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『月夜の下、魔術師は眠る【⑤】』

 

 ◆ ◆ ◆



 ナイトRに連れられて、黒人とジャンヌは教会の生活区となっている三階廊下を歩いていた。



 ギシギシと軋む床からも分かるように、かなり老朽化が進んでいるようであった。



 魔術境界に申請をすれば、あちら持ちでリフォームしてくれるのに、何故か神父は断り続けているらしい。



 そんな話を聞きながら、ナイトRはとある部屋の前で足を止める。



「あの人は中にいます」



 それは薄い木製の扉だった。軽く殴っただけで穴が開いてしまいそうなほどの。



「……いくら何でも無防備すぎじゃねえか?」



「それは僕も思っているんですけどね。けれどマスターは、この部屋以外では眠れないそうですから」



 ナイトRの言葉に黒人は首を傾げる。だが、それも中にいる本人から話を聞けばいいのだ。



 黒人がノブに手を伸ばすと、その先をジャンヌの手が止める。



「私が開ける。マスターは離れているといい。しかし気を抜いたりするなよ」



 少し悩み、自分が開けるよりジャンヌに任せた方が危険は少ないだろうと、その役を彼女に譲る。



 そして、ゆっくりとジャンヌは扉を開けた。



 そこなは、いつか見た神父が背中を向けて立っていた。彼の背後にある窓は全開で、まだ十分に冷たい春の夜風が室内を掻き回す。



「待っていた、春木栄一のアガシオンと契約したお前を……」



「待ってるくらいなら直接訪ねてくりゃいいじゃねえか。なのに何でわざわざ舞を拉致りやがった?」



 黒人の顔に浮かんだ殺意を肌で感じて、月宮礼司は口元を綻ばせる。



「キミには強くなってもらう必要があった。私自身が彼女の契約者となれれば一番だったのだがな。それは春木栄一の最期の魔術で不可能になってしまった」



 最期の魔術? と聞き返そうとして、その前に黒人を守るように前に立っていたジャンヌが、腰から抜いた剣を月宮礼司に突きつけていた。



「貴様が春木栄一の言っていた神父かっ!!」



「ちょ、落ち着け! このクソ神父をブチ殺してえ気持ちはよ~く分かる!! けどマジでブチ殺しちまうのはマズい。色々と警察的な意味で本格的にマズい!!」



 しかし、ジャンヌは剣を引かない。そして月宮礼司も突きつけられる剣先を避けようともしない。



「すまない、マスター。だが私は……この男が生きていることを許せそうにない!!」



 ジャンヌは殺意に濡れた瞳で吼える。だが、その声にも月宮礼司は表情一つ変える様子はない。



「まずは私の話を聞いてもらおう」



「貴様に主導権はない!!」



「いや、あるさ。その為に用意したエサだ」



 それだけで誰のこてを指してエサと言っているのか、ふたりは理解した。舞と咲。人質は二人いる。



 ここで逆らうような真似をすれば、月宮礼司は確実にどちらか一人を殺すだろう。



「理解が早くて助かる」



「見飽きた戦法だからな。人質を二人以上確保している場合、人質一人の価値は安くなる。本当に殺せるっつぅ見せしめにもなるからな」



「だが、この場にいながら二人を殺せないだろう? そしてお前に私の横は抜かせない」



 ジャンヌの言葉に月宮礼司は失笑を漏らす。それで彼女の怒りは沸点を軽く超えてしまう。



 今一番殺したい相手に小バカにするように笑われたのだ。それはそれは耐え難い屈辱。



「頭を冷やせ、ジャンヌ。クソ神父の言ってることはマジみたいだぜ? さっきまで後ろにいやがったヤロウのアガシオンが、いつの間にかいなくなってやがる。つまりは、そういうことだろ?」



