・・自信。
うん、やっぱり、美和君は私に元気にをくれる。勇気が出てくる。
その言葉一つで、いい演奏ができるような、そんな気がした。
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その日の朝、俺は墓参りをさっさと済ませて・・・本当は空港に向かう筈だった。
授業をサボりまくっていたから、そろそろ出席日数が危ないし、できるだけ授業には出たい。
だけど、何故か俺の足はコンクール会場へと向かっていた。
いつ、どこで開催されて、何番目に音海が出るのかは、
昼休みに音海が千鶴に喋っていたので、知っていた。
でも、本当はあいつのコンクールを見に行く気は全くなかった。
すごいムカつくことに・・・
あいつは、この間の文化祭の俺とのステージでめちゃくちゃいい音を出しやがった。
俺がどれだけ頑張っていい音を出しても、あいつはさらにいい音を出しやがる。
どれだけ走っても、あいつの足元にも及ばないような・・・そんな気がした。
結局、あいつよりいい音が出せないまま、音羽祭が終わってしまって。
―――そのことが、すげー悔しくて。
自分の才能のなさにムカついて、嫉妬で狂いそうだった。
何であいつはあんなにいい音が出せるんだろう・・・
まだ15歳だというのに、時々あいつは神がかったような演奏をする。
あんな演奏、並のヴァイオリニストじゃ、どれだけ練習したって出来やしない。
それなのに、あいつは軽々しくやってしまうんだ。
同じ音楽をやっているものとしては、その才能は正直羨ましいし・・・
でも、それと同時にその才能が疎ましくもある。
俺は、この学校で音海を見つけてから、あいつを越えるつもりでやって来た。
だからこそ、あいつに不甲斐ない演奏はして欲しくなかったし、あいつの「全力」が見たかった。
だけど・・・あいつは、どこまでも、どこまでも、いい演奏をして・・・上限が見えない。
「全力」が分からない。
それなのに、圧倒的な差を感じるんだ・・・
そう、それは、決して越えることの出来ない「才能」の差・・・・
才能というのは残酷だ。それは、決して努力では越えることが出来ない。
特に・・・音楽の世界では。
音羽祭以降、俺は、あいつの才能に嫉妬している。
いつか、この醜い嫉妬を彼女にぶつけてしまいそうで・・・。
でも、できればそんなことはしたくない。
そんなことしたって、何の解決にもならない。かっこ悪い思いをするだけだ。
だから、俺は音海の演奏を見に行く気なんてなかった。
―――でも。
結局来ちゃったんだよな。俺、相当なドMだったのかもしれない。
ボコボコにされるの分かっているのにさ、それでもあいつの音を聞きにきちゃうんだもん、ヤになるよ。
しかも、演奏中はホール内に入れないからロビーで待っていたら偶然本人に会うし。
しかも、あいつ、小学六年生の時と同じ色の白いドレスにポニーテールという格好で・・・
あの時は、子供っぽいドレスだったのに、少し大人めのデザインの、
清楚な白いドレスを着た音海が、めちゃくちゃ綺麗に見えたのは内緒だ。
しかも・・・
「折角才能あるんだからさ、もっと自信持ったら?」
なんで俺は、敵にわざわざ塩を送るような真似を・・・
あのままビビらせたままだったら、そんなにいい演奏は出来なかったと思うのに・・・
余程俺は自分の才能のなさを打ちのめされたいらしい。
―――ホント、あいつといると調子が狂う。
あいつの演奏聞くとすげー凹むから、出来ればあいつの顔も見たくないのに。
なのに、何故か、一緒にいたくなるんだ。
一緒にいると、何故か笑顔が見たくなるんだ。
こんなにムカつくのに、どうしてなんだろう・・・
そんな事を考えていたら、音海の番になった。
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「次は音羽高校、一年生・・・音海奏さん。」
アナウンスの声に呼ばれて、私は、伴奏をしてくれる飛鳥と一緒にステージへと上がる。
約三年と・・・三ヶ月ぶりの全国の舞台。
独特のプレッシャーと、この始まる前の静かな空気は本当に苦手だ・・・・。
でも。
「もっと自信を持ったら?」
私には、魔法の言葉がついている。
この空気に飲まれるな。胸を張れ。
ヴァイオリンの調音を済ませて、ざっと客席を見渡した。
二階席の後方。暗くて見にくいけど・・・そこに美和君を見つけた。
私は、少しだけ美和君の目を見る。
軽く深呼吸をして、飛鳥に合図を送った。
まずは、課題曲。
「わが母の教え給いし歌」。
この曲は、本当にうまく演奏出来なくて・・・・すごく苦手意識のある曲だ。
私は、母親の愛を知らないから・・・この曲を演奏すると、胸を引き裂かれそうな悲しい気持ちになる。
私は、お父さんとお母さんから、全く愛されていないから、うまく曲が表現できないのだ。
―――でも。
お父さんとお母さんは全く私を見てくれてないけど、
その分私は、おじいちゃんとおばあちゃんから愛情を貰って育ってきた。
おばあちゃんの家で暮らし始めた頃、おばあちゃんにこんなことを言われたことがある。
「奏。お前は、お母さんからは何も教えて貰わなかったかもしれない。
だけど、いつか、お前に好きな人が出来て、結婚して、子供が出来た時、
決してお母さんの真似はしてはいけないよ。
お母さんが教えられなかったことは、おばあちゃんが教えるから。
だから、お前は、おばあちゃんから受け取ったバトンを、ちゃんと子供に渡すんだよ」
