12話 カルメン
こんにちは。私の名前は閑谷飛鳥・・・。
今、県の高校生ヴァイオリンコンクールの出演者控え室にいます。
・・・ど、どうしてピアノ専攻の私がこんな所にいるのかというと、あれは、夏休み前・・・
「・・・・わ、わたしが・・・伴奏、ですか?」
「うん。いつもコンクールで伴奏をしてくれる佐藤さんがどうしてもやりたくないって言い出して
・・・・ほら、私、音楽科に友達いないから、他に頼める人がいないんだ。」
音海さんはさりげなくすごい事をさらりと言った。
・・・と、友達がいないって・・・まあ、彼女の立場を考えればそうなんだけど・・・
でも、それを、何でもないようなことのように言うのがすごい。
実際、音海さんはあまりそういうの、気にしてないだろうなぁ。
だからこそ、演奏で結果が出ているんだろう。
彼女こそ、プロの演奏家にふさわしいと言える。
いつ、どんな時でも最高のバフォーマンスをするのがプロだから。
・・・・少しだけ、彼女が羨ましいな。
「で、でも・・・・わたし、ピアノ下手だし・・・音海さんの足を引っ張るかも・・・」
「大丈夫。普通に演奏してくれればいいから。」
・・・・と、そういうワケで断るにも断りきれなくて・・・・・ここにいる、というわけなんです。
ううう・・・・すごく緊張してきた。
「お待たせ。あれ?閑谷さん、緊張しているの?」
ドレスに着替えた音海さんが部屋に入ってきた。
音海さんは真っ赤なドレスに髪を巻いていて・・・・いつもより大人っぽく感じる。
「あ、あの・・・こういう大きいコンクールって、あまり出た事なくて・・・・」
「そうなの?」
「わ、わたし・・・コンクールって、いつもあがって変な演奏しちゃうんです。
それで・・・・なかなか結果出なくて・・・だ、だから、この学校に入れたのも奇跡というか・・・」
「そうなんだ。でも、今日の主役は私だし、練習通り弾いてくれれば問題ないよ。
閑谷さん、伴奏うまいから大丈夫。」
音海さんはそう言って、にっこりと笑った。
・・・・そうかな。伴奏がうまいって初めて言われた。
今まで、何度かピアノ伴奏をしてきたけど、
皆、伴奏なんてうまく弾いて当然って顔しかしてなかったし・・・・
「今まで私はさ、佐藤さんって子に伴奏を頼んでいたんだけど、
彼女あまりやる気がなくて・・・適当に弾いていたんだよね。
だけど、閑谷さんは、ちゃんと私の演奏に呼吸を合わせてくれるから、弾いていて気持ち良かったよ。」
音海さんにそう言われて、ふっ、と気持ちが楽になれた。
・・・・わたしでも、出来るんだ。
人に褒められるような演奏が、出来るんだ。
全然自信のなかった自分の演奏に、ほんの少しだけ、自信が持てるような気がした。
「閑谷さんって、伴奏者に向いているのかもね。
ほら、この間の「大公」の時もやっていてやりやすかったし、
アンサンブルの方が向いているんじゃない?」
・・・本当?
本当に?落ちこぼれのわたしにも、輝く未来があるのかな?
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ステージの方が、わあっという歓声と共に、拍手が聞こえる。
さっき、城之内さんの演奏が終わったところだ。
客席の反応を見る限り、すごい演奏をしたのかな・・・・とぼんやり思う。
だけど、彼女がどんな演奏をしたか、というのは、関係ない。私は私の演奏をするだけ。
「閑谷さん、行こうか。」
私は閑谷さんに声をかけて、ステージへと上がる。
・・・私の、私なりの、戦いの幕開けだ。
―――まずは、課題曲。シベリウスのノクターン。
この曲は、仄暗く、悲しい曲調で、私は、ただ、真っ暗に広がる闇を連想させる。
冷たくて、暗い闇。
それは、まるで、真っ暗な森の中に一人でいるような・・・・
そんな風景を想像しながら、丁寧に弓を動かしていく。
おばあちゃんに口が酸っぱくなるほど「一音、一音を大事にしなさい」と
言われたことを思い出しながら、弾き続ける。
―――そういえば、この曲、少し美和君に似ているかもしれない。
彼のイメージにぴったりだ。
そんな事を思っていたら、おかしくなって笑いそうになった。いけない、いけない。
最後まで集中しないとね。
私は、ぐっと集中して、最後の一音まで丁寧に弾いた。
観客席から拍手が沸き起こる。
・・・ここまでは、城之内さんの拍手の量と同じくらいかな。
次の曲が勝負だ。
カルメン幻想曲。
閑谷さんが、伴奏のピアノを弾き始める。
「闘牛士の歌」で有名なフレーズだ。
カルメン幻想曲というのは、ビゼーのオペラ・カルメンに出てくる曲をベースにして作られた曲だ。
オペラ中で、「カルメン」は、自立した恋多き自由奔放な悪女として描かれている。
彼女は、最後まで恋のために闘い、自由を貫き、そして、その人生の幕を閉じる事となる。
