16話 歩く道
熱で意識が朦朧としている中、何度か美和君を見た。
彼は心配そうに私のことを見ていた。
それなのに・・・どういうわけか、彼は私の事を引っ叩いた。
何を言ったのか、何が、あったのか・・・よく分からない。覚えてない。
ただ、一つ、はっきりしているのは・・・美和君を怒らせてしまった、ということだけ。
叩かれた頬がじんじんと痛い。
―――どのくらい時間が立ったのだろう。
気がついたら、隣に藁科君がいた。
「大丈夫?もうすぐ寮につくから・・・」
藁科君は、そう言っていたような気がする。
「美和君、怒っていた?私、何かしたかな?」
朦朧とする意識の中、私は藁科君にそう聞いたと思う。
「・・・まあ、怒っていたね。でも、反省もしているよ。熱が下がったら全部話すから、メールで連絡して。」
藁科君は、優しくそう私に言ってくれた・・・と思う。
部屋につくなり、私は、ぱったりと倒れて眠り続けた。
---------
あれから3日が経ち、ようやく私は、元気になった。
学校にも行けたので、休み時間に藁科君にメールをした。
「今日の放課後空いてる?朝音と顔を合わすのは気まずいだろうから、駅前のカフェで待ち合わせよう」
藁科君の気遣いが有難かったので、私は、「うん、分かった。」とメールを打った。
カフェに行くと、既に藁科君がいた。
藁科君は事の経緯を細かく説明してくれた。
「わ、私、そんなこと言っていたんだ・・・・」
「覚えてないの?」
「うん・・・無意識に言っちゃったんだと思う。ごめんね、藁科君。迷惑かけちゃって・・・」
「ううん、別に構わないよ。」
藁科君は優しく笑った。
「朝音はさ、昔、お母さんを肺炎で亡くしているんだ。」
藁科君はワントーン声を抑えて、そう言った。
「えっ、でも・・・・」
それはおかしい。
だって、私、中学時代の文化祭で彼の妹の朱里さんが
お父さんとお母さんらしき人と一緒にいる所を見たことがある。
「あいつさ、両親を亡くしているんだ。朱里ちゃんとは、血の繋がってない兄妹なんだ。」
藁科君のその一言で、今まで疑問に思っていたことが、すっ、と解決した。
似てない、と思っていた美和君と朱里さん。
顔も性格も、全然似てなくて、兄妹なのに、こんなに違うのかなといつも疑問に思っていた。
―ーー似てなくて当たり前なのだ。二人は、血が繋がってないのだから。
「朝音はさ、俺たちが風邪をひくといつもすごい心配するんだ。
・・・たぶん、お母さんのことを思い出しちゃうんだろうね。」
「そうだったんだ・・・。」
知らなかった。
知らなかったとはいえ、私は・・・彼に対してひどい事を言ってしまった。
彼が怒るのも無理はない。
無意識とはいえ、呟いてしまった言葉で、彼の心の傷に触れてしまったのだ。
「・・・私、謝って許してもらえるかな。」
「大丈夫だと思うよ。・・・まあ、後は二人でゆっくり話しなよ。」
藁科君がそう笑うと同時にカフェのドアが開いて、美和君が入ってきた。
美和君は、いつもの仏頂面で、私たちが座っているテーブルに座る。
「それじゃあ、俺、行くから。」
藁科君はそう言って、席を立って、美和君と入れ替わりにカフェから出て行った。
「・・・・・・」
気まずい沈黙が、二人の間に流れる。
ううう、今の話を聞いた後だと、ますます美和君と話すの気まずいけど・・・・
でも、ちゃんと謝らなきゃ。
「あ、あのっ、美和君、ごめんね。・・・ご迷惑をお掛けしました。」
「・・・風邪、治ったの?」
「は、はい!すっかり元気でございます!」
緊張のせいか、変な日本語を使ってしまった。
「・・・・そう。」
美和君は、くっくっ、と笑いを堪えながらそう言った。
恥ずかしさで顔が真っ赤に染まる。
「美和君・・・お、怒ってない?大丈夫?」
「・・・まあ、今はね。あん時は頭に血が登っていたし・・・。今後ちゃんと気をつけてくれればいいよ。」
