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15話 変化の兆し

俺は音海を連れて、自分と音海の鞄を取りに音楽室に戻った。



・・・誰かいるかと思ったら、誰もいない。



まあ、千鶴あたりがこの状況を見たらかなり面倒なことになっていたので、

誰もいないのは好都合だが、あいつら何してんだろ。



俺は、自分の鞄をしょい、音海の鞄を音海に渡す。音海のヴァイオリンを持って、さっさと音楽室を出た。



廊下を歩きながら鞄からケータイを出して、メールの画面を開く。

だけど、皆それぞれクラスの出し物などの用事で練習に遅れるというメールが入っていた。



・・・こいつら、時間厳守って言ったのに・・・。



俺は、怒りを押し殺すように、そのままケータイを閉じて、乱暴に鞄に入れる。



帰ったら説教だな。



ったく、あと10日しかないっていうのに・・・まだまだ課題は山積みなのに・・・

これじゃあ、里崎万智子に聞かせられない。



もっともっと・・・すごいステージにしないといけないのに・・・・。



ぼんやりとそんなことを考えていたら、いつの間にか学校を出て、町を歩いていた。

すぐ後ろをついて来ていたはずの音海がいつの間にかすごく後ろの方でふらふら歩いている。




・・・やべ。少し早く歩きすぎたか。



そのまま道に立ち止まって、音海を待つ。

解熱剤を飲んだとはいえ・・・彼女はかなりフラフラ歩いている。目を離すと倒れそうだ。



・・・こんなんで15分も歩けるのかよ。



「・・・あんた、よくそんな状態で一日過ごせたね。」



ようやく俺に追いついた音海に俺は、そう話しかけた。



「・・・うーん・・・今日は、学科の授業だけだったから・・・・」



「ヴァイオリンを弾いていて何も気づかなかったの?」



「・・・・そうだ・・・ヴァイオリン・・・帰ったら練習しなきゃ・・」



音海は、うわ言のようにそう呟く。



「はぁ!?」



正気か、こいつ?

こんな状態で、俺に迷惑かけて、それでいて、風邪を治そうとせずにヴァイオリンを練習するだ?




彼女のその一言で、何かがぷつんと切れる音がした。



「お前、いい加減にしろよ!」



気がついたら、俺は、彼女に向かって怒鳴っていた。

しまった、と思ったけど、一旦言い出したら口が止まらない。



「自分のキャパシティ考えろよ!

明らかに無理しすぎなクセに、その上まだ無理をするだ?死にたいのかよ!!」



「・・・・でも、練習しないと・・・あの音には近づけないから・・・」



音海は、うわ言のようにぶつぶつと呟いている。




こいつ、人の話聞いてんのかよ。

俺が何で怒ってんのか分かってねーのかよ。




俺の中の彼女への怒りが、マグマのように燃えた。




ほとんど反射的に手が出る。





パチン!