私は、そこまで誰かを愛したことはないから、恋のために命をかけたカルメンのことはよく分からない。
恋というものは・・・・こんなにも人を変えるものなんだろうか。
どうしてそこまでして・・・・自分の意思を貫けるのだろうか・・・。
私にも、いつか・・・命をかけても守りたい人が出来るのだろうか・・・・。
・・・分からない。
でも、最後まで自分の意志をつらぬいた彼女は、素晴らしいと思う。
確かに彼女はどうしようもなく自由奔放で、男を振り回しているけど。
それでも、彼女は自分の気持ちに嘘は付かなかった。
だから、私は、この曲は強い女性、カルメンのイメージで、曲を弾く。
彼女の強さを思い描いて、自分にしては珍しく攻撃的な音を出す。
命を張って、自分の意志を貫いたカルメンのように、激しく、熱く、華やかに。
それはまるで、激しい炎のように。
めらめらと燃え上がる感情と、意思。それをイメージにして、音にしていく。
夢中で弾き続けていたら、あっという間に終わってしまった。
曲が終わったと同時に、拍手と歓声が聞こえた。
激しく弾きすぎて、息があがってしまった。
息を整える為に何度か深呼吸をして、呼吸を整える。
お辞儀をすると、さらに拍手の量が増えた。
―――たぶん、勝ったかな。
観客と審査員の評価というのは別物だけど、なんとなく、私は、勝利を確信した。
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コンクールが終わり、結果発表になった。
結果発表と言っても、今日発表されるのは、上位三人だけで、詳細な順位は後日発表される。
だいたい上位の人というのはニ・三年生が主で、私たち一年生は呼ばれることはない。
なので、この結果発表は、気楽に聞いていた。
三位と二位が発表され、一位の発表となった。
「一位は・・・音羽学園一年音海奏!」
「えっ・・・」
自分の名前が呼ばれて呆気に取られてしまった。
「すごい!音海さん!県のコンクールで一番取るなんて・・・全国コンクール出場決定じゃないですか!」
隣に座っていた閑谷さんが興奮したように言った。
だけど、自分の名前が呼ばれたことが信じられなすぎて、あまり状況がつかめない。
・・・そ、そんなに私、良い演奏したのかな?
無我夢中で弾き続けていたから、よく分からないや。
その後の表彰式もぼんやりしたまま終わり、コンクールは終わった。
コンクールが終わるなり、音楽科の人達が大量に私に押しかけてきた。
「すごい!音海さん!一番なんて!」
「さすがだよ!一年で一番なんてあまり取れないじゃん!」
「実は、俺、音海のこと信じていたぜ。」
・・・とまあ、こんな感じのことを皆、喋っている。
中には中学時代、散々私のこと、バカにしていた人もいるし、城之内さんの取り巻きの人までいる。
・・・なんとまあ、変わり身の早いというか・・・
ふと、城之内さん方を見ると、一人でポツンと立っていた。
悔しさと悲しさが入り混じったような何とも言えない表情で。
「ねー、音海さん、城之内さんってなんか偉そうでムカつかない?」
「わかるー。実力あるからっていつも偉そうだよねー。」
城之内さんの取り巻きがわざと城之内さんに聞こえるような大きな声で話し始めた。
「ねー、城之内さんハブいちゃおうよ!」
「さんせーい!」
悪意のある笑い声が聞こえる。
真夏なのに、冷んやりと冷たい空気を感じる。
・・・こういう時、森君がいたらやんわり注意してくれるんだけど、
あいにく、彼は明日チェロのコンクールなので、ここにはいない。
・・・と、いうことは、ここはボスになった私が注意するべきかな・・・・。
・・・でも。
あの悪意に立ち向かうのは、流石に少し、勇気がいる。
やめようよ、のたった一声発するだけなのに・・・
・・・・カルメンは、どんな時でも、自分の意志を貫いた。
私は、そんなに強くない。だけど・・・・
「もう、やめようよ。そういうの。」
私が発言すると、皆、一気に冷めたような顔で私を見る。
「・・・・何で?音海さん、城之内さんにボロクソ言われていたじゃん。やり返したいと思わないの?」
「・・・やられたことは、許してないよ。」
まあ、確かに、彼女とは色々あった。
そのことについては、腹が立つこともあったし、全部許す程、お人好しでもない。
「でも、人のことを恨んだり、憎んだりしちゃだめって、おばあちゃんに言われているから。」
そう、小さい頃、おばあちゃんは、いつも、口癖のように言っていた。
辛いことや嫌なことがあっても、決して人を恨んではいけないよ、と。
「いいかい、奏。誰かを恨んだら、その分、自分も誰かに恨まれる。
強い恨みは新しい恨みを生み出す。
辛いことや嫌なことは、神様が与えた試練だから、自分で乗り越えなきゃいけない。