 今から追いかけても、月宮礼司が念話で命令し、それをナイトRが遂行する方が何倍も速い。



「頼む……。今は耐えてくれ」



 黒人にもジャンヌの気持ちは痛いほど理解できているつもりだ。



 ここまでジャンヌが我を失う相手と考えれば、それは簡単に予想することができる。



 神父、月宮礼司が春木栄一を殺したんだろうと。



 だから黒人は手のひらの皮膚が破れて血が流れるほど強く拳を握り、月宮礼司の言う通りに動かなければならない屈辱に耐える。



「ふむ、落ち着いた所で本題に入ろう。私はただ、その次元の剣を私の願いの為に使ってもらいたいだけだ。

 それは不完全ながら宇宙を構成する次元を再現するのに成功した初めての剣。そして、その記憶を司る八次元は私が長らく求めてきたものだ」



 抑揚もなく、すらすらと用意された台本を朗読するように話す月宮礼司と違い、ジャンヌは何かを悟ったようで、顔色を青くしていた。



 ただ黒人だけがイマイチ状況を飲み込めていない。あの契約の剣が凄いもので、それを月宮礼司は使いたいということは理解しているが、その使い道が分からない。



「遠回しに言ってんじゃねえよ。ハッキリ言え。テメェは俺に何をさせてえんだ?」



「そうだな。私はキミに息子の記憶を移植してもらいたいんだよ、春木黒人。私の創ったホムンクルスの器に」



「はあ? そんなこと俺にできるわけねえだろ。俺は魔術もロクに扱えねえ未熟な魔術師なんだぜ?」



「いいや、使える。と言うより、この世で今はジャンヌ・ダルクの契約者であるキミにしか扱えない、というのが正しいな」



 どういうことだよ、という目をジャンヌに向けると、彼女は気まずそうに顔を逸らした。肯定の意味だろう。



 そんなジャンヌの代わりに月宮礼司が説明を続ける。



「簡単な話だ。その剣を扱うには二人から認められなければならない。それが持ち主であるジャンヌ・ダルク。もう一人が春木栄一」



「義父さんに認めてもらう……? ならやっぱ無理じゃねえか」



「いや、無理ではない。春木栄一は最期の瞬間に認めたよ。春木黒人が、この剣の所有者となることを。そして要優実との戦闘で君はジャンヌ・ダルクと契約を交わした。その証が承認のキーとなる」



 春木栄一が亡くなっている今、後にも先にも次元の剣の力を引き出せるのはジャンヌ・ダルクと春木黒人の二人だけなのだ。



 と、これまで黙って顔を伏せていたジャンヌが話し始める。



「確かに春木栄一はマスターを認めた。だがそれは剣の力を使わせる為ではない!!」



「それを決めるのはキミではない。春木黒人だ。そして悩む必要はないだろう? それさえ行ってくれれば、後は私をどうしてくれようと構わない。

 さらに背中を押してやろう。断ると言うのなら魔力の枯渇で満足に動けない葛城舞と葛城咲をナイトRに始末させる。二人の命と引き換えだ」



 ッ!? と黒人は勢いよく顔を上げる。



 それを盾にされては、黒人は素直に従う以外の選択肢はない。それはジャンヌにも分かっているだろう。



「ジャンヌ……剣を」



「マスター。それを行うことで自分の身体がどうなるのか、理解しているか?」



 それはジャンヌからの最後の忠告。



 黒人は笑顔で振り返り、大きく首を縦に振る。



 そんな大魔術に匹敵することを行えば、春木黒人という人間は消滅するだろう。運よく生き残れたとしても、その後はいつ目覚めるとも分からない夢の中。



 普通に生きていられる可能性と、数十年後の目覚めになる可能性と、永遠に目覚めない可能性と、死という終わりを迎える可能性が混在した、セーフティが一箇所しかないロシアンルーレット。



