『月夜の下、魔術師は眠る【①】』
今は空に一等星が輝き始める時間帯。
彼らは舞の姿を探しながら教会までの道のりを足早に、しかし見落としのないように注意深く進む。
月光の冷めた明かりの下。教会は不気味なほどの闇に塗り潰されていた。
いや、それが闇だけのものならば、さしたる問題はない。
この教会を不気味だと感じさせる要因の多くは、建物まで続く石道の脇に転がる塊のせい。その全てが赤色に表面を塗られていた。
それが一〇個。
咲が黒人の服の袖を震える指で摘み、そういうモノに慣れているジャンヌは険しい瞳で教会を睨む。
「咲の直感を信じてよかったな」
「この状況を見る限り、一概に『よかった』とは言えねえけどな。それに、まだ舞がここにいるとは限らねえし」
だが、ここにいる誰もが、ここに舞がいると『直感』していた。それは魔術師の直感。
「先輩……」
震える声は咲のもの。かなりの恐怖を噛み殺しているのだろうと黒人にも伝わってくる。
「ここで待っててもいいんだぞ? 俺が一人で神父に舞が来てねえか聞いてくるし」
「いえ、私も……行きます」
お化け屋敷に入り、まだ何の演出もされていない時点で気絶するというスキル保持者の咲にとって、この道を通るのは何よりも辛いものだろう。
だが、それでも彼女は行くと言う。それは魔術師としての直感が働いたからだろう。
『ここにお姉ちゃんがいる』
という予言レベルの直感が。
「無理するなよ?」
それに言葉は返さず、ただ咲は小さく、しかし何度も自身を鼓舞するように首肯した。
そして彼らは地獄と見紛うような道へ、ゆっくり足を踏み出した。
できるだけ周囲の様子を見てしまわぬよう、咲は前だけに集中する。
黒人とジャンヌは周囲の塊に目を向けつつ足を進めていた。それが、これから発生する危険の対処法に繋がる可能性があるから。
赤い塊は、全身を折り畳まれた人間だったもの。総勢一〇体の死体に挟まれた道を三人は歩いていたのだ。
これには咲でなくても恐怖を覚えずにはいられない光景。その道を、戦場に立っていたジャンヌは兎も角、黒人も平然と歩いていた。
「血を滲ませてる傷、全部刃創だよな?」
「ああ。おそらく西洋剣の類だろう。日本刀よりも傷口が粗い」
傷口だけでそこまで分かるのか、と感心した表情を向ける黒人だが、傷だらけ凄惨な死体を注視でき、かつ、刃創だと分かるだけでも十分に驚異である。
咲は少しでも恐怖心を紛らわせる為、黒人に疑問をぶつける。
「先輩は怖くないんですか……?」
「んー、返答次第でコレの制作者と喧嘩になるかもしれねえのは怖いかもな」
咲にとっては想定外の言葉だが、それどころではない。失念していたが、今から一〇体のオブジェを造り出した何者かと会うかもしれないのだ。
その想像で軽く心臓が麻痺しそうになっている咲を横目に「怖がらせちまったか……」と反省しながら、黒人はジャンヌに声をかける。
「こいつら何者だろうな」
「魔術境界の者だな。いくつかの死体に魔術境界の大司教直属部隊の証であるカフスが見える」
ん? と見てみれば銀色にアメジストの嵌められた、ひしゃげたカフスだった物の残骸があるように見える。
「つまり相手は正規の魔術境界の魔術師を相手にして圧勝できるヤツってことか」
「圧勝かどうかは分からんだろう? もしかしたら辛勝だったかもしれん」
いやそりゃねえな、と黒人は死体の影に転がる武器を指差す。
「こいつらをブチ殺したヤツは剣を使うんだろ? それなら刃こぼれくらいしても不思議はねえ。でもよ、こいつは新品同様だぜ? ってことは抵抗する間もなくブチ殺されたってことだ」
なるほど確かに、と今度はジャンヌが感心する番だった。
現代、最高の武器を得ようとするなら同じ素材に偏る。あとは職人の腕次第ということだが、それでも同じ素材で刃こぼれ一つないのは不自然。
素材が異なると言われればそれまでではあるのだが。
そんな話をしている間に教会の入口前に到着。
死体が起き上がってきて……、的な展開を少しだけ期待していた黒人としては拍子抜けである。