乾いた音が響き渡る。





音海は、びっくりしたように俺を見ながら、今さっき、俺が叩いた右頬を抑えた。





「・・・一応、女だから平手にしたけど、今度そんなこと言ったら拳で殴るぞ。」



「・・・み、美和君・・・」



音海は、呆然としていた。



「まず風邪治せ。そうじゃないと、治るものも治らないぞ。」



「で、でも・・・」



「何をそんなに焦っているわけ?」



音海は、小さな声でぶつぶつと話し始めた。

チャイコフスキー音楽コンクールのこと、自分の実力不足のこと。



「なんとか世界の舞台に立つまでにあの音を出せるようにならないといけないの・・・・。」



彼女は何かに憑かれたかのように必死だった。

俺は、どうして彼女がそんなに焦るのか理解できなかった。



「それで、自分の体まで壊してヴァイオリン弾き続けようっていうの?」



「・・・・そうでもしないと、間に合わないから。」



・・・・なんだそれ。

意味わかんねえ。



「あー、もう!付き合ってらんない!俺、学校戻るわ。勝手にしろ!」



俺は、そう叫んで音海に目もくれずに、さっさと学校に戻ることにした。



散々忠告してやってんのに、何でそれでも無茶しようとするんだ、あいつ。





もう知らねー。




・・・・あいつがどうなったって知るか。あいつが死んだって、自分の責任だ。




―――ふと、母親のことを思い出した。




俺の母親もそうだ。

自分勝手にやって、周りの迷惑も考えずに暴走した結果、死んでいった。




・・・・彼女も、同じ道を辿るのだろうか。



俺は、足を止める。

後ろを振り向くけど、彼女はどこにもいなかった。




・・・・彼女は、俺を追ってはこなかったようだ。



どうしようもない不安が、胸の中に広がる。





俺は・・・今、あの日と同じ事をしようとしているのかもしれない。





あの日だって、そうだった。


母親が風邪をひいていることは知っていた。

だけど、男と飲みに行くという母親を軽蔑の目で睨みながら、見送って。





・・・・結局、母親は、帰ってはこなかった。





母親のことは嫌いだった。

でも、口では帰ってくんなクソババア、と言いながらも、心の中では家に戻ってくると、信じていた。




・・・もし、音海が戻ってこなかったら・・・・俺は・・・。




音海の所まで戻るかどうか、少し迷った。

置いてきたことは気になる・・・でも、今は、あいつの顔を見たくない。




行きたい気持ちと、顔を合わせたくない気持ち、両方を天秤にかけた。




・・・迷った末に、俺は、鞄からケータイを取り出して、祥太郎に電話をかけた。



「朝音?どうしたの?音楽室に来たらまだ誰もいなくてさ。」



心配そうに電話に出た祥太郎に俺は、事の顛末を話した。



「あー・・・うん。朝音の気持ちは分かるけど、女の子に手を出すのも、置いてきたのもいけないね。」



祥太郎は事情を聞くなり、苦笑いをしたながらそう言った。



「わーってるよ。それは・・・まあ、そのことについては反省しているけどさ。

でも、俺、間違ったこと言ってないし。戻って謝るのもシャクだから・・・」



「はいはい。俺が音海ちゃんを見ておくから。その代わり、ちゃんと後で話しておけよ。」



流石祥太郎。まだ何も言ってないのに、こっちの言いたいことを分かってくれた。



今、また彼女と顔を合わせたら泥沼になりそうだからな。

こういう時は祥太郎に任せておけばいい。祥太郎なら安心して任せられる。



「・・・いつもすまねーな。頼んだぞ。」



俺は、祥太郎に礼を言って、電話を切った。



祥太郎と話していたら、だいぶ頭が冷静になってきた。




・・・自分でも、何であんなに怒ったのか理解できない。



・・・練習の邪魔されたから?




でも、それなら、とっととあいつなんか放置して学校に引き返せばいい話だ。





分からない。何で自分がこんなにマジになって怒ったのか。




いつもだったら、怒るのも面倒で、放置するのに。




そう、いつだってそうだ。どうして俺は、こいつのことになると、口を出してしまうんだろう。

マジになって、本気で関わろうとしているんだろう・・・・・。





・・・分からない。





でも、思えば彼女を初めて見た時から、他の人とは違う何かを感じているのだ。




----------------




小学六年生の夏休みまで、俺は、クラシックというジャンルの音楽をまともに聞いたことがなかった。



妹の朱里が、オルガンをやっていることは知っていたけど、彼女の練習しか聞いたことがない。

しかも、オルガンの曲というのは、讃美歌が多く、

また、朱里も讃美歌を好んでよく弾いていたため、俺は、彼女の練習すらまともに聞こうとしてなかった。



神様なんていないのに讃美歌なんてバカバカしいって、当時の俺は、いつもそう思っていた。



朱里から何度も発表会にこないか、と言われたけど、

俺は、彼女が泣こうがわめこうが、かまわず断っていた。



その頃は、ひたすらビートルズの音楽ばかり聞いていて、

ギターでジョンやポールのマネをしながら歌う、というのが、俺の音楽ライフだった。



ビートルズはホント、すげえと思う。

どの曲聞いてもハズレなんてないし、すごい昔のバンドなのに時を越えて今でも世界中で愛されている。

たぶん、ビートルズに出会ってなかったら、俺は、音楽をやろうと思わなかっただろう。



「お兄ちゃん!ねえ、コンクール行こうよ!」



その日、ギターでビートルズの「Let It Be」を弾いていたら、朱里が話しかけてきた。



「やだね。朱里の誘うコンクールってクラシックだろ?」



「うん、そうだよ。あのね!ヴァイオリンやっている友達に聞いたんだけど、すごい人がいるんだって!