あの時、私は、幼くて、その言葉の意味が全然分からなかったけど・・・
今なら、おばあちゃんの言葉が理解できる気がする。
きっと、この歌が歌っていることも・・・そうだと思う。
『母がわたしに この歌を
教えてくれた 昔の日
母は涙を 浮かべていた
今は私が この歌を
子どもに教える ときとなり
私の目から 涙があふれ落ちる』
―――私、うまくバトンを渡せるのかな。
まだ全然結婚を考える年齢じゃないし、相手がいるような段階でもないけど・・・
時々、うまく子供を育てられるかどうか、すごく不安になる。
―――でも。
もし、もしも、美和君が一緒にいてくれるのなら・・・・
出来ないと思うことでも、何だって出来ちゃう気がするの。
どこまでも、どこまでも、地平線の果てまで走れる気がするの。
・・・なんてね。
まだ全然私の片思いなのに・・・そんな都合のいい事ばかり考えてしまう。
最後の一音を弾き終わる。
お辞儀をして、すぐに次の曲を演奏する。
チャイコフスキー メロディ 変ホ長調 作品42-3。
私は、チャイコフスキーの曲がすごく好きで・・・この曲は特に弾いていて相性がいいな、思える一曲だ。
この甘くて、優しくて、綺麗なメロディが大好きで・・・自分の中で一番素直な気持ちで弾ける曲だ。
そんな曲だからこそ、この舞台で弾いてみたかった。
1番素直に弾けるということは、自分のベストの状態を出せる曲だから。
久しぶりの全国コンクールだからこそ、「これまで」のベストを出し尽くしたい。
私は、飛鳥に合図して、曲を弾き始める。
少し、この曲のエピソードを紹介しようと思う。
チャイコフスキーは熱烈にプロポーズしていた相手と結婚するが、すぐにその結婚が失敗だと気づく。
離婚し、自殺未遂をする程精神的に追い詰められていた時に、
後援者のメック夫人に生涯会わないことを条件に、別荘に招待された。
チャイコフスキーはそこで一人で過ごし、心身共に回復し、
別荘を去る時に、お礼としてメック夫人に「懐かしき土地の思い出」という名の作品集を贈る。
「メロディ」はその「懐かしき土地の思い出の中の一曲である。
個人的に、この曲はチャイコフスキーにとって「再出発」の曲だと思っている。
失意の底から這い上がってきて、次のステージへの旅立ちの曲。
私も、四月頃は本当にひどくて、ヴァイオリンはうまく鳴らないし、友達なんて一人もいなかったし・・・
ヴァイオリンが弾くのが辛くて、苦しくて・・・どうしようもなかったあの頃。
本当に、美和君が手を差し伸べていなかったら、きっと私はここにはいない。
チャイコフスキーが、感謝の気持ちを込めてこの曲をメック夫人に贈ったように、
私は、美和君に感謝の気持ちを込めて、この演奏を贈ろうと思う。
わあっ、と歓声が上がるのが聞こえた。
―――ああ、もう終わってしまったのか。
観客の歓声で私は現実に戻った。
私は、丁寧にお辞儀をして、二階席の美和君を見る。
美和君は、すごく悔しそうな顔をしながら拍手をしていた。
そんな美和君を見ながら、私は、飛鳥と一緒に舞台袖にはけた。
「すごい!奏ちゃん、すごくいい演奏だったよ!」
飛鳥が興奮気味に私に話しかけてくる。
「きっと先生も大絶賛だね。・・・あれ?」
飛鳥が怪訝そうな顔で辺りを見渡している。
「どうしたの?」
「あ、あのね・・・先生がいないな、って思って・・・どうしたんだろう。
生徒の演奏はいつも舞台袖で見ているのに・・・」
そう言えば、言われてみれば先生がいない。
何だろう、すごく嫌な予感がするような・・・
「ああ、音海さん。いたいた。」
「あれ?田中先輩、どうしたんですか?」
田中先輩は同じヴァイオリンを専攻していて、この全国コンクールに一緒に出ている人だ。
でも、先輩の出番はまだなのに、どうしたんだろう・・・
「さっきね、コンクール会場に学校から電話がきたんですって。
だから、音海さんに控室で待っているように伝えて干しいって東先生が言っていたわよ。」
・・・・電話。
・・・何だろう、胸騒ぎがする。
何だか嫌な事が起こるような・・・
私と飛鳥は先輩の伝言に従って、控室に戻る事にした。
控室に戻ると、美和君がいた。
「遅い。何やっていたの?反省会?」
美和君の顔を見て、少しだけホッとした。
美和君は私の顔を見るなり、すごい悔しそうな表情をした。
「・・・いいか、お前にどんなにすごい才能があっても、
俺は・・・絶対にお前に負けたくない。いつか抜いてやるからな。覚悟しておけよ!」
美和君は敵意むき出しの言葉で、私を睨みながらそう吐き捨てた。
・・・えーっと、美和君がそう言うってことは・・・
たぶん、いい演奏だった、ということ・・・だよね。
「えへへっ、ありがとう、美和君。」
私が笑うと、美和君の顔が少し赤くなった。
「か、勘違いするなよ、いつかお前にギャフンと言わせてやるからな!」
その負け惜しみのような言葉がすごく愛おしくて。
―――ああ、やっぱり、私、美和君が好きだなぁ・・・・
「音海さん!」
控室ドアが開いて、東先生が慌てて入って来た。
「あれ?先生・・・戻ってきたんですか?」
飛鳥の質問には答えず、先生は深刻そうな顔で、私の前に立った。
心が、ざわざわとざわつきはじめる。
・・・何だろう、どうしてだろう。
今、先生の話を聞きたくない。
「音海さん、落ち着いて聞いてね。今、学校から連絡があって・・・・」
「貴方のおじいさんとおばあさんが亡くなったんですって」
END