と、そんな思考に気付き、慌てて頭を左右にぶんぶんと振る。死の臭いで思考が暗黒時代に戻りかけてる、と深呼吸をして気分を入れ替える。
「さて、ここまできたはいいが、これからどうする? 仮に舞がいたとしても素直に教えてくれるとは思えないんだが?」
ジャンヌの声に幾分が自分を取り戻した黒人は、キョトンとした顔を彼女に向け、小首を傾げてみせる。
瞬間、
「おぶっ!?」
拳が飛んできた。マジメにやれクソったれが、という意思表示だろう。
「そんな当たり前のこと聞かれたら首も傾げたくなるっつぅの。そもそも、こんなオブジェを飾ってやがる教会の主に言葉が通じると思えるほど楽観主義者じゃねえよ」
そう言い終わるや否や、黒人の蹴りが教会の荘厳で重厚な扉を蹴破る。
「こんばんはー。宅の葛城舞を返してもらいにきましたよーっと。ついでにクソ神父に舞のレンタル延長料金の取り立てだ、コラ」
自分の敷地内がこれだけの惨状になっていね何も知らない、で終わるはずがない。警察どころか魔術境界すら出動していないのだから。
だからこそ神父の言葉は信じられず、ここに舞がいるのかいないのか自分たちの目で確認することが最優先で、その後のことは後で考えればいい。
「ふむ、どうやら真っ黒だったみたいだな」
「だろ?」
教会の中。長椅子が並ぶ礼拝堂の椅子に座っていたり、壁に背中を預けている者たちがいる。
その数、一二人。全員が時代錯誤な銀色に輝く中世西洋風の鎧に身を固めている騎士たち。その存在のせいで、ここは明らかに異質な空間と化していた。
「お待ちしていました、春木黒人さん。そしてジャンヌ・ダルクさんと葛城咲さん。歓迎しますよ」
唯一バフォメットをしていない、昼の町で出会っていたら好印象を抱かせる笑顔の少年(格好が普通ならだが)が、一歩前に出て代表で話しかけてくる。
しかし、この空間で出会い、外の惨状を見せられた後で、腰に凶器と思われる西洋剣を提げた騎士たちを従える少年を見て好感を抱けるはずがない。
「私のことは調査済みというわけか」
「まさか。調査するまでもありません。あなたは自分という存在がどれほど有名なのか、もう少し考えた方がいいですよ」
「ふっ。つい最近、私の自尊心はマスターに打ち砕かれたばかりでな」
黒人がジャンヌ・ダルクの名をなかなか思い出せなかったことを言っているのだろう。意外と根に持つタイプらしい。
そんな牽制し合う会話を続けるジャンヌと少年騎士を横目に入れつつ、黒人はジャンヌに気を引いてもらっている間に咲へ小声で声をかける。
「ここは俺とジャンヌで何とかする。その間に舞を探してきてくんない?」
「そんな……ッ!!」
大声を出す咲に「シーッ」と声量を落とすように言うが、もう遅い。騎士たちの視線を集めた後である。
こうなれば隠れてコソコソ策を企てても無意味である。敵を策に嵌めるには無警戒でなければならないのだから。
「いいんだ。最優先は舞の存在の確認だ。居るなら居るで助けねえとだし」
「居ますよ、葛城舞さん。地下に閉じ込めてあります」
「…………おもっくそ罠としか思えねえ発言だな」
少年騎士の発言に怪訝な表情を向けるが、彼の表情は相変わらずの笑顔。表情が全く読めない。
「今さら罠にかけようなんて思ってませんよ。獲物がエサにかかったのに、その後で罠を設置するマヌケな猟師はいないでしょう?」
「ハッ! つまり俺たちの中の誰かが狙いっつぅわけか。こん中で狙うなら、やっぱジャンヌか?」
「そうとも限らないですよ。確かにジャンヌさんの力は素晴らしい。その契約者である春木黒人さんもね。それに葛城舞さんも咲さんも魔術師としての才能に恵まれています」
その言葉に機能を停止したのは黒人である。
ジャンヌは額を押さえ、恐怖を忘却させるほどの言葉に、咲は見るからに慌てふためく。
「あれ? もしかして知りませんでした? 葛城家は古くから続く魔術師の家系ですよ」
もうどうにも誤魔化しようがない。