決して、誰かのせいにして逃げてはいけないんだよ。」
・・・そう、おばあちゃんは、いつもそう言っていた。
「・・・・何それ。ウチらにもその教えとやらを強制する気?」
城之内さんの取り巻きが冷めた目で私を見る。
私は、精一杯その人達の目を真っ直ぐ見据えながら、
「・・・そういうつもりはないよ。
でも、人の悪口言っている暇があったら、練習したほうがよっぽど有意義な時間を過ごせるじゃない。」
城之内さんの取り巻きは、カッとなったように顔を赤く染めて、こっちを睨む。
「なによ!!ちょっとヴァイオリンがうまく弾けるからって調子に乗るなよ!」
「・・・・音楽科のルールは、実力がある人の言うことに従う事。
私に文句があるなら、私を越えてから言いなさい。」
私はそう、はっきりと言ってやった。
城之内さん達の取り巻きは、悔しそうな顔をして、「なにあいつ!」と言いながら、去って行った。
その他の人達も、なんだか気まずそうに私の元を去って行く。
人が少なくなり、城之内さんと目があった。
城之内さんは気まずそうな顔で、
「まさか・・・・カルメンでわたくしが負けるなんて・・・・。
小さい頃から練習してきた曲なのに、上を行くとは思わなかったわ・・・。
今回は・・・・わたくしの負け、ね。」
と吐き捨てるように呟いた。
「か、勘違いしないことね。貴方の成績なんか、すぐ越えてやるんだから!」
・・・赤くなりながら、そう取り繕う城之内さん。なんだか、彼女が可愛く見えて、少し、笑ってしまう。
「・・わ、笑わないでよ。
それにしても・・・音海さん、いきなり喧嘩ふっかけるなんて・・・
貴方、人の上に立つのは向いてないわね。」
「・・・・うん。自分でも、そう思うよ。やっぱり、城之内さんが取りまとめた方が、いいんじゃない。」
城之内さんは驚いたように私を見て、
「・・・は?貴方、わたくしからボスの座を奪いたかったんじゃないの?」
「あー、うん、そうなんだけど・・・やっぱり、うまくできなさそうだから。
私は、その・・・成績が悪いって理由だけで仲間外れにするの、やめて欲しかっただけだし。」
城之内さんが、呆気に取られたように私を見る。
すぐに、吹き出したように笑った。
「・・・なんだ、それだけのためにわたくしに喧嘩をふっかけたの!」
「・・・え?おかしい・・・かな?」
「・・・まあ、仕方ないわね。
わたくしは貴方に負けたのだし・・・あの子達のことは、わたくしに任せなさい。」
「城之内さん・・・」
「いい?その代わり、わたくしは、貴方に負けたわけじゃないんだから!
次はわたくしが勝つんだからね!」
城之内さんは、何度もそう言いながら、早足で私の元を去っていった。
・・・これは、城之内さんに実力を認めて貰えたということなのかな?
私が思っているより、彼女は、性格悪くなかったのかもしれない。
まあ、相変わらず、プライドは高いけど・・・
とりあえず、これで音楽科は変わっていくのかな・・・・。
「奏ー!お疲れー!」
後ろから、千鶴の声が聞こえた。
後ろを振り向くと、夜明け一番星の皆と、おばあちゃんと、閑谷さんがいた。
「いやー、びっくりしたよー。終わったらすごい勢いで囲まれているんだもーん!」
「・・・いざという時は止めに入ろうかと思ったけど、その必要もなかったね。」
千鶴と藁科君がそう話しかけてきた。
・・・あ、今のやり取り見ていたんだ。
「まー、でも、なんか解決したみたいだし、ここは皆でパーっと打ち上げいこうよ!」
「・・・お前は騒ぎたいだけだろ。」
美和君が呆れたように千鶴を見る。
「えー、いーじゃん!奏も一番になったんだし、そのお祝いってことで。」
「・・・ふふっ、若いっていいわね。では、ここは、皆におごちゃおうかしら。」
・・・・おばあちゃんがいたずらっぽい笑みでそう言うと千鶴のテンションがさらに上がった。
「きゃー!ありがとうございますー!ほら!飛鳥も一緒にいこーよ!」
「えっ、わたしも・・・ですか?」
閑谷さんが、ぽかんとした顔で千鶴を見る。
「うん、だって友達じゃん!」
「・・・と、友達・・・」
「あ、ご、ごめん、馴れ馴れしかった?」
千鶴が、おろおろとしながら、閑谷さんの顔を見る。
・・・これ、なんか見たことある光景だ。
確か、わたしもそんなやり取りをしたよなぁ。
なんだか、おかしくなって、笑ってしまう。
「あ、奏ー。何笑ってんの!」
「いや、私たちも同じようなやり取りしていたなって、思って。」
「えーっ?そうだっけ?」
私が声を出して笑う。
千鶴も笑って、閑谷さんも笑う。
藁科君と、酒井田君も笑い、おばあちゃんも微笑んでいる。
・・・美和君は、いつも通り笑ってなかったけれど。
だけど、あの悪意のある笑い声とは違う、穏やかで明るい空気が広がっていた。
END