お兄ちゃんも一緒に行こうよー!」



「だから、イヤって言っているじゃん。」



「むー!そうやってビートルズばっかり演奏して。オルガンの先生が言っていたよ。

いい音楽家になるには一つのジャンルだけじゃなくて、たくさんのジャンルを練習しなさいって。

そうやって感性を磨くのが大事だって言っていたよ!」



こいつ、絶対に意味が分かってないくせに行っているな。


朱里はいつも大人が言っていることをマネして言うが、本当の意味は分かっていないことが多い。



だけど、この時、すでに漠然と将来は音楽で食べていきたいと思っていた俺には、

その言葉が胸に突き刺さった。



・・・朱里のいう通り、いろんなジャンルの音楽を聞くのも・・・曲作りには必要なのかな。



まあ、眠たかったら寝ればいいや。

そういう気持ちで、俺は、人生初のクラシックコンサートに行ったのだ。



最初は、どいつもこいつもおんなじような演奏ばかりで退屈だった。


全国コンクールだから、全国の上手いやつが集まっていて、

しかも、周りが言うには、今年はレベルが高い・・・らしかったが、

俺にはどいつもこいつも同じような演奏にしか聞こえなかった。


もう寝ようかと思っていたその時だった。



「お兄ちゃん、次の人だよ」



朱里が小声でそう教えてくれたので、眠い目をこすり、しっかりとステージを見る。




・・・どれ、朱里のオススメとやらを見てみようか。




ステージに上がったのは、白いドレスに髪をポニーテールにした女だった。

名前は音海奏とアナウンスが言っていた。



彼女がヴァイオリンを演奏した瞬間、他のやつとは全然違う、と感じた。




まるで、音が虹色に輝いているかのような表現力、音の伸び・・・・聞いていて、鳥肌がたった。




こんなに上手いやつが俺と同い年なのか!




・・・きっと、このコンクールは彼女が優勝するだろう。

このコンクールに彼女の敵はいない。

むしろ、もっと上の・・・世界のコンクールでも戦えるんじゃないかと思った。




・・・負けたくない。




彼女とは楽器も、やっている音楽も違うけど、とにかく負けたくないって、その時強く思った。




俺だって、このくらいやれる。絶対に越えてやる。




そう思って、中学に入ったら、祥太郎と一緒にバンドをはじめて、がむしゃらにやり続けた。




―――あの、音海奏ってやつに負けたくない、そういう思いでずっと曲を書いて、ライブをして・・・



そうして迎えた高校の入学式。

あの時、あの屋上で、昼寝をしていたら、ヴァイオリンの音が聞こえた。




―――重くて、暗い音だった。



泣き叫ぶような悲痛な声で「助けて」と叫ばれているような、そんな気がした。



ふと、音の方を見ると、あの時、ステージですげえ演奏していた音海奏だった。

彼女の音はあの時、あのステージで演奏していた音とは、全く違っていた。



―――違う、こんなんじゃない。



あの時、俺が負けたくないって思った音は、こんなもんじゃない!




―――誰が、何が、彼女の音を変えてしまったのだろう。



環境?人?大人?

何だか分からなかったけど、彼女の音を変えたものに猛烈に怒りが沸いた。



このままじゃ、彼女はヴァイオリンを弾くのを辞めてしまうかもしれない。

いてもたってもいられなくて、気がついたら、彼女に声をかけていた。



---------




―――俺の中の何かが変わろうとしている。



もう15年も生きたし、人格形成なんて、とっくの昔に終わっているし。

今更、優しくいい子になる気なんて全然ないし、もう、この性格変わんないだろうな、ってそう思っていた。



別に俺はそれでもかまわなかった。



キライになるヤツはキライになればいいし、大勢に好かれたいとも思わない。

気の合う人だけと一緒にいればいい。

友達なんてたくさんいらねーし。人付き合いなんて面倒なだけじゃん。


それ以外のヤツは、適当に浅い付き合いでいいって、

深く付き合うのはバンドの連中だけでいやって、そう思っていた。




―――でも。



どうしてなんだろう。




何でかよく分からないけれど、音海奏にマジになって本気で関わろうとしている。




バンドやる連中しか見せないつもりだった練習を見せたり、一緒にセッションしたり。



・・・本当は、ギター2本とベースとドラムのバンドがやりたかったけど、

もし、叶う事なら、彼女と一緒に音楽をやりたい、とさえ思う事もある。




音海奏の音は、いつだって、どんなにひどい音でも、俺を強く引き寄せるのだ。




そう、俺は―――



・・・いや、それは、絶対にないな。


俺は、答えが出かかっている所で自分の思考を否定した。

悪いけど、それだけはありえない。



・・・そう、ただ、あいつの音が気になるだけなんだ。音楽的に興味があるだけなんだ。


それが、どういうわけか大きな力になって、俺を変えようとしている、それだけのことなんだ。



俺は、何度も自分にそう言い聞かせながら、学校に戻る道を歩いた。




END

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