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『追跡の先に【①】』

 

 今、事ここに至って黒人は先程の自分の行動を激しく後悔していた。タイムマシンがあるのなら過去に戻り、その時の自分を烈火のごとくはり倒したいほどに。



「人を呪わば、ってやつか……」



 彼の座るテーブルの前には円筒の容器。お湯を入れて三分で完成するカップ麺が鎮座なされている。



 興奮した咲が早々に趣味に走ったばかりに昼食作りを放棄したのである。



 自業自得すぎて誰を責めることもできない。唯一、黒人が責められるのは自分だけであった。



「…………寂しい」



 独りきりの食事は味気なく始まり、つつがなく、そして味気なく終わった。







 そして咲の部屋。



 小さな花が描かれた壁紙。見ただけで柔らかいと分かるベッド。勉強机の反対側の壁を占拠する『クローゼット群』。



 三つ並んだクローゼットの中身は彼女の趣味が満載である。つまりフリフリドレスで埋め尽くされている。



 それを知っているが故、姉は決して妹の部屋に近付かない。ほぼ間違いなく彼女の悪癖が発動するから。



「お、お手柔らかに頼む……」



 その部屋で、まるで借りてきた猫のように、自主的に部屋の隅で小さく座り、身体を震えさせるジャンヌ。



 そんな彼女を見て、咲は自嘲か苦笑か判断し辛い笑みを浮かべる。



「あの、その前にお聞きしてもいいですか?」



 その真剣な表情にジャンヌもふざけた雰囲気を消す。そうしなければならない雰囲気を咲も出していたから。



「答えられることなら答えよう」



「ありがとうございます。まず私たち姉妹が魔術師なのは、ジャンヌさんも知っていますよね?」



「ああ」



 あっさりと肯定するジャンヌに、今度はハッキリ苦笑と判断できる笑みを咲は浮かべる。



 魔術師となると魔力の質が変化する。舞は魔術師だと気付かれないように魔力の質を変化させて一般人に溶け込む。



 一流であればあるほど、その偽装は巧みで、そうそう見抜けるものではない。そして魔術師として未熟な咲は隠せていないのである。



「それなら問題ないですね。あの、私に合った魔術って何かわかりますか?」



「それはどういう意味の質問だ? 属性という意味か? それとも流派という意味か?」



「流派です」



 午前中、書斎を火事にする前に舞から教えられた魔術師としての初歩的な知識。



 詠唱派も魔術陣派もイマイチしっくりこなかった。



「自分が使いやすい方を選べはいいんじゃないか? 魔術陣の方が自分のスタイルに合っていると直感したなら、無理に舞と同じにする必要はない」



 同じことを、すでに舞からも言われている。ジャンヌの言葉を借りて言うなら、自分の直感が「どちらでもない」と言っているのだ。



 そのことを伝えるとジャンヌは白く細い指で顎を支え、考え込むようなしぐさを見せる。



「魔術師としての直感が否定するか……」



 魔術師の直感は『女の勘』に近いものがある。



 遺伝的に組み込まれた本能のようなもので、魔術師の勘というものは時に無視できない真実を見抜いたりもする。



 魔術の素質にしても遺伝的なものが有無を言う。その直感が否定をしているのならば、それは十中八九、的中していると言っていいだろう。



「……それなら咲は刻印派なのかもしれないな。春木栄一と同じで」



「おじ様と同じ……ですか?」



 こくりとジャンヌは首肯する。



「春木栄一は身体に直接術式を組み込んでいた。それは肉体を魔術として創りかえることだ。それはつまり自己を『人間』ではなく『魔術』とする、という意味だ」



 魔術に生涯を捧げる決意をしてきた魔術師にとって、ただ人間としての自己を捨てるだけで強大な力と知識を得られるのなら、それは安い買い物だろう。



 しかし、普通の人間として生きてきた者にとって人間の理を外れる、というのは耐え難いことである。



 咲は思いつめるような表情を続け、下唇を噛んだまま顔を上げ、そして口を開こうと意を決した所で、



「待て」



 ジャンヌに言葉を止められた。



「深く意味を理解しないまま結論を急がない方がいい」



「理解はしているつもりです。人間を辞めれば先輩を守れる力が得られるんですよね。それなら私が迷うことはないです」



 それは断言。躊躇いも戸惑いもないことは、正面から咲の目を見ているジャンヌにも強く伝わっている。



 だが、それだけで咲が真に理解して答えを出しているとは、どうしても思えなかった。



「それは人としての幸福を捨てるということだぞ?」



「捨てませんよ。私の幸せは先輩とお姉ちゃん、おば様とジャンヌさんたちと一緒に、これから先も食卓を囲んで楽しく暮らしていくことです。もちろん家族が増えることも……」