・・・良かった。美和君に嫌われたらどうしようかと思っていた。
「ごめんね、私・・・焦りすぎちゃっていたんだね。
美和君達とやっている時に出る音と、普段の自分の音が違いすぎて・・・自分を見失っていたみたい。」
熱が下がって、ようやく私は、自分の音を聞けるようになった気がする。
それまでは、どうしても、頭にある音を出そうとしてばかりいて、自分の音が聞けなかった。
自分の未熟さを、真正面から受け止められなくて、逃げていたのだ。
「・・・俺らはさ、バンドでやっているから・・・バンドでやっている時の音が全てだから。
だから、そういう風に思わないけど、
音海がウチのバンドの中に入って、すげえいい音が出るなって思ったよ。
バンドに弦は必要ないって思っていたけど・・・弦もいいなって思ったくらい。」
美和君にそう言われて、私は、とても嬉しくなった。
美和君も、一緒に合わせている時にいい音が出ているって感じていたんだ。
一緒に合わせていい音が出たねって言っているだけなのに、それがとても・・・嬉しい。
「どう?一緒にやるか?」
美和君は、そう言って、ニヤリと笑った。
美和君達と一緒にやれたら・・・どんなに楽しいだろう。
千鶴や、藁科君や酒井田君と、毎日一緒に笑って、音楽をして・・・・
きっと、すごく楽しくて、充実した毎日が送れると思う。
・・・でも。
「ごめんね、私は、クラシックをやりたいから。」
「・・・そっか。」
美和君は、最初から私の答えが分かっていたように笑った。
本当は、叶う事なら、美和君達と一緒にやりたい。
皆と一緒に音楽がやりたい。
・・・でもね、私は、皆とやりたいと思う気持ちよりも、クラシックが弾きたい気持ちの方が勝っているんだ。
クラシックの曲を弾いていると、私と世界が同化しているような・・・そんな気分になる。
それは、美和君の曲を弾いている時には味わえない感覚で。
言葉にして説明するのは難しいけど・・・
きっと、私が産まれる前から、私がヴァイオリンを弾くこと、
クラシックを弾くことは定められていたのだと思う。
美和君だって、きっと、同じだと思う。
ロックが好きで、それをやりたくて、他の道なんて、考えられなくて。
同じだからこそ、私が誘っても一緒にやらないだろう、というのは最初から分かっていたんだと思う。
――ー私たちは、音楽という道を歩いている。
だけど、二人の道は、別々の所に繋がっていて、たまたま今、一瞬だけ交差しているのだろう。
文化祭が終われば、私たちは、また、それぞれの道を行かなくてはならない。
でもね。
それでも、私たちが音楽を辞めない限り、また道が交差する時が来ると思う。
別々の道を歩いていても、私たちは、音楽という絆で繋がっている。
だからね、さみしくはないんだ。
この道を歩いている限り、何度だって出逢えるのだと、確信のような予感が私にはあるから。
「いつかさ、お互い世界で活躍したら、また音あわせようぜ。」
「うん。そうだね。」
「世界中の新聞にさ、デカデカと「異色のコラボライブ」って書かせてやろう。」
「・・・あはは。うん、約束ね。」
私は、美和君に小指を差し出した。
美和君は、はずかしそうに、私の指に指をからめて、指切りげんまんをした。
「お前、途中でくたばったら、本当に針千本飲ませるからな。」
「美和君こそ。売れなかったらちゃんと針千本飲んでね。」
そんな冗談を言い合って、私たちは、声を出して笑った。
今は一緒にできなくても、この人生が続く限り、何度だって、音を合わせられる。
また、あなたと合わせる時が来るまで、歩き続けよう。この足で。
理想の音というのは、まだ天の上にあるような感じだけど。
いつか、そこに辿りついた時、私たちはどんな音を奏でるのだろう。
―――きっと、それは、天界のような、極上の倖せを感じられる音だといい。
END