騙していたようなものなのだ。完全に嫌われた、と咲はポロポロと涙を零す。もう元の関係には戻れないと。
「なーんだ。じゃあジャンヌのことも隠す必要なんて初めからなかったんじゃねえか。それに、これからは大っぴらに魔術師としての話ができるんだろ? 助けることだってできるんだろ? いい関係じゃねえか」
にかっ、と笑いかける黒人の言葉に、呆気に取られて一度は涙が止まる。
しかし言われた言葉を噛み砕いて理解すると、さらに堰を切ったように再び涙が溢れる。
「ご、ごめ、ごめんなさ、先輩……。わた、私、先輩に嫌わ、れたく、な、くて……それで私……」
「あー、気にすんなよ。俺にだってお前らに知られたくねえ話だってある。話したくねえ話まで腹割って話す必要はねえよ」
えぐえぐ嗚咽を漏らしながら咲は、
「せ、先輩の話せないこと、って、机の引き出、裏、隠し……」
「だああああっとおおおおううううっ! それ以上は言ってくれるなよ、咲ちゃん!!」
そこには男の股間に関わるバイブルが隠されている。しかも黒人の趣味が一目で判明してしまうほど危険な代物が。
だが待てよ? と次第に黒人の血色が悪くなってゆく。
「あの咲さん? いえ、咲さま? 隠し場所をお知りになられているということはですよ? …………。………………見たんですか?」
顔を真っ赤に染めて後ろを向く咲。
その反応だけで十分な答えになった。
趣味を後輩の、しかも女の子に知られていたことを嘆いたり口止めしたり隠し場所を変えたり、色々としなければいけないことは多い。
だが今はそれらは後回し。
「と、というように誰しも隠し事の一つや二つや三つはあって当然。ない方が不自然。それに、こんな形でだけど隠し事の一つはなくなったしな。
それに謎も解けた。女の魔術師が襲ってきた時の冷静さとかジャンヌの存在の受け入れの速さとか」
自分で言いながら、こんなに分かりやすいことばっかなのに俺は気付けなかったのかよ、と少し本気でヘコんだのは内緒である。
「これからも少しずつ秘密はなくなるだろ」
「これからも、って、私たちとこ、これから、も、一緒にい、て、くれる、ん、ですか?」
「当然じゃねえか。俺たちは家族だ。それに咲がいなかったら俺が舞にブチ殺される確信がある!!」
「嫌な確信だな、マスター」
ジャンヌのツッコミが入ったが、そこは華麗にスルーしておく。
「まあ、つぅわけで咲は舞を探してこいよ。魔術師の直感と姉妹の絆。そんだけのもんがありゃ余裕で見つけられんだろ」
黒人の言う通り、すぐには無理でも見つけ出せる自信はある。地下から舞の存在を強く感じるから。
だが、頷けない。
単独で行動するのが不安だからではない。いくら聖人ジャンヌ・ダルクがついているとはいえ、ふたりだけを残していくのは心配なのだ。
「咲、心配するな。マスターを死なせはしない。もちろん私も死なない。私を信じてくれ」
「そうそう。俺もアガシオンに殺されてやるつもりはねえよ」
「おお、マスター……」
「何だよ? 何を感動してんだ?」
「いや、マスターも相手がアガシオンだと気付けていたんだと思うと嬉しくてな」
「こんな格好の現代人がいてたまるか」
まさかの言われように、怒っていいのか悲しんでいいのか分からなくて脱力させられる。
そんな二人の姿を、もう一度見る。
彼らは騎士たちから目を離さず、背後の咲に親指を立てて見せる。正直、ダサい。
「…………お願いします」
「任された」
ふたりの返事を聞いて咲は教会の奥の区画へと駆け出す。道を塞ぐ騎士もいるだろうと警戒していた咲だが、予想に反して誰も止めにこない。
どうしてだろう? と疑問に思うまでもない。単に自分たちが敵の狙いではないというだけの話。
舞と咲は、ここまで黒人かジャンヌ、または両者を連れてくるエサ。それ以上でも以下でもない。
いや、役目を果たした今、葛城姉妹はエサ以下の存在だろう。
だからこそ彼女は急ぐ。役目を終えたエサを、いつまでも生かしておく必要はない。邪魔なだけだから。
「お姉ちゃん……」