 ごにょごにょごにょ……、と顔を赤くして俯き呟く咲を見て、やはり彼女は理解していないとジャンヌは思った。



「……春木夫妻に実子がいないのは知っているな?」



「? はい。先輩は養子ですから。でも、今それは関係ありませんよね?」



「関係ない話をするはずがないだろう? 十分に関係ある話だ、これは。いいか? 人間を捨てるということは、その生命の目的である繁殖能力を失うということだ」



 え? と咲はポカンとしていたが、ジャンヌの言葉を理解するにしたがい、表情が驚愕に包まれる。



 春木家に子供がいないことは知っていた。だが、それは単に運やタイミングが悪かっただけだと思っていた。



 しかし、それは違った。



 刻印派であった春木栄一は、その時すでに繁殖能力を喪失していた。だから子供が作れなかったのだ。



「あの魔術師としての才能に恵まれた春木栄一ですら苦悩し、己を責め続け、それでも破ること叶わなかった律だ。その苦悩を魔術師になったばかりの咲に背負えるか?」



 背負えます、と即答できるものではなかった。



 咲にも漠然とだが夢のようなものがある。



 いつか、こんな自分を受け入れてくれる異性が現れ、恋をして、結婚して、子供にも恵まれて、小さくていいから幸せな家庭を作りたいという、ささやかな夢。



 それが刻印派になると叶わなくなる。



「……だからお姉ちゃんは私に教えなかったんですね、刻印派のこと」



「そうだろうな。だが私は教えた。それは、これを含めて自分の進む道を決めるのは咲自身だからだ。

 自分が後悔しない生き方をすればいい。人の生涯は、その過程にこそ意味があるのだから」



 悔いのないように生きる。それは一九年という速さで生涯を駆け抜けた一人の聖人が、これからを生きる少女に贈る言葉。



 他人から見れば悲壮に感じられる人生だったかもしれないが、本人に後悔はない。



 確かに魔術とされたことに憤りもした。だが、それは間違いだったと、五〇〇年ほど経ってしまったが、非を認めてくれている。



 フランス王国も国民もジャンヌ・ダルクの生涯を高く評価してくれている。だからもう、それだけで十分だった。



 咲の思い描くような『女としての幸せ』は味わえなかったが、かけがえのない戦友たちとの絆は、それに勝るとも劣らない彼女の幸福の形。



「どんな形でもいい。自分の幸福の姿を思い出せ。その上で、それでも決意が変わらないのなら……自分で選び取った生涯を、きっと誇れる」



 その言葉の重みに気付いたのか、咲は神妙な顔で首肯する。



 すぐに答えを出せそうにない。出すわけにはいかない。



 真剣に考え、悩んで、自分の答えを導き出す。



 そう決め、そして少しだけ晴れ晴れとした表情の中で、きゅぴーんっ、と擬音が聞こえてきそうな感じで咲の目が妖しく光った。



「聞きたいことは聞きましたし、それではお礼もかねてジャンヌさんに似合いそうな服を選びましょう!!」



「なっ!? そ、それは私と二人きりで話をする口実を作る為の方言だったはずだろう!?」



「え? こちらが本命で、そちらは『ついで』ですよ?」



 はーかーらーれーたアアアッ!! とジャンヌが頭を抱えて悶えて崩れ落ちる前で、バンッ、と開かれたクローゼット。



 一〇〇着を優に越えるんじゃないかと思えるほどの夢と絶望(ジャンヌ視点から)が詰まっていた。



「さあ、どれからいきますか? 私としてはこのブルーのドレスとか似合うと思うんですけれどこれはフリルが少ないんですよねでもフリルなら私が手直しすれば増やせるから問題ありません任せてくださいというわけでまずはこれからいきましょう!!」



 息継ぎもなしに語られる咲の言葉に涙目で後退るジャンヌの肩が、掴まれた。



「あ、ちょっと待つんだ、咲ッ! ちょ、服を引っ張、せめて自分で脱、だか、ひゃあああっ!?」



 ジャンヌの悲鳴はその後も続き、葛城家が静寂を取り戻す頃には夕闇が町を染める時間帯になっていた。



 しかし、まだ舞は帰宅していない。



 

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