「大丈夫、生き残ってみせるさ。義父さんを殺しやがったクソ神父をブチ殺すまで俺は死んでやらねえ」



「……気付いていたのか」



 驚愕の表情をするジャンヌだが、あれだけのリアクションをしておいて気付かれていないと思える彼女に驚きである。



 そんなジャンヌに苦笑を向け、小さく頷く。



「…………わかった。約束、破るなよ?」



「ああ、わかってる」



 ジャンヌは次元の剣を銀鞘から抜いて黒人に渡す。



 それを確認してから、月宮礼司は隣の部屋へ続く扉を開ける。この中へ入れ、というように扉を開けたまま黒人と目を合わせてくる。



 その部屋は子供部屋だった。小さめのベッド。動物のぬいぐるみの乗った本棚。そこには漫画やサッカーの雑誌が整理して並べられている。



 おそらく、今でも月宮礼司は息子の為に雑誌や漫画を買い揃えているのだろう。



 それを思うと、これから行うことも悪くないことのように思えた。



「私の息子だ」



 ベッドの上で眠る二人の少年。同じ顔をした双子にしかみえないが、片方はホムンクルスである。



 息子の黒髪を優しく払い、その頬を慈しむように撫でる。その時の月宮礼司は確かに親の顔をしていた。



 だが、そこでジャンヌが叫ぶ。



「ま、待て!! 記憶の移植とは生きた息子からホムンクルスへ、という意味ではないのか!?」



「違う。息子は一〇年ほど前に死んでいる。だから私は再び幸せを取り戻……」



「諦めろ」



 ひしゃり、と言い捨てるジャンヌの声は、よく聞けば震えていると分かる。



 春木栄一を殺した月宮礼司は憎い。



 だが、それを伝えるのは、あまりに酷だった。



「ここまできて拒否するというのか?」



「そうじゃない。次元の剣を使えば確かに記憶の移植は可能だ。しかし、それは今を生きる生命に限られる。記憶は記憶でしかなく、それは魂ではない」



 記憶を移植した所で、魂という情報も一緒に移動させなければ、息子の記憶を持った別人でしかない。



 そして月宮礼司の息子の魂は、すでに肉体を離れている。



 このまま黒人が次元の剣を使っても、それは無意味で無駄な行為でしかないのである。



 黒人は息子が眠るベッドの脇に立ち尽くす月宮礼司の姿を見た。



 彼の顔に浮かんでいるのは、ただの虚無だった。聞かされた事実が信じられず、信じたくもないという表情。



 濁った沼のような瞳を極限まで大きく見開いて、月宮礼司は最愛の息子へと手を伸ばす。



「っ、」



 何かを呼びかける。何も返ってくるはずのない言葉。幾度となく、そうやって声をかけ続けたのだろう。



 いつか言葉が返ってくる日を信じて。



 ゆらりと立ち上がった月宮礼司は黒人を見た。



 黒人も、その視線を正面から返す。心を苛む痛みを殺して、黒人は射抜くような視線を受け止める。



「…………春木」



 底冷えするような声で名を呼ばれて、でも黒人は怯まない。



 自分のせいではないにしろ、それでも今の月宮礼司には怨む対象が必要なのだろう。それが自分でも構わない。むしろ大歓迎だった。



 黒人も春木栄一の仇として月宮礼司を殺したかったから。



「春木イイッ!!」



 濁った叫び声が、涎と共に月宮礼司の口から迸る。手の甲に浮かぶ赤い魔術陣。



 それを見てジャンヌは目を見開き、驚愕する。



「あ、悪魔崇拝者ッ!?」



 それは悪魔と契約を交わした証。



 悪魔は願いを叶えてやるという甘い言葉で誘惑し、人間に希望を持たせる。そして最後は己が撒いた希望を己で刈り取る。



 おそらく、もう何年も前から月宮礼司という、純粋に我が子の為に涙を流せた人間はいなかったのだろう。



 唯一、息子の部屋にいる時だけ、彼は正気に戻れたのだ。







 黒く染まった鋭い爪を頭上から振り下ろしてくる。黒人は次元の剣で爪を受け止めた。



「なっ!?」



 膂力には少なからず自信があった。しかし、そんな黒人が容易く押し負ける。



 信じられないほどの怪力に黒人は顔を上げて月宮礼司を睨むと、そこにあったのは人間の顔ではなかった。



 下顎から伸びる牙。浅黒いを通り越して炭化したかのような漆黒の肌。そして恥骨の上部から生えた黒く太いトカゲのような尻尾。



「ガアアアアアッ!!」



 突然の咆哮。鼓膜が引き裂かれそうな大声に、耳を塞げない分、歯を食いしばって我慢する。



 瞼を閉じた闇の中で、黒人は自己暗示のセーフティを解除しようとして、



「ご……が……っ」



 湿った音が黒人の耳に響いた。



 月宮礼司だったものの声に、黒人は目を開けて、彼の胸に光り輝く一本の槍が突き刺さっていれのを見た。



 不思議そうに首を傾げて、月宮礼司だったものは自らを苦しめる槍を見下ろし、それからよろゃろと後退る。



 躓いた拍子に、すとんと尻餅をつく。それから彼は震える指で槍に触れ、触れた途端に指先から灰になってゆく。



「………………」



 黒人は無言で振り返る。



 そこには槍を投擲した時の体勢のまま固まった腕を、ゆっくりと降ろすジャンヌの姿があった。



 それから彼女は長く長く息を吐いた。



「春木栄一との約束だ。どんな理由があろうと黒人に人を殺させないでくれ、とな」



 その言葉を耳に留め、黒人は尻餅をついた月宮礼司に向かって歩み寄る。



 月宮礼司は顔を上げて黒人を見た。



 黒人は毅然と月宮礼司を見た。



 視線が絡み合い、しかし二人とも言葉を発しない。夜の仄かな明かりが照らす室内に、沈黙が舞い落ちる。



 灰が天に消えゆく刹那に見せる表情は、まるで月宮礼司の死を歓喜する亡者たちに見えた。



 そしてそれは悪魔と契約を交わし、どんな形であれ契約を終えたものが辿る極めて正当な末路であった。



 

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